第3話② 授業はまだ終わっておりません
「で、殿下が!?」
職人たちが目を丸くした。
「はい。殿下は大変お力が強いのでございます」
僕は答えた。
「しかし、いくら何でも……」
責任者が困惑している。
当然だ。
十三歳の少女が、六百キロ近い石臼を持ち上げると言っているのだから。
「安心して!」
殿下が胸を張った。
「私、こういうの得意だから!」
……まあ、力については疑う余地がない。
問題は別にある。
「殿下。少々お待ちください」
「なに?」
「そのまま持ち上げれば、石臼が傾いて周囲の部品を破損させる恐れがございます」
「……あ、そっか」
殿下は素直に頷いた。
「じゃあ、安全にやる方法を考えよう!」
……よし。
僕は責任者と職人たちに相談した。
必要なのは、上側の石臼をわずかに持ち上げ、固定した状態で部品を交換すること。
力だけでは解決できない。
周囲の設備を傷めず、作業する職人の安全も確保しなければならないのだ。
まず、水車につながる軸が動かないよう固定する。
続いて、石臼を支えるための太い角材と楔を用意してもらう。
職人たちは材料を見て頷いた。
「これなら、持ち上がった後の石を支えられる」
「ただし、支えが入るまでは誰も石臼の下へ手を入れないでください」
「わかりました」
僕は石臼の形状と重量を確認し、持ち上げる位置を計算した。
さらに、石臼が傾いた場合に周囲の部品と接触する箇所も調べる。
……よし。
「殿下。お願いいたします」
「はーい!」
殿下が石臼に手をかけた。
「ゆっくりお願いいたします。最初は、ほんの少しだけです」
「わかった!」
殿下が力を込める。
ゴゴゴ……。
巨大な石臼が、わずかに浮き上がった。
「……は?」
「う、嘘だろ……?」
職人たちが呆然としている。
「ねえ、トルーキン! このくらい?」
「はい。まず、その位置で止めてください」
「了解!」
殿下が石臼を支える。
……見事だ。
これほどの重量を持ち上げながら、動きをぴたりと止めている。
《拳神》は、単に大きな力を出せるだけではないらしい。
「殿下。次はもう少しだけ――」
「あっ、待って!」
殿下が声を上げた。
「どうかなさいましたか?」
「この木、割れてるよ!」
殿下が目を向けた先には、職人が用意した支えの一本があった。
よく見ると、木材の端に細い亀裂が入っている。
……なるほど。
石臼を支えたとき、その亀裂が広がる可能性がある。
「交換してください!」
僕が指示すると、職人が急いで新しい角材を持ってきた。
「申し訳ございません! 気づきませんでした!」
「いえ。気づけてよかったです」
僕は殿下を見た。
「よくお気づきになりましたね」
「えへへっ! だって、危なそうだったから!」
……なるほど。
こういうところは、実によく見ている。
「では、続けましょう」
「うん!」
石臼が少しずつ持ち上がる。
「あと少しです。右側が高くなっていますので、わずかに下げてください」
「このくらい?」
「はい。その位置で止めてください!」
職人たちが角材を差し込み、楔で固定する。
「よし! 支えが入ったぞ!」
「固定を確認してください」
「ああ! 大丈夫だ!」
職人たちが石臼の安定を確認する。
「殿下。ゆっくり力を抜いてください」
「はーい!」
殿下が少しずつ手を離した。
石臼は動かない。
……成功だ。
「やったぁ!」
殿下が笑顔を見せた。
なんとも頼もしい王女殿下である。
「では、修理をお願いいたします」
「お、おう!」
職人たちが我に返り、作業を始めた。
破損した部品を取り外し、新しい部品を取り付ける。
僕は部品の寸法を確認し、回転軸の位置を調整するための数値を伝えた。
実際の作業は、熟練の職人たちが行う。
殿下はその様子を興味深そうに見つめていた。
「ねえねえ! それって何してるの?」
「新しい部品を取り付けているのです」
「へえーっ!」
「軸がずれると、石臼が正常に回りませんので」
「じゃあ、まっすぐにしないと駄目なんだ!」
「そのとおりです」
殿下はしばらく職人たちの手元を見ていた。
そして、ぽつりと言った。
「……すごいね」
「何がでしょう?」
「この人たち、すっごく器用!」
……。
僕は少し意外に思った。
殿下は自分が重い石を持ち上げたことより、職人たちの仕事に感心しているらしい。
「私だったら、こんな細かいことできないもん!」
「殿下には殿下の得意なことがございます」
「うん!」
殿下は嬉しそうに笑った。
「だから、みんなでやればいいんだね!」
……。
なるほど。
ずいぶん簡単に言ってくれる。
だが、それこそが分業の基本でもある。
「……そのとおりです、殿下」
◇
やがて、修理が終わった。
石臼を元の位置に戻し、職人たちが最後の調整を行う。
「よし……これでどうだ?」
責任者の合図で、水路が開かれた。
水車が、ゆっくりと回り始める。
ゴトン……ゴトン……。
建物の中で歯車が動き出した。
続いて、石臼が回転を始める。
ゴロゴロゴロ……。
「……動いた!」
一人の職人が叫んだ。
「動いたぞ!」
「やったぁぁ!」
殿下が両手を上げて跳び上がった。
「トルーキン! 直ったよ!」
「ええ。無事に動きましたね」
やがて、白い小麦粉が少しずつ流れ出してきた。
「粉が出た!」
「よかった……!」
職人たちが歓声を上げる。
責任者も、ほっとした顔をしていた。
「本当にありがとうございます! お二人がいらっしゃらなければ、あと何日止まっていたことか……」
「いえ。修理をされたのは皆さんです」
僕は答えた。
「私たちは、お手伝いをしただけでございます」
「そんな! とんでもありません!」
殿下は満面の笑みを浮かべた。
「よかったね!」
……さて。
これで製粉所は復旧した。
だが、町のパン屋が困らなくなるまでには、もう少し時間がかかる。
「責任者殿。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何でしょう?」
「こちらの製粉所では、王都のパン屋へ小麦粉を供給していると伺いました」
「はい。かなりの数の店に卸しております」
「現在、小麦の在庫はどのくらいございますか?」
「倉庫には十分あります。機械が止まっていたので、加工できずに溜まってしまいまして」
……なるほど。
原料は不足していない。
ならば、供給を回復することはできるだろう。
「では、取引先のパン屋へ、出荷再開の予定を早めに知らせてはいかがでしょうか」
「ええ。すぐに使いを出します」
「それから、数日間は製粉が追いつかないかもしれません。各店の必要量を確認し、特定の店だけに供給が偏らないよう調整することをおすすめいたします」
「……なるほど」
僕は責任者と相談し、製粉所の生産能力と各店の注文量を確認した。
《算神》で計算する。
故障前の注文量。
停止中に発生した不足分。
再開後の生産能力。
すべての不足を一日で埋めるのは難しい。
だが、各店が営業を続けるために必要な量から優先して配分すれば、影響を小さくできる。
「まずは各店の最低限必要な量を確保し、その後で不足分を順次補っていくのがよろしいかと」
「確かに、その方が多くの店を助けられますな」
「ただし、稼働を再開したばかりです。無理をして再び故障しては元も子もありません」
「わかりました。点検も忘れずに行います」
責任者は深く頭を下げた。
「そこまで考えていただき、本当にありがとうございます」
……これで、ひとまずよいだろう。
「ねえ、トルーキン」
殿下が僕の袖を引いた。
「はい」
「もう直ったんじゃないの?」
「はい」
「なのに、まだお仕事してるの?」
「殿下。機械を直すことと、町の人々が困らなくなることは別なのです」
「……?」
「製粉所が直っても、小麦粉がパン屋に届かなければ、パンは焼けません」
殿下は少し考えた。
「あっ!」
そして、ぱっと顔を上げた。
「そっか! パン屋さんに粉を届けないと駄目なんだ!」
「そのとおりです」
「じゃあ、早く届けてあげようよ!」
「ええ。そうしていただくようお願いしたところです」
殿下が嬉しそうに笑った。
「トルーキン、すごいね!」
「……はい?」
「直すだけじゃなくて、その後のことまで考えてる!」
……。
そんなところを褒められるとは思わなかった。
「……ありがとうございます、殿下」
「えへへっ!」
殿下は満足そうに頷いた。
そして、止まっていた水車を見上げる。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「またここが壊れたら、どうなるの?」
「再び小麦粉の供給が減ってしまう可能性がございます」
「じゃあ、またパン屋さんが困っちゃうんだ?」
「……そうですね」
殿下は少し考えた。
「それって、困るよね」
「ええ」
「じゃあさ、次は壊れても困らないようにすればいいんじゃない?」
……。
僕は殿下を見た。
「……と、おっしゃいますと?」
「ほかの製粉所でも、もっと粉を作れるようにするとか!」
殿下は水車を指さした。
「ここだけに頼ってたら、また壊れたとき困っちゃうでしょ?」
……なるほど。
実に単純な発想だ。
しかし、間違ってはいない。
生産拠点が一つに集中すれば、その拠点が止まったときの影響は大きくなる。
予備の設備を用意する。
複数の製粉所から仕入れられるようにする。
故障に備えて交換部品を確保しておく。
方法はいくつもある。
もちろん、どれも費用がかかる。
だが、その費用と停止時の損失を比較することはできる。
「……殿下。よい着眼点でございます」
「そう?」
「はい。故障を防ぐだけでなく、故障しても困らない仕組みを考えることも大切です」
「へえーっ!」
殿下は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、それもやってみようよ!」
「……本日中には難しいかと」
「ええーっ!」
……殿下。
王国の産業構造を変える仕事を、気軽に増やさないでいただきたい。
◇
帰り道、僕たちは再びパン屋へ立ち寄った。
「おや! また来たのかい!」
店主が笑顔で迎えてくれる。
「うん!」
殿下が胸を張った。
「製粉所、直ったよ!」
「……えっ?」
「もうすぐ、また粉が届くって!」
店主が目を丸くした。
僕は事情を簡単に説明する。
「本当かい!?」
「はい。製粉所は稼働を再開しております。小麦粉が十分に行き渡るまでには、もう少し時間がかかりますが」
「そりゃあありがたい!」
店主が顔をほころばせた。
「仕入れ値が落ち着けば、パンの値段も戻せるよ!」
「やったぁ!」
殿下が跳び上がった。
「じゃあ、また前の値段になるんだね!」
「ああ。もう少し待っておくれ!」
「うん!」
殿下は満足そうに頷いた。
そして、店頭に並んだパンを見た。
「……ねえ、トルーキン」
「はい」
「お腹すいた!」
……まあ。
今日は朝から勉強を頑張ったからな。
「では、一つ購入いたしましょう」
「やったぁぁ!」
殿下が歓声を上げた。
店主も笑っている。
……悪くないな。
自分たちが何かをすることで、誰かが喜ぶ。
しかも今日は、悪徳官僚を告発したわけでも、騎士団長に斬りかかられたわけでもない。
ようやく、平和な一日を過ごせた気がする。
◇
数日後。
王都東地区への小麦粉の供給は落ち着き始め、値上がりしていたパンも、少しずつ以前の価格に戻っていった。
製粉所の責任者から、王宮へ感謝の知らせが届いたという。
そして、その日の授業。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「この前のお勉強、面白かった!」
「……おや」
僕は思わず殿下を見た。
「それは何よりでございます」
「だってさ! パン一個作るのに、いろんな人が頑張ってるんだね!」
「ええ」
「農家の人が小麦を作って、粉にする人がいて、運ぶ人がいて、パン屋さんが焼くんでしょ!」
「そのとおりです」
「それで、どこかが止まっちゃうと、みんな困るんだ!」
……なるほど。
授業の内容を、きちんと理解している。
教科書を読ませたときは退屈そうにしていたが、実際に現場を見ると理解が早い。
この方は、頭が悪いわけではない。
興味を持つきっかけが、少し違うだけなのだ。
「殿下。よく覚えておられましたね」
「えへへっ!」
殿下が得意げに笑った。
「ねえねえ! 次は何を勉強するの?」
……ほう。
自分から次の授業を聞いてくるとは。
これは家庭教師として、少し嬉しい。
「次は、王国の鉱業について学びましょう」
「鉱業?」
「鉱山で鉄や銅などを採掘する産業でございます」
「へえーっ!」
殿下が目を輝かせた。
「ねえ、トルーキン! 鉱山って危なくないの?」
「落盤や有害な空気など、さまざまな危険がございます」
「そっかぁ……」
殿下は少し考えた。
「じゃあ、私が手伝えば、もっと安全に掘れたりしないかな?」
……。
……なるほど。
どうやら、この方は次に助けられる人を探しているらしい。
「殿下」
「なに?」
「鉱山へ行く前に、学んでいただきたいことがございます」
「えっ?」
「鉱山には、どのような危険があるのか。それを防ぐために何が必要なのか。まずは、それを知ることが大切です」
殿下は少し考えた。
「……そっか!」
そして、にっこり笑った。
「じゃあ、教えて! トルーキン!」
……おや。
これは意外だ。
勉強嫌いの王女殿下が、自分から教えてほしいと言うとは。
僕は教科書を開いた。
「では、まず採掘の方法から――」
「あっ! でもその前に!」
「……はい?」
「今日はもう、お勉強終わりだよね!?」
殿下が満面の笑みを浮かべた。
「さっき、終わったって言ったもん!」
……。
「殿下。今のは、次回の授業の説明でございます」
「ええーっ! まだあるの!?」
「もちろんです。本日の復習が残っておりますので」
「ふ、復習!?」
殿下の顔から笑みが消えた。
「パンがどうやってできるか、もう言えたじゃない!」
「では、学んだ内容を文章にまとめていただきます」
「えええーっ!」
殿下が机に突っ伏した。
「トルーキンのけちーっ!」
……。
……やれやれ。
どうやら、この方に勉強を好きになっていただくまでには、もう少し時間がかかりそうだ。
だが、自分ができないことを素直に認め他人の能力を尊重する。
困っている人がいれば放っておけない。
そして、一つの問題が解決すると、次に同じことが起きない方法を考える。
……なるほど。
僕が思っていたより、ずっと面白い方なのかもしれない。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「復習が終わったら、また町に行こうね!」
「……授業の進み具合によります」
「うん!約束だよ!」
……。
まだ約束はしていないのだが。
まあ、いいか。
この方に世の中の仕組みを教えるのも、案外悪くない。
そう思いながら、僕は新しい紙を一枚、殿下の前に置いた。
「では殿下。まずは、パンができるまでに必要な仕事を、順番に書いてみてください」
「えーっ!書くの!?」
「はい」
「……トルーキン、厳しい!」
「家庭教師でございますので」
殿下は頬を膨らませながらも、羽根ペンを手に取った。
……よし。
少しずつではあるが、教育の成果は出ているらしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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