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六話

 桶に水を張り、庭で衣服を洗っていた美鈴は空を見上げた。

 世の中と人の心を陰鬱とさせるじめじめとした夏前の長雨がようやく収まった。

 久しいこと鈍色の雲に隠れていたお天道様が、まん丸で大きな顔を空に出している。そして空にいる間、その眩い光でこの間までの陰鬱を忘れさせてくれる。

 久しぶりに洗濯物がからっと乾きそうだな。

 青が映える眩しい夏の空に、美鈴は目を細めた。

 七月の頭の土曜日。西の空がまだ明るく、夜の帳が完全に降りていない午後七時の少し前。

 今日は、千昭の高校時代の友人が、結婚の祝いに来る日だ。顔合わせのときみたいな料理を作ったほうがいいのかと美鈴は思っていたが、「祝いという名の呑みだろうから、かしこまらないでいい」と、千昭は言っていた。

 台所で来客に出す肴を作っていると、

「ごめんください」

 と、野太い男の声が聞こえた。どうやら、千昭の友人たちが来たようだ。

 がやがやと楽しそうな空気が、家の中を進んでいく気配を感じる。

「賑やかになりそうだね」

 マツは言いながら笑った。

 気配が完全に消えて少しすると、千昭が台所に顔を覗かせた。

「伊藤たちが来た。美鈴さん、客間に来てくれる?」

 美鈴はこくりと頷き、千昭の後ろをついて行く。

 千昭の友人は七人来ていた。彼らは何か珍しいものを見たときのようにざわめきだした。

「俺の妻の美鈴さん」

 千昭は指を揃えた手で美鈴を示して、紹介した。こんばんは、も言わずに美鈴はお辞儀する。

 おー、っと彼らは声を漏らした。興味を向けられていると思うと、何だか恥ずかしい。

 顔を上げたとき、一番端に座っている松岡と目が合った。千昭以外とはそれほど仲良くないらしいからどこか輪の中に入りきれていない彼は、じっとりとした意味ありげな嫌らしい目でこちらを見ていた。

 嫌な感じ。

 そう思いながら、美鈴はそっと目をそらした。

 千昭の友人は一人一人丁寧に、美鈴に自己紹介をした。だが美鈴は、千昭の親友だという伊藤しか覚えられなかった。

 台所に戻り、マツと作った肴を皿に盛って客間へと運んだ。

 すべて運び終えて、美鈴は居間で夕食を摂る。今晩のお菜は、彼らに出した肴だ。全品多めに作って、夕食用に取っておいた。

「ハハハッ」

 地を割るような大きな笑い声に、幸助が苦笑した。酒が入った彼らの声は、家の壁なんて簡単にすり抜ける。客間から離れている居間にまで、彼らの声は聞こえてくる。

 高校時代、いつもつるんでいた面子全員で集まるのは、五年ぶりだと言っていた。思い出話や近況報告で盛り上がっているのだろう。

 また大音声が聞こえた。

「えらい盛り上がってるなあ」

「せっかく友人で集まっているんですから、少しくらいうるさくてもいいじゃありませんか」

「お隣まで聞こえてないといいがなあ」

「苦情を言われたら、謝ればいいだけの話じゃないですか」

 閉じていた居間の襖が外側から開けられた。やって来たのは千昭だった。

「美鈴さんもちょっとおいで」

 呼んでこいとでも言われたのだろう。千昭が手招きする。

 酒が入って高揚している男衆の中に入りたくないが、千昭が迎えにきたのだ。美鈴は筆談道具を持ち、千昭について行く。

 客間に足を踏み入れただけなのに、歓声のようなものが上がった。

 促されるまま、卓の中央に座る。すると、松岡以外は卓に肘をついて、餌に群がる鯉のように前のめりになった。

 美術品を品定めするような視線が体を這い回る。耐えられず、身を隠すように美鈴は肩をすくめる。

「そんなにじっと見つめるなよ」

 千昭が言うと、すっと視線が引いた。美鈴はすくめていた肩を伸ばす。

 いや~、美鈴さん、と卓を挟んで斜め前に座っている男が言った。

「出していただいた肴、どれも絶品で料亭の味みたいでしたよ」

 ぺこりと美鈴が頭を下げたのと同時に、千昭が嬉しそうに口を開いた。

「そうだろ。どれ食べても美味いだろ。俺は毎日こういうのを食べられてるんだ」

「なんだ。庄司。惚気か?」

 千昭の正面に座っている男が、にやつきながらとっくりを傾けた。だがとっくりからは、しずくが数滴落ちるだけだった。

 美鈴は正座から膝立ちになり身を乗り出して、とっくりを渡すよう手を出す。

「ああ、すみません。お願いします」

 出されたとっくりを受け取る。

 これも空です、と、とっくりが美鈴の前に集まる。

 美鈴はノートを開き、鉛筆を走らせた。皆に見えるよう大きく書き、見せる。

『何本作ってくればよろしいでしょうか』

「全部に作ってきてください」

 承知いたしました、の意で美鈴は頷く。

 盆に八本のとっくりを載せ、畳に転がっている空の酒瓶を小脇に抱え、客間を出た。

 熱燗を作りながら、短いため息を漏らす。

 ノートに字を書いているとき、誰かが鼻で笑った。ノートを見せたとき、彼らの顔を見回した。笑ったのは松岡だと直感した。松岡だけが、ノートの字を見ていなかったのだ。

 松岡は憐れむような目で、千昭を見ていた。筆談する妻なんてかわいそう。そう思っていそうな目だった。

 嫌な人だな。他の人も似たようなことを思っているだろうけど、態度に出してないのに。

 熱燗ができたから、客間へ持っていった。

「おー、ありがとうございます」

「奥さんも一杯、いかがですか?」

 言われたが、美鈴は酒がほとんど飲めない。顔の前で手を左右に振って断り、筆談道具を拾い上げて、居間へと逃げ戻った。

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