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今ここで、アッシュが二匹の攻撃を避けることはできない。なぜなら、彼の後ろにサミュエルがいるからだ。アッシュが逃げないことがわかっているのか、二対の化け物は同時にその口元を歪めた。それは、牙を剥き、威嚇するためのものだったが、アッシュには、二匹の蛇が獲物を前に嫌らしく笑ったように見えた。
「危ない!」
デニスの放った水魔法が、飛びかかった片方の幼体の体を吹き飛ばした。どうやら、彼は水属性らしい。エスターの様に高度な氷魔法は使えないが、水を放つことはできる。彼の魔法は化け物の噛みつき攻撃を防ぎ、しかも分裂させることなく後退させたのだ。
「ナイス!」
アッシュはそう言うと同時に、もう一匹の方、飛びかかってきたその幼体の体を、大きく開けた口が彼の喉元に食いつく、まさにその寸前で首を掴んだ。。首を掴まれた幼体は、手足のない体では動きを封じられたも同じだ。幼体はどうすることもできず、狂ったように暴れ出した。アッシュはサミュエルに顔を向けた。彼の方も心得たように頷き、赤い魔方陣を浮かび上がらせた。
「行くぞ!」
アッシュは暴れる魔物を床に叩き付けた。激しい衝撃に気絶したのか、その蛇のような細長い体は動かなくなった。そこに、サミュエルの放った火球が容赦なく打ち込まれた。
アッシュはそちらには目もくれず、既に吹き飛ばされたもう片方の幼体を睨みつけていた。幼体は吹き飛ばされた衝撃で気を失っているのか、動かない。とどめを刺したいところだが、彼の武器である剣での攻撃では、再び分裂させてしまう。
彼は一応風の魔力持ちではある。自分でも認めることだが、その魔力は非常にお粗末なのだ。他の風魔法の使い手の様に、風を使って攻撃などはできない。彼にできるのは、その魔力を己の肉体の強化にあてがうことだけだった。どちらにしても、この場面で決定打になることはなかった。
「サミュエル。悪いがもう一発頼めるか?」
アッシュは、敵から目を逸らすことなく、隣のサミュエルに声をかけた。彼は魔法を連発したことで、相当に疲弊しているようだった。額には汗が浮かび、肩は激しく上下している。
あの王子様が少しは役に立ってくれたらなと、一瞬思ったが、彼は部屋の隅で、おどおどとこちらを窺うだけだ。
「は、はい」
サミュエルはもう一度意識を集中させるが、魔法陣が浮かび上がるのに、結構な時間を有した。やはり、疲れのせいで集中力が乱れている。
その時、静止していた幼体が、突如として動き出した。アッシュたちのいる方向とは全く違う方向に。
「な!?どこへ行く気だ!」
まさか逃げる気か、とアッシュが身構えた時だった。その幼体が、壁を伝って天井へ上り、そこから、テーブルの上に向かって落ちたのだ。
「何だ?もうへばりつく体力も残ってなかったのか?」
アッシュはそう言った瞬間、自分の浅慮さに気が付いた。違う、奴が落ちた先には。
幼体が落ちた先には、ガラスの器があった。それは、何か飲み物が入れられた容器だったのだろうが、割られ、中身はすべて流れ落ち、欠けた部分が鋭く突出していた。落下した幼体の体を、簡単に斬り裂くほどに。
「こいつ!」
斬り分かれた二つの体が、もぞもぞと動き出した。そいつはさらに尖ったガラスに体をすりつけ、自分の体を斬っているのだ。強い個体でいるより、弱くとも群体でいる方が、アッシュたちに分が悪いと見越したのだ。
「まずい!」
アッシュが急いでテーブルを蹴り倒し、幼体たちとガラスを離すが、破片はそこら中に飛び散っている。分かれた幼体が、手近な破片に体をこすりつけ、己の体を分断させていた。それはそれはおぞましい光景だった。
「こいつら、まとめて焼かなければとんでもないことになる!」
「そのとおり!」
デニスの悲鳴に、サミュエルが頷き、魔法陣を何とか作り上げるが、浮かび上がった火球はひと際小さく、全ての幼体を焼き払うに十分でないのは、一目瞭然だった。
しかし、足元がガクガク震えているサミュエルにとって、これが最後の一発であることは明白だった。
「殿下!火魔法の使い手が必要なんです!こっちに来て手伝ってください!」
アッシュが叫ぶが、ミシェルはテーブルの下に潜り込み、首を振っているだけだ。
「アッシュ様。私が!」
キャリーが前に進み出て、サミュエルの震える手に、自分の手を重ねた。
「キャリー嬢?」
「風と火を掛け合わせて、あの一帯を爆発させます。そうすれば、あの幼体たちを一網打尽にすることができます」
「できるのか?」
火と風の魔法を合成することで、爆発を起こすことができることは、アッシュも知っている。だがそれは、互いの魔力がほぼ同じでないと怒らない、調整の難しい魔法である。
「私が、彼の魔力に合わせます。私の最も得意とするのは、魔力のコントロールです。ですが、一つ問題が」
「問題?」
「この建物は、恐らく大丈夫でしょう。魔法防御の加工が、全体にしてありますから。ですが、爆発を起こすと凄まじい轟音がします」
「その音を聞きつけて、ゾンビがここを目指してくるかもしれない、と?」
ゾンビは音を認識することができる。それに、窓際の壁は大きなガラス窓がいくつもあるのだ。今はカーテンで視界を遮っているが、中から音がすれば、その音を頼りにゾンビが集まってくるかもしれない。集団で窓を叩けば、いずれ窓は割れる。防御の魔法は、あくまで対魔法でのことだ。物理的な力に対する防御魔法はかけられていない。つまりそれは、この部屋の安全性が失われるということだ。
「迷っている時間はありません」
こうしている間にも、幼体たちはその数を増やしている。分裂すれば、その分動きが鈍るが、それより数の多さが脅威だった。
「そのとおり!」
震える自分の体に喝を入れるように、サミュエルが叫んだ。どうやら、それは彼の口癖のようだ。
アッシュとデニスは、周りにある大きめのテーブルを引き寄せ、その後ろに身を屈めた。爆破の巻き添えを食わないためだ。
「行きます!」
キャリーが彼の赤い魔方陣に重ねるように、緑の魔法陣を浮かび上がらせた。ほんのわずかに魔法陣を収縮させ、その瞬間、橙色の魔法陣が、二人の前に浮かび上がった。
「やった!」
「今よ!」
キャリーが鋭い声と共に魔法を放ち、アッシュは素早く彼女とサミュエルの体を引き寄せ、伏せさせた。同時に、蠢くおぞましい幼体の群れが、凄まじい音を立てて爆発した。
轟音の後、粉塵が舞う空間を、アッシュは見た。このホールは生徒全員を余裕で収容できるほどに広いが、その四分の一ほどを、煤まみれにして見せたのだ。サミュエルの魔力はほとんど残っていなかったというのに、掛け合わせると、これほどの威力を生むものかと、感心するような、少し怖いような、妙な気分だった。
「キャリー嬢、サミュエル、大丈夫か」
「ええ、大丈夫です。あと、ありがとうございます」
キャリーは少し顔を赤らめた。ギルバート以外でこれほど異性と近づいたことはなかったのだ(あの事件のあれは、もちろんカウントしない)。
サミュエルの方は、魔力を使い果たしたことで、半ば気絶していた。デニスが彼の体を揺すり、肩を貸して、何とか立たせることに成功した。気の毒だが、ここで休んでいることは不可能になった。
「ゾンビが!」
凄まじい音を聞きつけて、ゾンビたちがゆっくりと、こちらへ向かって来るのを、デニスが窓から見た。その数は、悲しいことに増えている。テーブルなどでバリケードを作ることも考えたが、それも、一時的にしのぐことにしかならない。
「ここから出るぞ!」
アッシュが叫んだ。誰も反対しなかった。ゾンビの足音とうめき声が、遠くから聞こえてきたから。




