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信じられない事実に、誰もしばらく口を挟めなかった。
皆が一様に一人を見つめ、その一人は必死に「違う違う」と繰り返している。まるで壊れたラジオのようだと、リーガンはこっそりそう思った。
ラジオ。
そうだ、日本にはそういったものがあったっけ。
否定の言葉をいくらミシェルが口にしたところで、この場にいる誰もが、彼を信じてはいなかった。キャリーが咄嗟に放った魔法は、間違いようもなく火の魔法だった。ミシェルは、火属性だ。
魔力を持つ者の中でも、火の属性を持つ者は一番少ない。そして、属性は親から受け継ぐ可能性が高い。
王太子の子供を身ごもったなど、自分の身も危うくなることは必至である事実を、おいそれと公言するわけがない。成り上がろうと野心を持つ者ならわかるが、キャリーという少女にそんなものがないのは明らかだ。
そして何より、衝撃的な事実をぶちまけられたミシェルの態度が、明らかにおかしい。青い瞳はせわしなくぎょろぎょろ動き、落ち着かなげに手が何度か空を切り、リーガンが知る唯一の彼の取柄である華々しい顔が、酷く青ざめている。
「殿下。答えてください。あの日、俺とフレッドが王都に言っていた日、俺たちが夜遅くに帰ると、あなたは酒を召し上がった後、そのままソファで眠られていました。確かに殿下はその日ストールをなくして、ダミアンに注意を受けてました。そして、あの指の傷。一体なぜ、あんな傷がついたんですか」
「そんなものは知らん!この女がでっちあげたに決まっている!大体、この女は襲った相手の顔なんか見ていないだろうが!」
「なんで……」
黙っていたエスターがぽつりと呟いた。その菫色の瞳には、隠しようもないミシェルへの軽蔑が浮かんでいた。
「なんで、顔を見ていないなんてわかるの。キャリーはさっき、『私の顔にストールをかぶせて』としか言ってなかったわ」
顔にかぶせたのは、相手に顔を見られないためだろう。だが、ストールが取れてしまう可能性だって大いにある。激しく動けば破れる可能性だってある。キャリーが、相手の顔を見ることはなかったと断言できるほどのものではない。だが、ミシェルははっきりと断言した。
一方ミシェルは、酩酊状態だった時でも、自分が行っていることが、誰かに知られてはいけないことだとはわかっていた。だからあの時も相手の顔からストールをけしてとらなかった。もし顔を見られていたら、殺さなくてはいけない。学園内で殺人が起これば、必ず犯人を捜そうとする。そうなると、自分の、この行為が白日の下に晒されるかもしれない。
幸いなことに、あの時の女は抵抗したのは最初だけだった。小賢しくも風の魔法を放ち、少々の切り傷を付けられたものの、容赦なく拳で殴りつけていたら、命の危険を感じたのか、震えて縮こまり、されるがままだった。当然、顔のストールを取ろうとすらしなかった。
だから、ミシェルも相手の顔を見ていない。あの時は、とにかくむしゃくしゃしていたのと、飲酒のせいで気が大きくなっていた。翌日になってから、自分のしでかしたことに慄いたが、あの事件を知る者は誰もいないかのように何事もなく時間は過ぎ、もはや、あの夜のことは夢だったのではないかと、都合のいいことすら思っていた。
一方で、リーガンはキャリーの今後を案じていた。
ミシェルがこの件なり、今日の婚約破棄なりで廃嫡される可能性は非常に高いが、彼女のお腹に、王家の血筋の赤子がいるという事実は変わらない。
先ほどのゼノを倒す時に援護した矢を放った人物が、王子の護衛なのだろうが、彼ならばこの件も王家に報告するだろう。
王室の醜聞と、今後の継承問題の火種になりかねない存在。
王家がどんな判断を下すのか。
そして、不都合な真実を知ってしまった自分たちに対しては。
ダミアンやフレッド、アッシュはそのことに考えが及んでいるだろう、顔色が悪い。エスターは、今現在ミシェルへの軽蔑と嫌悪の視線を送っている。アナベルは俯いて泣き出したキャリーの背中を優しくさすり、サミュエルとデニスはどうしたらいいのかわからず、顔を見合わせている。
「なんで、殿下。なんでそんなことを」
ダミアンの言葉に、ミシェルは体を竦めた。その姿は、悪戯のばれた子供が叱責に怯えているかのようだった。実際は悪戯なんてかわいいものではないし、叱責で済むようなことでもないが。
「武器も持たない女性に、後ろから襲い掛かるなんて」
咎めるように言ったアッシュを、ミシェルが睨みつけた。
「ふん、だから何だというのだ。所詮は平民の女ではないか」
開き直ったのか、もうミシェルは否定しなかった。わずかな可能性を期待していたフレッドは、気を落ち着かせるために大きなため息をついた。そうしなければ、喉元までこみ上げた主への罵倒をぶちまけてしまうところだったのだ。
「こいつ、本当最低」
ぼそりと呟くと、エスターがフレッドに顔を向けた。
「こんな奴、相手にするだけ無駄よ。今は安全の確保の方が優先。ここも、もう安全じゃないんだから」
確かに、安全だろうと踏んでいた図書館には、あのゼノが来た。まだゼノの成体が校内に潜んでいる可能性も高い。しかも、奴は煙突を伝って侵入してきたのだ。ここに、まだ残っているゼノがいつやってきてもおかしくない。
フレッドは、手元の剣を見てため息をついた。切れ味は鈍り、これではあの強固な鱗に傷をつけることはできないだろう。
「こうなったら、当初の目的通り屋上へのルートを探すしかなくないっすか?幸い、生徒会室への鍵は手に入れているようだし」
アッシュはそう言ってリーガンを見た。彼女は小さく頷き、ダミアンが先ほど持ってきた本を掲げて見せた。その本は、一見するとただの本だが、本に見せかけた収納箱である。中には、金色に輝くエンブレムが入ってあった。
「このエンブレムで生徒会室に入り、中にある屋上の鍵を手に入れる。で、そのまま屋上に行って朝まで救助を待つ、か」
「そこも安全とは限らないけどね」
エスターが、ゼノの死体を見ながら呟いた。
「こいつは煙突を伝ってここまで来たのよ。つまり、屋上にいても、こいつに襲われる可能性はあるってことよね」
「……柵はあるが、間違いなくこいつはそれをものともしないだろうな」
「灯りも少ないから、視界も悪い」
「とはいえ、広さはあるから戦いやすいし、視界は燭台を持って行くことで確保していたら、向こうがこちらに襲い掛かろうとしても、上から攻撃できるかも」
いかに素早いゼノとはいえ、壁をよじ登っているところに魔法をぶつければ、避けることは困難なはずだ。
「何にしろ、選択肢が多い方がいい。生徒会室へ鍵を取りに行ってくる」
フレッドがそう言って立ち上がるも、アッシュがそれを止めた。
「フレディ様、その剣じゃ無理っす。俺が行くから、フレディ様はここでみんなを守ってくださいよ」
「なら、俺も行きます」
サミュエルが立ち上がる。
「一応、俺も火属性なので。あの化け物には、やはり火の魔法が効くみたいですし」
「なら、俺も。俺は、まだ結構魔力が残っています」
デニスもそう言って立ち上がった。
一方、リーガンはずっと黙り込んで、先ほどのフレッドたちの会話にも口を挟まなかったダミアンが気になっていた。主君の悪行に呆れかえっているのか、彼は途中から何も言わなくなっていた。
「ダミアン……?」
彼は、顔を青ざめさせ、何やら小さく呟いている。
「どうしたの?」
「そんな、ありえない。ミシェルがそんな行動を……。NPCにそんな設定はつけていない」
「え?」
彼の声が聞こえたリーガンは、思わず聞き返した。
(今設定って言った!?そうだ、ミシェルはプレイヤーキャラじゃなくNPCだった。彼は我儘な王子って設定で。エスターが好きで、リーガンに冷たく当たって……。よくよく考えたら、なぜミシェルはこうまでリーガンを嫌っているのかしら?少しでも悪者に仕立てて、婚約破棄を有利に進めるため?いや、そういえば)
「ねえ、今度って、一作目のリメイクなんでしょう?ストーリーとか大幅に変わるの?」
「いや、基本は変わらないよ。前作の三組の主人公たちと、新キャラ。悪役令嬢のリーガンと不思議少女アナベル。あと、隠しキャラというか、全キャラでクリアしたら出てくるおまけキャラに、最強戦士ジェイソンを入れようと思うんだよね」
それは、かつて日本での、誰かとの会話。
悪役令嬢のリーガン。
そういえば、最初はそういう設定だった。王子に愛されない彼女は、エスターに嫉妬し嫌がらせをしていた。だから、悪役令嬢。
(だから、ミシェルはリーガンを嫌っていた?)
しかし今はそれよりも、ダミアンが放った言葉の意味を知ることが先だ。彼はもしかしたら、自分と同じ立場なのではないだろうか。つまり、前世の記憶があるのでは。
「ダミアン、まさかあなた……」
リーガンがダミアンの袖を掴んだ。その時だった。
激しい衝撃音とともに、何か重い物が落ちてきた。皆、反射的に暖炉に目を向けた。煙突を伝って、再び奴がやってきたのだ。
甲高い悲鳴が聞こえた。
キャリーと、彼女を庇うアッシュの前に、血を滴らせた長い舌を揺らしながら、ゼノが立っていた。
汚らわしい舌についているその血は、アッシュのものだった。キャリーに向かって伸びてきた舌の一撃を、咄嗟に庇ったアッシュが受けたのだ。アッシュの肩は貫かれ、おびただしい血が床を濡らしていた。
「アッシュ!」
フレッドが叫び、続いて再び衝撃音がした。
「まさか……」
エスターが呆然と呟いた。二体目のゼノが、煙突を伝ってこちらに来た。生きている獲物の存在を察し、舌なめずりしながらここにやってきたのだ。
「逃げろ!」
アッシュがこちらを振り返ることなく叫んだ。その言葉は正しかった。
再び誰かの悲鳴が上がり、リーガンはダミアンに手を引かれて走り出していた。
「走って!早く!」
「でも」
もう一度衝撃音がした。そして、誰かが苦痛にうめく声が。それが誰のものか、とうとうリーガンは確認することができなかった。




