後期オリエンテーション
後期の授業が始まる3日程前、オリエンテーションのために学校に向かっていた。昼夜逆転の生活が続いたが、何とかオリエンテーションの2日程前に家族の言う普通の生活に戻った。朝7時に起きて身支度を済ませ7時半に家を出て母に駅まで送ってもらう。8時前に電車に乗り40分ほど心地よく揺られまだまだ衰えることを知らない暑さの中日傘をさして歩くこと20分。前期のオリエンテーションは資料の配布のみだったが、今回は何をするのだろうか。まあ早く終わってくれるのであれば、それでいいのだけれど。そんなことを思いながら8月が残していった暑さに辟易した。
オリエンテーションが始まるまでまだまだ時間があった。マスク生活が始まって半年以上が過ぎた今、感染予防としてマスクを着けているが脱水にも気を付けなければならない。1階のラウンジの自動販売機で飲み物でも買おう。学校の自動販売機は他の自動販売機に比べて少し安めの価格設定にされていた。学生に優しいなと思いながら、大好きな炭酸飲料ではなくお茶のボタンを押した。”ゴトン”と音を立てて落ちる。その音も小さく感じるのはヘッドフォンのお陰だろうか。ノイズキャンセリング機能はついていない安価なものだったが耳が覆われることによって周囲の嫌な雑音は少し小さく感じる。授業中の置き場を考えるとイヤホンの方がいいのだろうが、あまりにも雑音を拾いすぎてしまうことと耳のサイズに合うものがないことを考えるとヘッドフォンを選んでしまう。眼鏡がヘッドフォンに押さえつけられて耳が痛くなるのも気づかないふりをしている。だからと言ってコンタクトにするのも何か違う気がするがコンタクトレンズの購入も検討してみようかななんて思いながら冷えたお茶のペットボトルを片手に階段を上がった。
オリエンテーションで使う教室はまだ別学年がオリエンテーションで使用中であったため、近くのスペースで座って待つことにした。各階の開けたスペースには椅子と机があって、空きコマなどはここで過ごすことも多いようで、前期の対面授業に向かう際にもこのスペースで課題に取り組んでいる先輩は多くいた。学校内で騒がしいのは自動販売機のあるラウンジくらいなもので、その他の場所は大体静かだった。静かな場所では些細な音もできるだけ最小限に収まるようにしてしまうのはきっと私だけではないはずだ。選りに選ってどうして音の鳴りやすいこの柔らかなペットボトルに入ったお茶を選んでしまったのだと後悔しつつ、できるだけ音を鳴らさないように慎重にキャップを開けた。水分補給を済ませスマートフォンを眺める。時間を気にしているとそんなに夢中になるほどスマートフォンに集中してしまうことなんてないわけで、手持ち無沙汰で落ち着かなかった。
考え事をしているとオリエンテーション開始の15分前になっていた。お手洗いを済ませ教室に向かった。開始10分前にもなると教室は学生で埋め尽くされていった。オリエンテーションでは、ざっとした連絡事項が終わると交流会の様な時間が設けられた。10人くらいが1つのグループになり自己紹介をしてくださいというものだった。グループごとに集まったところで自己紹介カードというものが配られた。氏名や趣味といった簡単なものだった。知らない人を前にすると声が縮こまるのと一緒に存在感までなくなってしまえばいいのになんて思ってしまうけれど自分の番は来てしまうわけで、できるだけ早くこの自己紹介から解放されたいと思いながらカードに書き出した。氏名は埋まっても趣味といっても何があるだろうか。持ち合わせていない。動画を眺めるだけで過ぎていく毎日に趣味と呼べるようなものを持てなくなっていた。気づけばなくなってしまっていたなんて。何度この掌から溢してしまえば私は学習するのだろう。夢も趣味も私という存在を構成するものをすべて失ってしまったらどうなるのだろうか。失わないようにすることから目を背けてしまっていることに気づけていなかった。記入の時間が終わるとグループ内で学籍番号順に自己紹介をする時間となった。不安にまみれた私の番が回ってきた。
「20P2075の山城 響歌です。趣味は音楽鑑賞で普段はK-POPを聴いています。クラシック音楽だとベートーヴェンとモーツアルトの曲が好きです。退学や留年をすることなく卒業することが目標です。よろしくお願いします。」
もっと話せることはなかったのかとも思ったがこれが今の私にできる精一杯の自己紹介だった。目標も低すぎただろうかとも思ったが、終わってしまったことをやり直すことはできないので諦めた。
「20P2076の夜湯田 澄麗です。趣味は映画鑑賞で今は映画館に行けないのでサブスクリプションで過去の作品を鑑賞しています。おすすめの作品があれば教えてほしいです。楽しい学生生活を送りたいと思っています。よろしくお願いします。」
と次の人が自己紹介を済ませあっという間に私たちのグループの自己紹介は終わった。
「山城さんの次に自己紹介をした夜湯田 澄麗です。澄麗って呼んでください。」
と私の次に自己紹介をした子が話しかけてきてくれた。
「私は響歌って呼んでください。澄麗ちゃんは映画鑑賞が趣味でしたよね?ごめんなさい緊張していて名前と顔と内容が一致させられていなくて...」
「大丈夫ですよ。実は私も名前も顔も覚えられていないんですよ。しかも緊張で最初の方の人の自己紹介は気づいたら終わってしまっていてマスクもしていますし目元だけで判別するのって難しすぎません?」
と澄麗ちゃんは明るく話を広げていってくれた。これからの学生生活に対する心持ちが軽くなった。




