一段落
ユウの推理は見事に当たった。
鏡の前で逆さ呪文を唱えて、無事現実に帰還したとき、時計の針は午前2時を指していた。体感じゃ30分そこらの冒険だったので、わたしの頭はまたしても混乱した。
「時間の流れが狂うのも、よくあるパターンだ」
ユウが言った。理屈で考えちゃ駄目なんだろう。そういうものと受け入れるしかない。
鏡を覗く。警備服を着た人影が、階段の影にフラッと隠れるのが見えた。
ヒッと仰け反るわたしを抱き留めて、ユウが独り言つ。
「深夜2時に鏡を覗くと、いない筈の人間が映る――タナカは元々、人間だったのかもしれないな。何かの拍子にあちら側へ踏み込み、帰れないまま怪異になった」
「そういうのも、よくあるの?」
「ある。人間と怪異の境界は、意外に曖昧なものだよ」
ユウが目を細めた。
「崇徳天皇や菅原道真は、恨みで人間が怨霊になった良い例だ。あるいは平安時代の鬼。怪異として語られるが、実際は反朝廷の勢力を象った存在と言われる」
「天狗の正体が、実は山に隠れ住む民族だった。みたいな?」
「そうだ。天狗については実在を主張しておくがね」
んな馬鹿な。でも、七不思議は実在するもんな。だったら妖怪もいるのか?
「ユウ」
「ん?」
「もし、さ。あそこでタナカに捕まったら、どうなってたんだろ」
「捕まってみればいい」
「はぁ!?」
「はっはっは! 冗談だ!」
こんな時に冗談言わないで欲しいなぁ!
呆れたわたしは今度こそ帰ろうとした。が、そこで腕を掴まれる。
「待て」
「まだ何かするわけ?」
「謎が残っているだろう。あの空間はどういったものか。何故この鏡が、入り口として機能するのか」
「何故って、そういうもんだからじゃないの」
疑問を持たずに受け入れろ、ってスタンスだと思ったけど。
問い返すと、ユウはちっちっちと舌を鳴らした。
「私たちの目的は?」
「怪奇現象の調査、鎮圧でしょ」
「怪異の定義は“よく分からないもの”だ」
「分かる」
「だが彼らには彼らなりのルールがあり、確固たる正体があるわけだな」
「まあ、分かるよ」
「そういうことさ」
どういうことだよ。
「ルールや正体を解き明かせば、それはもう怪異ではない。ただの“脅威”だ。怪異は怪異としての格を落とし、対処が可能になる」
「受け入れなくていいけど、どういうものか知る必要はある、ってこと?」
「ああ」
「ふーん」
よく分かんないけど、そういうもんなんだろう。
「どれ、少し視てみようか」
瞼を閉じて、ユウが手を三角に組む。背筋を伸ばして仁王立ち。
身長が高いのもあるけれど、何より女性にしてはガッチリした体が、堂々たる振る舞いに拍車をかけている。
モテるんだろな。
わたしには関係ないけどさ……。
「――なるほど」
「どうよ」
「現実の学校に重なって、裏返しの校舎が視えた」
「裏返し……鏡の中ってことか。他には?」
「校庭や敷地外の道路は存在しなかった。異空間の範囲はABCの3校舎、その建物内に限定されるようだな」
ピンと立てた指をこめかみに当て、思案するようにユウが続ける。
「校内にいくつか光の点があった。この踊り場が最も大きく、次いで小さなものがチラホラと。おそらく“入り口”だな」
「他の場所からも入れるの?」
七不思議には、C校舎の踊り場って指定があったけど。
「入ろうと思えばこじ開けられる。ではその入り口は、どういった条件下で生まれるのか? 答えは、合わせ鏡だ」
「ああ、2枚の鏡を向き合わせるやつね」
鏡に鏡が映り、その中にまた鏡が映る。果てしなく広がって非常に気色悪い。魔物を呼ぶとか幽霊が見えるとか、ホラーな噂があることは、わたしも知っている。けれど、
「鏡が足りないよ。1枚はこれでしょ? 2枚目はどこにあんのさ」
「君の後ろにあるじゃないか」
ユウが答えて、わたしは振り返った。その先には窓。……いや、違う。窓だけど、これは窓じゃない。
「外が暗く、こちら側は明るい。この状況において、《《窓は擬似的な鏡になるんだ》》。私たちが映っているようにね」
目を見開いたわたしに向けて、ユウが解説を加える。
「合わせ鏡は異界に通ずるとされる。夜、かつ明かりが点いている時、この踊り場には擬似的な合わせ鏡が出来上がるんだ。すなわち、異界への入り口がね」
「ちょい待ち。さっき他にも入り口があるって言ったよね。てことはさ」
「気付いたか」
ニヤッと唇を歪める。嬉しそうだなと思いつつ、わたしは自分の推測を口にした。
「C校舎の鏡って七不思議にはあった。だけど鏡はあくまで入り口なんだね。大切なのは、合わせ鏡を通って行ける異世界の方」
「そうだ。現実の裏側に張り付いたもう一つの校舎こそ、この七不思議の正体というわけさ」
※
そうと分かれば後は簡単だった。
次の日から、校内を練り歩いて、危険な場所に手を加える日々が続いた。壁掛けの鏡を布で隠したり。動かせるやつは向きを変えて、合わせ鏡が偶然にも出来ないようにする。これで異界と繋がる可能性は格段に下がる、らしい。
怪異の鎮圧って聞いた時は、お祓いみたいなのを想像したけど、実際は地味なもんだった。
踊り場の合わせ鏡は、窓のブラインドを常に降ろしておく形で対策した。
鏡を隠さなかったのはどうしてか訊くと、「ちょっとな」と笑顔で誤魔化された。何か企んでるっぽい。
こっとんにこのことを話したら、メチャクチャ心配された。タナカや日本刀の件は伏せたけど、七不思議を検証するって時点で、ちょっと有り得ないみたいだ。
週末。
自室で勉強してたわたしのもとに、ユウから電話がかかってきた。
『いるのは分かっている。出て来い』
「なんで分かるんだよ。……そっか透視か」
立て込もり犯扱いしやがってと突っ込みつつ、最低限の身だしなみを整えて降りて行くと、玄関の前でユウが待っていた。
「やあ、おはよう」
例のごとく太陽のようなオーラを纏っている。白のワイシャツに黒のパンツスーツ。
執事ですか?
「わざわざ呼び出して何?」
「君に渡すものがあってね」
片手を上げて歩み寄ってきたユウは、そこで唐突に苦笑いを浮かべ、わたしの髪を優しく指で梳いた。
「寝癖が付いているぞ」
「ひゃう!」
「……そんな反応をしなくてもいいだろう」
いきなり触られたことにビックリして跳び上がる。拒絶されたと思ったのか、ユウが悲しげに手を引いた。
あ、ごめん。嫌じゃないよ。急だったから。てかスキンシップ多いなこいつ。
「今週の給料だ。確認してくれ」
気まずい空気になりかけたところで、封筒が差し出された。
中には諭吉が1枚、野口が数枚。
「おお……!」
金だ! 何に使おう。久々に牛肉でも食うかな。
「あざっす」
「どうも。さて、用件はまだあるぞ。今後のことを確認したい」
エントランスのソファにドッカと座って、ウキウキで札を数えていたわたしの横へ、ユウが腰を降ろした。
「なんでしょうかユウさん」
「お試し期間は終了だ。この一週間で、私が何をしているか分かったと思う」
そうだね。普通じゃないことしてるのは、よーく分かったよ。
「これまで私は一人でやってきた。君がいなくとも支障はない。その上で問おう」
ユウが真剣な顔でわたしを見た。
「止めたいか? 続けたいか? 正直に答えてくれ」
「あ、それなら続けるよ」
わたしは即答した。
「だろうな止め――待て。続けると言ったか?」
「なんで驚いてんの」
「危険な目に遭ったのだから、断られるかと」
意外そうにユウが答える。タナカの件は確かにマイナスだった。だけどそれ以上に、続けたい理由がある。
「このバイト、実入りがいいでしょ」
「金だけで仕事を選ぶなら、麻薬の運び人をオススメする。牢獄への片道切符付きだ」
「怪異の調査で麻薬を運ぶの?」
「運ばない」
ならいいじゃん。
「それだけか?」
「まだある。こっちが本命の理由かな」
入り口のウォーターサーバーで水を汲んでから、わたしは話を再開した。
「そりゃ、怖い思いも危ない思いもしたよ? だけど、いるもんはいるわけじゃん。タナカとか、他の七不思議だってさ」
「現時点で断定は出来ないが、噂があるのは事実だな」
「でしょ。分かんないままでいる方が怖い。どうせなら徹底的に調べたいなって」
お化けか怪異か都市伝説か知んないけど。そんな非科学的なもの、絶対にいないって思ってた。
わたしの世界が狭いだけだった。
この世には、まだわたしの知らない世界がある。それを知ってしまった以上、もう戻れないのだ。
「ユウのせいだからね。責任取ってよ」
「どう取ればいいか分からん」
「最後までちゃんとやれって意味」
七不思議は5つが残ってる。黒い犬の件も進展無し。そんな中途半端な終わり方、わたしは認めたくない。
「イセジョで何が起きているのか、真実を明らかにして欲しい。出来ないとは言わないよね?」
試すように問うと、ユウはフンと鼻を鳴らした。
「そういうことなら任せておけ。千里眼に見えないものは無いのだからな」
グータッチ。拳と拳をぶつけ合う。
うさんくさい。最初にユウに抱いた印象がそれで、鏡面世界の冒険を経ても、あんまり認識は変わらなかった。
だけど少しずつ、本当に少しずつだけど、わたしはこの女を信用し始めていた。




