37話 暗雲と、かつてのトラウマ
『AIZAWA skin beauty』の新館がオープンしてから数週間。 クリニックの待合室は、診察や施術経過のチェックに訪れる患者たちで連日華やかに賑わっていた。
「……はい、経過は順調です。お肌の赤みも完全に引いて、コラーゲンの生成が綺麗に促されていますよ」
処置室で患者の女性に優しく声をかけていたのは、リーナだった。 かつて自信なさげに肩をすぼめていた少女の面影はどこにもなく、手際よく術後の経過観察をこなし、処置後の注意点を丁寧に伝えている。
「ありがとう、リーナ先生! おかげで長年のコンプレックスが消えて、街を歩くのが本当に楽しくなったの」
「いえ……私は、相澤先生の手術の手助けをしただけですから。……でも、そう言っていただけると、すごく嬉しいです」
患者からの手渡された感謝の言葉に、リーナの青紫の瞳が柔らかく緩んだ。 傷口を無理やり塞ぐのではなく、患者の本来の再生力を引き出し、心まで明るくする。自分が信じてきた魔法が、異世界の医師の手によって最高の形で実を結んでいる——その事実が、今のリーナの大きな誇りだった。
「リーナ、薬用の軟膏とガーゼの補充が切れかかっていますわ。中央街の薬問屋まで買い出しをお願いできますか?」
「わかりました、アリアさん! すぐに行ってきますね」
アリアからの依頼を笑顔で引き受け、リーナは買い物カゴを手に、弾むような足取りでクリニックをあとにした。
◆
王都の活気あふれる中央街。薬問屋で必要な資材を買い揃えたリーナは、満足げな息をつきながらクリニックへの帰路についていた。
だが——石造りの静かな裏路地に差し掛かった、その時だった。
「……相変わらず、出来損ないの紛い物治療の手伝いをして楽しそうだな。……リーナ」
頭上から降ってきたのは、氷のように冷たく、粘りつくような男の声だった。
「……っ!?」
リーナの身体が、一瞬で石のように硬直した。カゴを持つ指先がガタガタと震え出す。 忘れるはずもない。かつて自分が所属していた『治癒術師ギルド』の第一施術室長——バルトロメウスだった。
路地の陰から姿を現したバルトロメウスは、豪奢な金糸の刺繍が施されたギルドの長袍を纏い、蔑むような冷徹な眼差しでリーナを見下ろしていた。
「バ……バルトロメウス……様……」
「威勢のいいことだ。無能で何の役にも立たんからとギルドを叩き出された落とし子が、あの街医者のところで『魔法の真似事』かい?」
バルトロメウスは嘲笑を浮かべ、歩み寄ってくる。靴音が路地に不気味に響く。
「美容だと? 笑わせるな。傷を塞ぐことすら満足にできぬ者が、人の顔や身体を美しくするなど、医療の冒涜だ」
「違……違います……! 相澤先生の医療は……!」
必死に言葉を絞り出そうとするリーナだったが、声がかすれて続かない。 頭の中で、かつて「即効性がない」「出来損ないの役立たず」と罵られ、暗い部屋で一人泣いていた過去のトラウマが恐ろしい精度で蘇ってくる。
バルトロメウスは容赦なく言葉を重ね、高圧的な態度で威圧した。
「患者が求めているのは『美しさ』などというくだらん幻想ではない。傷が塞がり、再び動けるようになればそれで十分なのだ。医療とは命を救うもの。見た目など二の次だろうが」
「……患者様は……っ」
リーナの脳裏に、傷が消えて涙を流して喜んだシャロンの顔や、コンプレックスから解放されて笑顔を取り戻したエマたちの姿が浮かんだ。 言い返したい。患者たちがどれほど救われ、どれほど救われているかを、突きつけてやりたい。
「……患者様は……」
「なんだ?」
バルトロメウスが鋭い眼光で睨みつけると、リーナの喉が恐怖でキュッと絞まり、言葉が立ち消えた。
「……いえ……」
過去のトラウマが身体を縛り付け、それ以上声が出ない。 そんなリーナの反応を見たバルトロメウスは、満足げに鼻で笑った。
「くっくっ……お前は昔からそうだ。自分の魔法に自信も持てず、いつも怯えてばかり。だから追放されたのだ。……だがな、落ちこぼれのお前にも最後の『使い道』をやろう」
バルトロメウスの顔から笑みが消え、冷酷な脅迫の顔へと変わった。
「AIZAWAの使っている未知の薬、秘術の製法、魔導具の構造……そのすべてを写し取り、私に横流ししろ」
「え……?」
「あの男がやっていることは、ギルドの秩序を乱す邪法だ。大人しく情報を渡せば、お前のギルド復帰を考えてやらんでもない。……断れば、あの街医者もろとも『邪法使い』として処刑台へ送ることになるぞ」
「そんな……っ! 先生は邪法なんて使っていません! 正しい解剖学と技術で……!」
「黙れ!」
バルトロメウスが一歩踏み込み、強烈な圧迫感でリーナを黙らせた。
「まあいい。お前が拒むなら、それでも構わん。……こちらから取りに行くだけだ」
背を向けて去ろうとするバルトロメウスの背中に、リーナは震える声で叫んだ。
「……どういう、意味ですか……!?」
バルトロメウスは足を止め、振り返ることなくニヤリと口角を上げた。
「数日後、お前たちのところへ患者を一人送る。……せいぜい、その患者を救ってみせることだな」
黒いローブを翻し、バルトロメウスは闇の中へと消えていった。 残されたリーナは、その場に崩れ落ち、震える手で自分の身体を抱きしめることしかできなかった。
◆
「……ただいま……戻りました……」
夕暮れ時。クリニックに戻ってきたリーナの声は、弱々しくかすれていた。
「あ、リーナちゃんおかえりー! 買い出しありがと……って、あれ? リーナちゃん、顔色が……?」
荷物を受け取ろうとしたミーナが、顔を蒼白にして震えているリーナに気づいて声を上げた。 奥のデスクでカルテを整理していた雄介と、器具の消毒をしていたアリアも、異変を察して即座に駆け寄ってくる。
「どうした、リーナ。何かあったのか?」
雄介が前かがみになり、視線を合わせて問いかける。 だが、リーナは雄介の顔を見ることすらできず、ぎゅっと唇を噛みしめて俯いた。
「私……っ……私が、ここにいるせいで……っ」
ぼとぼとと、大粒の涙がポロポロと床に落ちる。
「私のせいで……相澤先生や、アリアさん、ミーナさんにまで……迷惑がかかってしまいます……。治癒術師ギルドが……私を追放したバルトロメウス様が……先生たちを邪法使いとして訴えるって……」
小さな肩を激しく揺らしながら、リーナは震える声で訴えた。
「私……私、クリニックを辞めたほうがいいです……! 私がギルドを裏切ってここにいるから……皆さんに危険が……っ」
自分が去れば、先生たちは守られるかもしれない。 そんな捨て身の思考に陥っている少女に対し、雄介は静かに息を吐いた。
「……それ、本気で言ってるのか?」
雄介の声は、怒りではなく、静かで、圧倒的に深かった。
「ひっ……」
「君は『ギルドを裏切った』んじゃない。傷を治すだけじゃ救えない患者を、自分の魔法で本気で救いたくて、ここを選んだんだろ」
「……っ」
「それに——」
雄介はしゃがみ込み、冷たくなったリーナの小さな両手を、大きくて温かい自分の手でしっかりと包み込んだ。
「『一人で抱え込んで、辞める』なんて判断を、勝手にさせるわけがないだろ。俺はここの院長だ」
「先生……」
「以前の俺なら、『俺が全部なんとかする』と言っていたかもしれない。でも、今のAIZAWAは俺一人クリニックじゃない。……一人で抱え込むな、リーナ」
雄介は立ち上がり、隣に並ぶアリアとミーナを見つめた。
「アリアにも、ミーナにも話して、今後どうするかは俺たち『全員』で決める」
雄介の言葉に、アリアが毅然とした笑みを浮かべて深く頷いた。
「もちろんですわ! リーナ、あなたを一人で悩ませるほど、私たちは薄情ではありません。ギルドの言いなりになんて、絶対にさせませんわ!」
ミーナも涙ぐみながら、リーナの背中を優しく抱きしめた。
「そうだよ、リーナちゃん! 『AIZAWA skin beauty』は、私たちみんなの場所なんだから! 誰一人欠けちゃ嫌!」
「みな……さん……っ」
温かい言葉と、固い絆。 一人で暗闇の中にいたリーナの心に、激しい熱がこみ上げてきた。
「……バルトロメウスは……数日後に『患者を一人送る』と言っていたな」
雄介の瞳に、鋭い執刀医としての光が宿る。
「刺客だろうが、トラウマだろうが、すべてまとめて返り討ちにしてやる。俺たちの美容医療が、患者を救う本物の医療だということを証明するぞ」
「……はい……! はいっ……!!」
拭っても溢れ出る涙を袖で拭いながら、リーナは強く、強く頷いた。 かつて逃げ出すことしかできなかった落ちこぼれの少女の瞳に、今、仲間と共に戦う固い「覚悟」の火が灯っていた。
全国のリーナちゃまファンの皆様リーナ会でございます。
リーナちゃまの活躍を書こうと思いますので応援をよろしくお願いします!
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