第9話 不審者、引っ越しを検討する。あるいは新たなステージ(魔窟)へ
「……お母さん。俺、ちょっと旅に出てくるわ」
翌朝。食卓に並んだ味噌汁の湯気の向こう側で、俺は意を決してそう告げた。
母さんは新聞を読みながら、視線すら上げずに答える。
「あら煉。旅って、またその変な目出し帽を被って? 近所の奥様から『煉くんが深夜に滑り台で女の人に追いかけ回されて泣いてた』ってLINEが来たんだけど。お母さん、もう外歩けないわよ」
「……っ! それは……その、過酷な修行の一環というか」
「バール持って修行する一般人がどこにいるのよ。あんた、いい加減にしなさいよ。お父さんも『あいつが自首するなら有給取る』って言ってるわよ」
実家の包囲網は、警察のそれよりも厳重だった。
俺は一言も言い返せず、納豆をご飯にかき込んで部屋に戻った。
スマホを開けば、昨晩の「聖騎士撃退(冤罪戦法)」の切り抜き動画が再生数100万回を超えている。
コメント欄には『不審者の鑑』『令和の怪盗ルパン(ただし見た目は強盗)』といった二つ名が並び、俺の銀行口座には、昨日一日だけで普通のサラリーマンの半年分近いスパチャが振り込まれていた。
「……もう、後には引けない」
この金があれば、実家を出て『不審者ライフ』に専念できる拠点が作れる。
俺は「引っ越し 格安 事故物件 ダンジョン至近」という、まともな人間なら絶対に検索しないワードで物件を探し始めた。
【不審者掲示板:第105スレ】
1:名無しの探索者
【祝】阿久津ニキ、ついに実家を特定される前に引っ越しを計画中。
2:名無しの探索者
特定されるも何も、昨日の滑り台の件で近所中にバレてるだろw
お母さんのメンタルが心配。
3:名無しの探索者
2
配信で「母さんへの肩たたき券」買ってたからセーフ。
4:名無しの探索者
それより聞いたか?
阿久津の次の狙い、**『新宿・歌舞伎町迷宮』**らしいぞ。
5:名無しの探索者
うわ、ガチの魔境じゃん。
あそこはD級以上じゃないと死ぬって言われてるのに。
不審者が本場の不審者街に殴り込みか……。
6:名無しの探索者
歌舞伎町ダンジョンって、中身がホストとかヤクザの姿をした魔物ばっかりなんだよな。
阿久津の「カツアゲ」スキル、めちゃくちゃ相性良さそう。
7:名無しの探索者
6
魔物のホストから売上金をカツアゲする目出し帽……。
どっちが悪役か分からんなw
数日後。俺が辿り着いたのは、ネオンが昼間のように輝く不夜城、歌舞伎町。
その中心部、かつて映画館があった場所に口を開けているのが、日本屈指の難易度を誇る『歌舞伎町迷宮』だ。
俺は周囲の目を気にしながら(と言っても、この街には俺以上に怪しい奴が山ほどいるので、目出し帽でも意外と馴染んでいるのが悲しい)、雑居ビルの屋上に拠点を構えた。
月額3万円のプレハブ小屋。だが、ここなら誰にも邪魔されずに着替えができる。
「……よし。配信開始だ」
タイトル:『【心機一転】歌舞伎町で本場のカツアゲを学んでくる【聖騎士お断り】』
配信を始めた途端、同接は一気に一万人を超えた。もはや俺の配信は「いつ通報されるか」を楽しむギャンブルコンテンツと化している。
「リスナーのみんな、元気か。俺は今、歌舞伎町にいる。……見てくれ、この街の空気を。俺のスキルがさっきから『かつてない悪意の供給』を感じてビンビンに反応してるぞ」
《条件:歓楽街の澱んだ気配を吸収。ステータスが「中の上」から「上の下」へランクアップしました》
「お、おい! 何もしてないのにステータス上がったぞ! この街、俺にとってのパワースポットかよ!」
『パワースポット(物理)』
『悪意の供給源www』
『阿久津、もうそこから出てくるな。お前の居場所はそこだ』
「うるせえ! 俺はここに骨を埋める気はない! サッと稼いで、サッと引退して、田舎で目出し帽を脱いで暮らすんだ!」
俺は成金バールを背中に隠し、ダンジョンの入り口へと向かった。
歌舞伎町迷宮の入り口には、派手なスーツを着た「客引き」のような姿の魔物たちがたむろしている。
「……お兄さん、いい店あるよ」
一体の魔物――『キャッチ・オーク』が、俺に声をかけてきた。
そいつの手には、ぼったくりバーのメニュー表が握られている。
「……ふん。生憎だが、俺は今、財布を持ってないんだ」
俺は一歩踏み出し、目出し帽を深く被り直した。
そして、背中から黄金のバールをゆっくりと引き抜く。
「逆に聞くが……お前、いくら持ってるんだ?」
――バキィッ!!
一閃。成金バールがオークのメニュー表を粉砕し、その厚い胸板にめり込む。
《アビリティ『カツアゲ』発動!》
【獲得アイテム:偽造一万円札×10、金メッキのネックレス、指名手配犯の心得】
「……偽造札かよ! 景品まで不健全だなこのダンジョン!」
俺は文句を言いながらも、次々と襲いかかってくる「客引き魔物」をバールでなぎ倒していった。
この街の悪意が、俺のスキルをさらに研ぎ澄ませていく。
だが、俺は気づいていなかった。
ダンジョンの監視カメラ越しに、俺の戦いを見つめる鋭い視線があることに。
そして、このダンジョンを「管理」しているのが、警察でもギルドでもなく、歌舞伎町を裏で支配する『最大手のライバー事務所』であることに――。
「……面白い不審者を見つけたわ。彼、うちの専属(奴隷)にしましょうか」
モニターの前で、赤ワインのグラスを揺らす謎の女性。
阿久津煉、二十歳。
彼はまだ知らない。
警察よりも恐ろしい「芸能界(裏)」という名のダンジョンが、すぐ目の前まで迫っていることを。




