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部屋中、気まずい空気が立ち込めていた。律儀に最後まで読んだエスターは、自分の律義さに嫌気がさして舌打ちした。
高貴な方々の面前で、堂々と舌打ちである。
いつもなら、多少は持ち合わせている理性で抑えるのだが、もはや彼女に、そういった面で取り繕う気はなかったし、誰も気にも留めなかった。
「わかったことは二つ。一つ目、誰か、この事態を引き起こした誰かは学生に紛れ込んでいるということ。その人物は禁呪を扱えるということ」
「たぶんだけど、図書館に入り浸るタイプじゃないってことはわかるわ。ここを何度か利用したら、司書さんたちは名前を憶えてくれた。でも、ここにはそれが書かれていない」
こんな事態にもかかわらず、いるかどうかもわからない生存者のために情報をしたためてくれている人物だ。名前を知っていれば、必ず書き込んでいただろう。
「本を借りる時や、禁書を閲覧する時には必ず名前を書く。だから憶えられるってことか」
ダミアンが彼女の意見に賛同するように頷いた。エスターと同じくらい、彼もこの図書館にはお世話になっている。
「まあ、ただ単に制服か、あるいは今日なら正装か。それを着て、あえて学生と認識されたのかもしれないが」
「学生……」
リーガンはぽつりと呟いた。どちらにしろ、学生とそう変わらない、年若い者であることは確かなようだ。禁呪を扱う人物ということで、何となく、枯れ木の様に老いさらばえた老魔導士の姿を思い浮かべていた。
そして、図書館の職員に名前を憶えられていないということは、図書館によく通い、有名人でもあるダミアンは、到底首謀者ではありえない。今更だが、見当はずれの推理をしたものだ。リーガンは、こっそり己の浅慮を恥じた。
「学生一人の身で、こんな大それたことすると思う?一体何のため?」
エスターが日誌に目を通しながら言った。
(首謀者の、いえ、その人物の背景にいる組織の思惑)
ゲームでも、続編で少しずつ語られるのだが、今回のマルコス学園の事件は、隣国の魔術研究機関によるものである。魔術研究機関と言えば聞こえはいいが、どちらかというとテロ集団といった方が正しい。
隣国の現状は乱れに乱れている。王政は腐敗し、もはやまともに機能していない。それに反発する声は国の至る所で上がっている。頻繁に王党派と反政府派の間で暴動が起こり、各地でテロ騒動が起き、市民の生活は疲弊する一方だ。
今回禁呪を使ってこの学園にゾンビを掘り起こした魔術機関は、反政府主義の過激派と言われている。それだけじゃない多くの思惑が絡まってはいるが、何も、外国の学生を巻き込むこともなかろうにと思ってしまう。
「今は考えても仕方がないわ。それより、この日誌の最後のとこを見て」
リーガンの言葉に、エスターが眉を顰めた。最後の部分は見るに堪えなかった。徐々に理性を失い、知性を失い、ひたすら人肉を求めるだけの文章を、思い出すのも辛い。
「ここよ『おもいだした ろく ろく ろく』これって、棚番号じゃない?」
「あ!」
アナベルがすぐ傍の本棚に目をやった。隅には「237」と書かれている。
「666番の棚に、この学園の地下通路への生き方が書かれている本があるかもしれないってこと?」
「そうか。地下通路がもし使えたら、安全に脱出できないか?何も、朝まで待つこともない」
フレッドが明るい声を上げた。こんなに明るい声を上げたのは、いつ以来だろうと、彼はこっそり思った。たった数時間しか経っていないというのに、既に何日、何か月も絶望的な恐怖の夜を過ごしている気がしていた。しかし、未だ時刻は宵の口を少し過ぎたところだ。
時間のことを思い出したところで、「そうだ」と彼は一同を見渡した。
「俺は、ここで一度ホールに戻ろうと思う。地下通路にしろ、ここで夜明かしにしろ、屋上に行くにしろ、生存するためのルートは一応絞り込めたはずだ。アッシュやキャリー嬢が心配だ。……殿下も」
あまりにもしらじらしい付け足しだったが、それでも言わないのも、護衛としてどうかと思ったので足しておいた。
彼の言うことは尤もだが、ここで問題が生じる。
「フレディ。その言い方だと、あなた一人で行くって言ってるように聞こえたわ」
「そのつもりですよ、リーガン様」
「バカなの?」
そう言ったのはリーガンではなくエスターだ。フレッドは肩をすくめて見せた。身分からすると、フレッドの方がエスターより遥かに上なのだが、それを感じさせるものはない。前々から思っていたが、彼女はやたら自分に手厳しい気がする。そして、自分はそうされるのが、ちっとも嫌ではないのだ。
「ダミアンは負傷してるし、女性をあんな危険な場所に再び戻すなんてできっこないだろう」
「はあ?ちょっとは頭使いなさいよ。ここに来る道中だって、私やアナベルの援護がなければ、とっくに死んでたこと、理解できない?」
「それは認めるが」
実際、一番多くのゾンビを屠ってきたのはフレッドではあるが、二人の援護がなければ危ない時もあった。また、エスターに浄化の魔法をかけてもらわなければ、とっくに剣を失っていた。フレッドの得意武器は鉤爪だが、いかんせん射程距離が短い。その形状から、多対一の時は分が悪い。
しかし、フレッドにとって一番の懸念は、あの時取り逃がした幼体である。あれから、それなりに時間が経っている。おそらく禁呪の使い手は、あの幼体が成体になるまでの時間を知っている。朝には王都から騎士団が来て、鎮圧する(おそらくは)ことを想定すれば、その時間は、それほど長くないはずだ。
ゼノの生態は、騎士団の文献にも載っている。過去に何度か禁呪で呼び出されたゼノはいる。
それによると、ゼノは成体となると、あの蛇のような細長い姿から、人型へと進化する。身長は平均的な大人の男性より少し高めで、やや細身である。この細さと、体の柔らかさが相まって、人が到底通れない細い通路なんかも平気で使って移動する。動きは素早く、鋭い歯と爪が武器となっている。すでに完全な個体となっているせいか、幼体の様に分裂はできないはずだ。
弱点はやはり火、あとは氷だ。もとが爬虫類なせいか、彼らは体温調整ができないらしい。冬に召喚されたゼノが、動くことができなかったという記述があった。それに、風や土の魔法が効かないわけではない。
「あの幼体がいつ成体になってもおかしくない」
「じゃあ、なおさら一人は無理じゃない」
とはいえ、再びあの廊下を五人で行くのもどうだろう。ダミアンは負傷しているため、それほど戦えない。ゼノに不意打ちを喰らえば、おそらく応戦できないだろう。魔法で対抗するにも、魔法は構築するのに時間がかかる。
「私が行く」
エスターがフレッドをまっすぐに見つめた。何もかも見透かすような菫色の瞳を目の当たりにして、彼は少々うろたえた。こんな時に馬鹿みたいだと自分でも思ってはいたが。
「待って、二人だけでは危険」
アナベルの言葉に、リーガンは頷かなかった。本当言えば、自分たちも一緒に行った方がいいと思っている。しかし、ダミアンのことがある。ここでリーガンもアナベルに同調すれば、負傷したダミアンは一人で残るとか言いそうだ。それに、日誌に残された禁呪や地下通路について書かれた本の存在も気になる。
その時、遠くで大きな音がした。まるで、何かが爆発したような。
「何、今の音」
その音の正体を、彼女たちはまだ知らない。




