第26話 第九階層、あるいは「聖域」という名の絶対境界
第八階層の「老害」を打破した俺たちの前に現れたのは、これまでの不気味な廊下や迷宮とは一線を画す、神々しいまでの純白の空間だった。
第九階層『聖域(憲法の番人)』。
そこは、天井が無限に高く、床は磨き抜かれた大理石のように光を反射している。空間のあちこちには、巨大な「天秤」のオブジェが浮かび、微かな羽音のような重低音が鳴り響いていた。
「……何よ、この静謐さは。一歩でも不浄な者が踏み込めば、塵にされるような圧迫感があるわ」
凛子が珍しく、緊張に声を震わせている。彼女の聖騎士としての直感が、ここが「魔」の領域ではなく、むしろ「過剰なまでの法と正義」の領域であることを告げていた。
「白金さん、あそこを見てくれ。扉の前に誰か立ってる」
空間の最奥。十階への階段を塞ぐように立っていたのは、目隠しをした巨大な石像……ではなかった。
それは、法服を纏い、背中に六つの光り輝く翼を持つ天使のような姿をした騎士。
《第九階層:『聖域(憲法の番人)』へ潜入しました》
《特殊フィールド:『解釈の檻』。全ての攻撃は「合憲」か「違憲」かで判定されます》
ボス、『法の番人・ジャスティス・ジャッジ』。
奴が手に持った巨大な天秤の片皿を指で弾くと、俺の身体に不可視の鎖が巻き付いた。
「『……不審者ヨ。……汝ノ存在ハ、公序良俗ニ照ラシテ……「違憲」ナリ』」
ドォォォォン!!
断罪の雷が俺の脳直撃した。
ダメージはない。だが、身体が金縛りにあったように動かなくなり、ステータス画面に「存在否定(99%)」という文字が点滅する。
「ぐわぁぁぁ!? なんだこれ、論理的に消される! 俺の存在そのものが『法律違反』だって言われてるみたいだ!」
「阿久津! しっかりなさい! ……『聖騎士の嘆願』!」
凛子が俺の前に飛び出し、守護の光を広げる。しかし、ジャッジは冷酷に宣告を続けた。
「『……聖騎士ヨ。……汝ガ悪人ヲ助ケル行為ハ、騎士道精神ニ対スル「背信」ナリ。……判定、違憲』」
バチィィィン!!
凛子のシールドがガラスのように砕け散る。
最強の防御を誇る彼女が、一瞬で膝を突き、その白銀の鎧にヒビが入った。
「くっ……私の正義すら……否定されるというのですか……!?」
『【絶望】憲法の番人、強すぎだろwww』
『「違憲」って言われたら死ぬとか、どんな理不尽ゲーだよ』
『阿久津、お前は存在そのものが違法なんだから、相性最悪じゃねーか!』
『同接99万人……! あと1万人でミリオンだ! 阿久津、起きてくれ!』
「……へへ、違憲、か。……確かに、目出し帽被って夜な夜な他人の家にバール持って突っ込む奴が、合憲なわけねーよな」
俺は震える足で、ゆっくりと立ち上がった。
「存在否定」の重圧で、身体が透けて消えかかっている。だが、黄金のバールだけは、ますますその輝きを増していた。
「でもよ……番人さん。法律ってのは、誰かを守るためにあるんだろ? ……だったら、今この瞬間、俺を信じて背中を預けてくれてる『聖騎士』の心は、何法で裁くんだよ!」
俺の咆哮に呼応するように、バールがかつてないほどの熱を帯びる。
《究極奥義『不法侵入(法の番外地)』が発動》
【効果:既存のあらゆる法・解釈を無視し、「俺が通ればそれが道だ」と強弁する】
「俺は法律の外側だ! 裁きたければ裁け! だが、俺はこのバールで、その『完璧な正義』ってやつをこじ開けてやる!」
俺は光速を超えたステップで、番人の懐へと潜り込んだ。
番人が天秤を振り上げ、「違憲」の判決を下そうとする。だが、俺のバールがその天秤の支柱に噛み付いた。
「白金さん! 今だ! あんたの正義は、誰にも否定させない! 俺のバールが作った『無法地帯』で、あんたの本当の光を見せてやれ!!」
「……っ! ええ、わかりましたわ! 私の正義は、法が決めるのではありません……私が守りたいと思う人が、決めるのです!!」
凛子が立ち上がり、レイピアを天高く掲げた。
その光はもはや白銀ではない。不審者の黄金と混ざり合い、プラチナのような極光となって聖域を包み込んだ。
「奥義……『ジャスティス・カツアゲ・レボリューション』!!」
「そんな名前じゃありませんわ! 『聖騎士の夜明け(アポカリプス・エデン)』!!」
二人の叫びが重なり、黄金と白銀の混ざった巨大な龍のようなエネルギーが、法の番人を貫いた。
――カラン、カラン、カラン……。
番人が持っていた天秤が地面に落ち、粉々に砕ける。
番人の姿は光の粒子となって消え去り、そこには十階へと続く、最後にして最も重厚な扉だけが残された。
《第九階層:攻略完了》
【獲得アイテム:法の守護バッジ、天秤の破片、赦免状】
「……はぁ、はぁ。……勝った。勝ったぞ、白金さん」
俺は力尽き、大理石の床に大の字に寝転がった。
透けていた身体が、ゆっくりと実体を取り戻していく。
「……信じられませんわ。憲法の番人を、ただの『開き直り』で突破するなんて。……でも、貴方らしいですわね、阿久津」
凛子が俺の隣に座り込み、優しく微笑んだ。
彼女の目には、もはや不審者に対する軽蔑の色はない。そこにあるのは、共に死線を潜り抜けた相棒への、深い信頼だけだった。
『【伝説達成】同接100万人突破ぁぁぁぁぁ!!』
『全10階層、ついに残るはラスボスのみ!』
『今の連携、マジで泣いた。不審者なのにヒーローに見えたぞ』
『次、10階。日本の闇の頂点に、バールが届くか……!』
「……白金さん。十階には、何がいると思う?」
「……わかりません。でも、どんな怪物が待っていても、私の隣には貴方がいます。……それだけで、十分ですわ」
俺と凛子は顔を見合わせ、小さく笑った。
そして、俺たちは立ち上がる。
最上階、第十階層
そこには、この日本の「不条理」そのものが、主として君臨しているはずだ。
「よし、行こうぜ。……最後の大カツアゲ、開始だ!」




