10話 始まりの部屋
調合したピーリングローションを冷暗所で半日寝かせ、熟成させた翌日。 雄介とミーナは、宿屋の二階にある雄介の部屋に戻っていた。
「よし、じゃあ始めるぞ。髪を後ろでまとめて、ベッドの上に仰向けになってくれ」
「は、はい……! なんだか緊張しますね」
ミーナは素直に従い、肩甲骨あたりまで伸びた髪を手繰り寄せて紐で結ぶと、木製のベッドに横たわった。 雄介は念入りに手洗いを済ませ、試作した乳白色のピーリングローションを清潔なガラス容器に適量取り分ける。陶製の柔らかいブラシを使って、ミーナの額、両頬、そして悩みの種である小鼻へと、手際よく均一に塗布していった。
「……どうだ?」
塗布を終えた雄介が覗き込むと、ミーナは少し顔をしかめ、小鼻のあたりをピクッと動かした。
「んむむ……なんか、ちょっとピリピリします。あと、少しかゆいです……」
「それはそうだ。古い角質という薄皮を溶かしているようなもんだからな。時間が経てば、肌自体の水分と混ざって自然と反応が落ち着いてくる。だが、もし我慢できないくらいの強いひりつきや痛みがあったら、すぐに言ってくれ」
(現代のニキビ治療薬にも、ベピオやディフェリンみたいに角質剥離作用のある成分が入っているくらいだからな……。このくらいの軽微なピリピリ感なら、狙い通りの作用範囲内だ)
雄介は懐中時計を取り出し、慎重に時間を計測する。
「……よし、三分経過だ」
雄介は冷水で湿らせた柔らかい布を手に取り、ミーナの顔に優しく押し当てた。水蒸気と水分で酸の反応を中和させながら、丁寧にローションを拭き取っていく。
「ふぅ……ピリピリするの、おさまりました。冷たくて気持ちいいです」
「拭き取り完了だ。起き上がって、鏡を見てごらん」
ミーナは起き上がると、手元に置かれた手鏡を覗き込んだ。 そして――パッと目を丸くさせた。
「あ……! え……!? なんか……肌が明るくなった気がします!?」
「古い角質の凹凸や角栓が取れたことで、表面の乱反射がなくなったんだ。光が均一に当たるようになった証拠だよ」
雄介は満足そうに頷き、棚から昨日完成した『AIZAWA skin beauty』の試作化粧水と乳液を取り出した。
「ピーリングは即効性があるが、定期的なケアが大切だ。とはいえ、やりすぎは肌のバリア機能を壊す。できれば月に一回ペースがいい。そして施術直後の肌はデリケートだから、こうやって化粧水と乳液でしっかり保湿をするんだぞ」
雄介の手からたっぷりと水分と油分を与えられたミーナの肌は、光を吸い込むようなツヤと透明感を放ち始めていた。
◆
――それから、数日後。
「先生!!」
朝、雄介が部屋の扉を開けるなり、廊下に待機していたミーナが勢いよく飛び込んできた。
「ミーナ? 朝からどうしたんだ?」
「見てください、先生! 小鼻のざらざら、すっかり良くなりました! 詰まりも赤みも全然ないんです! ……それにね、なんか、お肌全体が前よりずっとモチモチする気がするんです! 潤ってるっていうか……!」
自分の両頬を指先でぷにぷにと押しながら、ミーナは興奮気味に報告する。
雄介はフッと口元を緩め、解説を加えた。
「あー、それはターンオーバーが正常化して、肌の三大保湿因子の一つである『セラミド』が正しく作られたからだな」
「せらみど……?」
「肌の水分を保つ保湿因子の9割近くを占める大事な成分なんだが、それは肌が正しく生まれ変わる――つまりターンオーバーの過程で生成されるんだ。ピーリングによって肌の代謝が良くなったことで、自前の保湿物質が正常に作られるようになった証拠だな」
ミーナは頭の上に小さな疑問符を浮かべながらも、心底嬉しそうに微笑んだ。
「うーん、難しくてよく分かんないですけど……とにかくすごいです! 最近、宿のお客さんや街の友達からも『ミーナちゃん、なんか可愛くなった?』『お肌すべすべだね』ってすごく褒められるんです! 私、先生のこの施術、もっとたくさんの人に紹介したいです!」
身を乗り出すミーナに対し、雄介は顎に手を当ててうーむと唸った。
「気持ちはありがたいが……本格的に患者さんを受けるとなると、最低でも専用の診察台と、プライバシーを守れる個室が必要になるな。この狭い客室じゃ限界がある」
すると、ミーナは待ってましたとばかりにパッと表情を輝かせた。
「それなら大丈夫です! お母さんに頼んで、うちの宿屋の一室を使わせてもらうよう話してみます! 先生の作ってくれた化粧品もすごく好評ですし、このピーリングだって絶対に人気が出ます!」
「それはありがたい申し出だが……」
宿屋の一室を間借りしての、異世界初の「美容クリニック」。 雄介の頭の中で、次なる開業のイメージが急速に具体性を帯び始めていた。
ミーナの母である女将の快諾を得て、宿屋の一室を借り受けた臨時サロン。 そこは、開業直後から信じられないほどの賑わいを見せることとなった。
ミーナの肌の劇的な変化を目にした街の女性たちや、彼女の口コミで噂を聞きつけた顧客が押し寄せてきたのだ。 『AIZAWA skin beauty』のスキンケアラインはもちろん、古い角質を除去して素肌に透明感を出す「ピーリング施術」は大評判となり、宿の一室は朝から夕方まで絶え間なく人が出入りするようになった。
――そして、数週間が過ぎたある夜のこと。
診療と試薬の調整を終えた雄介が一階へ下りていくと、カウンターの片付けをしていたミーナが気づいて声をかけてきた。
「先生、今日も遅かったですね」
「ああ。明日の施術で使う器具の調整と、消毒をしてたんだ」
「また仕事ですか? もう夜遅いですよ」
ミーナはどこか心配そうに、そして少し不満そうに口を尖らせた。
「……たまには休んだ方がいいですよ。先生、いつも忙しそうなんですから」
「仕事だからな。患者さんが来る以上、手は抜けない」
雄介は苦笑しながら、ふと思いついて尋ねた。
「ミーナは?」
「え? 私は?」
「今日はもう仕事終わったのか?」
「……はい。宿の片付けも終わって、ちょうど手が空いたところです」
「じゃあ、一緒に飯でも食うか」
「えっ」
ミーナがパッと目を見開き、頬をほのかに赤らめた。
「雄介先生と……ふたりで、ですか?」
「ん? ああ、宿の飯だけどな。食堂の隅でいいだろ」
「……そうですよねムス」
ミーナは露骨に肩を落とし、ぷくっと頬を膨らませた。
「? どうした?」
首をかしげる雄介に、ミーナは「なんでもありませんっ!」と慌てて首を横に振ったが、どこか嬉しそうに雄介の隣に並んで歩き出した。
だが、そんな穏やかな時間が取れるのも限界に近づいていた。
臨時サロンの噂は広まる一方で、宿屋の一室だけでは患者の待合スペースすら入りきらなくなってきたのだ。廊下に立ち代わり人が並び、他の宿泊客にも影響が出始めていた。
「……もう、ここじゃ無理だな」
ある日の診療後、狭い部屋を見回しながら雄介がポツリと漏らした。
「そうですね……。お母さんも『嬉しい悲鳴だけど、宿の部屋が足りなくなっちゃうわ』って困ってました」
「本格的な『美容クリニック』を建てるべき段階だ。幸い、『AIZAWA』の売り上げで資金の目処は立った。土地と物件を探そう」
雄介の決断は早かった。 グランザの大通りから一本入った、静かでアクセスの良い角地を買い取り、建築職人や魔導技師を集めてクリニックの建設に取りかかった。
建物の構造は、異世界の雰囲気を活かした石造り+木造+魔導設備の重厚かつ清潔感のあるデザインだ。
雄介は羊皮紙に素早く図面を描き出していく。
「一階に受付と広い待合室、それから問診を行う診察室を配置する」
「すごいです……! なんだか貴族のお屋敷みたい」
図面を覗き込むミーナに、雄介はペンを走らせながら解説を続けた。
「重要なのは動線だ。患者とスタッフの動線は明確に分ける。それから、奧の施術室は衛生管理を徹底するために『清潔区域』として独立させる。将来的に新しい器械や設備を置くスペースも必要だからな」
「二階はスタッフルームと在庫室、建物の裏には薬剤や化粧品を安全に調製するための専用スペースを作る」
「完璧ですね……! あ、でも先生、明かりはどうするんですか? 夕方になると暗くなっちゃいますけど」
「それについては技師と相談してある。発光する『耐圧魔導石』を天井に埋め込むんだ。電気はないが、魔石があるなら照明には困らない。明るさを調整できる魔導回路も組んでもらう」
現代日本のクリニック設計ノウハウと、異世界の魔導技術の融合。 理想的な医療環境が、図面の上で着実に形作られていく。
だが、図面を眺めていた雄介は、ふと手を止めてあごに手を当てた。
「……ただ、箱ができても、俺とミーナだけでは人手が足りないな」
「えっ、足りないですか?」
ミーナが意外そうに目を丸くする。
「ああ。受付や会計を任せられる人間が絶対に必要だ。受付業務はクリニックの『顔』だからな」
ミーナは少し不安そうに自分の胸に手を当てた。
「……私じゃ、駄目ですか?」
「駄目とは言ってない。ミーナにはカウンセラーや施術の助手として、患者に寄り添う大切な役目を頼みたいんだ。それに、君一人じゃこれから患者が増えたときに到底手が回らなくなる」
「……患者さん、そんなに増えると思います?」
ミーナの問いかけに、雄介は迷いのない瞳でまっすぐ見返した。
「増えるさ。『綺麗になりたい』という願いに、終わりはないからな」
その力強い言葉に、ミーナはゴクリと息をのんだ。
異世界初となる本格的な美容クリニック――その誕生と、新たな仲間との出会いに向け、物語は大きく動き出そうとしていた。
某有名な美容クリニックは実家の2階で開業をしたみたいですよ…!
それを参照にしました
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
「続きが気になる!」「面白かった!」と思っていただけましたら、
☆☆☆☆☆評価やブックマークで応援していただけると、とても励みになります!
皆さまの応援が、執筆を続ける大きな力になります。
また次話でお会いしましょう!




