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エスターはひたすら目の前の背中を追っていた。
前にいるフレッドは、エスターが一緒に来ることに最後まで異を唱えていたが、彼一人だけ行かせでも、ホールにたどり着く可能性は低いだろうことは、誰の目にも明らかだった。
「その剣、だいぶ刃こぼれしてるんでしょ」
エスターの言葉に、フレッドはもう否定しなかった。
「ダミアン様が、剣を差し出してくれたのに」
あの、白湯だけのお茶会の後、図書館を出ようとするフレッドに、再度ダミアンが自分の剣を差し出してくれたものの、フレッドは受け取らなかった。いかに負傷したとはいえ、彼の利き腕は無事だ。剣が必要となる場面は今後もあるかもしれない。それに、彼の剣は軽すぎて、フレッドには扱いづらい。
「俺にはこっちもありますから」
そう言って彼は自分の籠手に軽く触れた。先祖代々伝わる逸品とまでとは言わないが、鉤爪を内蔵したそれには魔石まで埋め込まれており、魔力が低いフレッドはこれがないと、ほとんど魔法も使えない。
鉤爪の方は爪の部分を替えることが可能で、フレッドは先ほど予備の爪に交換しておいた。簡単に替え刃がある分、剣よりも有利だ。
だが、剣より射程範囲の短い鉤爪では、ゼノの成体と遭遇した時が厄介である。ゼノの最大の武器は、その鋭い爪だ。かつて読んだ記録では、生きている牛を一撃で屠ったこともあったらしい。それほどの強力な一撃を繰り出せるため、腕は太く、頑丈だ。その一撃をかいくぐり、懐に忍び込まなくてはいけない。かといって、この刃こぼれした剣では、硬い鱗に覆われていると言われるゼノに致命傷を与えることはできないだろう。
この学園内にゼノ、もしかしたら既に成体となっているかもしれないゼノがいることは確かだ。もしかしたら、アッシュか、ミシェルの護衛である誰かが偶然遭遇し、既に倒している可能性もなくはないが、この状況下で、そんな幸運が転がっているとは思えなかった。
「アッシュか」
もうずいぶん会っていない気がしたが、彼と別行動をとったのは、ほんの二時間ほど前である。うろたえてわめくだけのミシェル、親しい人間を殺されて呆然自失のキャリーを抱えて苦労しているだろうなと、フレッドは、彼にばかり負担を強いた気がして、軽く自己嫌悪に陥った。
自分とて、楽な選択をしたわけではない。むしろ、より危険が多い道を選んだとは思っているが、同行者であるエスターとアナベルは、思っていた以上に頼りになったし、無事にダミアンとリーガンの二人と合流した後は、さらに心強かった。図書館内には相当なゾンビがいたのだが、危険を冒すことなく殲滅できたのも、彼らのおかげだ。
「さっきの音、もしかしたらだけど」
あれこれ考えながら歩いていると、ふいにエスターが口を開いた。彼女は彼女で、何やら思うことがあったらしい。
「え?」
「さっき聞こえた大きな音。あれ、何か爆発する音だった。爆発なら、たぶん火魔法と風魔法をかけ合わせたんだと思う」
「となると、アッシュはそこまで使えないからキャリー嬢か?」
キャリー・ブラックが風魔法の使い手で、成績優秀者だったことは、フレッドも知っている。恋人を失ったことで放心状態だった彼女が、それでも自分を取り戻したのなら、さぞ心強い味方となるだろう。
アッシュも風属性ではあるが、彼は魔力が乏しく、攻撃できるほどの魔法は使えないだろう。
「となると、火魔法は護衛の誰かか」
王子の護衛が誰であるか、フレッドは知らされていなかったが、ある程度の予想はついていた。おそらくは十三番隊の誰かだろう。護衛できるほど強い騎士は掃いて捨てるほどいるが、この三年間、自分やアッシュにも気付かれることなく、王子の近くにいることができた人物だ。そんな人間、あの隊にいる誰か以外考えられない。
王子の行動や言動を報告するとなると、それなりの信頼と地位もなくてはいけないだろう。となると、搾れる人物はかなり限られている。
誰かは知らないが、さすがにこの状況なら、協力してくれるのではないだろうか。
二人の会話もそこまでだった。
「……ゾンビか」
よたよたとこちらに向かって歩いてくる、何者かの存在に二人は気付いた。今日がパーティーで唯一良かったことは、みなが靴をそれなりの物にしていたことだ。石の床に、ヒールの高い靴や、礼式用の靴は、かなり響く。尤も、それはエスターにも言えることだが。
籠手から鉤爪を覗かせ、フレッドは跳躍した。相手は二体だ。そのうちの一体の頭部めがけて鉤爪を振り下ろす。額から鼻の下まで、三本の赤い線が入った。一瞬後に、そこからどす黒い血が噴水の様に噴き上がった。
その勢いのまま、もう一体に蹴りを入れようとするも、もう片方は、相方が倒された瞬間に後方に下がっていたために、その一撃を受けることはなかった。
「くっ!」
フレッドはわずかに歯噛みした。先程よりも、自分の動きが鈍っているのを感じた。相当に疲れがきているのと、劣化してゆく武器を考慮しつつ戦っているため、思うように戦えないのだ。
エスターが既に作り出していた魔法陣から、魔法を発動させる。氷の刃は正確にゾンビの頭部に投げられたが、ゾンビはそれをかすりつつも逃れた。動きの速さから、バブ化したゾンビだろう。
彼女の方もまた、どうしても魔力が低下してきているのは否めない。
その時だった。風を切るような音がした瞬間、ごとん、と重い物が落ちる音がした。
「え?」
再び魔法陣を構築していたエスターが、集中することも忘れて呟く。
「ア、アッシュ?」
「おう」
長剣にこびりついた血を払い、たった今、ゾンビの首を跳ね飛ばした男が、ニヤリと笑って見せた。
「アッシュ!」
フレッドが思わず叫び、破顔した。弱気になっていた時、彼にとって、最も信頼でき、頼もしい人間を前にしたのだ。
「フレディ様、一応ご無事なようでよかったっす」
片手を上げ、アッシュは笑って見せた。
「ホールはまあ……その、いろいろあって、もういられなくなっちまったんですよ」
「たぶん想像できた。そっちも大変だったようだな。俺たちも、リーガン様とダミアンを見つけた。あとアナベル嬢もだ。三人とも今は安全な場所にいる。俺たちは、お前たちを探しに来たんだ」
アッシュを追って、キャリーが駆け付けてきた。彼女の前には緑色の魔法陣が浮かんでいる。何かあったら、すぐに魔法を発動させようとしていたらしい。
彼女は、後ろを振り返り、すぐに嫌悪感を隠しもせずに眉を顰めた。
「エスター!君も無事だったか!」
そう言いながら、ミシェルが駆け込んできたからだ。
エスターが短く舌打ちをしたのを、フレッドは聞き逃さなかった。が、咎める気はなかった。王子は、長く付き合いのある自分をすり抜け、エスターの両手を握りしめている。
それを無言で振り払い、エスターがフレッドに声をかけた。
「フレディ、これで一応目的は達成できたよね。急いで戻ろう」
「ああ、そうだな」
「おいフレッド!お前、エスターに対してずいぶん馴れ馴れしくないか?彼女は身分こそお前より低いが、この王太子の伴侶になる者だぞ」
「寝言は寝て言え」
「ここで寝てくれたら、心置きなく置いていけるのですが」
聞かれないように小声でつぶやいた言葉に、キャリーがそう返したことで、エスターは目をぱちくりさせた。あの時、キャリーが正気に戻ることはないのではないかと危惧していたが、杞憂だったらしい。
キャリーの後ろから、二人の男子生徒がやって来た。どうやら、他にも生存者はいたらしい。その事実に、フレッドは安堵した。
「よし、これで戻る……」
言いかけて彼は止まった。
「フレディ?」
急に顔を青ざめさせた彼に、エスターが声をかける。
「どうしたのよ、フレ」
「黙って」
短く言って、彼は廊下の先を睨みつけた。アッシュが、再び剣を構える。
「何かが、近くに来ている」
恐怖と緊張の中、彼はそっと告げた。




