21話 傷痕だらけの令嬢、異世界美容外科医のもとへ
『AIZAWA skin beauty』の朝は、静かで清々しい手洗いの音から始まる。
「いいか、リーナ。医療において最も恐ろしいのは、目に見えない『雑菌』による感染症だ。どれだけ素晴らしい手術や施術をしても、術野に菌が入れば化膿し、傷痕は汚くなり、最悪の場合は組織が壊死する」
手洗い場で、雄介は流水と石鹸を使い、爪の間から肘の上まで念入りに洗浄してみせた。
「だからこそ、患者に触れる前と後には必ず手洗いを行う。そして、メスや鍼などの器具はすべて熱と魔法陣で完全に殺菌・滅菌処理された『清潔な状態』を保つんだ。これを【清潔操作】と呼ぶ」
「せいけつ……そうさ……」
横で真似をしながら肘までゴシゴシと洗っていたリーナは、目を見開いて感嘆の息を漏らした。
「すごいです……。治癒術師ギルドでは、そんな概念すらありませんでした。血がついた手や泥のついた服のまま傷口に魔法をかけるのが当たり前で……だから時々、傷が塞がった後に中で熱を持って腫れ上がり、膿んでしまう患者様がいたんです……!」
「傷の中に雑菌を閉じ込めたまま皮膚だけ強引に塞ぐから、内部で感染を起こすんだよ。無菌の状態で処置を行い、正しく保護する。これが医療の鉄則だ」
「なるほど……! 魔法だけに頼るのではなく、傷が治る『環境』を整えるのですね!」
リーナは目を輝かせ、手元のメモ(雄介から渡された羊皮紙のノート)に猛烈な勢いでペンを走らせた。その呑み込みの早さと勉強熱心さに、隣で滅菌手袋を準備していたアリアも微笑ましく頷いている。
「リーナさん、知識の吸収がすごく早いです。これならすぐに現場に入っていただけますね」
「ふふ、よろしくお願いします、アリア先輩!」
◆
そして診療が始まると、さっそくリーナの真価が発揮されることとなった。
最初の患者は、前話で「ルミナ・ニードル」によるニキビ跡・クレーター治療を受けた少女だった。今日は二回目の施術後の経過観察と、追加の針刺激施術を行う日だ。
「よし、ルミナ・ニードルの照射と微細穿刺は終了だ。アリア、クーリング(冷却)の準備を」
「はい、先生」
ニキビ跡の皮膚深部に微小な針を刺し、魔力熱を届ける「ルミナ・ニードル」。真皮のコラーゲン再生を促す画期的な治療だが、施術直後はどうしても皮膚に強い赤みや微小な腫れ、いわゆる『ダウンタイム』が生じる。
通常なら、この赤みや微熱が引くまでに二〜三日はかかる。
「先生、ここで私の魔法を試してもよろしいでしょうか?」
控えていたリーナが、そっと前に出た。
「ああ、頼む。傷痕を残さず、肌の再生を助ける仕上げだ」
「はい!」
リーナは清潔な手袋を着用した手で、少女の顔から数センチ浮かせた位置に両手をかざした。
「――『生気湧出』」
彼女が静かに唱えると、柔らかで温かなエメラルドグリーンの光が、患者の顔全体を優しく包み込んだ。
すると――信じられない光景が起こった。
(……すさまじいな)
雄介は拡大鏡越しに、その変化を凝視した。
ニキビ跡の凹凸を刺激した直後の赤く熱を持っていた皮膚から、見る見るうちに赤みが引いていく。微細な針穴の周囲で起きていた急性の毛細血管拡張が瞬時に鎮静化し、炎症反応が綺麗に抑え込まれていった。
それだけではない。雄介の現代医学的アプローチ(適切な創傷刺激)と、リーナの「自然治癒力の爆発的促進魔法」が組み合わさったことで、皮膚細胞の修復プロセスが異次元のスピードで動き出していた。
「……え? あら……?」
ベッドに横たわっていた少女が、ふと顔を上げた。
「顔の火照りやチクチクした感じが……急に消えました……?」
アリアが手鏡を差し出す。少女は鏡を覗き込み、思わず小さく悲鳴を上げた。
「嘘……!? さっきまであんなに顔が真っ赤だったのに、もう普段通りの肌色に戻ってる……!? それに、前回のニキビ跡の凹凸が、なんだかすごくふっくらして綺麗になってる……!?」
「施術直後の急性炎症が完璧に抑え込まれたおかげで、腫れも赤みもほぼゼロだ。これで今日から普段通りの生活が送れるよ」
雄介がそう告げると、少女は嬉しさのあまり両手で頬を包み込み、跳び上がらんばかりに歓喜した。
「すごいです! 魔法で無理やり塞がれたときみたいな突っ張り感も全然ないし、肌がすごく軽い……! ありがとうございます、雄介先生、リーナさん!」
「い、いえっ! お役に立てて良かったです……!」
感謝され、頭を下げられたリーナは、真っ赤になって照れくさそうに笑った。
ギルドでは「傷をその場で瞬時に消せない出来損ない」と蔑まれていた彼女の魔法。 だが、雄介の現代美容医療の手技と合わさった瞬間、それは**『施術のダウンタイムを完全に消し去り、綺麗な肌再生を約束する最高の仕上げ魔法』**へと昇華したのだ。
◆
この効果は、瞬く間に王都中で噂となった。
『AIZAWA skin beautyの施術は、痛みも腫れも残らない』 『どんな強力な治療を受けても、帰る頃には赤みが完全に引いている』 『治癒魔法特有のひきつれや違和感が一切なく、生まれたてみたいに綺麗な肌になる』
「ねえ知ってる? AIZAWAクリニックに新しく入った治癒術師の女の子、すごい魔法を使うのよ!」 「そうそう! 施術が終わったあとに魔法をかけてもらうと、術後の腫れが嘘みたいに消えちゃうの!」
口コミは怒濤の勢いで広がり、クリニックの評判はさらにうなぎ上りとなった。
予約枠は瞬く間に埋まり、待合室では患者たちが口々に「AIZAWAの術後アフターケアは神がかっている」と称賛し合っている。
診察室の受付で予約票を整理していたミーナが、ほくほく顔で雄介に報告した。
「先生! 今日も予約のお問い合わせでいっぱいですよ! リーナちゃんが入ってくれたおかげで、患者様の満足度が凄まじいことになってます!」
「ああ。リーナの魔法があるおかげで、より攻めた効果的な治療も安心して行えるようになった。最高のスタッフが入ってくれたよ」
雄介にそう褒められ、カルテを整理していたリーナは、誇らしさと嬉しさに胸をいっぱいに膨らませた。
(私……ここにいていいんだ。私の魔法は、出来損ないなんかじゃなかった……!)
自分が誰かの役に立っているという実感が、彼女の心を温かく満たしていく。
――だが。 『AIZAWA skin beauty』のこの大繁盛と、追放したはずの「出来損ない」の目覚ましい大活躍の噂は、当然ながらあの場所――『治癒術師ギルド本部』の耳にも届くこととなるのだった。
◆
一方――王都の中心にそびえ立つ、重厚な石造りの建物『治癒術師ギルド本部』。
その館内は、本日も診察を求める怪我人や病人の怒号と悲鳴、そして慌ただしく走り回る下級術師たちの足音でごった返していた。
「手際が悪いぞ、下の者ども! 次の怪我人をさっさと運べ!」
二階の吹き抜け廊下から、腕組みをしてその喧噪を見下ろしていた男がいた。 治癒術師ギルドのマスター――リュウだ。 豪華な金糸の刺繍が施された絹の法衣を身に纏い、整えられた髭をさすりながら、男は浅黒い顔に底意地悪な笑みを浮かべていた。
「フン、相変わらずバカどもが群がりおる。我ら治癒術師のありがたみを噛み締めながら、せいぜい崇めるがいい」
この世界において、治癒術師は神の代弁者であり、命を握る絶対的な権力者だ。 患者がどれほど痛がろうが、どれほど傷口が汚かろうが関係ない。傷口の泥や血を洗うことすら放置し、ただ上から強い魔力を叩きつけて強引に塞ぐ。それがリュウの、そしてこのギルドのやり方だった。
「マスター! 大変です!」
そこへ、一人の若い術師が青ざめた顔で階段を駆け上がってきた。
「なんだ、騒々しい」
「お、大口のパトロンであるゴルドー様が……! お娘様を連れてお越しです!」
「なに? ゴルドー殿が?」
リュウの目の色が変わった。 ゴルドーといえば、王都でも一、二を争う財力を誇る大商人であり、ギルドに多額の寄付金を納めている超重要人物だ。
「すぐに通せ! いや、私が直接出向く!」
リュウが急いで大広間へ降りると、そこには血相を変えた大商人ゴルドーと、その腕の中ですすり泣く一人の少女がいた。
「ゴルドー殿! 一体どうされた!?」
「リュウ殿! 頼む、娘を……シャロンを助けてくれ!」
ゴルドーは身を乗り出し、悲痛な叫びをあげた。 彼が抱える少女――シャロンの顔を見た瞬間、周囲の術師たちから「ひっ」と息をのむ音が漏れた。
乗っていた馬車が事故で転倒し、車体の破片でも浴びたのだろう。年頃の可憐な少女の右頬から首筋にかけて、痛々しくざっくりと深い切り傷が走り、鮮血が溢れ出していた。
「馬車が横転したのだ! 頼む、いくらでも金を出す! 娘の顔に傷痕を残さず、元通りにしてくれ!」
「ふっ、安心されよ、ゴルドー殿」
リュウは自信満々に鼻で笑い、胸を叩いた。
「私の治癒魔法にかかれば、このような深手も一瞬だ。三年前に追い出したあの出来損ない――リーナのような役立たずとは違う、本物の技をお見せしよう」
リュウはシャロンの顔の傷口に、直接その太い手を押し当てた。 ろくに手も洗わず、血と汗で汚れたままの手だ。
「――『神聖治癒』!!」
眩いばかりの強い光が爆発的に弾けた。 強力な魔力が強引に破断された皮膚と肉を引っ張り寄せ、無理やり圧着させていく。シャロンは「あぐっ……!」と強い痛みに身を捩った。
数十秒後、光が収まる。
出血は完全に止まっていた。深かった傷口も、確かに繋がっている。
「どうだ! 命は助かったぞ!」
リュウが高らかに笑い声をあげた。 だが――
「……あ……あぁ……っ!?」
手鏡を開いたシャロンが、絶望に満ちた悲鳴を上げた。
「そんな……嘘よ……! 私の顔が……こんな……っ!?」
「シャロン!? 一体どうした――なっ……!?」
鏡を覗き込んだゴルドーも、言葉を失って固まった。
シャロンの右頬から首筋にかけて、血は止まっているものの……まるでミミズが這ったかのように、皮膚が赤く引きつれて盛り上がっていた。皮膚の柔軟性は完全に失われ、口を動かすたびに突っ張って歪む、あまりにも醜い**ケロイド(瘢痕拘縮)**がグニャリと残っていたのだ。
強引すぎる魔力で細胞を圧縮・接着し、さらに傷口の汚れごと塞いだことによる、最悪の組織肥厚だった。
「リュウ……! なんだこれは! 娘の顔をどうしてくれるんだ! 傷痕を残さないと約束したはずだぞ!?」
ゴルドーが胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで激昂した。 しかし、リュウは反省するどころか、不快そうに眉をひそめると、大声を張り上げて逆ギレしてみせた。
「ハッ! 何を言っているんだゴルドー殿! 命が助かったんだ、文句を言うな!」
「なんだと!?」
「治癒魔法とは傷を塞ぎ、命を繋ぎとめるものだ! 傷痕が残るなど当たり前だろうが! 嫌なら血を流して死ねばよかったんだ! 助けてやった私に感謝こそすれ、文句を言うなど言語道断だぞ!」
傲慢きわまりないリュウの言いぐさに、ゴルドーは怒りで全身を打ち震わせた。
「……よく分かった。もういい」
ゴルドーは冷たく言い放つと、シャロンを優しく抱き寄せた。
「二度と貴様らのギルドに一銅貨も寄付せん! この大侮辱、決して忘れんぞ……!」
「フン、勝手にするがいい! 金持ち風を吹かせおって!」
捨てゼリフを残して去っていくゴルドーの背中に、リュウはペッと唾を吐き捨てた。 イライラが収まらないリュウは、怯える周囲の若い術師たちに怒鳴り散らした。
「チッ! なにをボサッと立ち尽くしている! さっさと次の怪我人を運べ! だからお前らは手際が悪いと言うのだ!」
◆
ギルドの門を出たものの、ゴルドーとシャロンは街の路頭で呆然と立ち尽くしていた。
シャロンは顔を覆い、しゃくりあげて泣き続けている。
(ああ……どうすればいいのだ。社交界デビューを控えた娘の顔が、あんな突っ張った傷痕だらけになってしまっては……私の財産をすべて投げ打ってでも治してやりたいのに、あのギルドですら無理だと言うのか……!)
ゴルドーが天を仰ぎ、深い絶望に暮れていた――その時だった。
「……ねえ、噂聞いた?」 「聞いた聞いた! 中央通りの『AIZAWA』ってクリニックでしょう?」
通りかかった二人の若い女性の会話が、ふとゴルドーの耳に飛び込んできた。
「あそこ、本当にすごいのよ! どんな酷い肌の悩みも綺麗にしてくれるし、何より傷痕が全く残らないんですって!」 「そうそう! 元ギルドのリーナちゃんって子もいてね、施術のあとに魔法をかけてもらうと、腫れも痛みも嘘みたいに消えて、生まれたてみたいに綺麗な肌になるらしいわよ!」
「な……!?」
ゴルドーの目が、見開かれた。
『AIZAWA』――今、王都の貴婦人や若い女性たちの間で爆発的に話題になっている、あの新しい治療院のことか。 しかも……元ギルドの術師がいて、傷痕を残さず綺麗に治す……!?
「シャロン……聞いたか?」
ゴルドーはぎゅっと娘の肩を抱きしめた。
「まだ諦めるな。AIZAWA……そこへ行くぞ!」
「お父様……っ」
藁にもすがる思いで、大商人は娘の手を強く引き、王都の大通りへと走り出した。
――その頃、『AIZAWA skin beauty』では。
一日の診療を終え、器具の滅菌処理をしていた雄介たちが、入り口の扉を激しく叩く音を聞きつけていた。
「先生! どなたか急患のようです!」
ミーナが駆け寄る。 雄介は静かに白衣の袖をまくり上げ、落ち着いた声で応じた。
「ドアを開けろ、ミーナ。どんな患者でも、まずは話を聞こう」
異世界の医療の歪みが作り出した、哀しき患者。 その救済と――傲慢なギルドへの「反撃」の舞台が、ついに整おうとしてい
オペ室では1番最初手洗いと清潔操作を覚えさせられるってやつですね。
基本的に美容医療は自己免疫力みたいなところあります。
ブクマ、評価、コメントお待ちしております!




