第13話 幕間:透明な視線
開院して間もない『AIZAWA skin beauty』の第一診察室。 午前中の賑わいが一段落したところで、次の順番だったアリアが静かに診察室へと入ってきた。
「アリアさん、どうぞ。調子はどうだい?」
デスクにカルテを開いた雄介が声をかける。 アリアはどこかもじもじとした様子で診察椅子の前に立つと、深く被っていたフードを外し、両手を顔の横へと添えた。
「……先生」
「どうした?」
「今日は……ちゃんと、顔を見せてもいいですか?」
「もちろん。経過観察だからね、隠さずに見せてほしい」
雄介が優しく促すと、アリアは呼吸をひとつ整え、右頬にかかっていた漆黒の美しい髪を、指先でそっと耳の後ろへと掛けた。
これまでずっと、大きな傷跡とひきつれを隠すために重く垂らしていた髪。それが払われたことで、アリアの右顔面が陽の光の下に露わになった。
雄介は椅子を引き寄せ、プロの目つきになってアリアの頬へと顔を近づける。
「うん……かなり綺麗になってるな」
「……綺麗?」
アリアの頬がほんのり朱に染まり、青紫色の瞳が期待に揺れた。 しかし、雄介の口から出たのは徹頭徹尾、医学的な評価だった。
「傷の状態がな。縫合線の肥厚も起きていないし、瘢痕の軟化も順調だ。『AIZAWA SUN veil』もしっかり塗ってくれているおかげで、紫外線の影響も最小限に抑えられている」
「……あ。……そう、ですよね」
アリアは肩をすくめ、手鏡を握りしめながら、少しだけ残念そうに吐息を漏らした。 もちろん、雄介はそんなアリアの乙女心など微塵も察していない。
◆
問診を終え、待合室での準備を進めていると、周囲にいた患者たちや通りがかりの街の人々から、小さなざわめきが起こった。
「ねえ……あの小柄な女の子、誰かしら?」
「あんな綺麗な子、街にいたっけ?」
「髪を上げたら、モデルさんみたいに整った顔立ちしてるわね……」
傷跡の赤みが引き、ひきつれが消えたことで、アリアが本来持っていた圧倒的な美貌――透き通るような白肌に、切れ長の美しい目元、鼻筋の通った繊細な造形が際立ち始めていたのだ。
カウンセリングの合間に冷たいお茶を運んできたミーナも、思わず息をのんでアリアを見つめた。
「アリアさんって……すごく綺麗ですよね。お人形さんみたいです」
「え……?」
不意に褒められたアリアは、驚いたように瞳をパチパチさせた。
「……昔は、傷ができる前は、たまにそう言われることもありましたけど……」
「昔だけじゃなくて、今もですよ? 傷跡だって、もう言われなきゃ分からないくらいです」
ミーナが素直な称賛を向けると、アリアは恥ずかしそうに視線を泳がせ、耳まで赤くして小さな声で囁いた。
「あり……がとうございます。ミーナさんにそう言っていただけると、なんだか自信が持てます……」
クールな見た目に反して、照れると年相応の可憐さを見せるアリア。 だが、その微笑ましいやり取りの横で、カルテに目を通していた雄介だけが平然と割り込んだ。
「うん、傷の状態は非常に良好だな。ただ、これで満足しちゃ駄目だ。次は表皮に残っているわずかな炎症後色素沈着を散らしていくぞ」
「「…………」」
ミーナとアリアは同時に言葉を失い、冷ややかな、あるいは呆れを含んだ視線を雄介に向けた。
(……この先生、本当に女の子の顔を『症例』としてしか見てない……!)
二人の心の中で、言葉にならない叫びが完全にシンクロした瞬間だった。
◆
その後、アリアは施術室のベッドへ移動し、雄介によるマイルドなケミカルピーリングの施術を受けた。
古い角質をやさしく取り除き、弱酸性のローションで肌の代謝を促す。 施術が終わり、冷やしたタオルでのクールダウンを終えると、アリアはゆっくりと身体を起こした。
手渡された鏡を食い入るように見つめるアリア。
「……あ」
「どうだ?」
「お肌が……すごくツルツルして、明るくなってます。でも……」
アリアは自分の指先で、右頬のラインを撫でた。
「……やっぱり、まだ傷跡の色は完全には消えないんですね」
少し寂しそうな表情を浮かべるアリアに、雄介は椅子を引き寄せてハッキリと言い放った。
「一回で消えると思うなよ」
「……はい」
「皮膚の代謝サイクル……ターンオーバーは、どんなに健康な肌でも約一ヶ月かかるんだ。一度の施術で魔法みたいに全部消えるわけじゃない。焦らず、根気よく何度か治療していこう」
言い方はぶっきらぼうだったが、そこには患者の肌を最後まで責任を持って診るという、強い誠実さが込められていた。
アリアは鏡から顔を上げ、心から愛おしそうな笑顔を咲かせた。
「ふふ……じゃあ……また先生に会えるんですね」
「治療のためだからな。定期的に通ってもらうことになる」
「……はいっ」
心底嬉しそうに頷くアリア。その瞳には、主治医に対する感謝以上の、ほのかな熱が宿っていた。
その様子を、施術室の入口でタオルを抱えて立っていたミーナが、じっと見つめていた。
胸の奥が、ちくっと痛む。 これまで雄介の隣に一番近くで寄り添い、彼が作る化粧品やクリニックを一番応援してきたのは自分だという自負があった。 けれど、命や人生を救われたという深い絆で結ばれたアリアと雄介の空気感は、どこか特別で、入り込めない隙間を感じさせた。
(……私、なにモヤモヤしてるんだろう)
自分でも初めて覚える胸のざわつきに戸惑いながらも、ミーナは咳払いをひとつして前に踏み出した。
「先生」
「ん?」
「次の患者さん、待合室で待ってますよ。そろそろ準備をお願いします」
「あ、ああ、分かった。すぐ行く」
雄介はカルテをまとめると、急いで診察室へと戻っていった。
取り残された施術室。 ミーナはベッドから降りたアリアへと視線を向けた。
アリアもまた、髪を整えながらゆっくりと振り返り、ミーナを見つめ返す。
一瞬――言葉のない静寂の中で、ふたりの少女の視線がパチッとぶつかり合った。
敵意というほど苛烈なものではない。けれど、互いに譲れない大切な存在を真ん中に置いた者同士の、静かな火花。
「……ミーナさん、案内ありがとうございました」
「いいえ。アリアさん、お気をつけて」
ペコリと頭を下げて立ち去るアリアの背中を見送りながら、ミーナはキュッと小さく唇を噛みしめた。
名医としての階段を駆け上がり始める相澤雄介。 そして、彼の腕と誠実さに魅せられた少女たちの周りで、小さな恋の波紋が静かに広がり始めていた。
昨今ルッキズムなど色々言われてますが、個人的には整形など美容は賛成派でございます。
印象がかなり変わる。自信がつくみたいな、幕間です。
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