2-29話 領主二人のノクターン1
神印の証明とは王印よりもはるか上にあり、例え裁判という状況であろうともこれに異議を唱えられるのは同等の存在――今回の場合は創造神クリアの神印となる為それ以外の五柱のみである。
そうなると、自動的にブラウン子爵の無罪は確定するのだが……正直それどころではない事態となっていた。
天秤伯ガディアの失踪という国家を揺るがすほどの騒動により、ブラウン子爵の扱いはかなり適当なものとなってしまった。
途中参加ではあるもの、裁判員である事に間違いはないガディアは、最後まで裁判を見届ける義務があった。
そして、ガディアという存在はいままで数十年間法を犯した事がない。
その間法を護り続け、裁判制度を支えてきたとも言える偉大な人物であると、知っている人は口をそろえて言う。
そんな高潔な男の最後が、途中退席という軽いながらも法を破っての失踪、しかも証拠の偽装までした疑いを残して……。
伯爵階級にあり忠臣とうたわれた存在に謀反の疑い……それはブラウン子爵領の問題ではなく、国家規模の問題だった。
さらに性質が悪い事に、問題はこれだけではないのだ。
ガディアの用意した書類、これはおそらく偽装証拠だろう。
なぜおそらくと付けたかと言うと……この偽装した書類を、誰一人偽物だと判断できないからだ。
つまり、書類に押された印が完全に一致しているという事だ。
これが領の使う印だけならば、まだ解決できる範囲の問題である。
管理が甘くて盗まれたりまたは写しを取られたり。
そうでなくとも、高度な技能持ちであるならば、押された印を見てから再現するといった話はあり得ない事ではなかった。
しかし、残念ながら偽の書類にはもう一つ、印が押されていた。
それは王印である。
王が直接閲覧し認可した証であり、これを複製することも偽装することも身分、立場、技術あらゆる意味から見ても不可能である……はずだった。
実際に書類が二つあり、片方が偽物である以上――王印の偽装が不可能とはもう呼べないのだ。
王印の偽装、それは過去例を見ない問題で最悪の状況と言って良いだろう。
王印を偽装し書類の偽物を作ったのが、数十年誰も疑う事すら考えられなかった天秤伯で、しかもどこかに逃げ出した。
もう裁判を続行するというような状況でも雰囲気もでなく、裁判所全域がてんてこ舞いとなっている。
領主代行のティフリスを中心にしてトラブル解決チームが作られ、その場にいた裁判所の人員全員がそのまま組み込まれここが本部となる。
そんな状況下で、投げやりに無罪を言い渡されたブラウン子爵は雑な感じで裁判所の外に放り出される。
仕事復帰したならともかく、今のブラウン子爵はただのタヌキの置物でしかなかった。
「もう少し、こう……雰囲気良く無罪って言われたかったかな……」
寂しそうに呟くブラウン子爵に、同じく裁判所から追い出されたプランとヨルンは同情的な視線を送った。
館に戻って一休みするプランの耳に、ハルトとリカルドの二人が軍人に捕まってると連絡があった。
二人が何かしたわけではなく、プランとヨルンを逃がす為盾となった後、黒ずくめの男達を返り討ちにして生きたまま捕縛。
そいつらを軍に差し出したところで色々と事情聴取を受け、そのまま手伝いをする羽目になってしまった。
如何せん事態が大きすぎてブラウン子爵領ですらパンク寸前となっている上に、数人の文官がリフレスト領に移動し内政をしていると言われたら……デスクワーク嫌いの二人も拒否することができなかったそうだ。
そして、おまけで当然のようにヨルンも館から連れ出された。
裁判所で有能さを示してしまった代償である。
流石に、領主であるプランにまでは声がかからなかった。
決して自分が無能だからではないとプランは考えたかったが、呼ばれなかった理由がその可能性である事を否定しきれず、少しだけ悲しい気持ちとなった。
夕食時、ブラウン子爵と二人っきりになり少しだけ寂しさを覚えながらプランは夕食に集中した。
今日のメニューはハンバーガー。
新鮮な分厚いトマトに肉汁たっぷりのハンバーグを挟んだソレは、ブラウン子爵領の館という立場で考えれば少々珍しい食事と言えるだろう。
「今日はいつもと趣が違いますね」
「ん? プランちゃんは大口を開けるのダメだったかな? それならナイフとフォークを使って食べてね。それもつらいなら何か別に作ろうか?」
「いえいえ。ブラウン子爵の前で見得なんて張りませんよ。大口結構。美味けりゃ正義! ただいつもと違うなーって思っただけです」
「はは。元天秤伯の元でこれでもかと贅の限りを尽くしてやったからね。舌が安い食事を欲しているんだよ」
ウィンクしながらのブラウン子爵にプランは小さく噴き出した。
「ふふっ。全くもって良い性格してますねブラウン子爵」
「昔みたいにブラウンおじちゃんでも良いんだよ?」
「そうですね。ソレも楽しいでしょうけど、そう呼ぶにはリフレスト領は世話になりすぎてます。もう少し私が仕事覚えて、対等……は無理でもそれなりに頼れるなーて思って貰えたらそう呼びますね」
プランの言葉にブラウン子爵は嬉しそうに頷いた。
「今でも十分頼りにしてるけど……。うん、その日を――プランちゃんが立派になる日を待ってるよ」
プランはそれにしっかりと頷いた。
大口を開けて食事を取っている途中、プランは預かった伝言の事を思い出した。
というかハンバーガーに集中してしまい完全に忘れていた。
「そうそう。さっきそちらの兵士さんにハルトからの伝言受け取りましてね」
「うん」
「【終わったら、必ず食わせろ、美味いメシ】だそうです。慣れないお役所仕事で相当参ってるらしいので……口調は大目に見てあげてください」
「はは。まあうちが迷惑かけてるようなもんだし。うんいいよ。グルジア・ブラウン子爵の名において、君達四人に豪華な食事を用意することを約束しようとも」
その言葉にプランは頬をにやけさせた。
ブラウン子爵が『豪華な』なんて言葉をわざわざつけたのだ。
相当期待して良いだろう。
「ぱちぱちぱちぱち。ついでにブラウン子爵無罪おめでとうパーティーでもしましょうか」
「それは嬉しいね。だが、どうせなら黒幕逮捕おめでとうも付け足したいな」
ブラウン子爵は挑発的な笑みを浮かべそう呟いた。
――ああ。やっぱり、相当怒ってるなぁこれ。
プランは苦笑いを浮かべながらハンバーガーにかじりつく。
安い素材のみでも、その味は高級な料理に決して劣ってはいなかった。
夕食が終わってすぐの時間帯、部屋に戻ったプランはごろごろとベッドに転がり時間を潰していた。
「んー。皆忙しい中で一人だけ暇を持て余す。これは贅沢というべきか罪悪感を感じるべきか……でも退屈だ」
そんな独り言を言いながらベッドの柔らかさに体を預けている時、入り口のドアから丁寧なノックの音が響いた。
プランは起き上がって小走りし、ドアを開ける。
そこにいたのはブラウン子爵だった。
「おや子爵。どうかしましたか? レディの部屋に一人で訪れて……あらぬ疑いをかけられてしまいますよ?」
「いえいえ、退屈を持て余していたレディに夜の散歩という名のデートを申し込もうかと思いまして」
そう言ってすっと自然に手を差し出すブラウン子爵。
その貴族らしい仕草は見た目の割には非常に様になっており、決して変ではないのだが……何故かわからないがプランは笑うのを我慢出来ずに噴出してしまった。
「くくっ。すいません……。私らには似合いませんねこんな会話。ブラウン子爵は領主仕事の引継ぎをティフリスからするんじゃなかったんです?」
そんなプランの質問にブラウン子爵は気まずそうに頭を掻いた。
「いやね……あはは。仕事の引継ぎ失敗しちゃって暇になっちゃったの」
「え、ええー。珍しいですねブラウン子爵が失敗するなんて。どうしてです?」
「いや、どうもティフリスが思ったよりも優秀だったようでね。私の仕事と遜色ない働きをしてるみたいでねー。途中から入れ替わるとややこしくなるからもうそのままキリつくまで領主代行やってもらう事になっちゃった。いやはや困ったもんだ」
そう言いながらも、ブラウン子爵の顔はとても嬉しそうだった。
嬉しい理由なんて考えなくてもわかる。
息子が成長して喜ばない父親などいるわけなかった。
「そですか。んじゃ夜のお散歩行きますか。……もしかして二人っきりですか?」
プランの挑発的な笑みにブラウン子爵はニヒルに笑って頷いた。
「うん。二人っきりで」
「まあ……悪い大人ですねー」
「ふふ。多少はそういう悪い部分も必要だからね」
そんな演技っぽく二人は微笑みながら言いあった後、横に並んで屋敷の外に向かった。
書置きだけ残してこっそりと。
夕暮れすぎくらいの時間帯。
まだ日は落ちきっておらず薄暗い中で、街は街灯の明かりに照らされ、周囲は楽しそうな喧騒が響き渡っていた。
その光景は……美しく、素晴らしく、そして羨ましい。
そうプランは感じた。
ここまで発展したいなどと贅沢は言わない。
それは自分一代で出来る事の限界を超えているだろう。
ただ、ここまで発展しても皆が笑いあえている……そんな街をプランは羨ましいと思わずにはいられなかった。
「大丈夫。焦らずちゃんとやっていけば、プランちゃんなら出来るから」
プランの内心を知ってか知らずか、そんな言葉を投げるブラウン子爵の言葉にプランは苦笑いを浮かべる。
「んー。出来る気はしないなぁ……。だから出来る人にお願い出来るようがんばりますよ」
「うん。それがきっと正解だよね。私もそうする」
そんな領主的な雑談をしながら二人は街中を歩いた。
ブラウン子爵が街中を歩いても注目を浴びないよう変装……のような恰好をしていた。
変装というよりは仮装という方が近いかもしれない。
シルクハットに黒のタキシードを着てモノクルを付け、ステッキを持った陽気なジェントルメンスタイル。
ただし体形はそっくりなのでちょっと考えたらすぐにばれる。
それでも、誰一人ブラウン子爵に気づかず話しかけてこないし注目も浴びない。
いや、気づいた人もいたかもしれないがそういう人達は空気を読んで声をかけなかったのだろう。
そして気づかなかった大多数の人は、楽しい自分の時間でいっぱいだからだろう。
食事を、酒を、デートを、様々な娯楽が蔓延る街でどう楽しもうかで胸がいっぱいとなり、通りかかる人の事など気にもしていない。
その為、ブラウン子爵はこの夜という時間帯に時々街中を内緒で視察していた。
……文官達にも内緒なので視察と言う名のただのサボリとも言えた。
「それじゃ、悪い事しようか」
ブラウン子爵の言葉にプランは小さく微笑んだ。
「まあ悪い人、ちなみに私はアレが気になるわ」
そう言ってプランは視線を遠くに向けた。
「うん。良いね。じゃあそうしようか」
ブラウン子爵がそう呟いた後、二人はプランが目を向けた方向――揚げ物の屋台に移動を始めた。
夕食を食べたのに買い食い、これは間違いなく悪い事だろう。
ブラウン子爵は当然として、プランもハンバーガーだけでは夕飯が物足りなかった。
というか、最初から計画通りで買い食いをする為だけにブラウン子爵は夕飯にハンバーガーを選んだのだ。
「こんにちは! ここは何を作ってるの?」
プランの声に露店の男は愛想よく笑った。
「いらっしゃい! お嬢ちゃん元気良いね。これはクロケットっつってマッシュポテトをあげたものだ。いるかい?」
そう言って男はブラウン子爵の方を見た。
「ああ、良いね。二個もらおうか」
「あいよ。せっかくだから揚げたてを持っててくれ。もうすぐ揚がるからさ」
男は鍋から俵状できつね色の揚げ物を取り出した。
じゅうじゅうと音を立てるソレは見るだけで熱そうで、そして見るだけで涎が出てきそうである。
クロケット自体はプランも食べた事があった。
だが、露天のソレは別物に見えるほど美味しそうで、しかも揚げたてがすぐ食べられるという最高の贅沢は想像すらしたことがなく、プランの幸福指数を顔がにやける程度にまで引き上げていた。
「はいお待たせ。先にお嬢ちゃんからね。ケチャップソースにマスタード、あっちにあるから好きに使ってくれ。だけどそのままでも十分美味いぞ」
「わぁ……。ありがとう。オススメ通りそのまま食べるねおっちゃん」
プランは受け取りながら満面の笑みを男に向けた。
「おう! んでそっちのおっちゃん? おじさん? にもほい。どうぞ」
「ああ。ありがとう。美味しそうだ。それでお代はいくらかい?」
ブラウン子爵はクロケットを受け取りながらそう尋ねると、男は楽しそうに笑った。
「あっはっは。金はいらねぇ。というかこの街であんたから受け取れる奴いるわけないだろ。むしろ食ってもらえたってしばらくは自慢出来るんだ。こっちが金払いたいくらいだ」
男の言葉にブラウン子爵は渋い顔をした。
「あちゃー。バレバレか」
「そりゃそうだ。ま、事情があるみたいだから詳しく聞かないでおく。だからその辺のおっさんとして扱うぞ」
そんな二人の掛け合いを全く聞かず、プランは幸せそうに小動物のような仕草で両手に持ち、クロケットをサクサクと音を立てながら食べていた。
ありがとうございました。




