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【10/22連載開始】王女殿下、まずは拳をお下げください ~平民出身の転生執事、最強王女を育成する~  作者: アカメノコバチ


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第17話 その泥棒を捕まえてください

 シャル伯爵領の中心都市に到着したのは、ガルーダを討伐した村を出発してから数日後のことだった。


 城壁に囲まれた町の周囲には、広大な農地が広がっている。


「トルーキン!町が見えてきたよ!」


 馬車の窓から、エクレシア殿下が嬉しそうに声を上げた。


「はい。あちらがシャル伯爵領の中心都市でございます」


「大きいね!」


「お嬢様。あまり身を乗り出されませんように」


「あっ、そうだった!」


 殿下は素直に座席へ戻った。


 この調子なら、今回は落ち着いて視察できるかもしれない。


 ……できれば、そう願いたい。


 ◇


 城門を抜けると、賑やかな声が聞こえてきた。


 石畳の大通りには商店が軒を連ね、買い物客や荷車が行き交っている。


 野菜や果物を並べた露店に、色鮮やかな布を吊るした店。


 陶器を積み上げた店先では、客と商人が値段の交渉をしていた。


「ねえ、トルーキン!あのお店は何?」


「布地を扱っているようでございます」


「じゃあ、あっちは?」


「食器でございますね」


「へえーっ!いろんなお店があるんだね!」


 殿下は楽しそうに辺りを見回している。


 王都ほどではないが、なかなか活気のある町だ。


 ……ただ。


「また値上がりしたのかい?」


「仕方ありませんよ。仕入れ値が上がっているんですから」


 通りの片隅で、そんな会話が聞こえてきた。


 見ると、年配の女性が野菜売りと話している。


「これじゃ、食べていけないよ」


 女性は小さくため息をつき、何も買わずに立ち去った。


 ……ふむ。


 どこの町でも、物価の上昇は家計に響くものだ。


 だが、この町は随分と賑わっている。


 豊かな商業都市でも、暮らし向きは人によって違うのだろう。


「ねえ、トルーキン。これ、何?」


 殿下が足を止めた。


 広場に設置された掲示板だ。


 何枚もの知らせが貼られている中で、ひときわ大きな手配書が目を引いた。


『盗賊団バカラ。首領の素性不明。捕縛に協力した者には報奨金を与える』


 ……盗賊団か。


「最近、この町で盗みが相次いでいるようでございますね」


「泥棒?」


「はい。主に貴族の屋敷や裕福な商人が狙われているようです」


「……そうなんだ」


 殿下は手配書をじっと見つめた。


「ねえ、トルーキン。泥棒って、捕まえなきゃいけないんだよね?」


「そのとおりでございます。ただし、我々は盗賊を探しに来たわけではございません」


「うん。わかってるよ」


 殿下はうなずいた。


「でも、困ってる人がいたら助けたいな」


「その際は、護衛の方々とも相談いたしましょう」


「うん!」


 ……よし。


 どうやら、旅の約束は覚えておられるらしい。


 ◇


「あっ!」


 殿下が、突然足を止めた。


「トルーキン!いい匂い!」


 ……。


 今度は何だろうか。


 視線を追うと、一軒のパン屋があった。


 店先には焼きたてのパンが並び、香ばしい匂いが通りまで漂っている。


「ねえ、寄っていこうよ!」


「……お昼も近いですし、よろしいでしょう」


「やった!」


 殿下は弾むような足取りで店へ向かった。


 ……まったく。


 食べ物を見つける速さだけは、相変わらずだ。


「いらっしゃいませ」


 店内へ入ると、一人の女性が出迎えてくれた。


 三十歳前後だろうか。


 整った顔立ちに、落ち着いた物腰。


 質素な服装に白いエプロンを身につけている。


「どうぞ、ごゆっくりご覧くださいませ。お好みのものがございましたら、お申しつけください」


「わあ!どれもおいしそう!」


「ありがとうございます。今朝、夫が焼き上げたばかりでございます」


 女性が柔らかな笑みを浮かべた。


「私、ベラと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


「私はエク!こっちはトルーキン!」


 今回の旅では、殿下はエクという呼び名を使うことにした。


 身分を伏せて旅をする以上、各地で本名を名乗るのは避けた方がよい。


「エク様でございますね。お会いできて光栄です」


 ベラさんが、優雅に一礼した。


 ……ん?


 僕は、その動きに目を留めた。


 片足をわずかに引き、背筋を伸ばしたまま膝を曲げる。


 視線を落とすタイミングも、実に自然だった。


 ……ふむ。


 宮廷で見慣れた礼法によく似ている。


 単に丁寧な挨拶というだけではない。


 貴人に対する挨拶の作法が、身体に染みついているように見えた。


 ……いや。


 礼儀作法に詳しい平民など、いくらでもいるだろう。


 気にしすぎかもしれない。


「ベラさん!このパン、おすすめ?」


「はい。蜂蜜を少し練り込んでおりますので、甘いものがお好きでしたら、お気に召すかと存じます」


「甘いの!?じゃあ、それ!」


「かしこまりました」


 ベラさんがパンを取り分けていると、奥の厨房から一人の男性が現れた。


「ベラ、次のパンが焼けたぞ」


「ありがとう、シルバー」


 大柄な男性だった。


 袖をまくった腕には、長年パン生地をこねてきたのだろう、しっかりとした筋肉がついている。


「おや、お客さんか」


「こちらは、エク様とトルーキン様です」


「いらっしゃい。俺はシルバー。この店でパンを焼いている」


「シルバーさん!このパン、シルバーさんが作ったの?」


「ああ。そうだよ」


「すごいね!おいしそう!」


 シルバーさんは照れくさそうに笑った。


「ははは。そう言ってもらえると嬉しいな」


 ……なるほど。


 なかなか感じのよい夫婦だ。


 ◇


「んんっ!おいしい!」


 殿下がパンを頬張り、目を輝かせた。


「トルーキン!これ、おいしいよ!」


「それは何よりでございます」


「一口食べてみて!」


「では、お言葉に甘えて」


 小さく分けてもらったパンを口に運ぶ。


 ……ほう。


 外側は香ばしく、中は柔らかい。


 蜂蜜の甘さも控えめで、実によい仕上がりだ。


「確かに、おいしゅうございますね」


「でしょ!」


 殿下が、得意そうに笑う。


 ……なぜ、殿下が自慢されるのだろうか。


 そのとき、小さな男の子が店へ入ってきた。


「……あの」


「いらっしゃいませ」


 ベラさんが優しく声をかける。


 少年は、小さな銅貨を数枚握りしめていた。


「これで、パンを買えますか?」


 ベラさんは、少年の手の中を見た。


 そして、静かにうなずいた。


「もちろんでございますよ」


 棚からパンを一つ取り、袋へ入れる。


 さらに、もう一つ小さなパンを添えた。


「こちらは、今日のおまけでございます」


「……えっ、いいの?」


「はい。たくさん食べて、大きくなってくださいませ」


「ありがとう!」


 少年は嬉しそうに店を出ていった。


「ベラさん、優しいね!」


 殿下が言うと、ベラさんは微笑んだ。


「この町には、十分に食事を取れない子供たちもおりますので」


「……そうなの?」


「ええ。町が賑わっていても、すべての方が豊かというわけではございません」


 殿下は、先ほど少年が出ていった扉へ目を向けた。


「……そっか」


 少し考えているようだった。


 僕も店先に並ぶパンへ目を向けた。


 ……しかし。


 随分と良心的な値段だ。


 市場で聞いた小麦粉の相場を考えると、ほかの店よりかなり安い。


 しかも、おまけまでつけている。


 これで利益が出るのだろうか。


「失礼ですが、こちらのパンは随分とお安いのですね」


「ありがとうございます。できるだけ多くの方に召し上がっていただけるよう、夫と相談して決めた価格でございます」


「しかし、材料費もかかるでしょう」


「ええ。ですから、夫にはいつも苦労をかけております」


 ベラさんが、シルバーさんへ視線を向けた。


「まあ、二人でやっている店だからな。何とかなるさ」


 シルバーさんは苦笑した。


 ……ふむ。


 確かに、人を雇っていなければ人件費は抑えられる。


 仕入れ先との取引条件も、店によって異なるだろう。


 今のところ、単なる僕の疑問にすぎない。


 そのとき、店の外を数人の男たちが通り過ぎた。


 揃いの上着を着ている。


 どうやら、この町の役人らしい。


 ベラさんは、ほんの一瞬だけそちらへ目を向けた。


 そして、何事もなかったように微笑んだ。


「ほかに、お求めのものはございますか?」


 ……おや?


 気のせいだろうか。


 今、一瞬だけ表情が硬くなったように見えたのだが。


「トルーキン?」


「はい」


「そろそろ行こうよ!ほかのお店も見たい!」


「そうでございますね」


 僕たちは、店を出ることにした。


「ありがとうございました。またのお越しを、心よりお待ちしております」


 ベラさんが丁寧に頭を下げる。


 ……。


 やはり、気になる。


 先ほどの礼法。


 パンの値段。


 そして、役人たちが通り過ぎたときの表情。


 ……偶然だろうか。


 もっとも、どれも不審だと決めつけるほどのものではない。


 僕は疑問を胸にしまい、殿下とともに店を後にした。


 ◇


 夕方。


 町の商店を見て回った僕たちは、宿へ向かっていた。


 空は少しずつ暗くなり、通りには明かりが灯り始めている。


「今日は楽しかったね!」


「そうでございますね」


「パンもおいしかったし!」


 ……結局、そこなのか。


 まあ、殿下が楽しんでおられるなら何よりだ。


 そのときだった。


「泥棒だぁぁっ!」


 突然、通りの向こうから叫び声が聞こえた。


「バカラだ!盗賊団バカラが出たぞ!」


 ……何?


 声のした方へ目を向ける。


 立派な石造りの屋敷から、数人の衛兵が飛び出してきた。


「逃がすな!金を取り戻せ!」


 衛兵たちは建物の屋根を見上げている。


 その視線の先には、黒い外套をまとった人物がいた。


 顔の下半分を布で隠し、片手には小さな革袋を握っている。


 盗賊は屋根の端まで走ると、ためらうことなく隣の建物へ跳び移った。


 ……速い。


 しかも、着地する場所を迷わず選んでいる。


 町の建物の配置を熟知しているようだ。


「トルーキン!」


「はい」


「あの人、泥棒なんだよね?」


「そのようでございますね」


 殿下は屋根の上を見つめた。


「捕まえたいな。でも、勝手に追いかけちゃ駄目なんだよね?」


「はい。まずは護衛責任者に相談いたしましょう」


 殿下はうなずくと、近くにいた騎士へ向き直った。


「ねえ、あの人を捕まえるお手伝い、できないかな?」


「……危険な追跡はお控えいただきたいところですが」


 護衛責任者が屋根を見上げる。


 ちょうどそのとき、盗賊が一瞬だけ立ち止まった。


 そして、隣の建物へ跳び移る。


 衛兵たちが一斉に走り出した。


 ……ん?


 僕は、別の屋根へ視線を向けた。


 今、一瞬だけ、もう一つの黒い影が見えなかっただろうか。


 だが、その影はすぐに建物の陰へ消えてしまった。


「トルーキン殿」


 護衛責任者が声をかけてきた。


「どうされますか?」


「衛兵の方々を支援するのがよろしいかと。ただし、人通りが多いので、周囲の安全にも配慮する必要がございます」


「承知しました。クリストフ、トルーキン殿とお嬢様から離れるな」


「はっ!」


 ……よし。


 今回は魔物相手ではない。


 あのガルーダを一撃で倒した殿下の拳が人間に当たれば、命に関わる。


「お嬢様。今回は決して殴ってはいけませんよ」


「うん。わかってる!」


「相手に怪我をさせず、捕まえてください」


「任せて!」


 ……さて。


 僕も、できることをしよう。


 ◇


 盗賊は屋根の上を走り続けていた。


 衛兵たちとの距離は、むしろ広がっている。


 ……見事な逃走技術だ。


 しかし、次の行動は予想外だった。


 盗賊は煙突のそばで黒い外套を脱ぎ、そこへ引っかけたのだ。


 そして、自分は屋根の反対側へ姿を消した。


「いたぞ!あそこだ!」


 衛兵たちが、煙突の方へ走っていく。


 ……なるほど。


 外套を人影に見せかけた囮か。


 だが、あのままではすぐに見破られるだろう。


 もっとも、数秒も稼げれば十分なのかもしれない。


 僕は《算神》を発動した。


 建物の高さと配置。


 屋根から地面までの距離。


 そして、盗賊が最後に移動した方向。


 昼間に確認した町の地図と照らし合わせ、逃走できる経路を絞っていく。


 ……ふむ。


 煙突の反対側から屋根を降りたなら、細い路地へ入れるはずだ。


 そこから市場へ抜ければ、人混みに紛れることもできる。


 よく考えられた逃走経路だ。


 だが、先回りできないわけではない。


「お嬢様!次の角を右でございます!」


「右?でも、あの人は左へ逃げたよ?」


「右の路地は、その先で合流しております!」


「わかった!」


 殿下が駆け出す。


 クリストフ殿も、その後を追った。


 僕も身体強化を使い、二人に続く。


 ……さて。


 いくら足が速くとも、通れる道には限りがある。


 その先を押さえればよい。


 ◇


 黒装束の人物が、路地の向こうから姿を現した。


 衛兵たちを振り切ったと思っているのだろう。


 足取りには、まだ余裕がある。


 しかし、角を曲がった瞬間。


「待ちなさーい!」


「……なっ!?」


 盗賊が急停止した。


 目の前に、エクレシア殿下が立っていたのだ。


 だが、相手も素人ではなかった。


 驚いたのも一瞬。


 すぐに壁を蹴って屋根へ逃れようとする。


 ……速い。


 判断も早い。


 しかし。


「そっちは駄目!」


 殿下が地面を蹴った。


 赤い髪が揺れ、盗賊の頭上を軽々と飛び越える。


「なっ……!?」


 殿下は空中で身体をひねり、相手の進路へ着地した。


「もう逃がさないよ!」


 盗賊が反対方向へ身を翻す。


 だが、そこにはクリストフ殿が立っていた。


「そこまでです!」


 前後を塞がれた盗賊が、小さく舌打ちした。


 ……これで終わりだろうか。


 そう思った瞬間だった。


 盗賊の手が懐へ伸びた。


 小さな球を取り出し、石畳へ叩きつける。


 パンッ!


 乾いた音とともに、白い煙が広がった。


「うわっ!」


 ……煙幕か!


 盗賊は視界が遮られた隙に、脇の通路へ飛び込んだ。


 ……なるほど。


 ここまで想定していたのか。


 だが、煙で見えなくなっても、建物の位置まで変わるわけではない。


「お嬢様! 左の壁沿いを進んでください!」


「うん!」


 殿下が煙の中から飛び出した。


 盗賊は、すでに路地の奥へ向かって走っている。


 壁を蹴り、積まれた木箱を飛び越え、狭い通路を巧みに抜けていく。


 ……相当な訓練を積んでいるらしい。


 そのとき。


 盗賊が、短く口笛を吹いた。


 ……ん?


 僕は音のした方向へ目を向けた。


 少し離れた建物の陰から、二つの人影が飛び出す。


 どちらも、布に包んだ荷物を抱えていた。


 ……そういうことか。


 先ほど、屋根の上で見かけた別の影。


 あれも仲間だったのだろう。


 この盗賊は、わざと衛兵たちの目を引きつけていたのだ。


 そして、その間に仲間を逃がしていた。


 ……なかなかの策士だな。


 しかも、自分が危険な役割を引き受けている。


 よほど仲間を信頼しているのか。


 あるいは、仲間が運んでいる荷物が、それほど重要なのか。


 考えている暇はなかった。


 目の前の盗賊も、まだ逃走を続けている。


「お嬢様!その先は行き止まりでございます!」


「わかった!」


 殿下が速度を上げた。


 盗賊は路地の奥へ駆け込んだが、そこには高い壁があった。


 ……行き止まりだ。


 それでも、すぐに壁へ手をかけ、登ろうとする。


 だが、その手が上へ伸びきるよりも早く。


「はい!そこまで!」


 殿下が、盗賊の腕をつかんだ。


「……っ!?」


 盗賊の身体が止まる。


 振りほどこうとしても、殿下の手はびくともしない。


「な、何、この力……!」


「もう逃げないでね!」


 殿下は腕を後ろへ回し、相手を傷つけないよう慎重に押さえ込んだ。


 盗賊が身体をひねる。


 だが、どれほど抵抗しても逃れられない。


 ……無理もない。


 ガルーダを一撃で吹き飛ばした《拳神》である。


 いくら逃走の達人でも、力比べでは勝負にならないだろう。


「……参った。降参よ」


 盗賊が息を吐いた。


「うん!捕まえた!」


 殿下が満足そうに笑う。


 すぐにクリストフ殿が近づき、盗賊の両手を拘束した。


「ご協力ありがとうございます。あとは私が」


「うん!お願いね!」


 殿下が手を離す。


 今回は、拳を振るわなかった。


 しかも、相手に怪我をさせずに捕まえている。


 あれほどの力を持ちながら、それを必要以上に使わなかった。


 ……立派になられたものだ。


 ◇


「……まさか、こんな子供に捕まるとはね」


 拘束された盗賊が苦笑した。


 その声を聞いて、僕は眉をひそめた。


 ……ん?


 どこかで聞いたことのある声だ。


「ねえ、顔を隠してるのはどうして?」


 殿下が尋ねる。


「……見られたくないからよ」


「でも、もう捕まったんだよ?」


 盗賊は少し黙り込んだ。


 そして、諦めたように口元の布を外した。


「……あっ!」


 殿下が驚きの声を上げた。


「ベラさん!?」


 ……!


 僕も思わず目を見開いた。


 間違いない。


 昼間、パン屋で出会った女性だった。


「……やれやれ」


 ベラさんが肩をすくめた。


「よりによって、昼間のお客様に捕まるとは思わなかったよ」


「……ベラさんが、泥棒だったの?」


「そういうこと」


 彼女は、悪びれた様子もなく答えた。


「昼はパン屋のベラ。夜は盗賊団バカラの首領。それが私の正体よ」


 ……なるほど。


 だから、あれほど自然に屋根を走り回れたのか。


 いや、それだけではない。


 あの逃走経路。


 囮の外套。


 煙幕。


 そして、仲間を逃がすための合図。


 ただの泥棒にしては、あまりにも手際がよすぎる。


 ……いったい、何者なのだ?


「……それにしても」


 ベラさんが、殿下を見つめた。


「さすがね」


「……なにが?」


 ベラさんは、にやりと笑った。


「《拳神》、アンカルジアの悪夢は伊達じゃない」


 ……。


 その言葉に、殿下が首を傾げた。


「……悪夢?」


「そうさ。あなたのことよ」


「……私が?」


 殿下は少し考え込んだ。


 そして、僕を振り返った。


「ねえ、トルーキン。私って悪夢なの?」


 ……。


 なんとも答えにくい質問だ。


 確かに、殿下に殴り飛ばされた者は少なくない。


 救護院の悪徳官僚。


 騎士団長。


 そして、先日のガルーダ。


 ……。


「……悪事を働く方々にとっては、そうかもしれませんね」


 殿下は少し考えた。


 そして、納得したようにうなずいた。


「……じゃあ、いいか!」


 ……。


 よいのだろうか。


 ベラさんが愉快そうに笑った。


「はははっ!噂どおり、面白いお姫様ね!」


 ……待て。


 今、何と言った?


「……あなたは、この方がどなたなのかご存じなのですか?」


 ベラさんは、当然のことのようにうなずいた。


「もちろん」


 そして、周囲を確認すると、声を落とした。


「アンカルジア王国第一王女、エクレシア殿下」


「……!」


 殿下が目を丸くした。


「どうして知ってるの?」


「こっちにも、いろいろ情報は入ってくるのよ」


「……情報?」


「王女様が王都を出たことも、ガルーダを倒したこともね」


 ……。


 僕は警戒を強めた。


 王宮からの旅程が漏れているのだろうか。


 それとも、この盗賊団には各地に情報を集める仲間がいるのか。


 ……いずれにせよ。


 ただの盗賊とは考えにくい。


「……それにしても」


 僕は、ベラさんに尋ねた。


「ずいぶん落ち着いておられますね」


「そう?」


「盗賊団の首領が捕まったのですよ?」


 ベラさんは、小さく笑った。


「まあね。でも、私の仕事は済んだから」


 ……やはり。


「仲間を逃がすのが目的だったのですね?」


「さあ、どうでしょう」


 ベラさんは、答えなかった。


 しかし、その表情にはどこか安堵の色があった。


 ……なるほど。


 自分が捕まる危険を冒してまで、仲間に何かを持ち出させた。


 金品だけが目的なら、これほどの危険を冒す必要があるだろうか。


 もしかすると、仲間が運んでいた荷物には、金以上に重要なものがあったのかもしれない。


 ◇


「隊長!こちらです!」


 衛兵たちが追いついてきた。


 先頭にいたのは、先ほど屋敷の前で指示を出していた男だった。


「盗賊を捕まえたのか!」


「はい。こちらの方々にご協力いただきました」


 クリストフ殿が答える。


 男はベラさんを確認すると、厳しい表情になった。


「……貴様がバカラの首領か」


「さてね」


「とぼけるな。連行するぞ!」


 衛兵たちが、ベラさんの身柄を引き取ろうとする。


 しかし、僕は一歩前へ出た。


「少々お待ちいただけますか」


「何だ?」


「この方に、いくつか確認したいことがございます」


「何を言っている!盗賊はすぐに詰所へ連行する決まりだ!」


「もちろん、正式な手続きを妨げるつもりはございません。ただ、私どもにも事情がありまして」


 僕は護衛責任者へ目を向けた。


 騎士がうなずく。


「まずは詰所へ参りましょう。責任者の方に事情を説明いたします」


 ……そうだな。


 ここで無理に身柄を預かれば、かえって問題になる。


 何しろ、僕たちは身分を伏せているのだ。


 王女殿下が盗賊を捕まえたとなれば、町中が大騒ぎになるだろう。


 それは避けたい。


 ◇


 町の衛兵詰所。


 責任者との面会を求めた僕たちは、人目の少ない部屋へ通された。


 そこで、国王陛下から預かった書状を提示する。


 地方視察に際し、必要に応じて地方官へ協力を求めるためのものだ。


 書状を確認した責任者は、驚いた表情を浮かべた。


「……王宮からの正式な視察でございましたか」


「はい。ただし、身分については、くれぐれも内密にお願いいたします」


「承知いたしました」


 責任者は慎重に書状を畳んだ。


「盗賊の身柄はこちらで預かります。事情聴取への同席については、私の立ち会いのもとであれば認めましょう」


「ありがとうございます」


「ただ、明朝には正式な報告を上げなければなりません」


「承知しております」


 どうやら、今夜のうちに詳しい事情を聞いておく必要がありそうだ。


 ベラさんは隣室で身体検査を受け、武器や煙幕用の道具を取り上げられていた。


 盗んだ革袋も、証拠品として詰所に保管されている。


 やがて、衛兵に付き添われたベラさんが部屋へ入ってきた。


「……随分と丁寧な扱いね」


 ベラさんは、僕たちを見るなり苦笑した。


 ……やれやれ。


 この人物には、何もかも見透かされているようで落ち着かない。


「ベラさん」


 殿下が、静かに口を開いた。


「何?」


「どうして泥棒なんかしてるの?」


 ベラさんの表情から、笑みが消えた。


「……どうして?」


「うん。パン屋さんをやってるんでしょ?あんなにおいしいパンを作れるのに」


 殿下は、まっすぐに相手を見つめている。


「それに、子供にも優しかったよね」


 ベラさんは黙っていた。


「なのに、どうして人のお金を盗むの?」


 しばらくの沈黙。


 やがて、ベラさんが口を開いた。


「……あなたたち王都の人間には、わからないでしょう」


「……どういうこと?」


「王宮で暮らしていれば、この町で何が起きているかなんて、知る必要もない」


 その声には、先ほどまでの余裕がなかった。


「私たちがどれだけ苦しんでも、王宮には届かないのよ」


 ……。


 殿下が黙り込んだ。


 僕も、すぐには言葉を返せなかった。


「ベラさん」


 やがて、殿下が尋ねた。


「それって、どういう意味?」


 ベラさんは、机の上に置かれた革袋へ目を向けた。


 屋敷から盗み出した金貨の袋だ。


「……王女殿下」


「……うん」


「この袋に入っている金が、本当は誰のものなのか」


 彼女の目には、先ほどまでの笑みはなかった。


「考えたことはある?」


 ……。


 僕は、革袋を見つめた。


 シャル伯爵家の財務を扱う貴族の屋敷から盗まれた金。


 普通に考えれば、屋敷の所有者の財産だ。


 だが、ベラさんはなぜそんなことを尋ねるのだろう。


 しかも、仲間に運ばせた荷物は、まだ見つかっていない。


 ……どうやら。


 この事件は、単なる盗賊騒ぎでは終わらないらしい。



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