第5話① それは回しすぎでございます
王宮の洗濯場は、朝から大忙しだった。
大きな木桶がいくつも並び、使用人たちが衣服や寝具を洗っている。
石鹸の匂い。
布をこする音。
桶から桶へ水を移す音。
その横を通りかかったところで、エクレシア殿下が足を止めた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい、殿下」
「あれ、何してるの?」
「洗濯でございます」
「そんなの見ればわかるよ!」
……。
それなら、なぜ聞いたのだろう。
「すっごくいっぱいあるね!」
「王宮には大勢の方が暮らしておりますからね。衣服だけでなく、寝具や布巾なども洗わなければなりません」
「へえーっ!」
殿下は興味深そうに洗濯場を覗き込んだ。
今日は庭園で授業をする予定だったのだが、どうやら寄り道になりそうだ。
「おはようございます!」
殿下が元気よく声をかける。
「お、王女殿下!?」
使用人たちが慌てて頭を下げた。
「おはよう! ちょっと見てもいい?」
「も、もちろんでございます!」
年配の女性が駆け寄ってきた。
「洗濯場を任されております、ベルタと申します」
「ベルタさんだね! よろしく!」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ベルタは少し緊張している様子だった。
まあ、無理もない。
王女殿下が突然、洗濯場を見学したいと言い出したのだから。
「これ、全部洗うの?」
「はい。本日中に洗わなければならないものだけでも、これだけございます」
ベルタが示した先には、洗濯物を入れた大きな籠がいくつも並んでいた。
「うわあ……」
殿下が目を丸くする。
「毎日こんなにあるの?」
「日によって量は違いますが、毎日たくさんございます」
「大変だねぇ」
「仕事でございますから」
ベルタが微笑む。
その横では、若い使用人が大きな布を懸命にこすっていた。
殿下が近づく。
「ねえ、手、痛くならない?」
「えっ!?」
使用人が驚いた。
「だ、大丈夫でございます!」
「でも、赤くなってるよ?」
見ると、確かに指先が赤くなっていた。
毎日、水と石鹸に触れながら布をこすっているのだ。
手が荒れるのも無理はない。
「少し痛むこともございますが、慣れておりますので」
「そっかぁ……」
殿下はしばらく、その手を見つめていた。
そして、顔を上げる。
「ねえ、私にもやらせて!」
「ええっ!?」
ベルタが声を上げた。
「で、殿下! そのようなことは、私どもにお任せください!」
「大丈夫! 私、力持ちだから!」
「いえ、そういう問題では……!」
殿下はすでに近くの木桶へ向かっていた。
……仕方がない。
「ベルタ殿。使い古した布を一枚、いただけますか?」
「は、はい!」
ベルタが布を用意した。
どうやら、古くなって掃除に使っているものらしい。
「殿下。こちらを洗ってみましょう」
「うん!」
殿下は袖をまくり、布を石鹸水に浸した。
そして、勢いよくこすり始める。
「よいしょ! よいしょ!」
ばしゃっ!
「わっ!」
水が跳ねた。
殿下の服にも、石鹸水がかかる。
「きゃははっ! 濡れちゃった!」
「殿下。もう少し静かにお願いいたします」
「はーい!」
今度はゆっくりと布をこする。
だが、しばらくすると、殿下の表情が変わった。
「……ねえ、トルーキン」
「はい」
「これ、いつまでやればいいの?」
「汚れが落ちるまででございます」
「ええーっ!」
殿下は布を持ち上げた。
「まだ汚れてるよ!」
「左様でございますね」
「こんなの、ずっとやってたら大変じゃん!」
ベルタが苦笑する。
「汚れのひどいものは、時間がかかりますからね」
「……そっかぁ」
殿下は手元の布を見つめた。
そして、ぽつりと言った。
「これって、力が強ければいいってわけじゃないんだね」
「……そうでございますね」
「だって、同じことをずっと繰り返さないといけないんでしょ?」
「はい」
「うーん……」
殿下は考え込んだ。
そして、突然顔を上げた。
「あっ!」
「どうされましたか?」
「トルーキン! 思いついた!」
……嫌な予感がする。
「何を、でございますか?」
「洗濯機!」
「……はい?」
「洗濯機を作ればいいんだよ!」
……洗濯機。
聞き覚えのある言葉に、僕は思わず殿下を見た。
前世では当たり前に使われていた道具だ。
しかし、この世界では見たことがない。
「洗濯機、とおっしゃいますと?」
「ほら! 大きな桶の中に洗濯物を入れるでしょ?」
「はい」
「そこに水と石鹸を入れて、ぐるぐる回すの!」
殿下は両手を動かしながら説明した。
「そうしたら、一枚ずつ手でこすらなくても洗えるんじゃない?」
……なるほど。
洗濯物を水の中で動かし、汚れを落とす。
前世の洗濯機は電気で動くものが一般的だったが、別に電気がなければ洗濯できないわけではない。
問題は、どうやって洗濯物を動かすかだ。
「殿下。それなら、手で回す仕組みを作ればよいかもしれません」
「そうそう! それ!」
殿下が嬉しそうに頷いた。
「大きな桶に棒をつけて、ぐるぐる回すの!」
「……棒でございますか?」
「うん! 棒に板をくっつけたら、水も洗濯物も動くでしょ!」
僕は頭の中で構造を考えた。
木桶の中央に軸を通す。
その下に羽根を取りつける。
上には手で回すハンドルをつければよい。
複雑な歯車も必要ない。
「……確かに、作れるかもしれません」
「でしょ!」
殿下の目が輝く。
「じゃあ、作ろう!」
「……今からでございますか?」
「うん!」
「殿下。本日は授業が――」
「トルーキン!」
「はい」
「作ってみたい!」
……。
ああ、そうですか。
どうやら、本日の授業内容が変更になったらしい。
◇
その日の午後。
僕たちは王宮の工房を訪れていた。
ここでは、王宮で使う家具や道具の製作、修理などを行っている。
「洗濯するための機械、ですか?」
木工職人のハインツが首を傾げた。
「はい」
僕は紙の上に、簡単な図を描いた。
まずは大きな木桶。
その上に、取り外しのできるふたを載せる。
ふたの中央には一本の棒を通し、その下に木製の羽根を取りつける。
上部には、手で回すためのハンドル。
「このハンドルを回すと、中の羽根が動きます」
「なるほど……」
ハインツが図を覗き込んだ。
「それで、桶の中の洗濯物をかき混ぜるわけですね」
「はい」
「ですが、本当にそれで汚れが落ちるのでしょうか?」
「そこは、実際に試してみなければわかりません」
「絶対、面白いと思う!」
エクレシア殿下が身を乗り出した。
「ねえ、ハインツ! 作れる?」
「構造自体は、それほど難しくありません。試作品でしたら、使わなくなった木桶を利用できそうです」
「本当!?」
「はい。ただ、実際に洗濯に使えるかどうかは……」
「じゃあ、試してみよう!」
殿下が満面の笑みを浮かべる。
ハインツもつられて笑った。
「承知いたしました!」
僕は図面に目を落とした。
軸が桶の底に当たらないようにしなければならない。
羽根が大きすぎれば、桶の内側にぶつかってしまう。
かといって小さすぎれば、洗濯物を十分に動かせないかもしれない。
僕は《算神》を使い、桶の直径に合わせて軸と羽根の寸法を計算した。
もっとも、実際に布を入れたときの動きまでは、計算だけではわからない。
「ハインツ殿。羽根は、このくらいの長さで試してみましょう」
「承知しました」
「それから、ハンドルは少し長めにした方が、回しやすくなるはずです」
「なるほど。では、その寸法で作ってみます」
ハインツが工具を手に取った。
エクレシア殿下は、その様子を興味深そうに眺めている。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「もっと大きく作ったら、いっぱい洗えるんじゃない?」
「洗える量は増えるかもしれませんが、回すのも大変になります」
「えっ? 私なら回せるよ!」
「……殿下」
「なーに?」
「殿下にしか使えない洗濯機では、あまり意味がございません」
「……あっ!」
殿下が目を丸くした。
「そっか! ベルタさんたちが使えないと駄目だよね!」
「そのとおりでございます」
「じゃあ、軽く回せるのにしよう!」
……ふむ。
理解が早くて助かる。
◇
しばらくして。
「できました!」
ハインツが声を上げた。
作業台の上には、木製の桶が置かれている。
ふたから伸びたハンドルを回すと、中の羽根が動く仕組みだ。
「わああっ!」
殿下が目を輝かせた。
「すごい! ちゃんと回る!」
「まずは、水と布を入れて試してみましょう」
僕は桶の中に水を入れた。
そして、使い古した布を何枚か入れる。
石鹸も加えた。
「では、殿下。回してみてください」
「はーい!」
殿下がハンドルを握った。
「いくよー!」
「ゆっくりお願いいたします」
「わかった!」
ぐるぐる。
木製の羽根が回り、水が動き始めた。
「きゃははっ!」
殿下が嬉しそうに笑う。
「回った! 回ったよ、トルーキン!」
「はい。ですが、まだ洗濯ができると決まったわけでは――」
「じゃあ、もっと回してみよう!」
「殿下。速さは変えずに――」
ぐるぐるぐるっ!
殿下が勢いよくハンドルを回した。
すると。
ガタンッ!
「あれっ!?」
急にハンドルが重くなった。
「……ん?」
殿下が首を傾げる。
「トルーキン! 動かなくなっちゃった!」
僕は慌ててハンドルから手を離してもらい、ふたを開けた。
……ああ。
布が中央の軸に巻きついている。
しかも、一部は羽根にも絡まっていた。
「……失敗でございますね」
「ええーっ!」
殿下が残念そうな声を上げた。
ハインツも顔をしかめる。
「これは……まずかったですね」
僕は絡まった布を取り出した。
細長い布が何重にもねじれている。
同じ方向へ回し続けたため、軸に巻きついてしまったらしい。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「もう一回やったら、うまくいく?」
「同じ方法では、恐らく同じ結果になります」
「……そっかぁ」
殿下がしょんぼりした。
しかし、すぐに顔を上げる。
「じゃあ、どうすればいい?」
……ほう。
諦めるつもりはないらしい。
「まずは、同じ方向へ回し続けないようにしましょう」
「えっ?」
「右へ回したら、次は左へ戻すのです」
ハインツが頷いた。
「なるほど。それなら、布が巻きつく前に動きを戻せますね」
「はい。それから、羽根の形も改良したいと思います」
僕は布が引っかかった場所を示した。
「この角が、少々鋭すぎるようです」
「確かに……」
ハインツが指で確かめた。
「布を傷めるおそれもありますね」
「角を丸く削っていただけますか?」
「承知しました」
すると、エクレシア殿下が口を開いた。
「ねえ、羽根もちょっと大きすぎない?」
「……大きすぎる、でございますか?」
「だって、布がいっぱい引っかかってたよ!」
僕は改めて羽根を見た。
確かに、羽根を大きくしたことで布を巻き込みやすくなっている。
少し小さくしても、水を動かすことはできるかもしれない。
「……試してみる価値はございますね」
「でしょ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
ハインツも頷く。
「では、羽根を少し小さくして、角も丸く削り直しましょう」
「お願いします」
僕は改めて寸法を計算した。
羽根を短くした分、桶の内側との隙間も広がる。
これなら、先ほどより布を巻き込みにくくなるはずだ。
もっとも、実際に動かしてみなければわからない。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「失敗しちゃったね!」
「……そうでございますね」
「でも、次はうまくいくかもしれないよ!」
殿下は楽しそうに笑った。
……まったく。
この方は、失敗すら楽しんでいるらしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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