表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

九話

 九月中旬の日曜日。美鈴と千昭は薪割りをしていた。

 千昭が斧を振り下ろす。千昭が割った薪を、美鈴が薪小屋へ運ぶ。

 薪は千昭の背より少し高いくらい積み重なっている。投げて重ね、美鈴は空を見上げた。秋が進んで、水で薄めたみたいに空の青が薄くなっている。日差しも優しくなったが、動けば汗が滲んでくる。

 薪小屋を振り返る。充分な量がたまった。もう割らなくてもいいだろう。

 美鈴は小走りで千昭の元へ向かう。

 ちょうど千昭が、斧を振り下ろした。カーン、と小高い音とともに半円の薪が、真っ二つに割れた。

 薪を拾い上げた千昭が、美鈴に気がついた。

「もう充分な量になった?」

 美鈴は頷く。

「それじゃあ、これで最後にしようか」

 二人は地べたの薪を拾い集め、薪小屋へ行った。

 最後の一本を積んで、薪割りは終了だ。

「あー、終わったね」

 天井付近まで積み重なった薪に背を向け、千昭はぐるぐると肩を回した。普段、座り仕事の彼には、薪割りは重労働だっただろう。

 上に伸ばした千昭の手が、手前に飛び出していた薪に触れた。薪が真上に押される。

 反動で落ちてきそうだ。このままでは千昭に当たる。

 危ないと言わなければ。けれど、喉に石が現れて声が出せなかった。

「ん?」

 美鈴はとっさに腕を引っ張ろうとしたが間に合わなかった。

 薪が千昭の脳天に直撃した。

「痛っ……」

 千昭は頭を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。

 美鈴は慌てて千昭の顔を覗き込む。耐え難い痛みのようで、歯を食いしばって頬を引きつらせている。

 美鈴が見ていることに気がついたようで、千昭はハハッと笑った。

「大丈夫だから」

 言いながら手のひらを見る。鮮血がついていた。美鈴は青ざめた。心臓もひゅっと縮まる。

 どうしよう……。

 頭を怪我した千昭を前に、美鈴は慌てふためくだけだった。動かないとと思っても、頭が働いてくれない。

 美鈴よりも負傷した千昭のほうが冷静だった。

「タオルを持ってきてくれるかな?」

 言われて、美鈴はビンタされたように正気を取り戻す。

 高速で何度も頷き、美鈴はその場を離れた。

 草履も揃えずに、家の中に飛び込む。ドタドタと廊下を走り、脱衣所を目指す。

 清潔なタオルをかき集めていると、眉根を寄せた幸助とマツが顔を覗かせた。

「家の中を走って、一体、どうしたんだ。はしたないぞ」

「千昭さんが怪我したの!」

 千昭が家の中にいないから、声が出せた。幸助とマツが仰天する。

「何だって⁉」

 幸助の声はひっくり返った。

 あわあわと、口の前で手を右往左往させながらマツが訊いてくる。

「どこを?」

「頭」

「まあ、たいへん!」

「俺は医者を呼んでくる!」

 幸助が脱衣所を出ていった。地震のように床を振動させる、美鈴よりも慌ただしい足音が遠ざかっていく。

 美鈴とマツも脱衣所を出る。

 自力でここまで来たようで、千昭は縁側に座っていた。太ももに肘を立て、前傾姿勢で頭を押さえている。

「千昭さん、大丈夫ですか?」

 マツが顔を覗き込むと、千昭は背筋を伸ばした。

「はい。たいしたことないと思うので」

「何があったの?」

「薪が落ちてきて頭に当たったんです。俺の不注意です」

 千昭さんの不注意じゃない。私が危ないって言えなかったからなのに。

 美鈴はタオルをぎゅっと握る。

 千昭が振り返って、美鈴を見た。

「タオルをもらってもいい?」

 美鈴はタオルを差し出す。

 千昭の手が頭から離れた。隠していたところを凝視する。薪が直撃した脳天は、五センチほどぱっくりと切れていた。傷周りの髪は、血でしっとりとしていた。

 少しして、幸助が医者を連れて戻ってきた。

 診察の結果、傷口を縫合することになった。

 まるで穴が空いた服を補修するように、千昭の傷を縫い合わせる。針を刺されているのは千昭なのに、美鈴は自分がチクりと痛みを覚えた。

 縫合が終わった千昭の頭には包帯が巻かれた。怪我の程度以上に痛ましく思え、美鈴は千昭を直視できなかった。

 その日の夜。

 美鈴は寝室で千昭の背に抱きついた。

 驚いたのだろう。千昭はびくっとし、肩をすくめた。

「おおっ、どうした?」

 美鈴は体から離れ、

『ごめんなさい』

 と、千昭の背に書く。

「いいさ。気にしないで」

 美鈴と向き合った千昭は一笑し、美鈴の頭に手を置いた。ポンポンと、慰めるように優しく撫でてくれる。

 彼の優しさが、美鈴を泥沼のように抜け出せない罪悪感に沈める。美鈴は歯がみし、千昭の胸に拳と額をつけた。罪悪感が拳をぷるぷると震わせる。

「美鈴さん」

 千昭が美鈴を抱擁した。

「薪が落ちること、口で俺に教えてくれようとしてくれたんだよね? 喉が動いたのがわかったよ」

 背をさすってくれる。全身が罪悪感の沼の中に沈む。

 喉が締まる感じがする。苦しくて涙が出てくる。

 ごめんなさい。

 たった一言。幼子でも言えることだ。それなのに喉を動かせなくて声に出せなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ