第16話 三秒後に殴ってください
「お嬢様! あの石垣へ!」
「石垣!?」
「はい! あそこからガルーダを迎え撃ちます!」
「わかった!」
エクレシア殿下が地面を蹴った。
赤い髪が揺れたかと思うと、次の瞬間には石垣の上に立っていた。
……相変わらず、凄まじい身体能力だ。
一方、クリストフ殿は少年と父親を助けるため、畑へ駆け出していた。
護衛責任者も、残りの騎士たちに村人の避難を指示している。
……よし。
あとは、ガルーダをどうするかだ。
僕は《算神》へ意識を集中させた。
巨大な鳥型魔物は、村道の上空から畑へ向かって急降下していた。
少年を狙っているらしい。
そして、その進路には、殿下が立つ石垣がある。
……なるほど。
あの巨体で、なかなかの速度だ。
だが、速く飛べば飛ぶほど、急な方向転換は難しくなる。
ましてや、今は翼を畳みながら急降下している最中だ。
「トルーキン!もう殴っていい!?」
「まだでございます!」
「ええーっ!?でも、あの子が!」
殿下が畑を見た。
少年は、まだその場に立ち尽くしている。
父親が必死に駆け寄っているが、間に合いそうにない。
……まずいな。
今のガルーダは、まだ拳の届かない高さにいる。
それに、少年の近くで殴り落とせば、あの巨体が親子を押しつぶしかねない。
だから、石垣の上空で迎え撃つ必要がある。
「お嬢様!そのままお待ちください!」
「……わかった!」
殿下が拳を握りしめた。
今すぐ飛び出したいのだろう。
だが、じっと我慢している。
……ほう。
以前なら、僕の指示を待たずに突っ込んでいたかもしれない。
ずいぶん成長されたものだ。
……いや。
感心している場合ではない。
僕は、再びガルーダを見上げた。
木々の上を通過する位置。
石垣までの距離。
そして、降下する角度。
地上の目印に対する位置の変化から、飛行速度を求める。
秒速、およそ二十メートル。
速度はほぼ一定。
石垣の上空を通過するまで、残り約六十メートル。
……三秒。
三秒後には、石垣の上を通過する。
しかも、そのときには高度も下がっている。
殿下なら、跳び上がれば拳が届くだろう。
……問題は、殴り飛ばす方向だ。
僕は周囲を確認した。
畑には、少年と父親。
村道には、避難する村人たち。
しかし、村の外れから山裾へ続く岩場には、誰もいない。
……よし。
あちらへ打ち上げれば、誰も巻き込まずに済む。
僕は殿下へ近づき、周囲に聞こえない声で告げた。
「殿下、三秒後に殴ってください」
「……三秒後!?」
「はい。今ではございません。三秒後でございます」
「……わかった!」
「ただし、畑へ落としてはいけません。あちらの岩場へ向けて、斜め上に殴り飛ばしてください!」
「うん!」
殿下が、石垣の上で拳を構えた。
……さて。
相手は生き物だ。
途中で進路を変えれば、計算し直す必要がある。
僕は、ガルーダから目を離さなかった。
◇
三秒。
ガルーダが、さらに高度を下げた。
巨大な翼が風を切り、耳障りな音を響かせる。
少年の父親が、息子の名前を叫んでいる。
クリストフ殿も、必死に駆けていた。
……まだだ。
二秒。
ガルーダの片翼が、わずかに開いた。
……進路を変えるつもりか?
僕は瞬時に位置を確認し直した。
だが、翼は再び畳まれ、進路もほとんど変わっていない。
……よし。
計算どおりだ。
一秒。
ガルーダが、大きな口を開いた。
その視線は、畑の少年を捉えている。
石垣の上にいる殿下には、まったく気づいていないらしい。
……好都合だ。
巨大な身体が、石垣の上空へ迫る。
今だ!
「殴ってください!」
「いっけえええええっ!」
殿下が、石垣を蹴った。
小柄な身体が、一瞬でガルーダの高さへ跳び上がる。
そして、鋭い鉤爪が迫るその直前。
殿下の拳が、ガルーダの胸元を捉えた。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい衝撃音が、村中に響き渡った。
巨大な翼が大きく広がり、茶褐色の羽根が空へ舞い散る。
あれほどの速度で急降下していたガルーダが、空中でぴたりと止まった。
……いや。
止まったのではない。
次の瞬間。
巨大な魔物が、斜め上へ吹き飛んだ。
まるで、子供が投げた小石のように。
ガルーダは翼をばたつかせたが、まったく勢いを殺せない。
そのまま村の外れを越え、山裾の岩場へ飛んでいく。
ズズゥゥゥン!!
巨体が岩場へ激突した。
鈍い音が響き、土煙が高く舞い上がる。
……。
僕は、思わず口を開けた。
……なんという威力だ。
あれほど巨大な魔物を、たった一撃で。
しかも、殿下は僕が指示した方向へ、正確に殴り飛ばしている。
力任せに殴っただけではない。
打ち上げる角度まで、きちんと調整しているのだ。
……なるほど。
《拳神》の恐ろしさは、破壊力だけではない。
あれほどの力を、狙った方向へ正確に放てることこそが凄い。
……。
それにしても。
少々、強すぎませんか?
殿下が、石垣の上へ軽やかに着地した。
「トルーキン!」
「はい」
「やったよ!」
殿下が、満面の笑みを浮かべた。
「本当に三秒後だった!」
「はい。お見事でございました」
「えへへっ!」
殿下が、嬉しそうに拳を掲げる。
……まったく。
僕が計算したのは、迎撃する位置と時間だ。
殿下の拳があれば、ガルーダを倒せるだろうとは思っていた。
だが、まさかあれほど見事に吹き飛ばすとは。
……。
やはり、この方の拳には、今後も十分注意しよう。
◇
村人たちは、呆然と空を見上げていた。
「……お、おい」
「……今の、見たか?」
「あ、ああ……」
「ガルーダが……吹っ飛んだぞ……」
無理もない。
村中を恐怖に陥れていた魔物が、目の前で吹き飛ばされたのだ。
それも、少女の拳によって。
「……すげえ」
「な、何者なんだ、あの子は……」
少々、目立ちすぎたかもしれない。
だが、今はそれより大切なことがある。
「クリストフ殿!」
「はい!」
「あの親子のご無事を確認してください!」
「承知しました!」
クリストフ殿が、少年と父親のもとへ駆け寄った。
父親は少年を抱きしめ、何度も無事を確かめている。
どうやら、二人とも怪我はしていないようだ。
……よかった。
これで一安心だな。
さらに、護衛騎士たちにはガルーダの状態を確認してもらうことにした。
岩場に倒れているとはいえ、まだ生きている可能性もある。
慎重に近づき、動かないことを確認してもらう。
しばらくして、魔物は息絶えているとの報告が届いた。
……これで、本当に終わったようだ。
「トルーキン!」
「はい」
「あの子、大丈夫だった!?」
「はい。お怪我もないようでございます」
「よかったぁ!」
殿下が、心から嬉しそうに笑った。
……ふむ。
以前なら、魔物を倒せたことを真っ先に喜んでいただろう。
だが、今日は違った。
僕の指示を守り、周囲を巻き込まずに魔物を倒した。
そして、何よりも先に少年の無事を気にしている。
……成長されたものだ。
こうして誰かの成長を間近で見られるのは、やはり悪くない。
前世で家庭教師をしていた頃も、教え子ができなかった問題を解けるようになると、自分のことのように嬉しかったものだ。
まぁ、今回の成長には少々危険が伴いすぎている気もするが。
「あっ!」
そのとき、殿下が声を上げた。
「さっきの子だ!」
見ると、先ほどの少年が父親と一緒に歩いてきた。
「お姉ちゃん!」
「なあに!?」
「助けてくれて、ありがとう!」
少年が、深々と頭を下げた。
「もう駄目だと思った……」
「えへへっ!間に合ってよかった!」
殿下が笑う。
すると、父親も頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。息子の命を救っていただいて……」
「ううん!無事でよかったね!」
殿下は、少年の頭を優しく撫でた。
その顔には、何の迷いもなかった。
……。
王宮では、殿下の功績が王位継承問題にまで発展している。
だが、目の前の少年にとって、そんなことは関係ない。
自分を助けてくれた少女に感謝しているのだ。
殿下も、それが嬉しいのだろう。
先ほどから、ずっと笑顔である。
やがて、村人たちも次々と集まってきた。
「これで、安心して畑に行ける!」
「収穫を諦めずに済むぞ!」
「本当にありがとうございます!」
村人たちの表情が、少しずつ明るくなっていく。
……よかった。
ようやく、この村にも普段の暮らしが戻ってくるだろう。
「ところで……」
村人の一人が、殿下を見た。
「お嬢さん、いったい何者なんです?」
「えっ!?」
殿下が、きょとんとした顔をした。
……まずい。
これは、答え方を間違えると面倒なことになる。
「王都から参りました、ただの旅人でございます」
僕が答えると、村人たちは目を丸くした。
「……ただの旅人?」
「はい」
「ガルーダを一撃で倒しておいて!?」
……。
ごもっともである。
「そうそう!ただの旅人だよ!」
殿下が、嬉しそうに胸を張った。
……殿下。
ただの旅人は、あのような魔物を殴り飛ばしたりいたしません。
◇
夕方。
僕たちは、村の宿で休むことになった。
ガルーダの討伐については、村から領主側へ報告してもらうことにしている。
それにしても。
地方視察の初日から、魔物討伐とは。
……先が思いやられる。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私、旅に出てよかった!」
殿下が、満面の笑みを浮かべた。
「そうでございますか」
「うん!だって、王都の外にも、助けられる人がいるんだもん!」
……。
確かに、そのとおりだ。
今日の出来事だけでも、地方には地方の事情があることを学べた。
それに、殿下もまた一つ、新しい経験を積まれたようだ。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「私、ちゃんと待てたでしょ?」
殿下が、得意そうに胸を張った。
「はい。大変立派でございました」
「えへへっ!」
「これからも、周囲の安全を考えて行動していただければと思います」
「うん! わかった!」
……ふむ。
これなら、今後も少しは安心できるかもしれない。
「よーし! 次の町でも、いっぱい頑張るぞー!」
「……お嬢様」
「なあに?」
「毎回、魔物を倒す必要はございませんので」
「ええーっ!?」
……。
やはり、安心するのは早かったらしい。
僕は窓の外に目を向けた。
夕日に照らされた山々が、赤く染まっている。
王都の王宮では、決して見ることのできなかった景色だ。
……まあ、悪くない。
無事に三か月の視察を終えられたなら、国王陛下からも少しは評価していただけるだろう。
できれば、昇給もお願いしたい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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