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「落ち着いた……っすか?キャリー嬢」
気が付くと、目の前にアッシュ・ウィリアムズ・スーパーマーケットの心配そうな顔があった。その森を思わせる、翡翠の瞳が気遣わし気に揺れている。
「私……」
「一応もう一度言っておきますね。エスター嬢とフレディ……フレッド・クルガー・クレイブン様とアナベル嬢は、この島を脱出するルートを探すのと、リーガン様達を探すために、一度このホールを出ているっす。俺はあそこにいるアホ……もとい、殿下をお守りしています。まあ、本当言うと俺も行きたかったんですけどね」
アッシュはそう言うと、ちらりと少し離れた場所でおどおどと周囲を探っている王太子を見た。
「マジ落ち着きねーな、あの人」
「そういうこと言っていいの?」
ぼんやりとした口調で、キャリーが尋ねた。
「え?」
「あの人は王子でしょう。あなたはその護衛じゃないの?そんな言い方していいの?」
キャリーとしても、あの王子が部下から慕われていないことくらいは、よく知っていた。しかし、キャリーを前に、こんな言い方をしていいものなのだろうか。もしキャリーがこのことをうっかり誰かに話してしまえば、彼の身は危ないのではないだろうか。キャリーがこういうことをうっかり漏らしてしまう相手は、一人しかいないのだけれど。そしてその相手は、もういないのだけれど。
「ま、護衛っちゃ護衛ですけどね。俺はろくな躾されてないし、口が悪いのは勘弁してください。それに……う~ん、これはちょっと秘密」
その秘密とやらは、おそらくあの王太子が廃嫡されるから、敬意を払うこともないとか、そういった類のものだろう。ギルバートも言っていた。あの美しい公爵令嬢との婚約を、一方的に、それも身勝手な理由で破棄したのだ。今まで後ろ盾の筆頭だったフリードキン家を敵に回したのだから、彼の廃嫡は間違いないと。
キャリーは自分が今、あの卒業パーティーの会場の中にいることを、ようやく思い出した。あの時、ギルバートの中から何かが飛び出て、そいつは生き物で、しかも危険なのだと、さっきエスターが言っていた気がする。
そのエスターは、先ほどキャリーを気遣ってくれていた。それだけでなく、キャリーにどうするか尋ねてきた。
「キャリーはどうする?」
(どうする?)
どういう意味だろうと、キャリーは首を傾げた。この意味の分からない状況において、まだ選べるだけの選択肢が残されていることに、キャリーは驚いていた。
けれど、それ以上思考は続かなかった。自分の体から漂う、湿っぽい鉄臭い匂いに、自分が兄の血を全身に浴びている事実を思い出したからだ。静かに泣き出したキャリーに、それ以上エスターは何も訊かなかった。
エスターたちが行った後、留守を任されたアッシュは、しばらくキャリーを放っておいてくれたようだ。キャリーが落ち着いたころに(本当に落ち着いたわけではなかったが)、おずおずと話しかけてくれたのだ。
彼は、自分の主である王太子よりも、自分に気を遣ってくれているように見えた。さっきのあの不敬ともとれる発言も、もしかしたら、キャリーを和ませようとしてくれたのかもしれない。
「おいアッシュ。もっと僕の近くにいないと、僕のことを守れないじゃないか。そんな女どうでもいい」
こんな状況というのに、キャリーの耳は、憎い男の声をきっちりと聞き分けた。男はキャリーのことなど目もくれず、アッシュに話しかけている。
(私のことなどどうでもいい?そうでしょうね。どうでもいいからあんな風に自分の欲望を叩きつけたのよね)
きっと、この男はあの夜の相手が自分だったことすら知らない。
(ふざけるな!)
この時、キャリーの反抗心、今までの人生の中で、最近ようやく芽生えていた反抗心が爆発した。
(どうでもよくない。私はどうでもいい存在なんかじゃない。ギルバートだってそう。彼が死んだのは、どうでもいい存在だったからじゃない。それを証明しなくてはいけない。そのために、私は生きなくちゃ)
突然目を見開いて立ち上がったキャリーに、アッシュがぎょっとした顔を向けた。
その時、ふいに扉を、向こう側から叩く音がした。ミシェルは身体を飛び上がらせ、そそくさとアッシュに近寄ってきた。それを呆れたように見つつ、アッシュはキャリーに「後ろにいて」と声をかけ、腰の剣を抜いた。
「誰だ?」
扉は乱暴に叩かれている。
「エスター嬢たちじゃない。一応、扉の叩き方を合図にしているから。ゾンビ……それか、生存者か」
「エスターじゃないのなら、開ける必要などない!」
ミシェルが叫んだが、アッシュは首を振った。
「でも、リーガン様達かもしれないです。それか、他の生存者か」
「そんなもの、どうでもいい!」
「いいわけねーだろ」
ぼそっと呟いてから、アッシュは扉に近づいた。
「誰だ?」
「た、た、た、助けてくれ!ゾンビが!」
助けを求める声に、アッシュが急いで扉に手をかけた。開けると同時に、三人の生徒が雪崩れこんできた。先頭にいた男子生徒、そのすぐ後ろにもう一人男子生徒、そして、二人に引きずられているのは、肩に怪我をして気絶した男子生徒だった。
「噛まれたのか?」
「ああ。でも、ゾンビにじゃない。さっきいた蛇みたいなやつだ。そいつが天井から落ちてきて、こいつに噛みついたんだ。慌てて火魔法をかけたが、逃げられてしまった」
よく見ると、気絶した男子生徒の前髪辺りが少し焦げ付いている。おそらく、火魔法を放たれたことで、多少とばっちりを受けたのだろう。その代りに、例の幼体をうまく引きはがすことに成功したようだ。
「あの幼体か!どっちに行った?」
アッシュの言葉に、キャリーもまた、身を乗り出した。あの幼体は、キャリーにとっても許し難い存在だ。あいつが、ギルバートを殺したのだ。
「わからない。襲われたのはこっからまっすぐ行った医務室の近くの廊下だ」
アッシュの、剣の柄を握る手に力がこもった。あの、危険極まりない可能性を秘めた幼体がまだいるのなら、今のうちに仕留めておきたい。
「おい!誰か止血できるものはないか?この傷、結構深い!」
気絶した生徒の肩口が、先ほどより赤い。それはもう、キャリーにはこの一日ですっかり馴染み深い色だった。
アッシュは慌てて自分のクラバットを取り外し、介抱する生徒に渡してやった。
「すまな……あ、も、申し訳ありません」
「いや、気にするな。俺は綺麗な水を探してくる。あとは、消毒できるものもあったらいいが……」
この会場にも、飲み物は沢山用意されていたが、そのほとんどが、先ほどの騒ぎで倒されてこぼれているか、降り注ぐ血を浴びてしまっているかのどちらかだった。
「それはありがた……お、おい!」
慌てふためく声に、アッシュとキャリーは思わず振り返った。気絶した男子生徒の顔色が、先ほどより遥かに悪くなっている。
「どうした!?」
「そ、それが、脈が弱くなって……い、息も止まってしまっている!?」
介抱していた生徒が、涙を浮かべて、哀れな同級生の手を握った。その生徒は、既に顔の色が紙のように白くなっていた。血が通っているようには、キャリーには見えなかった。
「なあ、しっかりしろよ。目を覚ませよ……なあっ……」
必死に呼びかける声にも目を開けることはなく、やがて手を握っていた生徒が、短く「脈が……」と呟いた。それだけで、アッシュたちには、何が起きたのかわかった。
「……何て言ったらいいか」
アッシュがそう言った時だった。
「待って!動いたわ!」
キャリーが、生徒の亡骸を思わず指さした。その生徒の体は小刻みに揺れていたのだ。しかしそれは、彼が、自分の意志でやったわけでも、死後硬直の類でもなく、何かに突き動かされている動きだった。それくらい、明らかに不自然で、不愉快な動きだった。
「まさか……」
嫌な予感に、アッシュが再び剣を構えた。キャリーもまた、先ほどの、真っ赤な光景を思い出し、ふらふらと後ずさった。
そうして、半ば予感していた、決して当たって欲しくなかった予感通り、彼の体から、黒い何かが出てくるのを、キャリーは確かに見たのだ。




