02 藤波、怨霊と化す
桂之助の家臣に、佐々良三八郎という男がいた。
三八郎は忠義心の強い男で、主人である桂之助のことを心から案じていた。
だからこそ、最近の桂之助が藤波に夢中になり、昼も夜も遊び暮らしている姿を見ているのがつらかった。
「このままでは、殿は駄目になってしまう……」
そう思い悩んだ三八郎は、とうとう恐ろしい決心をする。
藤波を殺し、自分も腹を切って果てれば、桂之助も目を覚ますのではないか。
そんなことまで考えてしまったのだ。
そして、桜の花びらが風に舞う、春の嵐の夜。
三八郎は桂之助の屋敷に忍び込んだ。
その夜、宴を終えた藤波が廊下を歩いているところを見つけると、三八郎はためらいながらも刀を抜いた。
そして――藤波を斬り殺してしまった。
屋敷から逃げ出す途中、三八郎は藤波の妹、於竜と出くわした。
しかし、於竜まで傷つけるつもりはなかった。
三八郎は刀の峰で於竜を打ち、その場を立ち去った。
「これで、俺も死ななければ……」
三八郎は自分も腹を切ろうとした。
ところが、その時ふと、ある噂を思い出した。
かつて桂之助から追放された不破伴左衛門。
その父親である執権・道犬が、桂之助を陥れようとしているという噂だった。
もし桂之助の身に何か起こったら――。
そのときは、道犬と刺し違えてでも桂之助を守らなければならない。
そう考えた三八郎は、死ぬのをしばらく思いとどまることにした。
ところが、この夜の騒ぎに乗じて、別の事件まで起きていた。
長谷部の雲六という家臣が、佐々木家の家宝である「百蟹の図」を盗み出し、そのまま逃げてしまったのである。
そのため人々は、
「三八郎と雲六は仲間だったのではないか」
と考えた。
そして、三八郎と雲六が共謀して、藤波を殺し、「百蟹の図」を盗んだのだという、とんでもない疑いをかけられることになった。
三八郎には、妻の磯菜、娘の楓、息子の栗太郎という家族がいた。
三八郎は、家族四人で国を捨てて逃げることにした。
その夜は、激しい風雨だった。
その荒れ狂う夜道を三八郎一家が逃げていると、突然、一家の前に藤波の怨霊が姿を現した。
「藤波……!」
怨霊は一家の行く手を阻む。
必死に逃げる三八郎たち。
その時。
藤波の怨霊から、二つの火の玉が飛び出した。
火の玉は、楓と栗太郎の体へとすうっと忍び込んだ。
三八郎一家は何とか藤波の怨霊から逃れ、ようやく一息ついた。
すると今度は、榎の木の下で、首をくくろうとしている女を見つけた。
「待て!」
三八郎は慌てて女を引き止めた。
そして、なぜ死のうとしているのかを尋ねた。
女は、涙ながらに事情を話し始めた。
女の家は以前から金に困っており、家宝の品を二十両で質に入れていた。
ところがその日、夫がなんとか二十両を工面してきた。
「これで、ようやく家宝を取り戻せる」
そう思った女は、二十両を持って質屋へ向かった。
ところが、その途中で強盗に襲われてしまった。
せっかく夫が工面してくれた二十両も、すべて奪われてしまったのである。
「こうなってしまったら……もう、死んで夫に詫びるしかありません」
女はそう言った。
その話を聞いた三八郎は、しばらく黙っていた。
そして、懐から二十両を取り出すと、女に差し出した。
「これを使いなさい」
女は驚いた。
三八郎がそんなことをしたのは、女を不憫に思ったからだけではない。
自分が何の罪もない藤波を殺してしまったことへの、せめてもの罪滅ぼし――そんな思いもあった。
女は涙を流しながら、
「あなたのお名前は……?」
と尋ねた。
しかし、三八郎は自分の名を明かさなかった。
そのまま女を残し、静かにその場を立ち去った。
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