「断たれた福音」
12エピーソードで、最終話です。
4月25日の夜19時までには最終話アップします。
――ピカッ、と世界が白く燃えた。凄まじい雷鳴。
それは、天がこの惨劇を祝福しているかのようだった。
翔太はずぶ濡れの顔を上げ、裂けんばかりの口を開けていた。
「後ろだ……! 後ろにいるんだ!!」
肺が破れるほどの絶叫。だが、その声は叩きつける豪雨と、大気を震わせる雷響にかき消され、わずか数メートル先に立つ警察官の耳には届かない。
ベテラン警官は、銃口をコートの怪物の眉間に向けたまま、全神経を前方に集中させていた。雨飛沫で視界は最悪だ。一瞬の油断も許されない。
だからこそ、彼は気づかなかった。
自分のすぐ後ろで、鎖の鳴る音が雨音に溶け、巨大な死の刃が振り上げられたことに。
――シュルッ。
風を切る、低く鋭い音。
次の瞬間、ベテラン警官の首が、重力の枷を外されたかのようにふわりと宙を舞った。
断面から噴き出した鮮血が、雨のカーテンを真っ赤に染め上げる。
「あ……」
隣にいた若手巡査の頬に、雨ではない、熱い粘り気のある液体が飛び散った。
彼は呆然としていた。なぜ、隣にいたはずの頼もしい先輩の姿が、一瞬で“物”に変わってしまったのか。理解が追いつかないまま、血の霧に濡れた視界でゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、皮と鉄を継ぎ合わせた不気味なマスクを被った、異形の巨漢だった。
マスクの隙間から漏れる「フシュー、フシュー」という湿った呼吸音。
巡査が恐怖で喉を鳴らす間もなかった。
――ドシュッ!!
振り下ろされた大斧が、若手巡査の額の正真ん中を叩き割った。
兜割りのように深く食い込んだ刃が、彼の意識を瞬時に刈り取る。銃を握ったまま、巡査の体は糸の切れた人形のように泥の中へと崩れ落ちた。
二人の希望は、わずか数秒で「肉の塊」へと成り果てた。
コートの怪物は、その惨劇を一切の感情を交えずに見つめていた。そして、用済みとなった警官たちの死体から興味を逸らすと、再び陽菜の立てこもる軽自動車へと歩みを再開した。
その足取りには、先ほどまでの“狩り”の慎重さはない。もはや邪魔者はどこにもいないのだ。
「ひな……逃げろ、陽菜!!」
翔太の声は、もはや掠れた喘ぎに近かった。
だが、軽自動車の中の陽菜は、もはや反応できなかった。ルームミラー越しに、目の前で人間の首が飛び、頭が割れる光景を直視してしまった彼女の精神は、限界を超えて破綻していた。
目は虚ろに開かれ、指先一つ動かすことができない。完全な放心状態。
コートの怪物が、少し歪んだドアの隙間に指をかけた。
――ミシミシ、メキッ!
金属を素手で引き剥がす異様な音が響き、ドアが外側へと剥ぎ取られた。
怪物は無造作に手を伸ばし、座席で固まっている陽菜の首筋を鷲掴みにした。
「……ッ、がぁっ……!」
陽菜の喉から短い苦鳴が漏れる。彼女は抵抗する意志すら失ったまま、濡れた泥の上へと引きずり下ろされた。
怪物は彼女を“荷物”のように引きずりながら、翔太の待つ場所へとゆっくりと運んでいく。
翔太は血を吐きながら、両足首の激痛に耐えて起き上がろうとした。
「やめろ……彼女を放せ……!」
だが、立ち上がることなど到底不可能だった。砕けた足首が、意志に反して泥を掻くだけだ。
その時、翔太の視界に、さらなる異変が映った。
道を塞いでいた大型トラック。その助手席のドアが開いたのだ。
降りてきたのは、怪物たちのような巨漢ではなかった。
どこにでもいるような、背の低い、小太りの壮年の男だ。場違いなほどに整ったスーツを纏い、雨の中を平然と歩いている。
男は怪物たちに一瞥もくれず、乗り捨てられたパトカーの運転席へと乗り込んだ。
パトカーの車内で、男は無線機や備え付けの機材を慣れた手つきで操作し始める。外部への連絡を遮断しているのか、あるいは警察のデータベースを改竄しているのか。男の無機質な動作が、この組織的な“狩り”の恐ろしさを物語っていた。
マスクの大男は、肩に担いだ大斧を地面に突き立てると、トラックの荷台から新たな麻袋を引きずり出してきた。
男は、先ほど仕留めたばかりの警官たちの遺体と、転がっていた生首を、手慣れた様子で袋の中へと詰め込んでいく。
ズッ、ズッ、と重い袋がトラックに積み込まれる音が、死のカウントダウンのように響く。
翔太の目の前で、コートの怪物が足を止めた。
その足元には、意識を失ったかのように動かない陽菜が引きずられていた。
「陽菜……陽菜、しっかりしろ!」
翔太が必死に呼びかけるが、陽菜の瞳には光が宿っていない。ただ、豪雨に打たれ、虚空を見つめているだけだった。
逃げ場はない。助けも来ない。
この山道は今、完全に「彼ら」の屠殺場と化していた。
翔太に、二つの大きな影が重なる。
夜明けまで、地獄の時間はまだ残されていた。
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