2話 異世界にメスはない
「……あなたは?」
少女が不安そうに、涙に滲む瞳で雄介を見上げる。 雄介は少女の前に膝をつき、目線を同じ高さに合わせると、威圧感を与えないよう穏やかな声で問いかけた。
「いきなり『治療する』なんて言われても怖いよな。まず、いくつか質問させてくれ」
「……あ、はい……」
「この傷、さっきできたものか? それと……表情を動かした時に、皮膚が引っ張られるような突っ張る感じはあるか?」
少女は一瞬驚いたように瞬きをし、それから引きつれた頬を手でそっと庇いながら、途切れ途切れに答えた。
「……はい。森で、魔物に引っかかれて……。傷口は治癒術師様に治してもらったんですけど、口角を上げたり、笑おうとすると……頬がギュッと引っ張られる感じがして……痛くて、歪んじゃうんです」
(……やっぱりな)
雄介は指先で少女の頬に触れないギリギリの距離を保ちながら、細部を注意深く観察した。
傷跡は赤く不自然に盛り上がり、硬い組織となって固まっている。 急激な治癒魔法によって傷口が無理やり塞がれた結果、過剰な肉芽組織が形成され、ケロイドのように盛り上がる「肥厚性瘢痕」となっているのだ。それに伴い、皮膚が引きつれて正常な運動を阻害する「瘢痕拘縮」を起こしている。
十代後半という多感な年頃の少女にとって、鏡を見るたびにこの歪んだ傷跡と向き合わなければならない絶望は、察するに余りある。
(……だが、直せない傷じゃない)
雄介の頭の中で、形成外科医としての経験と解剖学の知識が瞬時に噛み合った。 単に表面を切り取るだけではダメだ。皮膚にかかる引っ張りの力を分散させる必要がある。傷跡の周囲の皮膚をパズルのように切り込み、角度を変えて入れ替える『局所皮弁術』――とりわけ、Z形成術を行えば、引きつれは解消され、傷跡も顔のシワのラインに馴染んで劇的に目立たなくなる。
(俺なら……完全ではないが、限りなく目立たなくさせることができる)
確信を得た雄介は、少女の瞳をまっすぐ見つめて告げた。
「よし。――手術をする」
「「「しゅじゅつ……?」」」
周囲を取り囲んでいた村人たちが、聞いたこともない単語に首を傾げた。 その中で、悔しさとプライドを滲ませた治癒術師の男が、一歩前に踏み出してきた。
「な、何を言い出すかと思えば! 手術とは何ですか!? 私の上級治癒魔法でも治らなかったのですよ! 治癒魔法では足りないとでも言いたいのですか!?」
治癒術師の詰問に、雄介は静かに首を振った。
「違う。治癒魔法が悪いんじゃない。魔法は傷口を短時間で塞ぐ素晴らしい力だ。……ただ、俺には俺の直し方があるっていうだけの話だ」
「な……!」
治癒術師が絶句するのを余所に、雄介は立ち上がり、頭の中でオペに必要な物品を即座にリストアップし始めた。
(まずは刃物。皮膚を一発で鋭く、綺麗な切開線で切るための細いメス。それから組織を剥離・保持するためのペアンやクーパー、精密なピンセット――摂子。傷口を縫い合わせるための極細の縫合糸……)
さらに思考を巡らせる。
(感染リスクを回避するための消毒液。エタノールは粘膜近くや傷口だと刺激が強すぎるからポビドンヨードが必要だ。あとは術野を正確に照らす無影灯などの光源、清潔なベッドと、術野以外を覆うドレープ……)
そこまで思い描いたところで、雄介は周囲の景色に目を向けた。
ぬかるんだ土の床。 素朴な木造の家々。 油と煙の匂いが漂う松明。 そして、泥で汚れた人々の服。
「……何もないな」
ボソッと呟いた雄介のシュールな独り言に、隣にいた村人が「え?」と顔を寄せた。
現代の病院ならワゴンを開ければ揃っている道具が、ここには何ひとつ存在しない。 手ぶらで異世界に転移してきたのだから当然だった。
(……いや、落ち着け。道具は追々揃えるか代用を探すとして、まず真っ先に解決しなきゃならないのは『麻酔』だ)
形成外科における精密なオペにおいて、無麻酔など論外である。痛みに耐えかねて患者が暴れれば、ミリ単位の切開など不可能だし、何より患者に不必要な激痛を与えるなど医者として失格だ。
(確か、さっき魔法がどうのと言っていたな……)
雄介は治癒術師に向き直り、尋ねた。
「なあ。……この世界に、痛みを感じなくする魔法はあるか?」
「え? 痛み……ですか?」 治癒術師は拍子抜けしたような顔をしたが、すぐに頷いた。 「ええ、あります。『痛覚遮断』の魔法ですね。主に戦士たちが戦場で重傷を負った際、痛みに惑わされず戦い続けるために掛ける補助魔法ですが……それが何か?」
「どの程度効く? 刃物で皮膚を切られても痛みを感じないくらいか?」
「完全に感覚を消し去るわけではありません。激痛が『何かで撫でられている程度の鈍い感覚』に和らぐ程度です。触れられている感覚そのものは残りますよ」
(局所麻酔の効き方とほぼ同じじゃないか……!)
雄介の目が光った。歯医者や皮膚科で使うキシロカインなどの局所麻酔も、痛覚はブロックするが触圧覚は残る。まさに完璧な代用品だった。
「それで十分だ。採用できる」
「は、はい……?」
だが、雄介はふと眉をひそめた。
(待てよ……麻酔の効果としては十分だが、オペの概念すらないこの世界だ。意識がある状態(局所麻酔)で自分の顔を切られるとなれば、患者の恐怖心は相当なものになるんじゃないか……?)
患者の精神的負担を考えるならば、全身麻酔で眠らせてしまうプロポフォールのようなアプローチの方が優しいかもしれない。麻酔科医はいないが、魔法で眠らせることができるならそれが一番だ。
「……もうひとつ聞かせてくれ。痛みだけじゃなく、患者の意識を完全に奪って眠らせるような魔法はあるか?」
「意識を奪う……? 『睡眠魔法』や高位の『麻痺魔法』のことでしょうか」 治癒術師は困惑したように額の汗を拭った。 「ですが、それは高位の術士や魔術師が使うような高度な魔法です。私のような一介の街の治癒術師では、とても扱えませんよ」
(なるほど……全身麻酔クラスの魔法は存在するが、この世界では使える奴が限られるか)
と、雄介は頭の片隅にメモする。
しかし、今は手札の中で戦うしかない。
「分かった。なら、その『痛覚遮断の魔法』でいく」
雄介は再び少女の前にかがみ込み、優しく、しかし確固たる意志を込めて言った。
「痛みは消してやる。だが、目を覚ましたら終わっている……というわけにはいかない。俺が顔の近くで作業する間、怖がるかもしれない。それでも……俺を信じて、頑張れるか?」
「……怖いけど、頑張る……。私、ホントに元に戻れる……?」
少女は不安げに、縋るような視線を雄介に向けた。
「全力を尽くそう」
雄介は真剣な眼差しで答えた。
「絶対」「元通り」といった気休めの無責任な言葉は、医者として軽々しく口にしない。特に、見た目を扱う美容外科において、患者に過度な期待を持たせるような言動は禁物だ。起こり得るリスクと現実的な到達点を見据えた上で、出せる最高のパフォーマンスを出す。それが雄介の流儀だった。
「よし、まずは道具だ。……メスなんて、あるわけないよな。ナイフはあるか?」
「ナイフなら、これを!」
近所に住む大柄な男が、腰の鞘から狩猟用のナイフを引き抜いて差し出した。 雄介はそれを受け取ると、刃先を透かし見たり、指先で重さを確かめたりした。
「……うん。これじゃ駄目だ」
「なっ……何が駄目なんだ!? それは村一番の業物だぞ!」
「料理や皮むきには最高だろうさ」
雄介は苦笑しながらナイフを返した。
「だが、厚すぎる。それに刃が荒い。人間の繊細な皮膚を切るなら、もっと薄くて、鋭くて、小さいものが必要だ。……この村に、刃物を作れる職人はいるか?」
「いるが……頑固な鍛冶屋の親方がな」
「呼んでくれ」
しばらくして、腕に分厚い筋肉を蓄えた白髪交じりの男――鍛冶師のガルドが、不機嫌そうに顔を出した。
「なんだい、急に呼び出して。怪我人の治療に鍛冶屋が何の用だ?」
雄介は何も言わず、白衣のポケットを探った。 指先に触れたのは、現代から持ち込んだ愛用のボールペンと、胸ポケットに差していた小さな医療用メモ帳だった。
「紙……はこれでいいか」
雄介はメモ帳を開き、カチリとボールペンをノックした。 そして、白紙のページに手早く図面を描き始める。
「おいおい、なんだその細い棒は? Inkも付けずに文字が書けるのか?」
ガルドが驚いて覗き込んできたが、雄介は意に介さずペン先を走らせた。 描いたのは、医療用メスの形状だ。刃先(15番メスのような小回りの利く形状)と、それを保持する柄のスケッチ。
だが、描き終えた雄介は首を傾げた。
「……なんか、分かりにくいな」
絵の専門家ではないため、立体感や曲線がうまく伝わらない。 そこで雄介は、絵の横に数値を書き足していった。
・刃長:12mm ・刃幅:3.5mm ・刃厚:0.4mm ・柄長:120mm
長さ、幅、刃の薄さ、持ち手の寸法。ミリ単位の正確な数値と矢印を並べていく。
それを見たガルドの目つきが変わった。
「……ほう。ただの落書きかと思えば、随分と細かい注文だな。この数値は何だ?」
「寸法だ。刃の厚みはコンマ四ミリ。紙を切るんじゃなく、肉を切り裂くでもない。皮膚の表面だけを狙った通りに切るための『メス』という道具だ」
「コンマ四ミリ……!? 正気か? そんな薄さ、叩いて鍛えたらすぐ折れちまうぞ!」
「刃先だけでいい。とにかく鋭利で、引っかからずにスーッと皮膚を切れる刃を作ってほしいんだ」
ガルドは太い指で顎髭を撫で回しながら、メモ帳の数字を食い入るように見つめた。
「なるほど……全体の強度を保ちつつ、この先端のほんの数ミリだけを限界まで薄く研ぎ澄ませってことか。……面白ぇ、やってやれないことはねえ」
職人としての火がついたガルドに、雄介はすかさずメモのページを破って手渡した。だが、話はそこで終わらない。
「あ、それだけでいいのか?」
「いや。まだある」
雄介は次のページをめくり、再びペンを走らせた。
今度は、先端が噛み合う小さなハサミ(クーパー)や、組織を保持するためのピンセット(無鉤摂子)、出血部位をつまんで止血するための止血鉗子。 さらにページをめくり、傷口を縫い合わせるための曲針(縫合針)のスケッチを描いた。針の根元に糸を通す穴か、あるいは溝をつける指示も書き加える。
次々と差し出される精密な道具の図面を前に、ガルドは目を白黒させ、完全に困惑していた。
「……おいおいおい、ちょっと待て! これも全部作るのか!?」
「ああ。これがないと、綺麗なオペ――治療ができない」
ガルドは頭を抱え、ひきつった声を上げた。
「……全部、刃物なのか? こんなクソ細かくて見たこともない鉄くず、一体何に使うってんだよ……!」
頭を抱えて叫ぶガルドに対し、雄介は一切の揺らぎもない真剣な眼差しを向けた。
「違う。手術器具だ」
「しゅじゅつ……きぐ……?」
「刃物じゃない。皮膚を切り、組織を抱え、血を止め、寸分の狂いもなく繋ぎ合わせるための……精度の塊だ。あの子の人生がかかってる。ミリ単位のミスも許されない。失敗は絶対にできないんだ」
冗談でもハラハラさせるブラフでもない。 目の前の男が背負っている圧倒的な覚悟と、医療者としての異常なまでの真剣さが、ビシビシと皮膚に伝わってくる。
ガルドはゴクリと唾を呑み込んだ。 職人として長年鉄と向き合ってきた男だ。道具に対する圧倒的な執着とプライド――雄介の瞳の奥にあるものが「ホンモノ」だと、直感で理解した。
「……チッ、分かったよ。そこまで言われちゃ、鍛冶屋の名が廃たる。村の若手も総動員して、今すぐ炉に火を焚く! 待ってろ!」
ガルドは図面の破片をひっつかむと、大股で自分の工房へと走っていった。
◆
数時間後。 カンカンと鳴り響いていた金槌の音が止み、汗だくになったガルドが集落の集会場へ駆け込んできた。その手には、布に包まれた複数の金属片が握られている。
「できたぞ……! 言われた通りの寸法で、なんとか形にした!」
バサッとテーブルの上に広げられたのは、荒々しくも鈍い光を放つ金属器具の数々だった。
・メス ・止血鉗子 ・持針器 ・縫合針 ・ピンセット(摂子)
現代のステンレス製のものと比べれば、表面には叩いた痕が残り、まだまだ粗削りだ。 雄介は無言のまま、それらをひとつずつ丁寧に手に取り、光に透かしたり指先で触感を確かめたりしていった。
「……メス。刃先が少し厚いな。あとコンマ一ミリ研ぎ澄ませられるはずだ」
「な……ッ」
「鉗子の噛み合わせは悪くない。ロックもかかる。……持針器も十分使えるな。ただ、この縫合針は……もう少し細くできるか? 太い針だと、それだけで皮膚に不要な傷痕が残ってしまう」
妥協を許さない雄介の検品に、ガルドは額に青筋を立てて呆れ返った。
「くそっ……! どこまでも注文が多い医者だなオイ!」
「患者の『顔』に使うんだ」
雄介は静かに、だが一切譲らない強い視線をガルドに向けた。
「一生残る顔の傷なんだよ。妥協できるわけないだろう」
その一言に、ガルドはぐうの音も出ず、言葉を呑み込んだ。 文句を言いながらも、どこか嬉しそうに「……ちくしょうめ、もう一回研ぎ直してやるよ!」とメスと針をひっつかんで工房へ戻っていく。
去っていく背中を見送りながら、雄介はポケットから医療用メモ帳を取り出した。
そこには『手術器具』と書かれたページの欄下に、自筆のリストが並んでいる。
メス(研ぎ直し中)
鉗子
持針器
縫合針(細型に修正中)
ピンセット(クリア)
ペンでチェックを入れながら、雄介は集会場の暗い天井と、使い古された木製の長机を見上げた。
器械の目処は立った。だが、これだけではまだオペはできない。
「……あとは、手術台と照明。それから消毒だな」
暗闇の中で静かに決意を固める雄介の呟きとともに、異世界での「最初の執刀」に向けた準備が、着々と進んでいくのだった。
ついにオペが始まります!
ちょっとみる人が見るとクスッとできたり、あるある〜ってなる内容で練り上げております!ぜひお楽しみに!
また、別作品でハイファンタジーをUPしておりますのでそちらも楽しんでください!
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