第8話 深夜の決闘、あるいはただの害虫駆除
「……よし、リスナー諸君。準備はいいか。これは、男のプライドを懸けた戦いだ」
俺、阿久津煉は、実家の自室でスマホのカメラに向かって低く、重厚な声を出した。
深夜三時。実家は寝静まっている。
本来なら眠りにつくべき時間だが、俺の前には「最凶の刺客」が現れた。
キッチンの隅、冷蔵庫の影からカサカサと這い出してきた、漆黒の悪魔。
通称、G。
「見てくれ。この光沢、このスピード。間違いなくレベルB相当の魔物(の、ような存在)だ。俺のスキルが『黒ずくめの強敵』と認識して、ステータスが上がり始めてる」
脳内には《条件:不審な敵対勢力の視認。身体能力が微増しました》という、なんとも言えないログが流れている。
スマホの画面越しに、深夜の暇人たちが草を生やし始めた。
『ゴキブリ相手にスキル発動させてんじゃねーよwww』
『実家配信助かる。お母さんにバレたら即死クエスト開始かな?』
『成金バールでG退治はオーバーキルすぎるだろ』
『【悲報】阿久津ニキ、バールをゴキブリ叩きに使う』
「うるさい! こいつを仕留めなきゃ俺は安心して眠れないんだ! 行くぞ……秘技、カツアゲ・バースト!」
俺は黄金に輝く成金バールを振りかざし、キッチンの床にスライディングした。
黄金の輝きが闇を裂き、バールの先端が床を叩く。
パァン!!
「……ッ!? 消えた!? 速い、速すぎるぞこいつ!」
Gは驚異的な反射神経でバールを回避し、俺の背後――つまり、キッチンの勝手口の方へと逃げた。
俺は四つん這いのまま、目出し帽の狭い視界を必死に動かす。
「逃がすかぁ! 出せ! 命を……いや、その存在感を出せぇぇ!!」
ドスの利いた声を出しながら、俺は勝手口の扉を勢いよく開け放った。
そのままサンダルも履かずに、外のゴミ置き場へと飛び出す。
スキルが発動している今、俺の動きはプロの格闘家並みだ。深夜の住宅街を、目出し帽の男がバールを持って激しく転回する。
だが、そこで俺は「それ」を見てしまった。
住宅街の街灯の下。
暗闇をバックに、月光を反射して白銀に輝く一筋の光。
「……見つけましたわ。不審者さん」
凛とした、しかし冷徹な声。
そこに立っていたのは、ポニーテールを揺らし、白銀のレイピアを抜身で構えた聖騎士・白金凛子だった。
「……は?」
俺はバールを構えたまま固まった。
目の前には、殺気全開の聖騎士。
足元には、どこかへ消えたゴキブリ。
手元には、リアルタイムでこの光景を全世界に垂れ流しているスマホ。
『【神回】ゴキブリ追ってたら聖騎士(本物)にエンカウントした件』
『凛子ちゃん、ガチで来たwwwストーカーじゃねえかwww』
『深夜の住宅街で目出し帽VS聖騎士。通報不可避』
『阿久津の人生、詰む速度が光速超えてる』
「し、白金さん!? なんでここに!? ここ、俺の家の裏なんですけど!」
「配信の背景から位置を特定し、逃走経路を予測して先回りしました。……今の貴方のセリフ、そのままお返ししますわ。深夜にバールを持って叫びながら飛び出してくるなんて、もはや言い逃れはできませんね?」
白金凛子が、一歩、また一歩と近づいてくる。
彼女のプロテクターが街灯に照らされ、正義の輝きを放つ。対する俺は、街灯の影に隠れるようにジャージの襟を立てている。
「待ってください! これは防衛なんです! 我が家の平和を脅かす黒い悪魔を駆除しようとしていただけで――」
「黒い悪魔? ……ふふ、自己紹介かしら? 貴方が奪っていった私の『髪留め』、今すぐ返していただきますわよ」
彼女の目が据わっている。
そういえば、成金バールの先端に、青いリボンが絡まったままだったのを思い出した。
俺は慌ててバールを背中に隠したが、時すでに遅し。
「それは……その、拾い物というか! ダンジョンのドロップ品だと勘違いして――」
「私の私物をドロップ品扱いするなんて、万死に値しますわ! 覚悟なさい!」
白金凛子が踏み込んだ。
シュンッ! という鋭い風切り音と共に、レイピアの先端が俺の目出し帽の数センチ横をかすめる。
「ひいいっ! マジで殺しに来てる! リスナー助けて! 警察官が市民を刺そうとしてるぞ!」
『いや、お前はもう市民(暫定)じゃなくて怪人(確定)なんだよ』
『凛子ちゃんの突き、ガチすぎて笑えないwww』
『警察署に通報しても「あ、白金が行ってるなら大丈夫です」って言われそう』
「問答無用! 貴方を捕縛し、その目出し帽の下に隠された醜い素顔を白日の下に晒してあげます!」
「醜いとか言うな! 整形はしてないけど平均点はあるわ!」
俺は公園の遊具を利用して、彼女の攻撃を避ける。
スキル『不法侵入(跳躍)』と『逃走経路の勘』が火を噴く。
ジャングルジムの上を猿のように飛び回り、バールを支柱に引っ掛けてアクロバティックに旋回する。
「……あら、逃げ足だけは一級品ですわね。ですが、この狭い公園からは逃げられませんわ!」
彼女は遊具の隙間を縫うように、正確無比な突きを放ってくる。
俺は追い詰められ、ついに滑り台の頂上へと逃げ場を失った。
「(クソッ、このままじゃ本当に捕まる。何か……何かこの状況を打破する『不審者らしい』手立てはないのか!?)」
その時、俺の脳内に新たなシステムメッセージが流れた。
《周囲に多数の『視線(配信視聴者)』を確認。羞恥心と恐怖が限界を突破》
《特殊アビリティ『冤罪の王』が一時開放されました》
【効果:一瞬だけ、周囲に「自分が被害者である」という幻覚を見せる】
「……これだ! 白金さん、ごめん!」
俺は滑り台の上で、わざとらしくバールを投げ捨て、両手を上げた。
そして、近所迷惑も顧みず、最大音量で叫んだ。
「助けてええええ! 綺麗な女の人にカツアゲされるうううう!! 怖いよおぉぉ!!」
「……はぁっ!?」
白金凛子が絶句し、動きを止めた。
同時に、アビリティの効果で、俺の周囲に「か弱く震える子羊(の、ようなオーラ)」が漂い、対する白金凛子の背後には「邪悪な魔王」のような幻影が重なった。
その瞬間。
近隣の家の窓がガラガラと開き、住人たちが顔を出した。
「なんだなんだ、泥棒か?」
「……え、あの綺麗な子が、あの目出し帽の人をいじめてるの?」
「バール持ってる方が泣いてるぞ……最近の女の子は怖いわねぇ」
「ち、違います! これは正当な捜査で……! 皆さん、騙されないでください! この男は不審者なんです!」
白金凛子が慌てて周囲を説得しようとするが、アビリティの効果は絶大だった。
住人たちの「白い目」が彼女に集中する。
「……今だ!」
俺はその隙に、滑り台を一気に滑り降り、植え込みの中へとダイブした。
「ああっ! 待ちないさ不審者ぁぁぁ!!」
「あばよ! 正義の味方は世間の目を気にしてな!」
俺は住宅街の闇に紛れ、全力で自宅へと逃げ帰った。
五分後。俺は自室の押し入れの中で、激しく鼓動する心臓を押さえながらスマホを確認した。
『【悲報】聖騎士、世論に負ける』
『阿久津、お前マジで最低のスキル持ってるなwww』
『「冤罪の王」とかいう、不審者のための最強スキル』
『でもこれ、明日からの近所の目が地獄になるぞ』
「……あ、そうじゃん」
俺は絶望した。
確かに逃げ切れた。だが、俺は「目出し帽を被った状態で、近所の住民に顔(というか格好)を覚えられた」のだ。
明日から、この町をまともに歩ける気がしない。
「……ま、いっか。スパチャで、引っ越し費用くらいは稼げたしな」
俺は自嘲気味に笑い、成金バールを枕元に置いた。
先端には、まだ青いリボンがヒラヒラと揺れている。
阿久津煉、二十歳。
聖騎士を敵に回し、近所付き合いを破滅させ、ゴキブリを取り逃がした。
だが、彼の配信ランキングは、ついに全国区のTOP10に食い込もうとしていた。




