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「……変だな」
先頭に立っていたフレッドが、小さく呟いた。
「何が?」
少し苛立った声でダミアンが尋ねる。小声なのは、まだこの広い図書館内に、ゾンビの気配が感じられるからだ。
「鍵がかかっている」
禁書エリア、その入り口のドアは、普段鍵がかかっていない。禁書の中にもランクがあり、ランクの高い禁書は奥まった、鍵のかかった別室となっているが、入り口付近はランクが低い禁書であるため、生徒は誰もが立ち入ることができる。低ランクの禁書とは、ただ単に許可がなければ貸出できない、しかし閲覧は自由な本のことなので、鍵をかける必要性がないのだ。
エンブレムが入っている禁書は、さすがに鍵付きの部屋には置いておけないので、このエリアにある。なので、鍵のことなど考えずにここまで来たのだが。
「なぜ鍵が」
「となると、鍵を探さないといけないわね。司書室にあるかしら」
エスターが、先ほどの凄惨な光景を思い出したのか、顔を俯かせた。落ち着かせるようにその腕を軽く叩き、リーガンは辺りを見回す。
マルコス学園の図書館は広い。二階建ての造りで、中は吹き抜けになっている。小会議用の小部屋がいくつかあったり、閲覧スペースもかなり余裕を持って用意されているので、ゾンビに遭遇しても、戦うことも、逃げることも可能な広さはある。
ここは二階なので、窓から侵入される心配もないだろう。探索するのはそれほど難しくはなさそうだ。
フレッドも同じ意見だったのか、入り口付近の貸し出しカウンターに目をやった。その後ろに、司書室への扉があるはずだ。鍵はきっとそこだろう。
フレッドは一人で取りに行くべきか、それとも全員であそこまで向かうのか少し迷った。距離としてはそれほどでもないし、広いこの空間なら、何かあったらすぐにわかるが。
彼は小さくため息をついた。ダミアンは負傷し剣を上手く使えない。残りの三人は魔力は高いが、全員女性だ。見習いとはいえ騎士の端くれとしては、女性を危険な場所に置いておくことはしたくはなかった。
それに、相手がゾンビだけとは限らない。
フレッドは、あの会場にいたおぞましい生き物の姿を思い出していた。
ゼノと呼ばれるあの化け物の存在は知っている。手ごわい魔物の中でも、特に恐ろしいとされている。騎士団でも、要注意生物であると教えられたことがあった。
あの幼体がいつ成体になるかはわからないが、今夜中には成体となるだろう。そして、奴は強いだけじゃない。卵を産みつけられるようになるのだ。
やはり、一瞬たりとも戦力を分断しない方がいい。
フレッドはそう判断し、司書室を指さした。リーガンたちも頷き、目線を前に向ける。
その時、再びどこからか呻き声がした。
エスターが振り向き、思わず「ひっ」と短い悲鳴を漏らした。
フレッドもゾッとした。上階から、ゾンビが数体落ちてきたからだ。
「階段使え!」
なぜ上にいたかは知らないが、こいつらは、生きた人間であるフレッドたちを見つけ、食欲のみに突き動かされて、上から降りてきたのだ。
その執念は恐ろしかったが、少し安心した。こんなリスクを背負ってまで突撃するということは、こいつらはバブ化していないゾンビだ。
落下してきたゾンビたちは、その衝撃で足や腕などを痛めたのだろう。起き上がろうとするも、なかなか起き上がることができないでいる。一体などは、頭から落ちたせいで首が妙な形にねじ曲がっている。
フレッドが、ようやく起き上がった一体の首を吹き飛ばし、アナベルが床に這いつくばるゾンビたちめがけて巨大な岩を落とした。
まだ呻き声は聞こえているが、これならもう襲っては来れないだろう。
フレッドは再び歩き出し、リーガンたちもそれに続いた。
エスターがフレッドの背中を見ながら慎重に歩いていると、唐突に足首をもの凄い力で掴まれた。
「きゃあ!」
驚きと痛みでエスターは叫び、バランスを崩して尻もちをついた。リーガンが慌てて起こそうとするが、エスターの視線の先にあるものを見て、体が竦んだ。
彼女の細い足首を掴んだのは、先ほどの、職員の制服を着たゾンビだった。顔の肉をだいぶ失い、残っていた青い目だけをぎょろぎょろとせわしくなく動かしながら、彼はゆっくりと這いつくばって来た。しかも、彼女の肉を喰らおうと、大きく口を開けて。
そのあまりのおぞましさ、恐ろしさに、エスターは起き上がることも忘れ、リーガンは彼女を助け起こすことも忘れ、二人で震えることしかできなかった。
「はっ」
短い声と共に、リーガンの隣にいたダミアンが、その頭を思いきり蹴り飛ばした。頭部への攻撃や破壊でゾンビを殺すことができる。彼の蹴りは、ゾンビを殺せるほどの威力だったらしく、その男はようやく二度目の死を迎えた。
「大丈夫ですか、二人とも」
フレッドがエスターを起こしてやりながら、彼女の足首に注意深く目を向けた。噛まれない限りはゾンビになることはないはずだが、安心はできない。ゾンビの爪で傷つけられた場合も、もしかしたらゾンビ化するかもしれない。
エスターもそう思ったのか、震える唇で、短く水の魔法を詠唱し、魔法陣を作り出した。浄化の魔法だ。
「大丈夫?」
「はい、少し爪で引っ掻かれただけですから」
彼女の足首には、赤茶色の手形がついていた。彼女はそれを魔法で作り出した水で洗い流した。その血は彼女のものではなく、あのゾンビの手についていたものだ。血を洗い流したことでわかったが、確かに引っ掻き傷がある。皮が捲れる程度で済んだようだが、それでも痛々しそうにフレッドがエスターを見た。
「すまない。俺がもっと気を付けていれば」
「別にフレッドのせいじゃない。油断したのは私だし」
「……やはり、いくら動かないとはいえ、ゾンビを放置するのは危険ですね」
ダミアンが、眼鏡を押しやりながら呟いた。バブ化していないゾンビだから、もう動くこともできないのだからと、ゾンビを甘く見ていた。食欲のみのために動く彼らは、その分獲物に対する執着が異常だ。
一瞬の油断が命取りになるかもしれないのだ。
「そういえば、彼は司書でしたね。もしかしたら」
ダミアンがそう呟き、動かなくなった遺体に手をやった。血まみれの死体に触れることに一瞬躊躇したようだが、それでも手は止めなかった。
「ダミアン、気を付けて」
リーガンは火魔法をいつでも放てるよう準備をしながら、彼の動向を注意深く見守った。アナベルとフレッドも、彼の意図に気付いたので、そのまま動かないでいる。フレッドは、用心深く辺りに気をかけつつ。
そのゾンビが司書なら、スペアの鍵を持っている可能性がある。
「あった」
ポケットから目的の物を見つけたダミアンが、軽く鍵の束を掲げて見せた。
「禁書コーナーの鍵だ。こっちは入り口の鍵で、こちらは恐らく奥の部屋の鍵。図書館自体の鍵もある。司書室の鍵も。ここを完全封鎖することもできるかもしれないな」
図書館の入り口の扉は、かなり破損していたが、まだドアの役割は果たせそうだった。それに、中の物音に気付かなければ、ゾンビたちがわざわざ扉に手をかけて開けることはない。
この図書館は広いし、灯りもある。司書室に行けば、食料はなくとも、飲料水くらいはあるかもしれない。ここは二階だし、騎士団が来たら、窓から救助を呼ぶことも可能だ。
リーガンたちは、ダミアンのその言葉に顔を見合わせた。ただでさえ、連続して襲い掛かってくるゾンビたちの相手で、みな疲労の極致にいるのだ。
ここで籠城するのが可能なら、それが一番かもしれない。




