第3話① 授業はまだ終わっておりません
王女殿下の執事になって三日目。
僕は執事長から、新しい仕事を言い渡された。
「本日から、エクレシア殿下の家庭教師も務めてもらう」
「……家庭教師、でございますか?」
「うむ。王立学院を首席で卒業したおまえなら、適任だろう」
なるほど。
王女殿下の家庭教師。
これは悪くない。
王族の教育に携わったとなれば、将来の出世にも有利だろう。
しかも、相手は十三歳の少女だ。
いくら《拳神》を持っていようと、授業中に拳を振るう必要はない。
昨日のように、騎士団長に斬りかかられることもないはずだ。
「ところで執事長。殿下は王立学院へ通われている年齢では?」
「……ああ。そのことか」
執事長が困った顔をした。
「殿下は王立学院を自主退学されている」
「自主退学?」
「国王陛下のご判断だ」
……ほう。
「何か事情がおありなのでしょうか?」
「教師を殴ったのだ」
……。
……教師?
「殴った、というのは?」
「文字どおりだ。拳で殴った」
なるほど。
学校でも暴れていたらしい。
「もっとも、殿下にも理由はあった。同級生が教師から不当な扱いを受けていたそうでな」
「……なるほど」
「だが、王族が教師に暴力を振るったことも看過できん。陛下は殿下を厳しく叱責し、自主退学させることをお決めになった」
以来、殿下は王宮で家庭教師について勉強を続けているという。
「殿下は決して頭の悪い方ではない。ただ、机に向かうのが苦手でな」
「承知いたしました」
「くれぐれも、よろしく頼むぞ」
「お任せください」
……さて。
王立学院首席の実力を見せるとしよう。
◇
「えええーっ! お勉強!?」
エクレシア殿下が盛大に顔をしかめた。
王女の自室。
僕は机の上に教科書と地図を並べていた。
「殿下。本日から私が授業を担当いたします」
「えーっ! トルーキンまで先生になるの!?」
「はい」
「せっかく昨日、仲良くなったのに!」
……家庭教師になった途端、嫌われてしまったらしい。
「殿下。勉強も王族の大切なお仕事でございます」
「わかってるよー!」
殿下は椅子に座ると、机に突っ伏した。
「でもさぁ、ずっと座ってるのって退屈なんだもん!」
……なるほど。
勉強そのものより、授業の形式が苦手なのかもしれない。
「殿下。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なーに?」
「王立学院での出来事について、お話を伺っても?」
「あー、あれね!」
殿下は顔を上げた。
「先生を殴っちゃったの!」
実にあっけらかんとしている。
「事情をお聞かせいただけますか?」
「うん! 同じクラスにね、すっごく頭のいい女の子がいたの!」
「ほう」
「でも、平民の子だったんだ」
殿下は少しだけ表情を曇らせた。
「先生がね、その子ばっかり怒るの。答えが合ってても、平民のくせに生意気だって!」
……。
「それで、どうなさったのですか?」
「やめなさいって言ったよ。何回も!」
「……それでも?」
「うん。全然聞いてくれなかった」
殿下は頬を膨らませた。
「ある日、その子が授業で先生より先に正解を言っちゃったの。そしたら先生が怒って、机の上のノートを払い落としたんだ」
「……」
「その子、泣きながら拾おうとしたのに、先生が突き飛ばして……」
殿下の声が低くなった。
「気づいたら、殴ってた」
「……そうでしたか」
「うん」
殿下は素直に頷いた。
「でも、お父様にはすっごく怒られた」
「当然かと存じます」
「むうっ!」
「殿下。相手に非があったとしても、暴力を振るえば、その責任を問われることになります」
「……わかってるよ」
意外な返事だった。
「学校、楽しかったもん」
殿下は少しだけ寂しそうに笑った。
「友達もいたし。お昼ご飯だって、みんなで食べるとおいしかったし」
「……そうでしたか」
「でもね、トルーキン」
「はい」
「あの子、何も悪いことしてなかったんだよ」
殿下は僕をまっすぐ見た。
「なのに、みんなの前であんなことされるなんて、おかしいでしょ?」
……。
確かに、おかしい。
「……そのご友人は、現在どうなさっているのですか?」
「まだ学校にいるよ! この前、お手紙もくれたの!」
「そうですか」
「先生は授業から外されたんだって。今は別の先生が教えてくれてるらしいよ!」
学院側でも、何らかの対応が取られたようだ。
「その子、また楽しく勉強できるようになったって!」
殿下が嬉しそうに笑った。
……なるほど。
自分が学院を辞めたことより、友人のことを気にしているらしい。
「殿下」
「なに?」
「もし今後、同じようなことが起きたら、まず私にご相談ください」
「トルーキンに?」
「はい。殴らずに解決できる方法もあるはずですので」
殿下は少し考えた。
「……ほんとに?」
「もちろんでございます」
「わかった!」
殿下がにっこり笑った。
「じゃあ、次は先にトルーキンに相談する!」
……次がないことを祈ろう。
「では、授業を始めましょう」
「ええーっ! もう!?」
「まだ一問も進んでおりません」
「ぶーっ!」
◇
「本日の授業は、アンカルジア王国の産業についてです」
僕は机の上に王国の地図を広げた。
「産業?」
「はい。農業、鉱業、商業など、国の経済を支える活動のことでございます」
「……難しそう」
「では、身近なものから始めましょう」
僕は殿下の前に、小さなパンを一つ置いた。
「殿下。このパンは、どうやって作られたのでしょう?」
「小麦粉をこねて、焼くんでしょ?」
「そのとおりです。では、小麦粉は?」
「小麦を粉にするんでしょ?」
「はい。小麦は?」
「畑!」
「正解です」
殿下が得意げに笑った。
「えへへっ! それくらい知ってるよ!」
「では、畑で収穫された小麦が、どのようにして王都のパン屋へ届くか、ご存じですか?」
「えーっと……」
殿下は少し考えた。
「農家の人が作って、粉にする人がいて、それを運ぶ人がいるんじゃない?」
「おおむね正解です」
僕は地図に指を走らせた。
「王都の西には、小麦の生産地がございます。そこで収穫された小麦は、製粉所で粉に加工され、商人たちによって王都へ運ばれます」
「へえーっ!」
「そして、パン屋がその粉からパンを作り、販売するのです」
殿下はパンをじっと見つめた。
「そっかぁ。パン一個作るのに、いろんな人が働いてるんだね!」
「そのとおりです」
「じゃあ、途中で誰かが仕事をやめちゃったら、パンが食べられなくなるの?」
「すぐにそうなるわけではありませんが、供給に支障が出ることはございます」
「ふーん……」
殿下はパンを手に取った。
「なんか、いつもよりおいしそうに見える!」
そして、ぱくりとかじった。
……授業中なのだが。
まあ、教材として置いたのは僕だ。
「ところで殿下。今年は小麦の収穫が比較的順調だと報告されております」
「そうなの?」
「はい。小麦の生産量が増えれば、ほかの条件が同じなら価格は下がりやすくなります」
「へえーっ!」
「逆に、供給が減れば価格は上がりやすくなります」
殿下はパンを食べながら頷いた。
「じゃあさ、トルーキン」
「はい」
「小麦がいっぱい採れてても、パンが高くなることってあるの?」
「もちろんございます。運送費や製粉費用など、ほかにも価格に影響する要素はございますので」
「ふーん……」
殿下が首を傾げた。
「じゃあ、あのパン屋さんもそうなのかな?」
「……あのパン屋さん?」
「ほら! 一昨日、串焼きを食べた通りにあったでしょ?」
「ええ」
「あそこのパン、前より高くなってたんだよ」
……ほう。
「よく覚えておられましたね」
「だって、パン好きだもん!」
殿下は当然のように答えた。
「前はもっと安かったんだよ。それなのに、なんで高くなったんだろ?」
……なるほど。
単なる食いしん坊かと思ったが、価格の変化まで覚えていたらしい。
「もしかすると、何か事情があるのかもしれませんね」
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「そのパン屋さんに聞いてみない?」
「……今から、ですか?」
「うん!」
殿下は立ち上がった。
「だって、教科書だけじゃわからないでしょ?」
……。
確かに、そのとおりだ。
産業を学ぶなら、実際の仕事を見るのも悪くない。
「……では、実地授業といたしましょう」
「えっ!? いいの!?」
「はい。ただし、護衛の手配と外出許可を取ってからです」
「やったぁぁ!」
殿下が跳び上がった。
「お勉強なのに、お出かけできるんだ!」
……目的を忘れないでいただきたい。
◇
王都の東地区。
僕たちは近衛騎士二人を伴い、先日訪れた通りへやってきた。
「あっ! ここ、ここ!」
殿下が駆け寄った先には、小さなパン屋があった。
店頭には焼きたてのパンが並んでいる。
だが、値札を見ると確かに少々高い。
「こんにちはー!」
殿下が元気よく声をかけた。
「おや、いらっしゃい!」
店主が笑顔で迎えてくれる。
「ねえねえ! ここのパン、前より高くなったよね?」
「……ああ。そうなんだよ」
店主が申し訳なさそうに答えた。
「小麦粉の仕入れ値が上がってしまってね」
「なんで?」
「王都の東側にある大きな製粉所が、五日ほど前から止まっているんだ」
……製粉所が?
「詳しく伺ってもよろしいですか?」
僕が尋ねると、店主は頷いた。
「この辺りのパン屋は、あそこの粉を使っているところが多いんだ。ところが、水車の設備が壊れたとかでね」
「ほう」
「ほかの製粉所もあるんだけど、急には量を増やせないだろ? 遠くから運んでもらうと、どうしても高くつくんだよ」
……なるほど。
原因は小麦の不足ではない。
小麦を粉に加工する能力が不足しているのだ。
「その製粉所は、まだ修理できないのでしょうか?」
「さあねえ。職人が何人も集まっているそうだけど……」
「ねえ、トルーキン!」
殿下が僕の袖を引いた。
「じゃあ、その製粉所が直ったら、またパンが安くなるの?」
「供給が回復すれば、仕入れ値も落ち着く可能性はございます」
「だったら、見に行こうよ!」
「……製粉所へ、ですか?」
「うん!」
殿下は楽しそうに笑った。
「何が壊れたのか、気になる!」
……なるほど。
この方には机上の授業より、現場を見る授業の方が向いているらしい。
「……では、行ってみましょう」
「やったぁ!」
◇
製粉所は、王都西地区の外れを流れる川沿いにあった。
建物の脇には、大きな水車が設置されている。
だが、水車は止まっていた。
水路には水をせき止める板が下ろされている。
故障した設備が動かないよう、意図的に止めているのだろう。
「ねえ、トルーキン。なんで水車が止まってるの?」
「故障しているためでしょう。詳しく聞いてみましょう」
建物の前には荷馬車が数台並び、商人たちが困った顔で話し合っていた。
僕たちは製粉所の責任者を訪ねた。
「……王宮から?」
年配の男が驚いた顔をした。
「はい。本日は王女殿下の社会勉強で伺いました。突然の訪問で恐縮ですが、少しお話を聞かせていただけませんか」
僕が説明すると、男は慌てて頭を下げた。
「こ、これは失礼いたしました!」
「いいよ、いいよ!」
殿下が笑って手を振った。
「ねえ、水車が壊れたって本当?」
「は、はい。そうなんです」
「見せてもらってもいい?」
「もちろんでございます」
……どうやら、授業の続きが始まったらしい。
製粉所の中では、数人の職人たちが大きな石臼を囲んでいた。
「だから、無理だと言っているだろう!」
「しかし、このままでは……!」
「梁が持たん! 滑車を使ったら、屋根まで傷めるぞ!」
……なるほど。
何やら困っているらしい。
「失礼いたします」
僕が声をかけると、職人たちが振り返った。
責任者から事情を聞く。
水車の回転を石臼へ伝える軸の部品が破損したらしい。
交換用の部品はすでに用意されているという。
「だったら、交換すればいいんじゃない?」
殿下が尋ねた。
「そうしたいのですが……」
職人が大きな石臼を指さした。
「上側の石臼を少し浮かせないと、軸の部品を取り外せないんです」
「ふーん」
「ところが、あの石がとんでもなく重い。建物の梁に滑車をかけて持ち上げる案も出たのですが、強度が足りません」
僕は石臼を見た。
直径、厚さ、材質。
《算神》を発動。
おおよその重量を計算する。
……六百キロ前後か。
確かに、人力で簡単に持ち上げられるものではない。
「ほかに方法はないのでしょうか?」
「頑丈な足場を組んで、少しずつ持ち上げるしかありません。ただ、準備には数日かかります」
「数日……」
責任者がうなだれた。
「その間も小麦粉は作れません。取引先のパン屋にも、これ以上迷惑をかけられないというのに……」
「ねえ、トルーキン」
殿下が僕を見た。
「これ、石を持ち上げれば直せるんでしょ?」
「ええ。ただし、持ち上げた状態で安全に固定する必要がございます」
「じゃあさ」
殿下がにっこり笑った。
「私が持ち上げるよ!」
……。
……なるほど。
その手があったか。
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