第23話 第七階層、あるいは「官邸」という名の黒塗り
第六階層の熱気が、階段を一歩上がるごとに凍りついていくのを感じた。
辿り着いた第七階層『官邸(影の宰相の書斎)』は、それまでの議場のような派手さはない。ただ、どこまでも続く黒塗りの廊下と、分厚い絨毯、そして窓一つない密閉された空間が、心臓を直接握りつぶすような重圧を放っていた。
「……何よ、この静けさ。まるで酸素まで『検閲』されているみたいだわ」
凛子が短く息を吐く。彼女の吐息が白く見えるほど、この階層の温度は低い。
廊下の至る所には、墨汁をぶちまけたような「黒塗りの文書」が宙に浮き、ゆっくりと回転しながら俺たちを監視していた。
「白金さん、足元を見てくれ。影が……俺たちの影が、勝手に動いてる」
俺が指摘した瞬間、俺たちの足元から伸びる黒い影が、俺たちの意志を無視して壁へと這い上がり、立体的な形を成した。
《第七階層:『官邸(影の宰相の書斎)』へ潜入しました》
《特殊ギミック:『閣議決定』。敵が放つ言葉はすべて「事実」として上書きされます》
「『……貴様ラハ……ココデ……膝ヲ突ク……』」
廊下の奥から、影に溶け込むような漆黒のモーニングコートを着た魔物、『影の宰相』が現れた。奴がそう呟いた瞬間、俺の膝に凄まじい重圧がかかり、強制的に床に叩きつけられた。
「ぐわっ!? なんだこれ、身体が勝手に……!」
「これが『閣議決定』の力……! 奴が口にしたことが、世界の理として強制的に書き換えられているのですわ! ……『私は……屈しない!』」
凛子が歯を食いしばり、聖なるオーラを全身に纏って重圧を跳ね返す。だが、影の宰相は冷酷に指を鳴らした。
「『……聖騎士ノ光ハ……ココデ、消エル……』」
その瞬間、凛子のレイピアから放たれていた白銀の光が、まるでスイッチを切ったように消失した。
「なっ……私の魔法が、存在そのものを否定された……!?」
「あ、ありえねぇ……! 白金さんのチート級の光まで消しやがった! ……おいリスナー、これどうすりゃいいんだよ! 俺のバールも『ただの鉄クズ』に決定されたら終わりだぞ!」
『【絶望】閣議決定、最強すぎてワロタw』
『物理法則すら無視するのかよ。官邸ダンジョン怖すぎだろ』
『阿久津、お前の存在も「いなかったこと」にされるぞ! 早く逃げろ!』
影の宰相が、ゆっくりと俺に手を向ける。
「『……不審者ヨ……貴様ハ……最初カラ……存在シナイ……』」
視界が歪む。俺の身体の端から、存在が薄れていく感覚。
だが、その時。俺の胸の奥で、今までになく不快で、かつ強靭な「不審者の誇り」が爆発した。
《条件:存在の否定。固有スキル『厚顔無恥』が発動しました》
《効果:他者からの定義をすべて無効化し、「俺は俺だ」と言い張ります》
「……ハッ! 存在しないだと? 笑わせるなよ。俺は今、現にここで、目出し帽の蒸れと格闘してるんだよぉ!!」
身体を包んでいた虚無が霧散し、俺の手の中で黄金のバールが再び輝きを取り戻した。
「決定だの事実だの、勝手なこと言ってんじゃねぇ! 俺の人生は、俺以外に決めさせねぇ! 白金さん、光が消えたなら、俺のバールをよく見てろ! 成金の輝きは、公権力じゃ消せねぇんだよ!」
「……阿久津。貴方、本当に……最高に不愉快で、最高に頼もしい変態ですわね!」
凛子が俺のバールから放たれる「下世話な黄金の光」を視標にし、闇の中を突き進む。
影の宰相が焦ったように言葉を重ねる。
「『……決定事項ダ!……ソノ輝キハ……偽物ダ!』」
「偽物で結構! メッキだろうがなんだろうが、輝いてるのは事実だ! 出すもん……全部、黒塗りにせずに吐き出せやぁ!!」
俺はスキル『不法侵入(概念突破)』を発動。
影の宰相が張り巡らせた「沈黙の結界」を、物理的な壁と同じようにバールで叩き割った。
パリンッ!!
空間が割れる音が響き、俺は宰相の胸ぐらをつかみ取った。
「お前の『黒塗り』の裏側、全部見せてやるよ!」
《アビリティ『カツアゲ』特大成功:真実の開示》
【獲得アイテム:最高機密の鍵、影の印章、閣議決定の白紙委任状】
バールが宰相の影の体を貫くと、奴の体から膨大な「黒いインク」が噴き出し、それが床に文字を形成していった。
――攻略、完了。
漆黒の廊下が、少しずつ元の白い壁に戻っていく。
俺は肩で息をしながら、手に入れた「白紙委任状」をヒラヒラと振った。
「……はぁ。白金さん、見たか? 閣議決定に勝ったぞ」
「……ええ。まさか『厚顔無恥』が救世主になるなんて、教科書には載っていませんわ。……でも、助かりました。ありがとう、不審者さん」
凛子が、暗闇から解放された安心感からか、俺の肩にそっと手を置いた。
『【神回】阿久津、概念系ボスをパワー(不審)で粉砕』
『「俺は俺だ」←これ、全無職が泣いたわ』
『凛子ちゃんが「ありがとう」って言ったぞ! 録画したか!?』
『同接80万突破。これマジで最後までいくぞ』
「……さあ、次は八階。いよいよボスの側近、いや、ラスボスの背中が見えてくる頃だ」
「……ええ。どんな闇が待っていても、貴方のその『不審さ』があれば、切り抜けられる気がしますわ。……今の言葉、忘れてくださいね!」
「忘れるわけねーだろ。録画されてんだぞ」
俺たちは、ついに「官邸」のさらに奥、永田町の心臓部へと向かう階段に足をかけた。




