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巻き戻すたび、世界の解像度が落ちていく ~彼女を救う15,498回目の夏、僕だけが君を覚えている~  作者: 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった


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最終ログ結合(フルマージ)。15,498回の夏を繰り返したのは、俺じゃなく――君だった。

やれやれ。


リビルドされた世界の朝は、拍子抜けするほど静かだった。


卒業式から一週間。ガレージのソファに沈み込んだ俺の掌の上で、死んだはずの銀色のストップウォッチが、たった一度だけ、ぬるく脈を打った。


液晶に、最後の一行が浮かぶ。


LOG_REMAINS_00.zip — 復号完了。世界の演算が安定したため、開示可能になりました。


「……開いていいの?」


隣に座った高松凛が、静かに聞いた。あの日リビルドされ、この世界の日常に完全に馴染んだ彼女の横顔は、もうノイズひとつ走らない。


「ああ。俺がお前に最後に聞いた質問――『お前が未来から持ってきた悲劇の原因は何だったのか』。その答えが、ここに入ってるんだろ」


凛は、少しだけ睫毛を伏せて、頷いた。


再生された音声は、聞き慣れた俺自身の声だった。だが、それは録音であって、録音じゃなかった。


『これを聴いているお前へ。俺は浅野倫だ。……いや、正確には違う。この声は、凛が15,498回のループの中で拾い集めた、無数の"倫"の断片を繋ぎ合わせて作った合成音声だ』


背筋が凍った。凛は、俺から目を逸らさなかった。


「……そうよ。デバイスを最初に拾ったのは、あなたじゃない。私」


凛の声は、告白というより、長く抱えた罪を下ろすような響きだった。


「かつての未来――AETHER社が因果デバッガを完成させ、そして世界を凍らせたあの時間軸。あそこで銀のストップウォッチを握っていたのは、私。そして、あの日ドローンに潰されて死ぬはずだったのは……あなたの方だったの、倫」


鏡だ。この世界とは、生と死が反転した鏡像。


俺が陽と凛を救おうと足掻いたのと同じ構図で、あの未来では、凛が「浅野倫」というたった一人を救うために、ボタンを押し続けていた。


「あなたを救うたびに世界の解像度は落ち、テクスチャは剥がれ、最後には空を飛ぶ鳥も、笑う恋人たちも、全部が0と1の海に溶けて静止した。……跳躍ができなくなり、ログしか送れなくなり、やがて一文字さえ届かなくなった」


凛が言った「誰かが以前に何度もこのデバイスを限界まで使い潰した痕跡をなぞっているみたい」。その"誰か"は、凛自身だった。


俺が見た、筐体の縁に"元から仕込まれていた"ように滲み出した青。あれは俺が汚した色じゃない。彼女が15,498回積み上げた負荷が、芯に眠っていただけだったのだ。


「世界が完全に凍りつく直前、私はもう自分の未来を救うのを諦めた。代わりに――まだ凍っていない過去の分岐、あなたが生きているこの2026年へ、デバイスを『投げた』の。秋葉原のジャンク屋。あなたが必ず立ち寄る店に、あなたの観測位相を鍵にして。だから、これはあなたが偶然拾ったんじゃない。私が、あなたに向けて撃った、たった一通の手紙なのよ」


『デバイスを持っているのはあなただけ。でも、観測しているのはあなただけじゃない』――彼女が最初に言った謎かけの答え。


凛はデバイスに乗り移った"観測者パケット"として、この世界に滲み出していた。だから最初は輪郭がノイズで揺れ、俺だけが彼女を鮮明に観測できた。彼女は幽霊でも未来人でもない。俺を救えなかった未来からの、残留思念そのものだった。


「じゃあ、あのガレージのモニターに響いた『――させない』って声は」


「凍った未来の"管理者"よ。AETHER社が世界を制御するために作った、もう誰も救わなくなったカーネル。ループが閉じたまま安定することを"正解"だと信じている亡霊。あなたが私を連れ戻そうとするのは、その亡霊にとって最大のバグだった」


俺は、AETHERの猟犬に存在を消されかけたことを思い出した。あれは"現在"のAETHER社じゃない。凍った未来から漏れ出した、管理者の免疫反応だったのだ。


そして――俺がこの世界をリビルドし、ループを"閉じた輪"から"開いた明日"へ書き換えたことで、AETHERが破滅的な技術に手を伸ばす未来そのものが消えた。凛を生んだ悲劇は、根本から起こらなくなった。だから今、空を飛ぶドローンは、ただの荷物を運ぶ、なんの変哲もない配送機だ。猟犬は、最初からいなかったことになった。


録音の"俺"が、続ける。


『倫。凛のログには、もう一つ大事なファイルが同梱されている。凍った未来で、最後まで演算を続けて死んだ男が遺した、たった一行のコードだ』


石田圭。


「石田の死を無効化できない。――友が遺した、最後の一行」。この世界の石田は、ぴんぴんしている。なのに、なぜ"死"なんだ、と。


「かつての未来の石田くんは、私を助けようとして死んだわ」凛が静かに言った。「世界がクラッシュする最中、たった一人の非技術者を"観測の錨"に使えば、リビルドを一点に固定できる――その理論を、最後の力で書き残して。彼はそれを『最後の一行』と呼んだ。私は何度ループしても、その一行だけは、どうしても実行できなかった。錨になれる人間が、私の側にはいなかったから」


錨。


俺は、思わず作業台の隅を見た。かつてハンダごてを握り、「それ、熱い」「今、世界が滑った」と、数字もプログラムも介さず世界の歪みを肌で当てていた少女。


小野瑠花。


「瑠花ちゃんは、AETHERが"生体センサ"と呼んだ、稀な観測体質の持ち主なの。世界にきちんとレンダリングされきらない人間。だからこそ、システムの手抜きを"寒気"として感じ取れる。ep49で、あなたが崩れるガレージから跳んだとき、あなたの帰る座標を感覚だけで繋ぎ止めたのは、彼女よ。石田くんの遺した"最後の一行"を、この世界の石田くんが卒業式で無意識に走らせ、瑠花ちゃんが錨になった。だから今度は――成功した」


凍った未来で死んだ友の一行が、この世界の石田の指を借りて生き延びた。石田が言った「1%を0%にするのが、お前の得意技だろ」。あの馬鹿は、自分が別の時間軸で命と引き換えに遺した宿題を、何も知らないままやり遂げていたのだ。


やれやれ。友情ってやつは、時間軸を跨いでも、こうも救いようがなく格好いい。


俺は、ガレージの外に目をやった。


坂道の下では、卒業アルバムを抱えた仲間たちが騒いでいる。


桐谷萌。書き換えの余剰バグが溜まって、ありえない角度に曲がっていた左手の小指。世界が"赤字"で回るのをやめた今、レンダリングエラーは綺麗に清算され、彼女の指はまっすぐ伸びている。SNSの殻を破って自分の言葉を掴んだ成長も、今度は誰にも撤回されない。あいつは、本物の編集者になるらしい。


早坂涼。ep6で消え、ep27で「坂道の頂上で風になった」と俺が悼み、ep31で平穏を嵐に投げ込んだ、あの危うい男。凍った未来の涼は、あの坂の頂上で自ら風になった――つまり、飛び降りた。俺が何度救っても、世界は帳尻合わせに彼を消した。だが、赤字のない今の世界に、彼を消す理由はもうない。今朝、あいつは寝坊して打ち上げに遅刻してきて、陽に思いきり脛を蹴られていた。生きているやつは、無様で、うるさくて、最高だ。


そして、佐々木陽。


「倫くんが、私は大好きだったんだ」と告げて、青いノイズになって散った幼馴染。書き換えきれなかった"感謝"を、覚えのない夢として抱えていた少女。


今の彼女は、その告白を覚えていない。だが、俺の魂のログには、消えない一行として残っている。俺が視線を送ると、陽はこちらに気づいて、大きく手を振った。屈託のない、当たり前の笑顔で。


――それでいい。お前は、俺が守りきれなかった夏を、覚えていなくていい。俺だけが覚えていれば、それはちゃんと"あったこと"になる。


録音が、最後のブロックを再生する。


それは、俺自身の声を借りた、彼女の遺言だった。


『倫。もし、これを聴いているお前が、私を連れ戻すことに成功していたら。……どうか、そいつを恨まないでやってくれ。15,498回、お前を救えなかった、無様で、一途な、私を』


その瞬間、街のスピーカーから、あのピアノの旋律が流れ始めた。


ずっと、ループのたびに不協和音になって俺を苛んできた、世界がバッファリングする音。凛がかつての未来で、待ち時間にただ一人弾き続けていた、終わらない夏のBGM。


だが今日、その旋律には、一度もノイズが混じらなかった。最後の一音まで、綺麗に鳴り切った。曲が、初めて"終わった"のだ。


俺は、動かない銀色のストップウォッチを握りしめた。液晶が、静かに暗転していく。


その隣で、凛のポケットから、あの未来から持ち込んだワンダースワンのような観測端末が、コトリと力なく落ちた。役目を終え、ただの黒い樹脂の塊になって。もう、この世界を観測する必要はない。彼女は、観測される側に――生きる側に、戻ってきたのだから。


「なあ、凛」


「なに」


「なんで、俺だったんだ。繰り返して、救う相手が」


凛は、少し考えて、それからかつて坂道で見せたのと同じ、水面みたいに透き通った顔で笑った。


「……計算不可能だから、よ。あなたのことだけが、何回やっても、私の演算じゃ答えが出せなかった。石田くんの数式でも、AETHERの管理者でも解けない、たった一つのバグ。それが、浅野倫」


やれやれ。


かつて「鳳」なんてふざけた名で、自己犠牲も一途も"物語のテンプレ"だと冷笑していた俺に、教えてやりたい。


お前が鼻で笑っていたその一行こそが、時間軸をいくつも跨いで、たった一人の少女を、この退屈で愛おしい2026年まで運んできた、世界で一番強いコードなんだとな。


俺はストップウォッチをポケットに放り込み、立ち上がった。


「行くか。打ち上げ、涼が全部食っちまうぞ」


「ふふ。……ええ、行きましょう」


ガレージのシャッターを上げると、桜まじりの潮風が吹き込んだ。


過去を書き換える力は、もうこの手にはない。予言も、確定した未来も、どこにもない。


あるのは、誰も死なず、誰も未来を知らない、真っ白な明日だけ。


境界の青。


俺たちは今、ようやくその"先"を、二人の足で歩き始める。


やれやれ。


本当に、一途ってのは疲れる。


――だが、悪くない。全部、回収済みだ。

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