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男爵令嬢の辺境領主生活  作者: あらまき


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2-28話 奪い合うタクトの如く2

 

 雰囲気や印象、その場の空気といった物は案外馬鹿に出来ない。

 最初に突撃して周囲を驚かし、わがままを振り回しているようにも見えるプランの印象はどうしても好意的ではなく、ブラウン子爵を庇おうとしているのはわかっていても微妙な雰囲気となっていた。


 そこに新しく現れたヨルン、これは非常に効果的だった。

 生真面目そうな男が血まみれで裁判に参加する。

 それは事前にプランが言っていた『襲われた』という言葉に説得力を持たせると同時に、己の身を顧みないで立ち向かう正義の人……のような雰囲気を醸し出しているからだ。


 もちろん、ただの雰囲気ではあるのだが、その雰囲気により流される空気というものに力がある事は、プランも良く知っていた。

 そして、そんな雰囲気をヨルンが故意で作っている事も――。


「とりあえず……治療を――」

「いえ。私は休めません。先に我らが大恩あるブラウン子爵の無実を証明せねば……」

 裁判長の言葉をヨルンはそう言って受け流す。

 傷だらけの方が見栄えが良く、治療を受けたら同情の目が減るからという判断である。


 裁判長が何も言えなくなった後、ヨルンはバッグを持ち上げた――怪我した方の手で。

「こちらに証拠の書類が入っています。確認を」

 痛そうな表情と同時にバッグの持ち手が血に染まっていく。

 裁判員の一人が裁判長の指令を待つ前に慌たようにヨルンの傍に走り、バッグを受け取った。

「――託します」

 ヨルンの言葉を聞き、受けとった裁判員は酷く真剣な顔でこくりと深く頭を下げた。


 ――ほんっとうに腹黒い。

 全て計算尽くしで恰好つけるヨルンを見てプランは感嘆すると共に若干の怒りを覚えた。

 理屈も理由もわかるし必要な事も理解出来る。

 それでも……自分の体を傷付ける事だけは、それだけはとても褒められない。

 プランは終わった後で説教することを決めながら、一番怪我の酷いヨルンの手をプランは自分の服を破いてからそれを包帯代わりにして止血していった。


「……申し訳ありません。感謝します領主様」

 そう言って弱弱しい笑みを浮かべるヨルン。

 これすら雰囲気に利用する徹底したヨルンにプランは苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。

 やはり自分は領地運営の才能はないな。

 ヨルンの腹黒さを見てプランはそう思わざるを得なかった。




 百枚を超える書類の束を裁判長は全て一枚ずつ確認していく。

 ご高齢とは思えない書類の閲覧速度は百枚を超える資料をわずか五分ほどで確認し終え、裁判長はそのうちの一枚を手に取った。


 それはガディアに渡された年間決済報告書と全く同じ内容で同じように王印が押されていた。

 ただ、数字だけが大きく異なっており、ガディアの資料と違ってこちらの資料なら帳簿と全く同じ金額で収まるように書かれていた。

 そして、残りの膨大な資料はその報告書を裏付けする資料でもある。

 どちらが正しいのかと言えば資料の豊富さからヨルンの提出した物である可能性の方が高いだろう。

 だが、例えそれでも裁判長はまだガディアの資料を信じていた。

 確かにヨルンの用意した証拠資料は精度も高く、矛盾もない上に書類も揃っている。

 それでも、ガディアには数十年の実績があるからだ。

 数十年で、ガディアが間違えた事は一度たりともない。

 そんな絶対正義とも言えるかの存在を裁判長は信頼しきっていた。


「資料としては認められます。ですのでここで安易に偽造であるとは言えません。ですが、証拠としては少々弱く思えます。ブラウン領ではなくリフレスト領での資料というのはやはり――」

 そんな裁判長の言葉にヨルンは渋い表情を見せ、俯いた。

 その瞬間に場の空気が重苦しいものへと変わる。

 一瞬の希望を叩きのめす裁判長の一言により、傍聴席にいる人々は落ち込んで見えるヨルンに同情するような視線を向けていた。

 ――コイツ……まだやる気か……。

 プランはヨルンの方を見て呆れたような表情を浮かべる。

 長い付き合いであるから、プランはヨルンの嘘の表情くらいすぐに読めた。

 ヨルンの性格を簡単に言えば、ビビリでチキン、またはヘタレである。

 本当に不利な状況になるならもっと酷い表情……具体的に言えば朝弱い人の寝起きのような表情を浮かべる。

 こんなずーんとした沈みこむ表情を浮かべるような殊勝な人間なわけがない。


 ヨルンの隠された内心、それはプランにだけはバレバレである。

 顔は落ち込むような表情で今にも天に祈りそうな表情のくせに、内心は完全なドヤ顔である。

 それは腹黒ヨルンによるいつもの表情――罠にハマった相手を見る時の顔だった。


「すいません。これだけ……最後にこれだけ見ていただけませんか?」

 そう言いながらバッグから最後の一枚をヨルンは手に取った。

 ものすごく丁重に、まるで生まれたての赤ちゃんを持つかのように丁寧に扱うその態度に不信感を持ちながら裁判長は頷いた。

「はい。ではそれをこちらに提出してください」

「すいません。それは出来ないんです。コレを人に預けるなんて……私にはとても……」

 そう言いながらヨルンは紙を開き、そっと裁判長側にその書類を向けた。

 ちなみに、傍聴席と裁判長席はかなりの距離がある。

 一般傍聴席から紙切れ一枚を向けられても見えるわけがなく、どうしたものか首を傾げている裁判長の耳に――突然の悲鳴にも似た大声が襲い掛かった。

 うわぁと言ったような悲鳴にも似た声を挙げたのは裁判長の良く知る男、天秤伯ガディアだった。


「何故!? 何故そんな物がここに……こんなちんけな場所に!?」

 今までの薄っぺらい態度とは違い大声でヨルンに指を差しながら絶叫するガディア。

 それは絶対正義、冷静沈着の天秤伯と言われる姿からは程遠かった。

 ガディアのいる裁判員席も傍聴席から遠くほとんど見えない。 

 それでも、地位が高く貴族としての経験が多いガディアは……ソレを見た事があった。

 一度見たがゆえにそれを見間違える事など、あるはずがなかった。


「天秤伯、静粛に。すいませんが何があったのか説明してください」

 裁判長の言葉を聞こえているのか聞こえていないのかはわからないが、ガディアは反応を示さない。

 ただ、わなわなと震えるだけだった。


「すいません。代わりに説明をしてもよろしいでしょうか?」

「はい。ではお願いします」

 裁判長はガディアを心配しつつヨルンの言葉にそう答え、ヨルンは若干演技チックに言葉を紡ぎ始めた。




「我が愛すべきリフレスト領は五年前、未曾有の危機に襲われました。その危機を救う為、私財を投げ打ちあらゆる手段を持って救ってくださったのが、そちらにいらっしゃるブラウン子爵その人です!」

 ヨルンは叫びながら手をブラウン子爵の方に向ける。

 厭らしい事に、嘘は一切ついていない。

 そして、突然の大きな声の演説に裁判長すら注意することが出来ずにいた。


「ずっと我が領に残り内側から私達を助けてくださいました。その期間実に一年以上! その結果どうなったかは、今私と当時のお嬢様であるリフレスト男爵がこの場にいる事からお察し下さい」

 そう言った後、ヨルンはブラウン子爵に向いて深く深く、頭を下げる。

 それに合わせてプランもブラウン子爵に頭を下げ、小さな拍手が鳴った。

 一般傍聴席の、ブラウン子爵の事を尊敬している人達である。

 小さくまばらな拍手はあっというまに大きな渦のような拍手に変わった。


 カン!……カン!


「静粛に! では、続きをお願いします」

 裁判長は民衆だけ注意しヨルンに一切注意せず、言葉を促した。

 本来なら静かに、短く説明するよう注意するはずの裁判長も、ブラウン子爵列伝に興味を持ってしまっていた。


「はい。私達の領にいるとは言え、ブラウン子爵にも自領の仕事が多くありました。それをいちいち帰って行う時間はありません。ですのでブラウン子爵はリフレスト領で領主の仕事を行ったのですが……ここで大きな問題が発生してしまったのです」

 小さく溜息を吐き、辛そうに言葉を綴るヨルン。

 その言葉に生唾を飲み、傍聴席の人間は観衆となってヨルンの言葉に黙ったまま耳を傾けた。


「近距離の他領で領主が仕事を行うという状況は誰もが予想外でして……端的に言えば、許可される法律がなかったのです」

 他国や遠距離であるなど特別な事情があれば問題ないのだが、馬車で二日、馬だけなら十数時間程度の距離しか離れていないリフレスト領ではその特別な事情の内に入れなかった。

 だからこそ、国の中央はブラウン子爵に戻って仕事をするように勧告を出した。


「それでも、一分一秒を争う事態で、ブラウン子爵がいなければ我々の領が保たないところまで来ていました! ですので、嘆願書を書かせていただいたのです――リフレスト、ブラウン両方の領主、文官全員の署名を添えて――」

「……その結果は?」

 単純に先が気になり、裁判長は自然とそう口から洩らしていた。

 それに対しヨルンはにやっとした後――答えを添えた。

「嘆願書は国王に届き、リフレストの緊急事態であると認可を受けました」

 おお……と言った歓声が響き、裁判長はほっと安堵の声を漏らした。


「しかし、問題がありました。いくら王が緊急事態だと認めても、ブラウン子爵の仕事を認める法律がなかったからです」

 ノスガルドという名のこの国は武官は多いが文官は少ない。

 その為決まった法律を尊重する傾向が強く融通が効きづらかった。

 ……特例措置という物は期待できなかったのだ。


「そう、法律がないのでどうもできませんでした。ですので……特例を認めてもらう為にこのような物を王は用意して下さったのです」

 そう言ってヨルンは手元に持った紙を、再度裁判長の方に向けた。


「なるほど。ブラウン子爵が貴方がたにとってどれだけ偉大かは理解しました。それで、それは何なのですか?」

「――国王ですら特例処置が作りづらい我が国ですので、国王よりも地位の高いお方が特例を認めて下さったのです」

 そんなヨルンの言葉を聞いても裁判長はピンと来なかった。

 だから、裁判長は裁判長席を降り、ゆっくりとヨルンの方に歩いて向かった。


「この王国制である我が国に王以上の権力者などおりません。場合によっては不敬罪になりますので言葉に注意を――」

 そう言いながら近づき、ヨルンの書類に描かれた模様を見て自分の言葉が間違っている事に気が付いた。

「まさか……王以上の責任者とは……まさか……」

 裁判長はその書類の意味に気が付き、小さく震えだした。

 絶対王政の国にて王以上の権力者、この国にとってそれは神だけである。




『神印』

 それは国が用意する書類において最も位の高い証明印である。

 用意する為には王と、六神教の内どれか一教団の枢機卿以上の存在が集い、大量の魔力を用意してから儀式を開く。

 そして、その儀式が成功した上で用意された書類が『真実である』と神が認めて下さった時のみ、印が描かれ契約が結ばれる。

 本来ならば、国家間の戦争終結や数百万単位での人類危機にのみ使われる印。


 年間予算程度に使われるような事など本来なら絶対に在りえない印だった。




「ノスガルドの法律は非常に厳しくて、特例を認めるのも難しい。その結果王はこのように神印を残してくださいました」

 ヨルンの言葉に裁判長はその印に驚き、その印を震えながら見つめた。

 ただし、裁判長以外の人は全員意味がわからず首を傾げたり疑問符を浮かべたりしていた。

 プランも一緒に首を傾げていた。

 今までの生活でそんな物見た事なく、存在も聞いた事がなかったからだ。


「……失礼。取り乱しました」

 裁判長は我に返り、自分の席に戻った。

「それで、その神印を証明することは出来ますか?」

 その言葉に、ヨルンは一瞬だけ表情を曇らせた。


「出来ます。ですが……その……証明を見せる為には莫大な予算が……」

「おや、そうなのですか?」

 裁判長の言葉にヨルンは頷いた。

「はい。魔力を含んだ水や鉱石を大量に用意するか、大量の妖精使いが必要になりますので……」

「ふむ……そうなると……困りましたね」

 裁判長がそう呟いた時、一人の人物が挙手をした。

 それはブラウン子爵だった。


「はい。ブラウン子爵。どうぞ」

「ありがとうございます。私の方で供物を用意しますので神印の証明をお願いしても良いでしょうか?」

 裁判長は安堵したような笑顔を浮かべ頷いた。

「認めましょう。どのくらいで用意出来ますか?」

「はい。領主代行に神印証明準備を頼んでください。予想ですが……二時間以内には終わるでしょう」

「わかりました。では、一旦休憩に入ります」

 カンと大きく木槌を打って裁判長は周囲にそう命じた。




「……早くないですか?」

 休憩を命じて十五分ほど経過してから……休憩終了を宣言し裁判を再開した裁判長はそう呟いた。

 一般の傍聴席に至ってはトイレ休憩くらいしかしていなかった。


「当たり前じゃないですか。偉大なる父をこんな場所から解放出来るなら一時間や二時間短縮してみせますとも」

 若干の嫌味とブラウン子爵への心酔を見せながら領主代行のティフリス・ブラウンの言葉は、ねちっこくそして重たかった。


「あ、はい。では、これで証明が出来ますか?」

 裁判長はティフリスに深く突っ込んではいけないと本能で理解し話を本筋に戻した。


 裁判所中央に山詰みとなった大量の石。

 ただの石に見えるがその全てに多くの魔力を含んでいる。

 その証拠に、プランの持っている妖精石はガタンガタン震えてその石を寄越せとワイスが伝えていた。

 もちろんプランは無視した。


「はい。その石材傍に近寄る許可を頂けますか?」

 ヨルンの言葉に裁判長は頷き、ヨルンはゆっくりと移動を始める。


 傍聴席から一旦後ろに離れて入り口付近に向かい、そこから遠回りするように半円を描いて裁判を行う側に移動して中に入る。

 怪我している為移動速度はゆっくりで、だからこそ妙に一分一秒が重苦しく張り詰めたような空気になっていた。

 そんな緊張感を持った皆はヨルンを見守り、ヨルンはブラウン子爵の傍にある石材付近まで移動してから紙を開いた。


「創造神クリアの名の元に、真実を――」

 ヨルンの言葉に反応し、不可思議な紋様を描いた神印は眩いばかりに光り輝きだした。

 それと同時に魔力を帯びた石材は消えていき、光は強さを増していく。


 そして光が最大になった瞬間――全ての音が消失した。


 無音の空間となった次に視界を消滅させ、プランは光の中に閉じ込められる。

 確かに、さっきまで隣に誰かいたはずである。

 だが自分以外の誰も知覚出来ず、ただ広いだけの何もない光の空間に自分一人だけが取り残される、そんな感覚に陥った。

 たった一人ぼっちの自分。

 なのに、全く寂しくなかった。

 その理由はすぐにわかった。

 この光、この空間、それこそが創造神クリアであるからだ。

 この無限に続く空間は神そのものであり、ここは神の中であると同時に神の息吹であり祝福でもある。

 いつも見守ってくれた神の一柱。

 だからこそ――たった一人でも孤独を感じる事はなかった。


 そんな意識だけどこかに飛ばされたような錯覚はそう長くなく、はっと気が付くとプランは元の裁判所にいる自分を知覚した。

 おそらく全員が同じ物を経験したと思うし、アレは夢でないとその肌で感じていた。

 何故かわからないが、妙に体の調子が良い事もその影響の一つだろう。


「裁判長、証明になりましたか?」

 部屋の中央で、()()のヨルンは微笑みながら尋ねた。

 あれだけの怪我を全て完全に、一瞬で治癒するなんて魔法に長けた存在でも医療に長けた存在でも不可能である。

 神の印は本物であると、無傷のヨルンこそが何よりの証明となっていた。


 誰も言葉を紡がない、紡げない。

 神の息吹という偉大なる経験の余韻を味わっているからだ。

 そしてそれを経験したからこそ全ての人が理解していた。

 神印を持ち出した――神の証明を得られたヨルンこそが真実である。

 それすなわちブラウン子爵が無実であるという証明に他ならない。


 そしてそれは……天秤伯の天秤が傾いていたという事に直結してくる。

 ただし、その傾いた天秤はこの場におらず既に姿を隠していた。


ありがとうございました。

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