30話 異世界美容外科医、注射一本で令嬢の横顔を変えてしまう
「魔導スライム・ヒアルロン酸」――後に『ルミナ・フィラー』と命名される新しい注入製剤が完成した翌日。
『AIZAWA skin beauty』のカウンセリング室には、可憐なドレスに身を包んだ若い貴族女性が訪れていた。
「相澤先生……私、どうしても自分のお顔に自信が持てないのです」
彼女の名は、クラリス。王都の男爵家の令嬢だった。
「クラリスさん、詳しくお悩みを聞かせていただけますか?」
雄介が優しく促すと、彼女は少し躊躇いながら、細い指先で自分の顎のラインをなぞった。
「幼い頃から……横顔を見た時に、あごが少し後ろに下がっていて小さいのです。正面から見ると輪郭が丸く幼く見えてしまって、すっとした気品のある大人っぽい横顔に憧れていて……」
雄介は彼女の顔を側面から観察した。 (なるほど……軽度の小顎症、あるいは下顎の後退か。いわゆる『Eライン(エステティックライン)』――鼻先と顎先を結ぶ直線の上に、口元が綺麗に収まるラインが崩れている)
「それから、もう一つ問題がございますの。今週末、婚約者様との大切な舞踏会があるのです」
クラリスは悲しそうに眉をひそめた。
「レティシア様の素晴らしいお鼻の手術の噂を聞いて参りましたけれど……骨を削ったり、切ったりする大掛かりな手術を受ければ、顔が大きく腫れてしまいますでしょう? 舞踏会には到底間に合いません。ですが、この顔のまま参加するのも辛くて……」
「なるほど。切る手術を受ける時間はない。だが、即効性があって舞踏会までに横顔を綺麗にしたい……ですね」
雄介は静かに微笑み、カルテから顔を上げた。
「クラリスさん。メスで切ったり、骨を削ったりしなくても、顎のラインを綺麗に整える方法があります」
「えっ……? 切らずに、ですか……!?」
クラリスが信じられないといった様子で目を見開いた。
◆
「それでは、施術を始めます」
処置室へ移動したクラリスは、リクライニングチェアに深々と腰掛け、緊張した面持ちで固くなっていた。
雄介はまず、手鏡をクラリスに持たせた。
「まず、理想的な横顔のバランスについて説明しますね。鼻先と顎先を直線で結んだ時に、唇がそのラインの内側に収まるのが美観上良いとされています。クラリスさんの場合、ほんの少し顎先を『前下方』に出してあげるだけで、横顔の Eラインが劇的に整います」
雄介は特殊なペンを取り出し、クラリスの顎先へ精密にマーキング(デザイン)を行っていく。
「マーキングが完了しました。アリア、消毒を」
「はい、先生。失礼いたしますね」
アリアが慣れた手つきで消毒液を馴染ませ、皮膚を清潔に整える。
続いて、極細の針による局所麻酔だ。 「チクッとしますよ」という雄介の声とともに僅かな刺激があったが、麻酔が効くとクラリスの表情から痛みが消えた。
そして――雄介の手には、精製されたばかりの『ルミナ・フィラー』が充填された滅菌シリンジが握られていた。
「少し押されるような感覚があります。息を楽にしてくださいね」
雄介は事前にデザインしたポイントへ、慎重に針を進めた。 皮下深く、骨膜上の安全な層へと正確に到達させる。
(顎先への注入は、固さのある層にしっかり土台を作ることがポイントだ)
シリンジのプランジャーを微細なタッチで押し、少量ずつ、ミリ単位で『ルミナ・フィラー』を注入していく。
注射器の角度を変えながら、顎の尖りと前出のバランスを指先で指圧・成形しながら整えていく雄介の手技は、まさに精密な彫刻家のようだった。
「……よし、注入完了だ」
施術時間はわずか十分ほど。 仕上げに、傍らに控えていた治癒魔術師のリーナが、そっとクラリスの顎に手をかざした。
「……痛みと炎症を抑える再生魔法をかけます。……これで、術後の腫れもほとんど出ません」
青紫の柔らかな光が顎を包み込み、針穴のごく小さな赤みすらも瞬く間に消えていった。
「お疲れ様でした。手鏡を見てみてください」
雄介に促され、クラリスはおそるおそる手鏡を目元に寄せた。 横顔が見えるよう、アリアがもう一枚の合わせ鏡を角度を考慮して掲げる。
「……っ!? これ……本当に、私……!?」
クラリスの口から、驚愕と感動の悲鳴が漏れた。
鏡に映っていたのは、すっと前に出て、美しく洗練されたシャープな Eラインを描く自分の横顔だった。 下顎が少し前に出たことで、引き締まった綺麗な小顔の印象に変わり、幼さが消えて洗練された気品が漂っている。
「切っていないのに……注射をちょっとしただけで、こんなに横顔が変わるなんて……! 腫れも痛みも全然ありませんわ! これなら週末の舞踏会にも、胸を張って行けます……!」
クラリスは涙ぐみながら、何度も、何度も鏡の中の自分を見つめ直した。
「美容医療は、必ずしも『切る』必要はないんです。患者さんの悩みやスケジュールに合わせて、最も負担が少なく美しい結果を出す。それが私たちの仕事ですから」
雄介の優しい言葉に、クラリスは何度も深々と頭を下げて、晴れやかな笑顔でクリニックを後にしていった。
◆
その日の診療後。
ミーナが嬉しそうに黒板の予約欄を書き直しながら声を弾ませた。
「先生! 『切らない美容医療』、大成功ですね! クラリス様もあんなに喜んでくれて……これならどんなお顔の悩みも、あの透明なゼリーを注射するだけで全部解決できちゃいますね!」
「――ミーナ、それは違う」
雄介は引き締まった厳しい表情で、即座に釘を刺した。
「え……?」
思いがけない雄介の真剣なトーンに、ミーナだけでなくアリアもリーナも背筋を伸ばした。
「フィラー(注入製剤)は魔法じゃない。入れれば入れるほど綺麗になるわけじゃないんだ」
雄介は手元のカルテを閉じ、スタッフたちを見つめた。
「必要以上に注入すれば、顔がパンパンに膨れ上がって不自然な『フィラー顔』になってしまう。それ以上に恐ろしいのは、顔の皮下には無数の血管が走っているということだ。万が一、手元が狂って血管内に製剤を誤注入してしまえば、皮膚の壊死や、最悪の場合は失明といった取り返しのつかない重大な合併症を引き起こす」
アリアとミーナがゴクリと唾を呑み込んだ。
「『手軽にできる』からこそ、解剖学の正確な知識と、適切な適応を見極める医師の高度な技術が必要なんだ。売上のために何でもかんでも注入を勧めるような真似は、うちでは絶対に許さない。わかったな?」
「「「はいッ……!」」」
三人は雄介の「医療者としての妥協なき倫理観」に深く感銘を受け、力強く頷いた。
◆
『AIZAWA skin beauty』の待合室に、新たな看板とキャッチコピーが掲げられた。
新製剤『ルミナ・フィラー』の導入。 そして――
【切らずに、美しく。】 【美しさは、切らなくてもつくれる。】
この魅力的な言葉と実績は、瞬く間に王都社交界の貴族女性たちの心を掴んだ。
ハーブによる肌質改善『ピーリング』。 クレーターやニキビ跡を消し去る『ルミナ・ニードル』。 術後の負担を極限まで減らす『リーナの術後再生魔法』。 そして、メスを使わずに顔立ちを整える『ルミナ・フィラー』。
『AIZAWA』の治療ラインナップは、今やあらゆる美の悩みをカバーする完璧な体系へと進化を遂げていた。
――数日後の夕刻。王都の高級貴族街。
豪華な邸宅の洗面所で、一人の貴族女性が自分の鼻筋を鏡で触りながら溜息をついていた。
「……私のこの鼻、もう少しだけ高く、すっと通った形にできるのかしら? でも、手術で切るのは恐ろしいし……」
そこへ、遊びにやってきた友人令嬢が優しく微笑みかけながら言った。
「ふふ、お悩みなら心配いりませんわ。『AIZAWA skin beauty』なら……切らずに、明日には綺麗な鼻になれるそうですわよ?」
「まあ……! 切らずに!? 本当にそんな魔法のような場所があるの……!?」
噂は巡り、新たな願望が芽生えていく。
メスを使う本格外科手術から、手軽に美を手に入れる「切らない美容医療」へ――。 相澤雄介が切り拓く異世界美容外科の歴史は、今まさに新たな黄金時代(新時代)を迎えようとしていた。
フィラーはいい施術ですが、入れすぎるとこぶ鯛みたいになってしまうのです・・・。
やってもらう先生が大事ですね。
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