九話
九月中旬の日曜日。美鈴と千昭は薪割りをしていた。
千昭が斧を振り下ろす。千昭が割った薪を、美鈴が薪小屋へ運ぶ。
薪は千昭の背より少し高いくらい積み重なっている。投げて重ね、美鈴は空を見上げた。秋が進んで、水で薄めたみたいに空の青が薄くなっている。日差しも優しくなったが、動けば汗が滲んでくる。
薪小屋を振り返る。充分な量がたまった。もう割らなくてもいいだろう。
美鈴は小走りで千昭の元へ向かう。
ちょうど千昭が、斧を振り下ろした。カーン、と小高い音とともに半円の薪が、真っ二つに割れた。
薪を拾い上げた千昭が、美鈴に気がついた。
「もう充分な量になった?」
美鈴は頷く。
「それじゃあ、これで最後にしようか」
二人は地べたの薪を拾い集め、薪小屋へ行った。
最後の一本を積んで、薪割りは終了だ。
「あー、終わったね」
天井付近まで積み重なった薪に背を向け、千昭はぐるぐると肩を回した。普段、座り仕事の彼には、薪割りは重労働だっただろう。
上に伸ばした千昭の手が、手前に飛び出していた薪に触れた。薪が真上に押される。
反動で落ちてきそうだ。このままでは千昭に当たる。
危ないと言わなければ。けれど、喉に石が現れて声が出せなかった。
「ん?」
美鈴はとっさに腕を引っ張ろうとしたが間に合わなかった。
薪が千昭の脳天に直撃した。
「痛っ……」
千昭は頭を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。
美鈴は慌てて千昭の顔を覗き込む。耐え難い痛みのようで、歯を食いしばって頬を引きつらせている。
美鈴が見ていることに気がついたようで、千昭はハハッと笑った。
「大丈夫だから」
言いながら手のひらを見る。鮮血がついていた。美鈴は青ざめた。心臓もひゅっと縮まる。
どうしよう……。
頭を怪我した千昭を前に、美鈴は慌てふためくだけだった。動かないとと思っても、頭が働いてくれない。
美鈴よりも負傷した千昭のほうが冷静だった。
「タオルを持ってきてくれるかな?」
言われて、美鈴はビンタされたように正気を取り戻す。
高速で何度も頷き、美鈴はその場を離れた。
草履も揃えずに、家の中に飛び込む。ドタドタと廊下を走り、脱衣所を目指す。
清潔なタオルをかき集めていると、眉根を寄せた幸助とマツが顔を覗かせた。
「家の中を走って、一体、どうしたんだ。はしたないぞ」
「千昭さんが怪我したの!」
千昭が家の中にいないから、声が出せた。幸助とマツが仰天する。
「何だって⁉」
幸助の声はひっくり返った。
あわあわと、口の前で手を右往左往させながらマツが訊いてくる。
「どこを?」
「頭」
「まあ、たいへん!」
「俺は医者を呼んでくる!」
幸助が脱衣所を出ていった。地震のように床を振動させる、美鈴よりも慌ただしい足音が遠ざかっていく。
美鈴とマツも脱衣所を出る。
自力でここまで来たようで、千昭は縁側に座っていた。太ももに肘を立て、前傾姿勢で頭を押さえている。
「千昭さん、大丈夫ですか?」
マツが顔を覗き込むと、千昭は背筋を伸ばした。
「はい。たいしたことないと思うので」
「何があったの?」
「薪が落ちてきて頭に当たったんです。俺の不注意です」
千昭さんの不注意じゃない。私が危ないって言えなかったからなのに。
美鈴はタオルをぎゅっと握る。
千昭が振り返って、美鈴を見た。
「タオルをもらってもいい?」
美鈴はタオルを差し出す。
千昭の手が頭から離れた。隠していたところを凝視する。薪が直撃した脳天は、五センチほどぱっくりと切れていた。傷周りの髪は、血でしっとりとしていた。
少しして、幸助が医者を連れて戻ってきた。
診察の結果、傷口を縫合することになった。
まるで穴が空いた服を補修するように、千昭の傷を縫い合わせる。針を刺されているのは千昭なのに、美鈴は自分がチクりと痛みを覚えた。
縫合が終わった千昭の頭には包帯が巻かれた。怪我の程度以上に痛ましく思え、美鈴は千昭を直視できなかった。
その日の夜。
美鈴は寝室で千昭の背に抱きついた。
驚いたのだろう。千昭はびくっとし、肩をすくめた。
「おおっ、どうした?」
美鈴は体から離れ、
『ごめんなさい』
と、千昭の背に書く。
「いいさ。気にしないで」
美鈴と向き合った千昭は一笑し、美鈴の頭に手を置いた。ポンポンと、慰めるように優しく撫でてくれる。
彼の優しさが、美鈴を泥沼のように抜け出せない罪悪感に沈める。美鈴は歯がみし、千昭の胸に拳と額をつけた。罪悪感が拳をぷるぷると震わせる。
「美鈴さん」
千昭が美鈴を抱擁した。
「薪が落ちること、口で俺に教えてくれようとしてくれたんだよね? 喉が動いたのがわかったよ」
背をさすってくれる。全身が罪悪感の沼の中に沈む。
喉が締まる感じがする。苦しくて涙が出てくる。
ごめんなさい。
たった一言。幼子でも言えることだ。それなのに喉を動かせなくて声に出せなかった。




