第11話 包囲網脱出作戦、あるいは不審者の空中散歩
「……地獄で会おう、なんて格好いいこと言っちまったけどさ」
地上十メートル。ダクトの出口から飛び出した俺は、重力という名の現実と絶賛対面中だった。
下を見れば、赤と青のパトランプが万華鏡のように入り乱れ、フル装備の機動隊員たちが「網」を広げて待ち構えている。その中心で、白金凛子がレイピアを杖のように突き立て、冷徹な眼差しで俺の落下軌道を見つめていた。
「(……あ、これ、着地した瞬間に物理的に詰むな)」
だが、今の俺には歌舞伎町で磨き上げた「上の下」のステータスと、窮地でこそ輝く「不審者専用アビリティ」がある。
「出るもん……出せぇぇぇ!!」
俺は空中で成金バールを真下に向けてフルスイングした。
狙うは、機動隊が展開していた『防犯ネット』の支柱。
ガギィィィン!!
黄金のバールが火花を散らし、ネットの固定具を破壊する。反動で俺の身体が不自然に横へと弾け飛ばされた。
これぞ、前回の逃走劇で習得した『不法侵入(跳躍)』の応用だ。
「なっ……空中での軌道修正!? 機動隊、第二陣展開! 逃がしてはダメですわ!」
白金凛子の鋭い指示。
着地寸前、俺は隣のビルの壁にバールを突き立てた。
ガリガリとコンクリートを削りながら速度を殺し、地上三メートルの看板の上に飛び乗る。
「白金さん! ナイト・メアのスカウトに追われてる俺を捕まえるなんて、非人道的だと思わないのか!?」
「それを言うなら『保護』と言いなさい! 貴方が闇ギルドに消される前に、私たちが安全な……そう、窓のない鉄格子付きの個室へ招待してあげると言っているのです!」
「それを世間じゃ『逮捕』って言うんだよ!」
看板の上で俺が吠えると、視聴者コメントが爆速で流れる。同接はついに七万人に迫っていた。
『阿久津、看板の上で目出し帽は目立ちすぎwww』
『「窓のない個室(安全)」←凛子ちゃんの愛が重い』
『ナイト・メアの黒スーツもこっち見てるぞ。三つ巴じゃねーか』
コメントの通りだった。警察車両の影、路地裏の暗闇。そこには蛇喰エリカが放ったであろう「エージェント」たちが、獲物を狙うハイエナのように潜んでいた。
警察に捕まれば人生(社会的)終了。
闇ギルドに捕まれば人生(物理的)終了。
「……なら、第三の選択肢だ!」
俺は看板を蹴り、向かいのビルの非常階段へと跳んだ。
《特殊アビリティ『逃走経路の勘』がアップデートされました》
【新機能:不審者ハイウェイの視覚化】
視界に、普通の人なら絶対に足を踏み入れないような「室外機の隙間」や「電線の上」が、青い光のルートとして浮かび上がる。
俺は迷わず、三階の窓から突き出たダクトの上に足をかけ、さらに上の階へと駆け上がった。
「逃がしませんわ! 『聖域の歩法』!」
白金凛子が動いた。
彼女は重力を無視したような華麗な跳躍で、垂直に近いビルの壁を蹴り、俺の背後へと迫る。白銀の鎧が月光を反射して、まるで堕天使を追う大天使のようだ。見た目だけは。
「阿久津煉! 貴方のその『不審者スキル』、ここで私が浄化してあげます!」
「浄化される前に、あんたの正義感で町を壊してる自覚を持ってくれ!」
俺が屋上に辿り着いた瞬間、白金凛子のレイピアが俺のジャージの袖を切り裂いた。
ビリッ!
「ああっ! これワークマンで買ったばっかなのに!」
「そんなもの、拘置所の寝巻きに着替えれば関係ありませんわ! 大人しく……しなさいっ!」
レイピアの連撃。一突き一突きが、空気を切り裂く鋭い音を立てる。
俺は成金バールを盾にし、火花を散らしながら耐えた。
その時だった。
屋上の給水塔の陰から、不気味な黒い霧が立ち上った。
「……あらあら、二人仲良く鬼ごっこかしら? 混ぜて頂戴な」
蛇喰エリカだ。彼女自身も、ただの社長ではない。
闇の魔力を纏った黒いドレスが夜風にたなびく。彼女の手には、禍々しい紫の炎を宿したムチが握られていた。
「蛇喰エリカ! 民間人は退がりなさい、ここは警察の現場です!」
「民間人? 失礼ね。私はただの『有能なスカウトマン』よ。白金凛子、貴方こそ公務を盾に、私の『金の卵』を横取りしようとするのはいかがなものかしら?」
聖騎士と、闇の女社長。
俺という名の「目出し帽を被った不審者」を挟んで、美女二人が火花を散らす。
絵面的には最高かもしれないが、真ん中にいる俺にとっては、ギロチンの刃が二つ重なっているようなものだ。
『不審者争奪戦、開幕』
『これ、何のジャンルの小説だよwww』
『阿久津、今のうちに逃げろ!』
「(言われなくても……!)」
俺は二人が睨み合っている一瞬の隙を見逃さなかった。
屋上の縁。隣のビルまでの距離は十五メートル。普通なら不可能な距離。
だが、今の俺には「歌舞伎町の悪意」でチャージされた、満タンのスキルゲージがある。
「……出すもん、出せやぁぁぁ!!」
俺は本日何度目かの咆哮と共に、屋上のコンクリートを爆砕する勢いで踏み切った。
新奥義――『全財産・大ジャンプ』。
成金バールの出力を全て推進力に変換し、俺は歌舞伎町の夜空を、目出し帽のまま水平に飛んだ。
「なっ……!?」
「逃がすもんですか!」
二人の叫びが遠ざかる。
俺の身体は、ビルとビルの間にあるネオン看板の海を越え、新宿駅方面へと向かう電車の高架へと吸い込まれていった。
着地先は、走行中の山手線の屋根。
ガッシャアアン!!
「……いっ、痛ぇ……。けど、撒いたか?」
走行する電車の振動が、目出し帽を通じて全身に伝わる。
スマホを確認すると、同接はついに十万人を突破していた。
『【悲報】不審者、山手線で逃走中』
『もうこれテロだろwww』
『阿久津、お前次からどこで配信するんだよ……』
「……どこって、決まってるだろ」
俺は電車の屋根に張り付きながら、遠ざかる歌舞伎町のネオンを見つめた。
「俺のスキルが、もっとも『不審者』を必要としている場所。……日本の中心、永田町だ」
嘘である。本当はただ、この電車がそっちの方向に進んでいるだけだ。
だが、俺の冗談を真に受けたリスナーたちは、『ついに国と戦うのか!』と、ありもしない期待で掲示板を真っ赤に染め上げていった。
阿久津煉、二十歳。
山手線の屋根の上、夜風に吹かれながら、彼は自分の人生が完全に「脱線」したことを確信した。




