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平民出身の転生執事、最強王女を育成する  作者: アカメノコバチ


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第15話 旅に出るおつもりですか?

 エクレシア殿下の様子がおかしい。


 いや、いつもおかしいと言われれば、それまでなのだが。


 少なくとも、今日の殿下はいつもと違っていた。


「……ねえ、トルーキン」


「はい」


「ここ、どうやるんだっけ?」


 殿下が指差したのは、先ほど説明したばかりの計算問題だった。


 しかも、以前なら簡単に解けていた問題である。


 ……ふむ。


 どうやら、勉強に集中できないらしい。


 僕は、机の端へ目を向けた。


 そこには、一枚の絵が置かれていた。


 先日、殿下が描かれた播種機の絵だ。


 レオンハルト殿下に見せたものの、結局、渡せなかったものである。


「殿下。少し休憩になさいますか?」


「……うん」


 珍しく素直な返事だった。


 殿下は鉛筆を置くと、窓の外を眺めた。


 庭園では、夏の日差しを浴びて噴水の水が輝いている。


「……ねえ、トルーキン」


「はい」


「私、旅に出ようと思うの!」


 ……。


「……はい?」


「旅だよ!王都を出て、いろんなところに行ってみたい!」


 殿下が両手を広げた。


「……突然、どうされたのですか?」


 僕が尋ねると、殿下は少し俯いた。


「……だってさ」


「はい」


「私が王都にいると、レオンが困っちゃうんでしょ?」


 ……。


 先日の報告会を思い出した。


 播種機の成功によって、殿下は国王陛下から高く評価された。


 だが、その功績を理由に王位継承について議論しようとする貴族たちもいる。


 レオンハルト殿下の立場を守ろうとする者たちも、黙ってはいない。


「……はい」


「だから、私が少し離れた方がいいのかなって……」


 殿下が、机の上の絵を見つめる。


 ……そうか。


 自分が頑張ることで、弟君を困らせてしまう。


 そのことを、ずっと気にしておられたのだろう。


「殿下。王都を離れたからといって、王位継承をめぐる議論が収まるとは限りません」


「……そうなの?」


「はい。殿下がどこにおられても、お立場は変わりませんので」


「……そっかぁ」


 殿下の肩が落ちた。


 ……困ったな。


 《算神》があれば、複雑な計算でも一瞬で答えを出せる。


 だが、人の気持ちとなると、そうはいかない。


 ましてや、王位継承が関わっているのだ。


「……でもね!」


 殿下が顔を上げた。


「私、本当にいろんなところへ行ってみたいの!」


「……と申しますと?」


「今まで王都の近くの村には行ったけど、もっと遠くにも行ってみたい!」


 殿下の青い瞳が、少しずつ輝きを取り戻した。


「いろんな町や村で、みんながどんな暮らしをしてるのか知りたいの!」


 ……ほう。


 それは、なかなかよいお考えだ。


 王都ではわからない、地方ならではの事情もあるだろう。


「でしたら、地方視察という形で、国王陛下にご相談されてはいかがでしょうか」


「地方視察?」


「はい。各地の暮らしや産業を学ぶための公務でございます」


「えっ!じゃあ、旅しながら勉強できるの!?」


「そのようなことになります」


「やったぁ!」


 殿下が跳び上がった。


 ……まだ、許可は下りていないのだが。


「じゃあ、早くお父様にお願いしよう!」


「殿下。まずは、本日の授業を終えてからでございます」


「ええーっ!?」


 ……。


 そこは、やはり変わらないらしい。


 ◇


 数日後。


 僕たちは、国王陛下の執務室を訪れていた。


「……地方へ旅に出たい、だと?」


「うん!」


 エクレシア殿下が元気よくうなずく。


 国王陛下は、少し驚いた顔をされた。


「突然、どうしたのだ?」


「私ね、もっといろんな人たちの暮らしを見てみたいの!」


「……ほう」


「王都から離れた町や村にも行って、いっぱいお勉強したい!」


 陛下は、娘の話を静かに聞いておられた。


 そして、僕へ目を向ける。


「トルーキン。そなたの考えか?」


「いえ。殿下ご自身のお考えでございます。私は地方視察という形をご提案いたしました」


「そうか」


 陛下は、しばらく考え込まれた。


「……エクレシア」


「なあに?」


「レオンハルトのことも、気にしておるのではないか?」


 殿下の表情が変わった。


「……うん」


「そうか」


「私、レオンと争いたくないの」


 国王陛下は、しばらく娘を見つめておられた。


「エクレシア。おまえが王都を離れれば、レオンハルトが困らなくなると思うか?」


「……わかんない」


「そうだな。私にもわからぬ」


 陛下は、静かに続けられた。


「だが、おまえが人々を助けたことは、何も悪いことではない」


「……ほんと?」


「もちろんだ。救護院の子供たちも、農民たちも、おまえに感謝しておる」


 殿下が顔を上げた。


「だから、レオンハルトのために、自分の力を隠す必要はない」


「……うん」


「それに、レオンハルトにはレオンハルトのよさがある。おまえとは違う形で、あの子も成長しておる」


 ……。


 国王陛下も、お二人のことをよく考えておられるようだ。


 王位継承問題は、政治的な争いであると同時に、陛下にとっては二人の子供の未来に関わる問題でもある。


「王位継承については、国王である私が責任を持って考える。おまえたちが互いに遠慮して、成長を止める必要はないのだ」


「……わかった!」


 殿下が、ゆっくりとうなずいた。


「それで、地方を見て回りたいという気持ちは変わらぬのか?」


「うん!」


 今度の返事は早かった。


「私、もっといろんなことを知りたい!」


「そうか」


「それにね、お父様!」


「何だ?」


「王都の外にも、困ってる人がいると思うの!」


 陛下が、小さく笑われた。


「……まったく。おまえらしいな」


「えへへっ!」


 そして、陛下は真剣な表情に戻られた。


「……よかろう。地方視察を許可する」


「ほんと!?」


「ああ。ただし、三か月に限る。訪問先は王国内の比較的安全な地域とし、護衛を必ず同行させること」


「うん!」


「旅程を事前に提出し、定期的に王宮へ報告するのだ」


「わかった!」


 陛下は僕へ目を向けられた。


「トルーキン。そなたには視察の補佐を任せる」


「承知いたしました」


「地方官に協力を求めるための書状も用意させよう。ただし、普段は身分を伏せて構わぬ」


「ありがとうございます」


 確かに、最初から王女殿下の訪問を知らせれば、各地で歓迎の準備が始まってしまう。


 それでは、普段の暮らしを知ることが難しい。


「それから、エクレシア」


「なあに?」


「危険な場所へ勝手に踏み込まないでくれよ。特に、不必要に魔物と戦おうなどとは考えるな」


「ええーっ!?」


 ……殿下。


 そこで驚くのは、いかがなものでしょうか。


「でも、困ってる人がいたらどうするの!?」


「まずは相談するのだ。人を助けるために、別の誰かを危険にさらしてはならぬ」


 殿下は、少し考え込んだ。


「……わかった!」


「本当だな?」


「うん!ちゃんと相談する!」


 陛下は僕を見た。


「……トルーキン。くれぐれも頼むぞ」


「……かしこまりました」


 ……さて。


 地方視察。


 聞こえはよい。


 しかし、僕が担当するのは、あのエクレシア殿下である。


 しかも、三か月もの間、王都を離れるのだ。


 僕の出世街道は、いったいいつになれば平穏になるのだろうか。


 ◇


 数日後。


 旅の準備が整った。


 護衛として選ばれた四人の騎士の中には、見覚えのある青年もいた。


「トルーキン殿!」


「おや、クリストフ殿」


 以前、騎士団の模擬戦で僕の指揮する部隊に参加してくれたクリストフ殿だった。


 今回はローディス副団長の推薦を受け、護衛に加わったらしい。


「あっ!クリストフ!」


「殿下!」


「一緒に旅するんだよね!?」


「はい!精一杯お守りいたします!」


「やったぁ!また一緒に戦えるね!」


「……えっ?」


 クリストフ殿の笑顔が固まった。


「殿下。今回は地方視察でございます」


「それくらいわかってるってば!」


 ……。


 本当にわかっておられるのだろうか。


 少々、不安である。


 ◇


 出発の日。


 王宮の門には、馬車と護衛騎士たちが集まっていた。


 今回は身分を伏せて旅をするため、護衛たちも王宮騎士団の紋章を外し、一般の旅人に近い服装をしている。


 もちろん、武器は携えているが。


「トルーキン!どう!?」


 殿下が、嬉しそうに駆け寄ってきた。


 今日は普段の華やかなドレスではなく、動きやすい服装に着替えている。


 白いシャツに紺色の上着。


 丈夫そうな革靴を履き、赤い髪も後ろでまとめていた。


「大変お似合いでございます」


「えへへっ!」


 こうして見ると、活発な貴族の少女といったところだろうか。


 少なくとも、王宮の石柱を粉砕する王女には見えない。


 ……黙っていれば、だが。


「殿下。お荷物はすべてお預けになりましたか?」


「うん!」


 そう答えた殿下の手には、小さく折り畳まれた紙が握られていた。


「……殿下。その絵もお持ちになるのですか?」


「うん!」


 新型播種機の絵だった。


「レオンハルト殿下にお渡しするのでは?」


 殿下は、少しだけ視線を落とした。


「……帰ってきたら、レオンにあげるの」


「……そうでございますか」


「それまでに、もっといろんなことを勉強してくる!」


 殿下は、絵を大切そうに鞄へしまった。


「そしたら、レオンにもいっぱいお話しできるでしょ!」


 ……。


 離れていても、弟君を思う気持ちは変わらないのだろう。


 僕は静かにうなずいた。


「では、参りましょうか」


「うん!」


 殿下が馬車へ乗り込む。


 やがて、馬車がゆっくりと動き始めた。


 王宮の白い城壁が、少しずつ遠ざかっていく。


 殿下は窓から振り返り、しばらく王宮を眺めていた。


 その顔は、少しだけ寂しそうだった。


 ……レオンハルト殿下のことを考えておられるのだろうか。


 やがて、殿下は前を向いた。


「……よーし!いってきまーす!」


 その声には、いつもの元気が戻っていた。


 こうして、僕たちの地方視察が始まった。


 ◇


 王都の北門を抜けると、景色が大きく変わった。


 石造りの建物が途切れ、道の両側に広々とした畑が現れたのだ。


 夏の日差しが大地を照らし、収穫を終えた麦畑には、短い刈り株がどこまでも続いている。


 農民たちが麦束を荷車に積み、遠くの農家からは、かすかに煙が上がっていた。


 風が吹くと、乾いた草の香りが馬車の中まで流れ込んでくる。


「わああっ!」


 殿下が目を輝かせた。


「トルーキン!すっごく広いね!」


「そうでございますね」


 街道の先には緩やかな丘が続き、その向こうに青く霞んだ山並みが見えていた。


 白い雲がゆっくりと流れ、草原に大きな影を落としている。


 道の脇では、小川がさらさらと音を立てて流れていた。


「あっ!あそこ!」


 殿下が指差した先では、農民たちが水路の泥をかき出していた。


「何してるの!?」


「水路の手入れでございましょう。泥がたまると、畑へ十分な水を送れなくなりますので」


「へえーっ!」


 殿下は、興味深そうに作業を眺めた。


「水を流すのも大変なんだね!」


「はい。畑を耕すだけが農業ではございません」


「……そっか!」


 殿下が、大きくうなずく。


 王都近郊の牧場や農村にも足を運んできたが、こうして旅をすると、また違ったものが見えてくる。


 農作物を育てるための水路。


 収穫物を運ぶ荷車。


 そして、街道を行き交う商人たち。


 ……ふむ。


 出発して早々、よい勉強ができているようだ。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「次の村まで、あとどれくらい!?」


 僕は地図を広げた。


 残りの距離と馬車の速度から、到着時刻を計算する。


「二時間ほどでございます」


「ええーっ!まだそんなに!?」


「はい」


「じゃあ、私、走っていこうかな!」


「おやめください」


 ……まったく。


 この方は、馬車の速度にまで不満を持たれるらしい。


 とはいえ、こうして景色を眺めながら旅をするのも悪くない。


 前世では、毎晩のように終電に追われていたのだ。


 今度こそ、ゆとりのある人生を送りたい。


 ……できれば、仕事ではなく旅行として楽しみたいものだが。


 ◇


 午後。


 僕たちは、最初の訪問先となる小さな農村へ到着した。


 村は山の麓にあり、畑と牧草地に囲まれていた。


 木と石で造られた家々が街道沿いに並び、軒先には薪が積まれている。


 庭では鶏が地面をつつき、干された洗濯物が風に揺れていた。


 ……だが。


「……おや?」


 僕は、村外れに広がる畑へ目を向けた。


 畑には作物が実っているものの、収穫が進んでいないように見える。


 道沿いの草も伸び放題で、畑へ続く道には人影がほとんどない。


 ……妙だな。


 今は、収穫や畑仕事で忙しい時期のはずだが。


「トルーキン殿」


 護衛責任者の騎士も、気づいたらしい。


「何かあったのでしょうか?」


「確認してみましょう」


 ちょうどそこへ、村人らしい中年の男が通りかかった。


「旅の方々ですかな?」


「はい。王都から参りました」


「ようこそお越しくださいました」


 男は丁寧に頭を下げた。


 だが、その表情は暗い。


「……実は、今はあまりよい時期ではありませんでな」


「何かございましたか?」


 男は、村の背後に広がる山を見上げた。


「最近、魔物が出るのです」


「魔物!?」


 殿下が、勢いよく振り返った。


 ……。


 嫌な予感がする。


「ガルーダという、空を飛ぶ大きな魔物でしてな。最初は家畜を襲っていたのですが……」


「今は違うのですか?」


「畑仕事をしている者まで襲うようになりまして」


 男は、深いため息をついた。


「畑へ行けなくなった者も大勢おります。収穫を待っている作物もあるというのに……」


 ……なるほど。


 だから、畑があのような状態だったのか。


「領主様には、ご報告されたのでしょうか?」


「もちろんです。討伐隊を手配するとのことですが、まだ到着しておりません」


「そうでございましたか」


「それでも、畑を放っておくわけにはいきませんからな。危険を承知で働きに出る者もおります」


 ……。


 農民たちにとって、収穫を逃すことは生活に直結する。


 魔物が怖いからといって、いつまでも仕事を休めるわけではないのだろう。


「……そんなの、大変じゃん!」


 殿下が、男へ駆け寄った。


「みんな、困ってるんでしょ!?」


「ええ。それはもう……」


「じゃあ、私たちも――」


「お嬢様」


「……あっ」


 殿下が、少し気まずそうな顔をした。


「お父上とのお約束をお忘れではございませんね?」


「覚えてるよ!」


 殿下は、少し考えた。


 そして、護衛責任者の騎士へ向き直る。


「ねえ!私たちに何かできること、ないかな?」


 そのときだった。


「お、おい! あれを見ろ!」


 村の入口から、誰かの叫び声が聞こえた。


 僕たちは、一斉に空を見上げた。


 青空を背に、巨大な影が旋回している。


 茶褐色の翼。


 鋭く曲がったくちばし。


 そして、獲物を引き裂くための巨大な鉤爪。


「ガルーダだぁぁ!」


「みんな、家に入れ!」


 村人たちが悲鳴を上げ、逃げ始めた。


 護衛騎士たちも、すぐに動いた。


「お嬢様をお守りしろ!」


「はっ!」


 騎士たちが、殿下の周囲を固める。


 ……まずい。


 ガルーダが、村の上空を旋回している。


 しかも、かなりの速さだ。


「あっ!トルーキン!」


 殿下が、村外れの畑を指差した。


「あそこ!子供が!」


 見ると、一人の少年が畑の中に立ち尽くしていた。


 近くには、農具を手にした男の姿もある。


 どうやら、親子で畑仕事をしていたらしい。


 ガルーダの出現に気づき、男が少年へ駆け寄ろうとしている。


 だが、そのとき。


 ガルーダが、大きく翼を傾けた。


 巨大な身体が、少年へ向かって急降下を始める。


「トルーキン!」


「承知しております!」


 僕は《算神》を発動した。


 少年までの距離。


 ガルーダの高度。


 そして、目で捉えた飛行速度と下降角度。


 観察した情報から、瞬時に計算する。


 ……まずい。


 このままでは、少年が襲われてしまう。


 しかも、少年のすぐ近くには父親がいる。


 ガルーダを倒せたとしても、二人を巻き込んでは意味がない。


 僕は、急降下するガルーダへ目を向けた。


 ……待てよ。


 この進路ならば。


 僕は、畑と村道の間にある石垣を見た。


 そこは、少年から少し離れた場所にある。


 ……そうか。


 狙うべき場所は、あそこだ。


「クリストフ殿!あの親子の避難をお願いします!」


「承知しました!」


「お嬢様!」


「なに!?」


 エクレシア殿下が、こちらを向いた。


 その瞳には、強い意志が宿っていた。


「私の指示どおりに動いていただけますか!」


「もちろん!」


 殿下が、力強く拳を握った。


 ……さて。


 空を飛ぶ相手に、拳が届くとは限らない。


 だが、向こうから近づいてくれるというのなら。


 話は別だ。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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