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マーガレット・ブラックは身分こそ平民だが、羽振りのいい商家の一人娘であり、幸福な娘時代を過ごしていた。両親はマーガレットを愛し、守り、大切に育てた。だからこそ、マーガレットが十五になった時、彼女が結婚相手にと望んだ青年を、快く迎えた。
青年は、さして裕福ではない、どちらかというと貧しい家に生まれたが、後に魔力を持つことがわかり、学園に通うこととなった。彼の希望は名門ではあるが、やたら格式ばった学園だった。そういうところにありがちだが、貴族の学生も多く通うだけあって、やたら学費が高い。貧しい家の出身者は、大抵教育費を国で賄っている学校を選ぶものだが、彼はそういった学校を嫌がった。
彼に心底入れ込んでいた、正確にはすっかりのぼせ上がっていたマーガレットは、彼の希望をぜひとも叶えてやりたかったし、彼女を溺愛する両親もまた、将来の息子のためと、快く入学金からその他必要な教科書や制服、全てを支度してやった。
そうして三年間、他人の金で学業を修めた彼は、卒業と同時に彼女の元に戻ってくる……はずだった。しかし、卒業したというのに、一向に連絡が来ない。手紙を送るも返事は返って来ず、彼の家に赴けば、困惑した顔の両親がしきりに頭を下げるばかり。
どういうことかと調べ上げ、ようやく、彼が別の女、しかも、ある子爵家の末の娘に入れあげていることを知った。
なんでも、学園生活で知り合った同級生だとかで、しかも貴族の出である。平民の彼が受けれられるかは知らないが、彼とその相手は本気で結婚する気でいるらしい。
怒り狂ったマーガレットは、しかし怒りを抑えつつ、何も知らぬ顔で彼の家で彼が戻ってくるのを張った。この三年間、彼が戻るのをひたすら待ち、他の結婚相手など考えてもいなかったのだ。自分と同年代の少女が次々と結婚し始めるというこの段階で、今更彼に捨てられるわけにはいかない。
そうしてようやっと再会した彼は、マーガレットを見るなり顔をしかめた。それも地味にショックだった。三年間、ただひたすら彼女は彼を健気に待っていたのだから。
彼は、一度も例の子爵令嬢の話をしなかった。マーガレットはそこにわずかな希望を見出した。本当は、それはただの噂に過ぎず、彼は誠実さを忘れていないのかもしれない。いや、もし心にその令嬢がいたとしても、自分と彼はきちんと婚約をしているのだ。そのために彼の学費をブラック家が負担した。さすがやり手の商売人である彼女の父は、学費を負担する時に、きちんと書面を取り交わした。
彼はきっと、結婚前に一時的にナーバスになっているだけなのだ。だから、他の女に目移りしてしまった。それはとても許せないことだけども、ここはひとつ、寛大な心で許してやるのがいい女なのかもしれない。
(それに、結婚前に旦那の弱みを握っておくことは、将来手綱を引くときに役立つかもしれない)
小狡いことを考えつつも、マーガレットは必死だった。必死で彼にまとわりつき、先に既成事実を作ってしまえと、彼を誘惑し、半ば強引に肉体関係を持った。結婚前ではしたないことをよくわかってはいたが、これで彼は自分から離れられないだろうと、彼女は彼の腕の中、安堵のため息をついたのだった……。
しかし、婚約を解消して欲しいと申し出があったのは、その一か月後のことだった。
そんなこと、あの貧しい彼ができるわけがないと踏んでいたというのに、今までかかった学費、慰謝料、その他もろもろを携え、彼の代理人だとかいう、やたらお高くとまった、鼻持ちならない小男がまくしたてるのを、マーガレットは呆然と聞いていた。彼は一言も言葉を発さなかった。ずっと、代理人とやらがべらべらと話すのを、興味なさそうに眺めているだけで、マーガレットにも、彼女の両親にも目も合わそうともしない。
彼は平民の貧しい家の出であったが、その魔力の高さは抜きんでていたらしい。例の子爵家には、魔力を持つ者が少ない。幸い娘は四人もいるので、そのうちの一人が平民だろうが、高い魔力を持つ子を作れる可能性の高い男を選んでもいいと判断したのだろう。そのために、後顧の憂いを払うためにも、こうして借りたものは返す、と。
代理人はしゃあしゃあと言い募ったが、返ってこないものはいくらでもある。
マーガレットが結果的に無駄にしてしまった三年間も、彼に捧げてしまった純潔も。
母が最初に悲鳴のような嗚咽を上げた。父は母を宥めながらも、彼を睨みつけていた。
「そんなこと、許されると思っているの」
マーガレットが、涙を堪えつつ、彼を睨んだ。
「許されるためにここに来たんだ。大体、君は僕を愛してやいなかった。僕を選んだのは、顔が好みだったのと、貧乏な僕なら思い通りにできると思ったからだ。君はただ、自分が好きなだけだろう?それは愛なんかじゃない。真実の愛を知った僕は、そこに気付いたんだ」
その言い分に、こんな時だというのに、怒りで体が震えるというのに、ふいにマーガレットは笑いたくなった。
「真実の愛?真実の愛が聞いて呆れるわ。あなたが愛する人へ誠実にあろうと思うなら、なんで私と寝たりしたのよ」
その言葉に、両親がぎょっとしたように顔を上げた。代理人が眉を顰めて、彼女に侮蔑の視線を送った。
「そういうとこだよ。自分が欲しいもののためには手段を選ばない。確かに僕は君の誘惑に負けた。この一か月間、彼女に黙っているのはまさに地獄の苦しみだったよ。でも、思い切って打ち明けた。彼女は弱い僕を許してくれた。だから僕も、誠実であろうとしたんだ」
その誠実さとやらは、マーガレットには欠片たりとも向けられないらしい。
「こんなもので済むと思っているのか」
男のあまりの言い分に、とうとう穏やかな父が怒鳴り声を上げた。
「絶対に許さん!目に物見せてやる!」
彼は一瞬ひるんだが、代理人の男が落ち着かせるように彼の肩を叩いた。その瞬間、マーガレットは悟った。きっと、彼の思い通りになるのだろう。慰謝料は増えるかもしれないが、それ以上彼にダメージを与えることなどできやしない。けれど、このままで済ますなんて耐えられない。
「私、妊娠したの。あなたの子よ」
それは、唐突に思いついただけの言葉だった。だが、確かに彼に体を許して以来、月の物は来ていなかったし、可能性は大いにあった。
「嘘だ」
「嘘かはわからないわ。でも、あれ以来月の物が来ていないのは確かよ」
「本当に僕の子か?」
その言葉に、さっきまでこれ以上傷つくことなどありはしないと思っていたマーガレットだったが、それが甘かったことを痛感した。屈辱で震える彼女に、彼はさすがに失言だったと口を抑えた。
「だ、だって、君、自分から誘ったじゃないか。乙女にあるまじきことだろう」
「それはあなたが好きだったからよ!」
悲痛な声で泣き叫ぶ彼女に、母がさらに嗚咽を漏らした。
その後のことはよく覚えていない。恐らくだがマーガレットは倒れるまで泣き叫び、両親は彼を酷く呪ったのだろう。しかし彼の後ろには子爵家様がついている。
その後、マーガレットの言葉通り、彼女の懐妊がわかった。その頃には、マーガレットの方も彼に愛想を尽かしていた。おそらく、妊娠を告げた時のあの言葉で、あれほど抱いていた彼への愛は、一気に、いや、さらに増大した憎しみになったのだろう。
その憎しみは、腹の中の我が子にも向けられた。堕胎を考えないでもなかったが、彼への復讐にも満たない、嫌がらせ程度であったとしても、彼の希望通りにしてやるものかという意地があった。
そうして、愛情など欠片たりとも与えなかったのに、腹の赤子はすくすくと育ち、さして苦労することなく子供は生まれた。彼にそっくりなブロンドの髪と、青い瞳を持つ少女だった。
彼女は、キャリエッタと名付けられた。両親は、初めての孫をキャリーと呼んで慈しんだが、マーガレットは、彼にそっくりな娘を、やはり少しもかわいいと思わなかった。それどころか、憎しみすら抱いていた。
彼女は、彼に認知の要求を申し立てた。さすがにそれは受け入れられた。それは、マーガレットの、彼に対してできた、最後にして最大のしっぺ返しだった。
前回誤字報告してくださった方、ありがとうございました!




