第4話② 国王陛下に叱られます
「お父様!」
今度はエクレシア殿下が手を挙げた。
「何だ、エクレシア?」
「一つ、質問してもよろしいでしょうか?」
「うむ。申してみよ」
殿下は地図を覗き込んだ。
「この道って、商人さんたちも使っているんですよね?」
「そうだ。帝国との交易に使われておる」
「村の人たちも?」
「もちろんだ」
「じゃあ、今はどうなっているんですか?」
国王は宰相へ目を向けた。
「交易路について、報告はあるか?」
「衝突が起きた周辺区間では、通行が制限されているようでございます」
「そうなんですか?」
殿下が首を傾げた。
「じゃあ、通れなくなった人たちはどうするんですか?」
「迂回路を利用することになるだろうな」
国王が答えた。
「遠回りになるんですか?」
「そうだ。場所によっては、かなりの距離になる」
「……そっかぁ」
エクレシア殿下はしばらく地図を見つめていた。
「それって、困る人がいっぱいいるんじゃないですか?」
国王がエクレシアを見た。
「どういうことだ?」
「だって、商人さんが通れなくなるんですよね?」
「ああ」
「じゃあ、食べ物とか、お薬とか、必要なものが届かなくなるかもしれませんよね?」
僕は殿下へ目を向けた。
「レオン!」
殿下が弟に話しかける。
「な、何ですか、姉上?」
「この前ね、トルーキンにパンの作り方を教えてもらったんだ!」
「……パン、ですか?」
「うん!」
殿下は一生懸命に説明し始めた。
「農家の人が小麦を作って、粉にする人がいて、運ぶ人がいて、パン屋さんが焼くんだよ!」
「はい」
「それで、途中の製粉所が止まっちゃったら、パンが高くなったの!」
レオンハルト殿下は頷いている。
「だから、道が通れなくなっても、同じようなことが起きるんじゃないかなって!」
先日の授業を、きちんと覚えていたらしい。
しかも、別の問題に応用しようとしている。
「姉上のおっしゃるとおりかもしれません」
レオンハルト殿下が答えた。
「でも、危険な場所を通らせるわけにはいきませんよ」
「うん! それはわかるよ!」
殿下は頷いた。
「だから、別の道を使うなら、ちゃんと荷物が届くようにしてあげないと!」
国王が宰相へ目を向けた。
「国境周辺の村への物資輸送は、どうなっておる?」
「現在、詳細な状況を確認しているところでございます」
「ふむ」
殿下はもう一度、地図へ目を落とした。
「お父様。兵士さんたちが勝って、帝国との争いが終われば、みんな元の生活に戻れるんですか?」
国王が娘を見た。
「……どういう意味だ?」
「だって、争いが終わっても、商人さんたちが怖がって道を使わなくなるかもしれないですよね?」
「……」
「そうしたら、村の人たちはずっと困ったままなんじゃないかなって」
国王はすぐには答えなかった。
僕も少し驚いた。
殿下は、目の前の小競り合いだけでなく、その後のことまで考え始めている。
確かに、戦闘が終われば交易が元どおりになるとは限らない。
商人が危険を恐れて通行を避けるようになれば、物流が戻るまで時間がかかる。
「……そうだな」
国王が頷いた。
「争いを終わらせることと、元の暮らしを取り戻すことは、必ずしも同じではない」
「じゃあ、最後までちゃんと見てあげないと!」
殿下は真剣な顔で言った。
「村の人たちが困らなくなるまで!」
国王は娘を見つめていた。
やがて、小さく頷く。
「……よい考えだ」
エクレシア殿下の顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか、お父様!?」
「ああ。ただし、どうすれば元の暮らしに戻せるか、それも考えねばならんぞ」
「はい!」
殿下は元気よく返事をした。
◇
「トルーキン」
国王が僕へ目を向けた。
「そなたはどう思う?」
「恐れながら、地図を拝見してもよろしいでしょうか」
「許す」
「ありがとうございます」
僕は机へ近づいた。
国境の交易路。
近隣の村々。
迂回路。
川と橋の位置。
《算神》を発動する。
縮尺から距離を計算し、荷馬車の移動に必要な時間を概算する。
……ふむ。
確かに、迂回路は存在する。
だが、現在の交易路と比べて大きく遠回りになる。
しかも、途中には川を渡る場所が二か所ある。
地図に橋は描かれているが、大型の荷馬車が通れるかどうかはわからない。
そして、もう一つ。
「……陛下。一点、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「こちらの地図の測量は、いつ行われたのでしょうか?」
国王は宰相を見た。
「確か、四十年ほど前だったな」
「はい。地図自体は十数年前に描き直しておりますが、地形の測量は条約締結当時のものを使用しております」
なるほど。
三十年ほど前に大規模な洪水があったという。
それなのに、地形の情報は洪水以前のまま。
これでは、現在の川の流れも、周辺の地形も正確にはわからない。
「陛下。この地図には、現在の川の流れが正確に反映されていない可能性がございます」
「……何?」
「川の流れが変わっているのであれば、周辺の道路や橋の位置も変化しているかもしれません」
国王が地図を見た。
「……確かに、そうだな」
「地図が古いままでは、迂回路の安全性や輸送距離を正確に判断することができません」
僕は続けた。
「まずは現地の状況を調査し、必要であれば測量をやり直すべきかと存じます」
レオンハルト殿下が口を開いた。
「ですが、トルーキン殿。測量をやり直しても、国境がどこなのかは決まらないのではありませんか?」
……!
僕は王太子殿下を見た。
「おっしゃるとおりでございます」
そこに気づくとは。
やはり、この少年はなかなか優秀だ。
「どこを国境とするかは、条約の解釈や両国の合意によって決まる問題でございます。測量だけで解決できるものではございません」
「……はい」
「ただし、現地の地形を正確に把握することは、交渉にも、交易路の確保にも役立つかと存じます」
レオンハルト殿下が頷いた。
「それに、橋の位置や道の状態がわかれば、村の人たちが使える道も考えやすくなりますね」
「はい。そのとおりでございます」
国王も頷いた。
「よし。現地の安全を確認したうえで、測量についても検討させよう」
「ありがとうございます」
僕は地図を見つめた。
測量か。
前世では、距離と角度を測る方法がいくつもあった。
基準となる地点を定め、離れた場所との位置関係を計算する。
そうした方法を取り入れれば、今より正確な地図を作れるかもしれない。
《算神》があれば、複雑な計算もできる。
問題は測量器具と、実際に作業する人員だが……。
「トルーキン!」
「はい、殿下」
「何か面白いこと考えてるでしょ!」
「……少々、試してみたいことがございまして」
「なになに!?」
「まだ具体的な方法を考えているところでございます」
「ええーっ! 教えてよ!」
「形になりましたら、ご説明いたします」
「絶対だよ!」
「……承知いたしました」
どうやら、また仕事が増えそうだ。
国王は僕たちを見て、小さく笑った。
「エクレシア。そなたの着眼点はよかった」
「ありがとうございます、お父様!」
「レオンハルト。そなたも、戦争を避けるために何をすべきか、よく考えていたな」
「はい、父上!」
「だが、二人とも覚えておきなさい」
国王は真剣な顔になった。
「問題に気づくことと、問題を解決することは違う」
エクレシア殿下が首を傾げた。
「……どういうことですか?」
「今日、私は調査を命じた。だが、それだけで村人たちが安心して暮らせるようになるわけではない」
「……はい」
「対策を実行し、結果を確かめる。うまくいかなければ、別の方法を考える」
国王は二人を見比べた。
「そして、その結果に責任を負う。それが、国を治めるということだ」
エクレシア殿下は少し考えた。
「……じゃあ、お父様」
「何だ?」
「村の人たちが困らなくなったかどうか、また教えてください!」
国王は目を細めた。
「ああ。報告が届いたら伝えよう」
「ありがとうございます!」
殿下は嬉しそうに笑った。
僕はその様子を見ながら考えていた。
エクレシア殿下は、まだ国政についてほとんど何も知らない。
だが、困っている人々に目を向けることはできる。
そして、一つの問題が解決したあとも、その先を考えようとする。
本来の役目ではないが、家庭教師としてはなかなか教えがいのある生徒なのかもしれない。
◇
謁見が終わった。
僕たちは小謁見室を出て、王宮の廊下を歩いていた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「今日のお父様、すごかったね!」
「ええ。さすが国王陛下でございます」
「レオンもすごかったでしょ!」
「はい。大変優秀な王太子殿下でいらっしゃいます」
「えへへっ!」
殿下は自分のことのように喜んでいる。
すると、後ろから声がした。
「姉上!」
振り返ると、レオンハルト殿下が駆け寄ってきた。
「あっ! レオン!」
「少し、お話ししてもよろしいですか?」
「もちろん!」
レオンハルト殿下は僕へ目を向けた。
「トルーキン殿。本日はありがとうございました」
「いえ。私こそ、大変勉強になりました」
「姉上にも、いろいろ教えていらっしゃるのですね」
「はい。まだ始めたばかりでございますが」
レオンハルト殿下は少し考えてから言った。
「……僕も、もっと勉強しないといけませんね」
「どうして?」
エクレシア殿下が尋ねた。
「今日は、国境の兵士たちのことばかり考えていました」
「うん」
「でも、そこに暮らしている人たちの生活も考えないといけないんですよね」
自分に足りなかったものを素直に認められる。
それもまた、立派な資質だ。
「レオン!」
エクレシア殿下が弟の肩に手を置いた。
「でも、レオンは戦争にならないように考えてたでしょ?」
「……はい」
「それって、すっごく大事なことだと思うよ!」
「……姉上」
「私、そんなこと全然思いつかなかったもん!」
殿下は笑った。
「だから、二人で考えればいいんじゃない?」
レオンハルト殿下が目を丸くした。
「……二人で、ですか?」
「うん!」
殿下は得意げに胸を張った。
「レオンが得意なことはレオンが考えて、私が気づいたことは私が教えてあげるの!」
「……」
「それで、二人ともわかんないことがあったら、トルーキンに聞けばいいんだよ!」
……。
殿下。
最後のところは、少々問題があるのでは?
「ふふっ」
レオンハルト殿下が笑った。
「そうですね。姉上と一緒なら、僕ももっといろんなことに気づけるかもしれません」
「でしょ!」
「でも、姉上」
「なーに?」
「僕は、もっと立派になりたいんです」
レオンハルト殿下は真剣な顔をした。
「いつかこの国を守れるようになりたいと思っています」
エクレシア殿下は、嬉しそうに弟を見つめた。
「うん! レオンなら絶対なれるよ!」
「……ありがとうございます、姉上」
「だって、私の弟だもん!」
殿下はにっこり笑った。
「レオンが大人になったら、私もいっぱい手伝ってあげるからね!」
レオンハルト殿下の目が輝いた。
「本当ですか!?」
「もちろん!」
「……嬉しいです、姉上」
弟は少し照れながら言った。
「姉上が一緒なら、僕も心強いです」
「きゃははっ!」
殿下が弟を抱きしめる。
「もう! レオンはかわいいなぁ!」
「ね、姉上! 苦しいです!」
ずいぶん仲のよい姉弟だ。
しかも、二人とも互いの能力を認めている。
この二人が力を合わせれば、王国の発展に大きく貢献できるのではないか?
そうなれば、僕の実績も増える。
王太子殿下が国王になった暁には、重要な役職を任せていただけるかもしれない。
宰相。
財務長官。
いや、王国の財政を一手に担うような役職も悪くない。
王都に屋敷を持ち、毎日おいしい料理を食べる。
……ふむ。
夢が広がるな。
「ねえ、トルーキン!」
「はい、殿下」
「またニヤニヤしてる!」
「……気のせいでございます」
殿下が不思議そうに首を傾げた。
「ねえ、レオン! トルーキンって、たまに変な顔するんだよ!」
「そ、そうなのですか?」
「うん! お金の話をしてるときとか!」
……殿下。
お願いです。
僕の将来の出世に関わることですので、その話は王太子殿下の前でなさらないでください。
◇
その頃。
王宮の小謁見室には、国王と宰相だけが残っていた。
「……ルーフェン帝国か」
国王が机の上の地図を見つめる。
「このところ、国境での小さな問題が増えておるな」
「はい。今回の検問所も、帝国政府の意向によるものである可能性がございます」
「……面倒なことだ」
国王は椅子へ深く腰掛けた。
「警備を強化すれば金がかかる。交易が止まれば商人が困る。どちらも放置できぬ」
「おっしゃるとおりです」
国王は地図から目を離した。
「それにしても、レオンハルトはよく学んでおるな」
「はい。実に優秀な殿下でいらっしゃいます」
「まだ十一歳だというのに、あそこまで考えられるとは」
国王の顔に、父親らしい笑みが浮かんだ。
「将来が楽しみだ」
「まったくでございます」
宰相も頷いた。
しかし、その表情はすぐに曇った。
「……どうした?」
国王が尋ねる。
「陛下。実は、王位継承に関してご報告がございます」
「……またか」
国王の声が低くなった。
「はい」
宰相は二通の書状を机の上へ置いた。
「こちらは、レオンハルト殿下を支持する貴族たちからの嘆願書でございます」
国王は一通目を手に取った。
そこには、王太子の国政参加をさらに進めることや、将来の即位に向けた準備を本格化させることが記されていた。
「……ふむ」
「そして、こちらがエクレシア殿下を支持する貴族たちからのものでございます」
国王は二通目を開いた。
エクレシアの最近の活躍を評価し、王女にも正式な公務を与えるよう求める内容だった。
だが、最後には別の一文が加えられていた。
『王国が変革を迫られる時代において、エクレシア殿下のご資質は、次代の君主に求められるものとしても注目に値する』
国王の眉が動いた。
「……次代の君主だと?」
「はい」
「エクレシアを王位につけたいというのか」
「まだ明確に要求しているわけではございません。しかし、その可能性を探る動きと考えるべきかと」
国王は書状を机へ置いた。
「……誰が中心になっておる?」
「エクレシア殿下を支持する方々には、先代王妃様のご実家と縁の深い貴族が多くございます」
国王の表情が変わった。
先代王妃。
エクレシアの母親である。
彼女はエクレシアを産んでから体調を崩し、長く病床に伏していた。
男子の後継者を求める有力貴族たちの声を受け、国王はその療養中に側妃を迎えた。
その側妃から生まれたのが、レオンハルトだった。
そして、エクレシアが三歳のとき、先代王妃は亡くなった。
側妃は後に正式な王妃となり、現在も王宮でレオンハルトを支えている。
「……先代王妃の実家か」
国王がつぶやいた。
「はい。一方、レオンハルト殿下を支持する方々には、現在の王妃様のご実家と関係の深い貴族が多くございます」
国王は深く息をついた。
「……つまり、両家の対立が再び表面化し始めたということか」
「そのように見受けられます」
「……まったく」
国王は二通の書状を見つめた。
「どちらも子供だ。国政についても、学ばねばならぬことが山ほどある」
「おっしゃるとおりでございます」
宰相は頷いた。
だが、少し間を置いてから続けた。
「ただ、陛下。今後の王国の情勢によっては、エクレシア殿下の資質を評価する声が、さらに強くなるかもしれません」
「……ルーフェン帝国か」
「それもございます。国内でも、産業や商業が発展する一方、従来の制度が対応できなくなりつつあります」
国王は黙って聞いていた。
「レオンハルト殿下は、実に優秀でいらっしゃいます。これから経験を積まれれば、王国を安定して治める優れた人物となられるでしょう」
「……ああ」
「ですが、もし王国が大きな変革を迫られる時代を迎えたなら、エクレシア殿下の行動力や柔軟な発想が必要になる可能性もございます」
国王は宰相を見た。
「レオンハルトとて、改革はできよう」
「もちろんでございます」
「私は、あの子をただ制度を守るだけの人間にするつもりはない」
「存じております」
「ならば、何をもってエクレシアの方がふさわしいと言うのだ?」
「現時点では、どちらがふさわしいと申し上げることもできません」
宰相は静かに答えた。
「ただ、エクレシア殿下には、我々が当然と考えていたことに疑問を持ち、周囲の人々を動かす力がございます」
「……」
「まだ未熟ではございますが、トルーキンという執事とともに、今後さらに実績を積まれるかもしれません」
国王は腕を組んだ。
「……それを貴族たちが利用しようとしているわけか」
「残念ながら、その可能性はございます」
室内が静かになった。
国王は再び二通の書状を見た。
「……あの二人は、今日も仲よく笑っておった」
「はい」
「レオンハルトは姉を慕い、エクレシアも弟と接するのを心から喜んでおる」
「……」
「王妃も、エクレシアを我が子同然に気にかけておる。今日も菓子を届けさせていたほどだ」
国王は苦々しそうに笑った。
「それなのに、貴族たちは勝手なものだな」
宰相は何も答えなかった。
「自分たちの利益のためなら、仲のよい姉弟を争わせることも厭わぬか」
「……陛下」
「宰相」
「はい」
「両派の動きを、さらに詳しく調べよ」
「かしこまりました」
「王族の名を勝手に使い、支持を取り付けようとする者がいれば、厳しく対処する。ただし、正当な意見まで封じてはならん」
「承知いたしました」
国王は立ち上がった。
窓の外には、穏やかな王都の街並みが広がっていた。
人々は今日も、いつもと変わらない日常を送っている。
だが、ルーフェン帝国との国境では、すでに兵士たちが傷ついていた。
そして、この王宮の中でも、目には見えない争いが始まりつつある。
「……あの二人が争えば、王国は二つに割れる」
宰相が深く頭を下げた。
「陛下のお考え、承知いたしました」
国王は拳を握った。
「私の目が届くうちは、決して争わせぬ」
そう言って、再び窓の外へ目を向けた。
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