第17話 その泥棒を捕まえてください
シャル伯爵領の中心都市に到着したのは、ガルーダを討伐した村を出発してから数日後のことだった。
城壁に囲まれた町の周囲には、広大な農地が広がっている。
「トルーキン!町が見えてきたよ!」
馬車の窓から、エクレシア殿下が嬉しそうに声を上げた。
「はい。あちらがシャル伯爵領の中心都市でございます」
「大きいね!」
「お嬢様。あまり身を乗り出されませんように」
「あっ、そうだった!」
殿下は素直に座席へ戻った。
この調子なら、今回は落ち着いて視察できるかもしれない。
……できれば、そう願いたい。
◇
城門を抜けると、賑やかな声が聞こえてきた。
石畳の大通りには商店が軒を連ね、買い物客や荷車が行き交っている。
野菜や果物を並べた露店に、色鮮やかな布を吊るした店。
陶器を積み上げた店先では、客と商人が値段の交渉をしていた。
「ねえ、トルーキン!あのお店は何?」
「布地を扱っているようでございます」
「じゃあ、あっちは?」
「食器でございますね」
「へえーっ!いろんなお店があるんだね!」
殿下は楽しそうに辺りを見回している。
王都ほどではないが、なかなか活気のある町だ。
……ただ。
「また値上がりしたのかい?」
「仕方ありませんよ。仕入れ値が上がっているんですから」
通りの片隅で、そんな会話が聞こえてきた。
見ると、年配の女性が野菜売りと話している。
「これじゃ、食べていけないよ」
女性は小さくため息をつき、何も買わずに立ち去った。
……ふむ。
どこの町でも、物価の上昇は家計に響くものだ。
だが、この町は随分と賑わっている。
豊かな商業都市でも、暮らし向きは人によって違うのだろう。
「ねえ、トルーキン。これ、何?」
殿下が足を止めた。
広場に設置された掲示板だ。
何枚もの知らせが貼られている中で、ひときわ大きな手配書が目を引いた。
『盗賊団バカラ。首領の素性不明。捕縛に協力した者には報奨金を与える』
……盗賊団か。
「最近、この町で盗みが相次いでいるようでございますね」
「泥棒?」
「はい。主に貴族の屋敷や裕福な商人が狙われているようです」
「……そうなんだ」
殿下は手配書をじっと見つめた。
「ねえ、トルーキン。泥棒って、捕まえなきゃいけないんだよね?」
「そのとおりでございます。ただし、我々は盗賊を探しに来たわけではございません」
「うん。わかってるよ」
殿下はうなずいた。
「でも、困ってる人がいたら助けたいな」
「その際は、護衛の方々とも相談いたしましょう」
「うん!」
……よし。
どうやら、旅の約束は覚えておられるらしい。
◇
「あっ!」
殿下が、突然足を止めた。
「トルーキン!いい匂い!」
……。
今度は何だろうか。
視線を追うと、一軒のパン屋があった。
店先には焼きたてのパンが並び、香ばしい匂いが通りまで漂っている。
「ねえ、寄っていこうよ!」
「……お昼も近いですし、よろしいでしょう」
「やった!」
殿下は弾むような足取りで店へ向かった。
……まったく。
食べ物を見つける速さだけは、相変わらずだ。
「いらっしゃいませ」
店内へ入ると、一人の女性が出迎えてくれた。
三十歳前後だろうか。
整った顔立ちに、落ち着いた物腰。
質素な服装に白いエプロンを身につけている。
「どうぞ、ごゆっくりご覧くださいませ。お好みのものがございましたら、お申しつけください」
「わあ!どれもおいしそう!」
「ありがとうございます。今朝、夫が焼き上げたばかりでございます」
女性が柔らかな笑みを浮かべた。
「私、ベラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「私はエク!こっちはトルーキン!」
今回の旅では、殿下はエクという呼び名を使うことにした。
身分を伏せて旅をする以上、各地で本名を名乗るのは避けた方がよい。
「エク様でございますね。お会いできて光栄です」
ベラさんが、優雅に一礼した。
……ん?
僕は、その動きに目を留めた。
片足をわずかに引き、背筋を伸ばしたまま膝を曲げる。
視線を落とすタイミングも、実に自然だった。
……ふむ。
宮廷で見慣れた礼法によく似ている。
単に丁寧な挨拶というだけではない。
貴人に対する挨拶の作法が、身体に染みついているように見えた。
……いや。
礼儀作法に詳しい平民など、いくらでもいるだろう。
気にしすぎかもしれない。
「ベラさん!このパン、おすすめ?」
「はい。蜂蜜を少し練り込んでおりますので、甘いものがお好きでしたら、お気に召すかと存じます」
「甘いの!?じゃあ、それ!」
「かしこまりました」
ベラさんがパンを取り分けていると、奥の厨房から一人の男性が現れた。
「ベラ、次のパンが焼けたぞ」
「ありがとう、シルバー」
大柄な男性だった。
袖をまくった腕には、長年パン生地をこねてきたのだろう、しっかりとした筋肉がついている。
「おや、お客さんか」
「こちらは、エク様とトルーキン様です」
「いらっしゃい。俺はシルバー。この店でパンを焼いている」
「シルバーさん!このパン、シルバーさんが作ったの?」
「ああ。そうだよ」
「すごいね!おいしそう!」
シルバーさんは照れくさそうに笑った。
「ははは。そう言ってもらえると嬉しいな」
……なるほど。
なかなか感じのよい夫婦だ。
◇
「んんっ!おいしい!」
殿下がパンを頬張り、目を輝かせた。
「トルーキン!これ、おいしいよ!」
「それは何よりでございます」
「一口食べてみて!」
「では、お言葉に甘えて」
小さく分けてもらったパンを口に運ぶ。
……ほう。
外側は香ばしく、中は柔らかい。
蜂蜜の甘さも控えめで、実によい仕上がりだ。
「確かに、おいしゅうございますね」
「でしょ!」
殿下が、得意そうに笑う。
……なぜ、殿下が自慢されるのだろうか。
そのとき、小さな男の子が店へ入ってきた。
「……あの」
「いらっしゃいませ」
ベラさんが優しく声をかける。
少年は、小さな銅貨を数枚握りしめていた。
「これで、パンを買えますか?」
ベラさんは、少年の手の中を見た。
そして、静かにうなずいた。
「もちろんでございますよ」
棚からパンを一つ取り、袋へ入れる。
さらに、もう一つ小さなパンを添えた。
「こちらは、今日のおまけでございます」
「……えっ、いいの?」
「はい。たくさん食べて、大きくなってくださいませ」
「ありがとう!」
少年は嬉しそうに店を出ていった。
「ベラさん、優しいね!」
殿下が言うと、ベラさんは微笑んだ。
「この町には、十分に食事を取れない子供たちもおりますので」
「……そうなの?」
「ええ。町が賑わっていても、すべての方が豊かというわけではございません」
殿下は、先ほど少年が出ていった扉へ目を向けた。
「……そっか」
少し考えているようだった。
僕も店先に並ぶパンへ目を向けた。
……しかし。
随分と良心的な値段だ。
市場で聞いた小麦粉の相場を考えると、ほかの店よりかなり安い。
しかも、おまけまでつけている。
これで利益が出るのだろうか。
「失礼ですが、こちらのパンは随分とお安いのですね」
「ありがとうございます。できるだけ多くの方に召し上がっていただけるよう、夫と相談して決めた価格でございます」
「しかし、材料費もかかるでしょう」
「ええ。ですから、夫にはいつも苦労をかけております」
ベラさんが、シルバーさんへ視線を向けた。
「まあ、二人でやっている店だからな。何とかなるさ」
シルバーさんは苦笑した。
……ふむ。
確かに、人を雇っていなければ人件費は抑えられる。
仕入れ先との取引条件も、店によって異なるだろう。
今のところ、単なる僕の疑問にすぎない。
そのとき、店の外を数人の男たちが通り過ぎた。
揃いの上着を着ている。
どうやら、この町の役人らしい。
ベラさんは、ほんの一瞬だけそちらへ目を向けた。
そして、何事もなかったように微笑んだ。
「ほかに、お求めのものはございますか?」
……おや?
気のせいだろうか。
今、一瞬だけ表情が硬くなったように見えたのだが。
「トルーキン?」
「はい」
「そろそろ行こうよ!ほかのお店も見たい!」
「そうでございますね」
僕たちは、店を出ることにした。
「ありがとうございました。またのお越しを、心よりお待ちしております」
ベラさんが丁寧に頭を下げる。
……。
やはり、気になる。
先ほどの礼法。
パンの値段。
そして、役人たちが通り過ぎたときの表情。
……偶然だろうか。
もっとも、どれも不審だと決めつけるほどのものではない。
僕は疑問を胸にしまい、殿下とともに店を後にした。
◇
夕方。
町の商店を見て回った僕たちは、宿へ向かっていた。
空は少しずつ暗くなり、通りには明かりが灯り始めている。
「今日は楽しかったね!」
「そうでございますね」
「パンもおいしかったし!」
……結局、そこなのか。
まあ、殿下が楽しんでおられるなら何よりだ。
そのときだった。
「泥棒だぁぁっ!」
突然、通りの向こうから叫び声が聞こえた。
「バカラだ!盗賊団バカラが出たぞ!」
……何?
声のした方へ目を向ける。
立派な石造りの屋敷から、数人の衛兵が飛び出してきた。
「逃がすな!金を取り戻せ!」
衛兵たちは建物の屋根を見上げている。
その視線の先には、黒い外套をまとった人物がいた。
顔の下半分を布で隠し、片手には小さな革袋を握っている。
盗賊は屋根の端まで走ると、ためらうことなく隣の建物へ跳び移った。
……速い。
しかも、着地する場所を迷わず選んでいる。
町の建物の配置を熟知しているようだ。
「トルーキン!」
「はい」
「あの人、泥棒なんだよね?」
「そのようでございますね」
殿下は屋根の上を見つめた。
「捕まえたいな。でも、勝手に追いかけちゃ駄目なんだよね?」
「はい。まずは護衛責任者に相談いたしましょう」
殿下はうなずくと、近くにいた騎士へ向き直った。
「ねえ、あの人を捕まえるお手伝い、できないかな?」
「……危険な追跡はお控えいただきたいところですが」
護衛責任者が屋根を見上げる。
ちょうどそのとき、盗賊が一瞬だけ立ち止まった。
そして、隣の建物へ跳び移る。
衛兵たちが一斉に走り出した。
……ん?
僕は、別の屋根へ視線を向けた。
今、一瞬だけ、もう一つの黒い影が見えなかっただろうか。
だが、その影はすぐに建物の陰へ消えてしまった。
「トルーキン殿」
護衛責任者が声をかけてきた。
「どうされますか?」
「衛兵の方々を支援するのがよろしいかと。ただし、人通りが多いので、周囲の安全にも配慮する必要がございます」
「承知しました。クリストフ、トルーキン殿とお嬢様から離れるな」
「はっ!」
……よし。
今回は魔物相手ではない。
あのガルーダを一撃で倒した殿下の拳が人間に当たれば、命に関わる。
「お嬢様。今回は決して殴ってはいけませんよ」
「うん。わかってる!」
「相手に怪我をさせず、捕まえてください」
「任せて!」
……さて。
僕も、できることをしよう。
◇
盗賊は屋根の上を走り続けていた。
衛兵たちとの距離は、むしろ広がっている。
……見事な逃走技術だ。
しかし、次の行動は予想外だった。
盗賊は煙突のそばで黒い外套を脱ぎ、そこへ引っかけたのだ。
そして、自分は屋根の反対側へ姿を消した。
「いたぞ!あそこだ!」
衛兵たちが、煙突の方へ走っていく。
……なるほど。
外套を人影に見せかけた囮か。
だが、あのままではすぐに見破られるだろう。
もっとも、数秒も稼げれば十分なのかもしれない。
僕は《算神》を発動した。
建物の高さと配置。
屋根から地面までの距離。
そして、盗賊が最後に移動した方向。
昼間に確認した町の地図と照らし合わせ、逃走できる経路を絞っていく。
……ふむ。
煙突の反対側から屋根を降りたなら、細い路地へ入れるはずだ。
そこから市場へ抜ければ、人混みに紛れることもできる。
よく考えられた逃走経路だ。
だが、先回りできないわけではない。
「お嬢様!次の角を右でございます!」
「右?でも、あの人は左へ逃げたよ?」
「右の路地は、その先で合流しております!」
「わかった!」
殿下が駆け出す。
クリストフ殿も、その後を追った。
僕も身体強化を使い、二人に続く。
……さて。
いくら足が速くとも、通れる道には限りがある。
その先を押さえればよい。
◇
黒装束の人物が、路地の向こうから姿を現した。
衛兵たちを振り切ったと思っているのだろう。
足取りには、まだ余裕がある。
しかし、角を曲がった瞬間。
「待ちなさーい!」
「……なっ!?」
盗賊が急停止した。
目の前に、エクレシア殿下が立っていたのだ。
だが、相手も素人ではなかった。
驚いたのも一瞬。
すぐに壁を蹴って屋根へ逃れようとする。
……速い。
判断も早い。
しかし。
「そっちは駄目!」
殿下が地面を蹴った。
赤い髪が揺れ、盗賊の頭上を軽々と飛び越える。
「なっ……!?」
殿下は空中で身体をひねり、相手の進路へ着地した。
「もう逃がさないよ!」
盗賊が反対方向へ身を翻す。
だが、そこにはクリストフ殿が立っていた。
「そこまでです!」
前後を塞がれた盗賊が、小さく舌打ちした。
……これで終わりだろうか。
そう思った瞬間だった。
盗賊の手が懐へ伸びた。
小さな球を取り出し、石畳へ叩きつける。
パンッ!
乾いた音とともに、白い煙が広がった。
「うわっ!」
……煙幕か!
盗賊は視界が遮られた隙に、脇の通路へ飛び込んだ。
……なるほど。
ここまで想定していたのか。
だが、煙で見えなくなっても、建物の位置まで変わるわけではない。
「お嬢様! 左の壁沿いを進んでください!」
「うん!」
殿下が煙の中から飛び出した。
盗賊は、すでに路地の奥へ向かって走っている。
壁を蹴り、積まれた木箱を飛び越え、狭い通路を巧みに抜けていく。
……相当な訓練を積んでいるらしい。
そのとき。
盗賊が、短く口笛を吹いた。
……ん?
僕は音のした方向へ目を向けた。
少し離れた建物の陰から、二つの人影が飛び出す。
どちらも、布に包んだ荷物を抱えていた。
……そういうことか。
先ほど、屋根の上で見かけた別の影。
あれも仲間だったのだろう。
この盗賊は、わざと衛兵たちの目を引きつけていたのだ。
そして、その間に仲間を逃がしていた。
……なかなかの策士だな。
しかも、自分が危険な役割を引き受けている。
よほど仲間を信頼しているのか。
あるいは、仲間が運んでいる荷物が、それほど重要なのか。
考えている暇はなかった。
目の前の盗賊も、まだ逃走を続けている。
「お嬢様!その先は行き止まりでございます!」
「わかった!」
殿下が速度を上げた。
盗賊は路地の奥へ駆け込んだが、そこには高い壁があった。
……行き止まりだ。
それでも、すぐに壁へ手をかけ、登ろうとする。
だが、その手が上へ伸びきるよりも早く。
「はい!そこまで!」
殿下が、盗賊の腕をつかんだ。
「……っ!?」
盗賊の身体が止まる。
振りほどこうとしても、殿下の手はびくともしない。
「な、何、この力……!」
「もう逃げないでね!」
殿下は腕を後ろへ回し、相手を傷つけないよう慎重に押さえ込んだ。
盗賊が身体をひねる。
だが、どれほど抵抗しても逃れられない。
……無理もない。
ガルーダを一撃で吹き飛ばした《拳神》である。
いくら逃走の達人でも、力比べでは勝負にならないだろう。
「……参った。降参よ」
盗賊が息を吐いた。
「うん!捕まえた!」
殿下が満足そうに笑う。
すぐにクリストフ殿が近づき、盗賊の両手を拘束した。
「ご協力ありがとうございます。あとは私が」
「うん!お願いね!」
殿下が手を離す。
今回は、拳を振るわなかった。
しかも、相手に怪我をさせずに捕まえている。
あれほどの力を持ちながら、それを必要以上に使わなかった。
……立派になられたものだ。
◇
「……まさか、こんな子供に捕まるとはね」
拘束された盗賊が苦笑した。
その声を聞いて、僕は眉をひそめた。
……ん?
どこかで聞いたことのある声だ。
「ねえ、顔を隠してるのはどうして?」
殿下が尋ねる。
「……見られたくないからよ」
「でも、もう捕まったんだよ?」
盗賊は少し黙り込んだ。
そして、諦めたように口元の布を外した。
「……あっ!」
殿下が驚きの声を上げた。
「ベラさん!?」
……!
僕も思わず目を見開いた。
間違いない。
昼間、パン屋で出会った女性だった。
「……やれやれ」
ベラさんが肩をすくめた。
「よりによって、昼間のお客様に捕まるとは思わなかったよ」
「……ベラさんが、泥棒だったの?」
「そういうこと」
彼女は、悪びれた様子もなく答えた。
「昼はパン屋のベラ。夜は盗賊団バカラの首領。それが私の正体よ」
……なるほど。
だから、あれほど自然に屋根を走り回れたのか。
いや、それだけではない。
あの逃走経路。
囮の外套。
煙幕。
そして、仲間を逃がすための合図。
ただの泥棒にしては、あまりにも手際がよすぎる。
……いったい、何者なのだ?
「……それにしても」
ベラさんが、殿下を見つめた。
「さすがね」
「……なにが?」
ベラさんは、にやりと笑った。
「《拳神》、アンカルジアの悪夢は伊達じゃない」
……。
その言葉に、殿下が首を傾げた。
「……悪夢?」
「そうさ。あなたのことよ」
「……私が?」
殿下は少し考え込んだ。
そして、僕を振り返った。
「ねえ、トルーキン。私って悪夢なの?」
……。
なんとも答えにくい質問だ。
確かに、殿下に殴り飛ばされた者は少なくない。
救護院の悪徳官僚。
騎士団長。
そして、先日のガルーダ。
……。
「……悪事を働く方々にとっては、そうかもしれませんね」
殿下は少し考えた。
そして、納得したようにうなずいた。
「……じゃあ、いいか!」
……。
よいのだろうか。
ベラさんが愉快そうに笑った。
「はははっ!噂どおり、面白いお姫様ね!」
……待て。
今、何と言った?
「……あなたは、この方がどなたなのかご存じなのですか?」
ベラさんは、当然のことのようにうなずいた。
「もちろん」
そして、周囲を確認すると、声を落とした。
「アンカルジア王国第一王女、エクレシア殿下」
「……!」
殿下が目を丸くした。
「どうして知ってるの?」
「こっちにも、いろいろ情報は入ってくるのよ」
「……情報?」
「王女様が王都を出たことも、ガルーダを倒したこともね」
……。
僕は警戒を強めた。
王宮からの旅程が漏れているのだろうか。
それとも、この盗賊団には各地に情報を集める仲間がいるのか。
……いずれにせよ。
ただの盗賊とは考えにくい。
「……それにしても」
僕は、ベラさんに尋ねた。
「ずいぶん落ち着いておられますね」
「そう?」
「盗賊団の首領が捕まったのですよ?」
ベラさんは、小さく笑った。
「まあね。でも、私の仕事は済んだから」
……やはり。
「仲間を逃がすのが目的だったのですね?」
「さあ、どうでしょう」
ベラさんは、答えなかった。
しかし、その表情にはどこか安堵の色があった。
……なるほど。
自分が捕まる危険を冒してまで、仲間に何かを持ち出させた。
金品だけが目的なら、これほどの危険を冒す必要があるだろうか。
もしかすると、仲間が運んでいた荷物には、金以上に重要なものがあったのかもしれない。
◇
「隊長!こちらです!」
衛兵たちが追いついてきた。
先頭にいたのは、先ほど屋敷の前で指示を出していた男だった。
「盗賊を捕まえたのか!」
「はい。こちらの方々にご協力いただきました」
クリストフ殿が答える。
男はベラさんを確認すると、厳しい表情になった。
「……貴様がバカラの首領か」
「さてね」
「とぼけるな。連行するぞ!」
衛兵たちが、ベラさんの身柄を引き取ろうとする。
しかし、僕は一歩前へ出た。
「少々お待ちいただけますか」
「何だ?」
「この方に、いくつか確認したいことがございます」
「何を言っている!盗賊はすぐに詰所へ連行する決まりだ!」
「もちろん、正式な手続きを妨げるつもりはございません。ただ、私どもにも事情がありまして」
僕は護衛責任者へ目を向けた。
騎士がうなずく。
「まずは詰所へ参りましょう。責任者の方に事情を説明いたします」
……そうだな。
ここで無理に身柄を預かれば、かえって問題になる。
何しろ、僕たちは身分を伏せているのだ。
王女殿下が盗賊を捕まえたとなれば、町中が大騒ぎになるだろう。
それは避けたい。
◇
町の衛兵詰所。
責任者との面会を求めた僕たちは、人目の少ない部屋へ通された。
そこで、国王陛下から預かった書状を提示する。
地方視察に際し、必要に応じて地方官へ協力を求めるためのものだ。
書状を確認した責任者は、驚いた表情を浮かべた。
「……王宮からの正式な視察でございましたか」
「はい。ただし、身分については、くれぐれも内密にお願いいたします」
「承知いたしました」
責任者は慎重に書状を畳んだ。
「盗賊の身柄はこちらで預かります。事情聴取への同席については、私の立ち会いのもとであれば認めましょう」
「ありがとうございます」
「ただ、明朝には正式な報告を上げなければなりません」
「承知しております」
どうやら、今夜のうちに詳しい事情を聞いておく必要がありそうだ。
ベラさんは隣室で身体検査を受け、武器や煙幕用の道具を取り上げられていた。
盗んだ革袋も、証拠品として詰所に保管されている。
やがて、衛兵に付き添われたベラさんが部屋へ入ってきた。
「……随分と丁寧な扱いね」
ベラさんは、僕たちを見るなり苦笑した。
……やれやれ。
この人物には、何もかも見透かされているようで落ち着かない。
「ベラさん」
殿下が、静かに口を開いた。
「何?」
「どうして泥棒なんかしてるの?」
ベラさんの表情から、笑みが消えた。
「……どうして?」
「うん。パン屋さんをやってるんでしょ?あんなにおいしいパンを作れるのに」
殿下は、まっすぐに相手を見つめている。
「それに、子供にも優しかったよね」
ベラさんは黙っていた。
「なのに、どうして人のお金を盗むの?」
しばらくの沈黙。
やがて、ベラさんが口を開いた。
「……あなたたち王都の人間には、わからないでしょう」
「……どういうこと?」
「王宮で暮らしていれば、この町で何が起きているかなんて、知る必要もない」
その声には、先ほどまでの余裕がなかった。
「私たちがどれだけ苦しんでも、王宮には届かないのよ」
……。
殿下が黙り込んだ。
僕も、すぐには言葉を返せなかった。
「ベラさん」
やがて、殿下が尋ねた。
「それって、どういう意味?」
ベラさんは、机の上に置かれた革袋へ目を向けた。
屋敷から盗み出した金貨の袋だ。
「……王女殿下」
「……うん」
「この袋に入っている金が、本当は誰のものなのか」
彼女の目には、先ほどまでの笑みはなかった。
「考えたことはある?」
……。
僕は、革袋を見つめた。
シャル伯爵家の財務を扱う貴族の屋敷から盗まれた金。
普通に考えれば、屋敷の所有者の財産だ。
だが、ベラさんはなぜそんなことを尋ねるのだろう。
しかも、仲間に運ばせた荷物は、まだ見つかっていない。
……どうやら。
この事件は、単なる盗賊騒ぎでは終わらないらしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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