第2話② 騎士様を泣かせないでください
「始め!」
合図と同時に、ドルトンの精鋭たちが動いた。
四人が横に広がりながら前進する。
残る一人は旗の前で木剣を構えていた。
……予想どおり。
「クリストフ殿! 中央へ!」
「はい!」
クリストフが走り出した。
続いて、盾を持つ二人が前へ出る。
三人が中央で精鋭たちとぶつかった。
カンッ!
カカンッ!
木剣が打ち合わされる。
「くっ……!」
クリストフが押し込まれた。
当然だ。
相手は経験豊富な騎士たちだ。
正面から戦えば勝ち目は薄い。
「下がってください!」
「えっ!?」
「予定どおりです!」
三人が後退する。
精鋭たちは勢いよく追いかけてきた。
「ははは! 逃げるだけか!」
ドルトンが笑う。
「そんな臆病者どもで勝てるものか!」
……そう思っていただけるとありがたい。
僕は追撃する騎士たちを観察した。
先頭の足運び。
後続との距離。
木柵の間を抜ける順番。
四人が中央の狭い通路へ入った。
……今だ。
「左右へ!」
三人が散った。
「なっ!?」
追撃していた四人は、そのまま中央へ踏み込んでしまった。
木柵が邪魔になり、すぐには左右へ方向を変えられない。
「左から来るぞ!」
相手の守備役が叫んだ。
資材置き場の陰から、四人目の平民騎士が飛び出していた。
守備役は木剣を構え、左側の侵入者へ向かう。
……そこだ。
僕は旗の右側へ目を向けた。
《算神》が、守備役の身体の向きと移動速度を捉える。
振り返るまでに必要な時間は、わずか数秒。
だが、十分だ。
「今です!」
反対側の木箱の陰から、最後の平民騎士が駆け出した。
「しまった!」
守備役が振り返る。
しかし、遅い。
右側から回り込んだ騎士が、旗へ飛びついた。
「取ったぁ!」
旗が引き抜かれる。
訓練場が静まり返った。
「……勝者、トルーキン殿の部隊!」
審判役の騎士が宣言した。
「やったぁぁぁ!」
真っ先に歓声を上げたのはエクレシアだった。
「すごい! すごいよ、トルーキン!」
殿下が両手を上げて跳び跳ねる。
「勝っちゃった! きゃははっ!」
「はい。なんとか」
味方の騎士たちも互いの肩を叩き合っていた。
「勝った……!」
「俺たちが、あの精鋭相手に……!」
クリストフは呆然としていた。
「私は、ほとんど逃げていただけですが……」
「それが役目です」
僕は答えた。
「あなた方が相手を引きつけてくださったから、旗を奪えたのです」
「……!」
「全員が敵を倒す必要はありません。それぞれが役割を果たせば、勝てる戦いもあります」
クリストフはしばらく黙った後、深く頭を下げた。
「……勉強になりました」
……素直な青年だな。
貴族の三男という立場を鼻にかけるところもなさそうだ。
「馬鹿な!」
ドルトンが怒鳴った。
「こんなもの、偶然だ!」
「団長殿」
僕は静かに言った。
「今回の勝利は、五人がそれぞれの役割を果たした結果です」
「何だと!?」
「こちらの騎士たちは、誰一人としてあなたの精鋭に勝っておりません」
「……」
「ですが、旗取り戦には勝利しました」
ドルトンが歯ぎしりする。
「平民騎士の能力が低いとおっしゃいましたが、少なくとも、そのようなことはございません」
「……貴様!」
「適切な役割を与えれば、十分に活躍できます」
僕は続けた。
「騎士団を強くするのであれば、出自よりも、それぞれの能力を見るべきではないでしょうか」
ドルトンの顔が真っ赤になった。
……まずい。
完全に怒らせてしまったようだ。
僕の出世街道が、また遠ざかった気がした。
◇
「何の騒ぎだ!」
そのとき、訓練場の入口から低い声が響いた。
現れたのは、背の高い壮年の騎士だった。
短く整えた銀髪に、使い込まれた鎧。
「副団長!」
周囲の騎士たちが姿勢を正した。
王宮騎士団副団長、ローディス。
王国でも指折りの剣士として知られる人物だ。
地方の警備任務から、今朝戻ったばかりらしい。
「……これは、いったいどういうことだ?」
ローディスが訓練場を見渡す。
折れた木柵。
粉々になった訓練人形。
そして、満面の笑みを浮かべるエクレシア。
「……殿下」
「ローディス! 久しぶり!」
殿下が大きく手を振った。
「見て見て! いっぱい壊れちゃった!」
「……そうでございますね」
ローディスは額に手を当てた。
「以前、訓練場の備品を壊さないようお願いしたはずですが」
「あっ! ごめーん!」
「……」
「ちゃんと直してもらうから!」
ローディスが深いため息をついた。
「殿下。どうか、これ以上の訓練はお控えください」
「ええーっ!」
殿下が頬を膨らませる。
「まだ全然戦ってないよ!」
「十分でございます」
「私、もっと強い人と戦いたい!」
その言葉を聞いたローディスが、少し考えるように黙った。
そして僕へ目を向ける。
「あなたが新しく配属された執事殿ですかな?」
「はい。トルーキン・レッドゲートと申します」
「殿下のお相手も大変でしょう」
「……ご理解いただけて何よりです」
ローディスが小さく笑った。
「では、私が一度だけお相手いたしましょう」
「えっ!?」
殿下が跳び上がる。
「ほんと!? ローディスが!?」
「ただし、これを最後にしていただきます」
「うん! 約束!」
……その約束が守られることを祈ろう。
ローディスは木剣を受け取った。
「私は木剣を使います。殿下は拳のみでよろしいですな?」
「もちろん!」
「強すぎる打撃は禁止です。私に拳を当てる寸前で止めていただきます」
「えーっ! 殴っちゃ駄目なの?」
「はい。組み手ですので」
「……そっか!」
殿下は少し考え、にっこり笑った。
「それも面白そう!」
……ほう。
強い相手を殴ることだけが楽しいわけではないらしい。
ローディスが僕へ視線を向ける。
「執事殿。殿下の力加減を見ていただけますかな」
「承知いたしました」
……なるほど。
この副団長は、殿下の実力を正しく理解している。
勝敗よりも、事故を起こさず組み手を終えることを優先しているのだ。
「それでは、参ります」
◇
ローディスが木剣を構えた。
無駄のない姿勢だ。
対する殿下は、拳を握って楽しそうに笑っている。
「いっくよー!」
殿下が地面を蹴った。
速い。
しかし、ローディスは真正面から受けようとはしなかった。
半歩だけ身体をずらす。
殿下の拳が空を切る。
「おおっ!」
殿下の瞳が輝いた。
「避けた!」
「殿下。もう少し間合いを意識なさいませ」
ローディスの木剣が動く。
殿下が身を引いた。
さらに踏み込もうとすると、木剣がその進路を塞ぐ。
「すごい! すごーい!」
殿下は大喜びだった。
……見事だ。
ローディスは殿下の《拳神》を警戒し、拳を一度も受けようとしない。
一方、殿下は力を抑えている。
本来の速さと威力で踏み込めば、ローディスを倒すこと自体は難しくないだろう。
しかし、今回の目的は相手を傷つけずに拳を届かせることだ。
……ならば、方法はある。
僕は《算神》を発動した。
ローディスの足運びを観察する。
木剣を引く角度。
踏み込みの間隔。
体重移動の方向。
何度か攻防を重ねるうち、一つの癖が見えてきた。
右へ回り込まれた際、ローディスは必ず左足を先に動かす。
その直後、重心が戻るまでの時間がわずかに長い。
「殿下!」
「なーに!?」
「次は右へ回り込んでください!」
「了解!」
殿下が右へ動く。
ローディスもそれに合わせて位置を変えた。
「そこで、一度止まってください!」
「えっ!?」
殿下が急停止する。
ローディスの木剣が、わずかに前へ出た。
「今です! 内側へ!」
「うんっ!」
殿下が踏み込んだ。
「……!」
ローディスの目が見開かれる。
次の瞬間。
殿下の拳が、副団長の胸元に迫っていた。
だが――。
ピタッ。
拳は、胸の寸前で止まった。
「……えへへっ!」
殿下が笑った。
「私の勝ち!」
ローディスはしばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと木剣を下ろす。
「……参りました」
訓練場がどよめいた。
「あの副団長が……!」
「殿下の拳が完全に届いていたぞ!」
「しかも、寸止めした……!」
殿下が得意げに胸を張った。
「やったぁ!」
「お見事でございます、殿下」
「トルーキンのおかげだよ!」
殿下は嬉しそうに僕を指さした。
「トルーキンが教えてくれたから勝てたの!」
ローディスが僕を見る。
「……なるほど。殿下の力を、あそこまで正確に導くとは」
「私は動きを分析しただけでございます」
「その分析が難しいのです」
ローディスは木剣を戻し、静かに言った。
「殿下は、よい執事を迎えられましたな」
「でしょー!」
殿下は満面の笑みを浮かべた。
……ふむ。
王宮騎士団副団長からの高評価。
これは今後の出世にも役立つかもしれない。
そう考えた、そのときだった。
「ローディス!」
ドルトンの怒鳴り声が響いた。
「貴様まで、その平民の肩を持つのか!」
……またか。
◇
「団長。何をお怒りなのです?」
ローディスが尋ねた。
「そこの平民が、私の指揮を侮辱したのだ!」
「……トルーキン殿が?」
「そうだ! 騎士団の訓練方針にまで口を出しおった!」
ローディスが僕へ目を向ける。
「事情をお聞きしても?」
「はい」
僕は先ほどの出来事を簡潔に説明した。
負傷した平民騎士に追加訓練を命じたこと。
貴族と平民で訓練内容が大きく異なること。
そして、模擬戦で平民騎士を中心とした部隊が勝利したこと。
ローディスの表情が険しくなった。
「……カイが負傷したのですか?」
「はい。右足を痛めているようです」
「誰か! カイを医務室へ連れていけ!」
ローディスの指示で、二人の騎士がカイを支えた。
「待て!」
ドルトンが怒鳴る。
「まだ訓練は終わっておらん!」
「団長。負傷者には医師の診察を受けさせる規則になっているはずです」
「この程度の怪我で休ませていたら、騎士など育たん!」
「しかし、怪我を悪化させれば――」
「黙れ! 団長は私だ!」
ローディスはドルトンを見据えた。
「……ならば、この件は正式に王宮へ報告いたします」
「何だと!?」
「負傷者への暴力と治療の妨害。いずれも騎士団の規律に反する行為です」
周囲の騎士たちが顔を見合わせる。
「副団長……」
一人の平民騎士がおずおずと手を挙げた。
「実は、以前から……」
「貴様!」
ドルトンが睨みつける。
騎士は怯んだ。
……なるほど。
こうやって、部下たちの口を封じてきたのか。
「団長殿」
僕は口を開いた。
「部下が意見を述べることも許されないのでしょうか」
「……何?」
「問題があるなら、話を聞き、改善する。それが指揮官の仕事ではございませんか?」
「平民風情が、偉そうに!」
ドルトンが怒鳴った。
「貴様のような者に、騎士団の何がわかる!」
……また平民か。
どうやら、この男にとって人間の価値は生まれた家で決まるらしい。
僕は小さく息を吐いた。
「少なくとも、一つだけわかることがございます」
「……何だ!」
「団長殿は、優秀な部下を使いこなせておられません」
周囲が静まり返った。
「……!」
「私は平民出身ですが、王立学院を首席で卒業いたしました。生まれによって能力が決まるのであれば、そのような結果にはならなかったでしょう」
僕はドルトンを見据えた。
「騎士団でも同じことかと存じます」
「き、貴様ぁ……!」
団長の手が、腰の剣へ伸びた。
……まずい。
《算神》が男の肩と腕の動きを捉える。
剣を抜く。
そのまま、こちらへ踏み込むつもりだ。
僕は半歩、身を引いた。
「この平民風情がぁぁっ!」
ドルトンが剣を抜いた。
銀色の刃が、僕へ向かって振り下ろされる。
その瞬間だった。
「トルーキンに何してんのよぉぉっ!」
赤い影が飛び込んできた。
エクレシア殿下だ。
ドルトンの剣が振り下ろされるより早く、殿下の拳が男の腹部に突き刺さった。
ドゴォン!
「ぐぼぉっ!」
ドルトンの巨体が宙を舞った。
訓練場を横切り、積み上げられた木製の盾へ突っ込む。
ガラガラガシャァン!
砂埃が巻き上がった。
……。
……。
訓練場が静まり返った。
殿下は拳を下ろすと、ドルトンを睨みつけた。
「私の執事に、何すんのよ!」
……。
僕は、しばらく何も言えなかった。
「トルーキン!」
殿下が振り返った。
「大丈夫!?」
「……はい。おかげさまで」
「よかったぁ!」
殿下が満面の笑みを浮かべる。
そして、僕の腕を両手でつかんだ。
「怪我してない!? 痛いところない!?」
「ええ。問題ございません」
「ほんと!?」
「はい。ただ……」
「ただ?」
「腕が少々痛いです」
「えっ!?」
殿下が慌てて手を離した。
「あっ! ごめん!」
……危うく王女殿下に腕を折られるところだった。
◇
「団長を取り押さえろ!」
ローディスの命令が響いた。
騎士たちが倒れたドルトンを取り囲む。
ドルトンは意識を取り戻していたが、立ち上がれない様子だった。
「わ、私は……騎士団長だぞ……!」
「団長であろうと、王女付きの執事に剣を向けた事実は変わりません」
ローディスの声は冷たかった。
「王宮へ報告し、正式な裁定を仰ぎます。負傷者への不当な扱いについても調査いたします」
「……そんな……!」
ドルトンの顔が歪んだ。
「私は……王国のために……!」
「王国のためであれば、部下を傷つけてもよいとお考えですか?」
ローディスが問いかける。
ドルトンは何も答えなかった。
騎士たちに両腕を取られ、連れていかれる。
その目から、悔し涙がこぼれていた。
「……あっ!」
殿下が声を上げた。
「トルーキン! あの人、泣いてる!」
「……そのようですね」
「私、強く殴りすぎた!?」
「いえ。あれは別の理由かと」
「そうなの?」
「はい」
「へえーっ! 騎士様も泣くんだ!」
……殿下。
あまり大きな声でおっしゃらないでください。
◇
騒ぎが収まると、訓練場には再び落ち着きが戻ってきた。
ローディスが僕へ歩み寄る。
「トルーキン殿。本日はご迷惑をおかけしました」
「いえ。こちらこそ、訓練を妨げてしまい申し訳ございません」
「とんでもない。部下の扱いについて、見直すべき点があることを教えていただきました」
ローディスが深く頭を下げた。
「感謝いたします」
……王宮騎士団副団長に頭を下げられるとは。
これは、なかなか悪くない。
僕の出世街道にも、ようやく光が差してきた気がする。
「それから、トルーキン殿」
「はい」
「先ほどの模擬戦について、後日改めてお話を伺えませんかな?」
「もちろんでございます」
「ぜひ、騎士団の訓練改善にもお知恵をお貸しいただきたい」
……ほう。
騎士団副団長からの正式な相談。
これは実績になるかもしれない。
「私でお役に立てることがあれば、喜んで」
「ありがたい」
僕は思わず口元が緩みそうになった。
……悪くないぞ。
案外、今日の出来事は出世につながるのでは?
「ねえねえ、トルーキン!」
殿下が袖を引っ張った。
「なにをニヤニヤしてるの?」
「……何でもございません」
「ふーん?」
殿下は不思議そうに首を傾げた。
そこへクリストフがやってきた。
「殿下! トルーキン殿!」
青年は僕たちの前で姿勢を正した。
「本日はありがとうございました!」
「ん? なにが?」
「模擬戦です。自分より強い相手にも、作戦次第で勝てると知りました」
クリストフは拳を握った。
「私も、もっと強い騎士になります!」
「いいじゃん!」
殿下がにっこり笑う。
「じゃあ、今度は私と戦おう!」
「……え?」
クリストフの顔が固まった。
「きゃははっ! 楽しみだね!」
「は、はい……!」
……青年。
君の騎士人生に幸あれ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




