貴族
大変長らくお待たせいたしました。
「違うんです! いえ、違いませんが、でもこの気持ちに嘘偽りは……!」
「……」
「い、いえその! やり方は汚かったかもしれませんがあの頃のあなたは頑なで、こうでもしなければお近づきにもなれなかったと言うか存在さえ認識されていたかも危うく……」
「…………」
「あ、あなたへの愛が私を狂わせるのです……! それほどにまであなたのことを……!」
「………………」
睨み付けられたのも、ほんの一瞬。
くしゃりと顔を崩し、涙の滲んだ目でゼノを見上げるやっと取り戻した愛しいアイリス。
「アイリス、どうか話を……」
「触らないで下さい」
「アイ……」
伸ばした手から逃れるように寝台から降りて立ち上がったアイリスに衝撃を受けつつ、震えるアイリスが止めの一撃を繰り出した。
「ゼノ様の、馬鹿。……だいっ嫌いです」
「!!!」
引き止められる前に、素早く寝室から出て行く。
追いかけなければ、と思うのに足がその場に縫い付けられたように動かない。
頭の中で「大嫌い」と言う言葉がぐるぐると回る。
胸を握り締めくらりと立ちくらみ。
「だぁいっきらぁ~い」
「うっ……」
がくっとその場に膝をつく。
「最低ぇ~」
「ぅう……う!」
心底楽しげな声でゼノを責めながらどかっ! と背中に座った女性をゼノは信じられないものを見るような目で見た。
馬のような体勢で首だけこちらを向いてくるゼノを見て高笑いする妖艶なる美女。
「……なぜあなたがここにいらっしゃるんですか。グレニー夫人」
開け放たれた寝室の扉からアイリスが走り去ったであろう方角を眺めつつ、入ってくる女性。
真っ赤な唇をにたりと歪ませたのはグレン・グレニーが妻、ウル・グレニー。
伯爵邸に戻って来る前にグレンに挨拶に行ったのだが、そのころにはもうグレンは馬車に乗り込むところでろくに話も出来なかった。
当然、妻であるウルはすでに馬車の中だと思っていたのに。
どうしてここにいるのか。
と言うか何故このタイミングで……まさがノゾキ……。
そう思っていたことが全て顔に出ていたのだろう。
おかしげに声を上げた。
「面白そうだからぁ、残ったのぉ。あなたたちの行き着くところを見物しようと思ってぇ」
「……趣味の悪い方だ。とりあえず、退いてくれませんか」
羽のように軽いアイリスと違ってウルは体格もがっしりとしていてそれなりに重量がある。
……にしてもこの重さは尋常ではない。
横目でウルの体勢を見れば身体の重みに加えてさらに力が加わるように身を屈めている。
「……そ、そう言うご趣味が?」
女王然としたその態度はとてもよく似合っていた。
が、ゼノにはそう言った類の趣味はない。
顔を顰めてにやにやと笑うウルを無理な体勢で見上げれば、やれやれとため息を吐きながら立ち上がった。
膝や手を払いながら立ちあがる。
「……可愛い顔してよくやるわぁ」
「か、かわいい!?」
初めて言われる台詞に愕然とする。
しかしその内容を理解したところでゼノの頬はひくりと引きつった。
「……どういう意味でしょう?」
恐る恐るそう問うとウルはにこーっと似合わない爽やかな笑みを浮かべる。
その何もかも見透かしたような表情にまたしてもひくり、と頬が引きつった。
「噂の操作」
「う」
「ダヌシリ子爵との共謀」
「うぅ」
「引き網漁法なの? さぞや楽しかったでしょうねぇ」
「ぅううっ」
全てを知っているらしいウルにゼノは情けない声を発しながら一歩後ろへと下がった。
しかしその分ウルが間隔を詰めてきてゼノの眼前でにたりと笑う。
「こぉんな可愛い顔して、やることやっちゃうのねぇ。……そぉいうの、嫌いじゃないわよぉ?」
「…………」
グレンから「ずるは駄目ですよ」と言われて一生言うつもりの無かったことをアイリスに告白した。
まず一つ。
噂の操作。
「あなたが想いを寄せている相手ですものぉ。……さぞやご令嬢達は嫉妬に狂い、アイリスちゃんに辛辣な言葉を浴びせたんでしょうねぇ」
「……それでも過激派は鎮圧しました」
求婚中、アイリスを好きなことを否定しなかった。
そればかりか贈り物はわざとご令嬢達に人気のある店で選び、噂がたちやすいようにした。
嫉妬に狂う女たちをみて、アイリスにその怒りをぶつける女たちをみて。
じわじわ、じわじわと。
「追い詰められて、逃げ場を奪うのが目的だった……違うぅ?」
「……別に、意識していたわけでは」
「無意識に自分にとって有利になる状況を作り上げていくなんて、素敵ねぇ。そう言う風に育てられたぁ?」
「……」
確かに父は強欲だったが。
それは貴族として当たり前の欲を兼ね備えていただけのこと。
そして二つ目。
ダヌシリ子爵との共謀。
「出生に負い目を感じ、一生を一人で過ごそうと決意していたアイリスを何としてでも結婚させて幸せになって欲しかったダヌシリ子爵はあなたの申し出を快く引き受けてくれたことでしょうねぇ」
「……確かに相談はしましたが、あそこまでしてくれるとは」
「してくれる?」
「……」
ふい、と顔を逸らす。
先ほどからの自分の駄目駄目さに嫌気がさしてきた。
ウルの言うとおり、ダヌシリ子爵はゼノの申し出を心から喜び、協力を約束してくれた。
それが、財政面。
雇った役者を使い、まるで借金取りのように金を、家具を召集させた。
そしてそれをロペス家へと運ぶ。
実際に極貧生活を送り、なかなかに新鮮で楽しかったと豪快に笑っていた。
結婚が確定になったときそれを全て返し、さらに援助金を上乗せしたのだ。
「周りから囲い込むように固めて逃げ道をなくしてぇ? それであなたに頼るしか方法がなくなる、っとぉ」
「……」
「初めに愛を勝ち取るんじゃなくて魂を絡め捕ろうとしたのねぇ。そりゃぁ、好きになってくれたら一番良かったんだろぉけどぉ……。アイリスの心に誰かを好きになる余裕なんてなかった。だって、自分のことが嫌いだったんですものぉ」
「……それは」
「自分を愛していないものが他人を好きになるなんて、ありえないわぁ? それは愛情ではなく、嫉妬や羨望でしかない」
「……」
もう何も言い返せなくて、ただ項垂れる。
「欲しいものは何をしてでも手に入れる。……うふふ! 物事を真正面からではなく斜めに捉えるその考え方、とっても貴族的ねぇ。素敵」
「……」
そんなつもりはない。
「可愛い顔して、無意識に自分にとって何が最善かを導き出すのねぇ。アイリスが傷ついて心が痛んだでしょう? ……同時に、喜んだ」
「……」
「もう少しで、アイリスは自分のものになる」
「……」
「心身共に、ね?」
「……」
無意識に歪んでいる心。
作り物の笑顔に隠された本性を探りあう中で生きているのだ、当たり前と言えば当たり前なのだろう。
感情だけではどうにもならないことも知っている。
欲望が絡み合い感情は押しつぶされる。
だから外堀から固めた。
……安心してアイリスがゼノの腕の中へ堕ちてこられるように。
「その容姿を嫌っておきながら、あなた達双子はなんて自信過剰なのかしらぁ」
くすくすと笑うウルにゼノは決まり悪げにただ顔を顰めた。
騒がれるこの美貌が恨めしい。
しかしそれの価値を把握し、利用していることもまた事実。
グレンに「ずる」と言われて初めてそれが公平ではない、アイリスを傷つける行為だと自覚した。
「!?」
ばしっ! と背中を思いっきり叩かれる。
驚いて叩かれた背中を押さえ振り返ると、ウルはゼノを生暖かい目で見つめていた。
真っ赤な唇が弧を描き、熟れた果実が割れる。
その奥から見え隠れする濡れた舌先が艶かしい。
「……そんなに心配しなくても大丈夫だと思うけどぉ?」
「え……?」
まさか慰めの言葉を聞くとは思っても見なくて、目をまん丸にさせた。
ウルはずっと笑いっぱなしだ。
今度は肩にぽん、と手を置かれた。
「まぁ、今後のあなた次第かしらぁ?」
「は、え? ……あ、はい」
くすくすと。
ウルは笑いながら勝手に客室へと帰っていった。
いつの間に家の執事が……と見送っていると小鳥のさえずりが聞こえてきた。
外を見れば朝日が顔を覗かせていた。
三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた地域の皆様に謹んでお見舞い申し上げますと共に一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
微力ながら募金に参加いたしますが……こんなことしかできないのが心苦しい限りでございます。
少しでも皆々様のお暇つぶしになれることを願って。