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”千里眼”長瀬郁香の怪奇現象ファイル  作者: どくだみ
File1:”千里眼”熊本にあらわる
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異世界からの脱出

 周囲の闇が一層濃くなった気がする。後ろに下がれば、大男も同じだけ距離を詰めてきた。

 これは、逃げた方がいいやつ。全身の細胞が逃げろって言ってるもん。

 ユウは床に倒れたまま。わたしだけ逃げちゃうか。

 ……いや、でもなぁ。

 万一の時は守るって、カッコいいこと言ってくれたじゃん。

 さっきも守ろうとしてくれたじゃん。

 それを置いて自分だけ逃げるってさ。


「わたし的には――ちょっと有り得ないんだよな!」


 九字切りだっけ。左手で印を組む。形とか知らんけど。呪文だけでも効果あるだろ。浄土宗とか、念仏唱えれば極楽行けるし!


「臨!」


 それっぽい印でそれっぽく空を切る。声だけ本気。全身全霊。


「兵」


 大男が頭を振った。うっとうしい虫を追い払うように。巨体から凄まじい圧を感じて、足が竦む。


「と、闘っ!」


 必死に声を絞り出す。大男は止まらず近付いてくる。

 効いてない。そりゃそうだ。素人だもん。効く方が怖いわ。

 そもそもこいつは何する気なんだ? わたしを捕まえて、いや、普通に殺されるか。グチャッて。はは、情けな。


「臨兵闘者皆陣烈在前!」


 飛び込んで来たユウが刀を振り下ろした。銀色の刃が、大男の巨体を袈裟懸けに切り裂く。

 血は出なかった。代わりに傷口から黒い靄が噴き出した。

 間髪入れず、ユウが追撃する。2度、3度。滑らかに刀を振るう姿は、騎士みたいに優雅で力強い。

 カッコいい――。

 とくんと、胸の高鳴りを感じた。

 いつの間にか大男は空気に溶けるようにしていなくなっていた。後に残った靄もユウが息を吹きかけると、散り散りになって消える。

 助かった。


「はあっ」


 力が抜けて、わたしはその場にへたり込んだ。


「千鶴!」


 苦しそうに喘ぎながら、ユウが振り返る。

「ユウ……!」

「たわけがッ! 九字の真似する暇があるならさっさと逃げんか!」


 怒られた。わたしだって頑張ったのに。


「……そんな言わなくていいじゃん」

「ではどんな言葉をお望みだ? 蛮勇を賞賛して欲しいのかね?」


 刀を鞘にしまい、両腕でわたしを抱き起こす。なんでそんなに優しいんだよ。自分の方が怪我してそうなのに。


「大丈夫か?」

「……うん」

「良かった」

「そっちは」

「平気だ。少し身体が軋むがね」


 太陽のような笑顔が癪に障る。突き放して自力で立ち上がった。辺りは怖いくらいに静まり返っている。


「倒したの?」

「奴は七不思議だ。あのくらいでは死なん」

「……ああ、あいつか」


 警備員とくれば当てはまるのは1つ。七不思議その6、警備員のタナカさんだ。

 ユウから聞いた詳細を、わたしは脳内で思い返した。



・警備員のタナカさん

 夜の学校にはタナカさんがいる。

 遅くまで残ってる生徒を見付けると追いかけてくる。

 絶対に捕まってはいけない。



「最初からおかしかったんだよ。イセジョに警備員はいないんだからさ」


 どうして気付けなかったんだ。少し考えれば分かるのに。


「何かの力が、私たちの認識を阻害していたのだろう」

「何か?」

「この空間そのもの、と言うべきかもしれない」


 ユウが両手を広げた。


「呪文を唱える前、私は千鶴の左隣にいた。だが目を開けた時、右になっていた。更に私は右利きの筈が、今は左で刀を振るっている。言葉にすると明らかに変だな」

「そういやわたしも右利きだ。なのにさっきは左で印を組んでて……」

「正しい印ではなかったがね」

「うっさい。なんだろ、身体は違和感なく動くんだよ。”こっち”が利き手だって分かるんだ。だけどそれは左なの。右利きなのに」

「そうだ。左右が逆になっているのさ」


 ということは、もしかして……。


「わたしたちは鏡の中にいる?」

「おそらくは、呪文を唱えた直後からな」


 ユウが頷いた。


「……不味くない? 入る方法は七不思議にあったけど、戻る方法は無かったじゃんか。タナカっつー化け物までいるし」


 再び不安が込み上がってくる。わたしはそっとユウの服の裾を掴んだ。複雑な話だけど、いま頼れるのはこの刀剣女しかいない。


「倒したわけじゃないんでしょ」

「追い返しただけだ」

「倒せる?」

「無理だな。斬って分かった。格が違う」

「でも、さっきは勝てたじゃんか」

「不意を突けたからさ。私が刀を持つ理由が分かるか?」

「いいや」

「弱いからだ。強くあるために武装するんだよ」


 自嘲気味の表情が痛々しい。わたしは溜め息を吐いた。


「……これ、どうしたらいいんだろ」


 次にタナカが現れたとき、今回みたいにいくとは限らないのだ。

 あいつが本気で襲って来た場合を考えてみよう。わたしは無力。ユウも勝てない。逃げてもジリ貧。

 詰んでね?


(うつつ)にあらざる異空間。脱出の術は不明。しかも怪物がうろついている。文字通りの絶望だな! はっはっは!」

「笑うな! 真面目に考えてよ!」


 思わず声を荒げた。けれどユウは意にも介さず、飄々とした態度を崩さない。心臓に毛でも生えてんのかこいつ。


「千鶴、君には()えていないようだね」

「何が」

「ここから出る方法だよ。あれだけ明確に示されていたのに」

「は?」


 問い返した。ユウが得意気に指を立てる。


「反対呪文さ。呪文を唱えて入ったのだから、出るときも呪文を唱えればいいんだ。入るときと逆の呪文をね。後ろから読めということだ」

「ソウテベスハシナハノコ……このはなしはすべてうそ。この話は全て嘘!」

「よくあるパターンだよ、千鶴」


 そういうことかと納得したわたしに、ユウが自信満々の笑みを浮かべた。

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