第14話② その種は無駄にできません
春の種まきから、四か月ほどが過ぎた。
王都近郊では、大麦の収穫が始まっていた。
「トルーキン! 早く行こう!」
「殿下。まだ出発のお時間ではございません」
「だって、今日なんだよ!」
エクレシア殿下が、そわそわしながら窓の外を眺めていた。
今日は、僕たちが開発した播種機の試験結果が明らかになる日だ。
四つの試験区画では、大麦が順調に育ち、いよいよ収穫を迎えていた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「いっぱい取れるかな!?」
「それを確かめるために参るのでございます」
「もう!そればっかり!」
僕だって、結果が気になっている。
種の使用量は約三割減らせた。
だが、収穫量まで増えるとは限らない。
そのために、条件の近い四つの区画で比較試験を行ったのだ。
……さて。
果たして、どのような結果になっているだろうか。
◇
「王女様ー!」
農村に到着すると、フィンが駆け寄ってきた。
「フィン!」
殿下も嬉しそうに手を振る。
「麦は!?どうなった!?」
「ちゃんと育ちました!」
「やったぁ!」
殿下が両手を上げた。
その後ろから、父親のパウが歩いてきた。
「ようこそお越しくださいました、王女殿下」
「パウさん!お久しぶり!」
「おかげさまで、今年も無事に収穫を迎えられました」
パウの表情は明るかった。
だが、試験結果については、まだ確認が終わっていないらしい。
「では、さっそく畑を拝見してもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます」
僕たちは、以前種をまいた畑へ向かった。
農民たちが、刈り取った大麦を束ねている。
新型播種機を使った区画には、ほぼ等間隔で刈り株が残っていた。
「わあっ!」
殿下が歓声を上げる。
「最後まで、きれいに並んでたんだね!」
「はい。おかげで草取りもしやすく、管理が楽になりました」
パウが答えた。
「実は、ほかの農家の者たちも、収穫結果が気になっているようでして」
「ほんと!?」
「ええ。最初は、あんな機械で麦が育つのかと疑っていた者も多かったのですが」
……まあ、無理もない。
農民にとっては、一年の暮らしがかかった仕事だ。
新しい農具を簡単に信用できるはずがない。
重要なのは、実際に成果が出たかどうかだ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「早くしようよ!」
「そうでございますね」
僕たちは、脱穀と乾燥を終えた麦が集められている場所へ向かった。
◇
手まきで育てた二つの区画。
新型播種機を使った二つの区画。
それぞれで収穫した麦を、別々に量っていく。
合計面積は同じだ。
「どう!?どう!?」
殿下が、横から何度も尋ねてくる。
「今、確認しております」
「早く早く!」
……少しは落ち着いていただきたい。
僕は《算神》を使い、収穫量を集計した。
手まきの区画。
新型播種機の区画。
数字を比較する。
……。
これは、なかなか面白い。
「……殿下」
「なに!?」
「新型播種機を使った区画の方が、収穫量が多くなっております」
「……えっ!?」
殿下が目を丸くした。
「ほんと!?」
「はい。今回の試験では、約八パーセントの増加でございます」
「やったぁぁ!」
殿下が飛び跳ねた。
農民たちからも歓声が上がる。
「種を減らしたのに、収穫が増えたのか!?」
「本当に、そんなことが……!」
パウも驚いた顔で麦の袋を見つめていた。
「……まさか、本当に」
その声が、少し震えていた。
「皆様」
僕は口を開いた。
「今回の結果が、すべての畑で得られるとは限りません。ほかの土地でも試験を続ける必要がございます」
「……そうですか」
「ですが、種を節約できたことと、今回の収穫量が増えたことは事実でございます」
パウが、ゆっくりとうなずいた。
……さて。
しかし、今回の成果はそれだけではない。
「殿下。もう一つ、大切なことがございます」
「なに!?」
「次の種まきに必要な分を取り分けると、違いはさらに大きくなるのです」
「……どういうこと?」
僕は、わかりやすい数字に置き換えて説明した。
「例えば、従来の方法で五十袋収穫し、次の種まきに十袋必要なら、残りは四十袋です」
「うん!」
「一方、新型播種機では五十四袋収穫し、次の種が七袋で済めば、四十七袋残ります」
殿下が考える。
「七袋も増えてる!」
「そのとおりでございます」
僕はうなずいた。
「この例では、次の種を確保したあとに残る穀物が、約一七・五パーセント増える計算になります」
「えええーっ!」
殿下が大きな声を上げた。
「じゃあ、みんなもっといっぱい食べられるね!」
「はい。販売できる量が増える可能性もございます」
パウは、しばらく何も言わなかった。
そして、深々と頭を下げた。
「……王女殿下。本当に、ありがとうございます」
「えっ!?」
「私ども農民にとって、これは大きな希望でございます」
殿下は慌てて首を振った。
「ううん!みんなで頑張ったんだよ!」
そのときだった。
「お父さん!」
フィンが、父親の袖を引いた。
「今年は、麦がたくさん残るの?」
「ああ。この畑では、そうなりそうだ」
「ほんと!?」
少年の顔が明るくなった。
「じゃあ、お母さんのパンもいっぱい作れるね!」
「そうだな。余った分を売れば、ほかに必要なものも買える」
「やった!」
フィンが嬉しそうに跳び上がる。
「よかったね、フィン!」
殿下も、満面の笑みを浮かべていた。
……。
数字だけを見れば、収穫量が八パーセント増えたという結果だ。
だが、その数字の向こうには、こうして暮らしている人々がいる。
家族が食べる麦。
翌年のために残す種。
市場で売る穀物。
その一つ一つが、農民たちの生活に関わっているのだ。
……なるほど。
よい結果になって、本当によかった。
◇
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これ、もっといっぱい作ろうよ!」
殿下が僕へ駆け寄ってきた。
「ほかの村でも使えたら、すっごくいいよね!」
「そうでございますね。ただし、製作には費用がかかります」
「……そっか」
「それに、すべての農家が一台ずつ購入するのは難しいでしょう」
殿下が腕を組んだ。
しばらく考え込む。
そして、突然顔を上げた。
「じゃあさ!」
「はい」
「村のみんなで、一台を順番に使えばいいんじゃない!?」
「共同利用でございますか?」
「うん!お金がない人も使えるでしょ!」
確かに、一台を複数の農家で使えば、費用を分担できる。
ただし、種まきの時期は限られている。
利用する順番や修理の方法も考える必要があるだろう。
「パウ殿。村の皆さんで、一台の播種機を共同利用することは可能でしょうか?」
「……そうですな」
パウが少し考えた。
「畑の広さや種まきの時期を考えて順番を決めれば、できるかもしれません」
「ほんと!?」
「はい。修理や保管の方法も決める必要はありますが」
「じゃあ、みんなで決めようよ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
……ふむ。
発明したものを、誰がどのように使うのか。
そこまで考えるようになられたか。
「殿下。大変よいお考えでございます」
「でしょ!」
……さて。
これは、国王陛下にも報告する価値がありそうだ。
◇
この四か月、僕たちは麦が育つのを待っていただけではない。
殿下の授業の一環として、王都の商業地区や騎士団にも足を運んでいた。
例えば、商業地区。
以前、橋の修繕工事を見学した際には、商人たちが通行止めによって困っていた。
その橋は無事に修繕されたのだが、今度は市場周辺の荷下ろし場に荷馬車が集中していることがわかった。
僕が到着時刻や作業時間を調べると、朝の決まった時間帯に混雑が集中していた。
そこで殿下は、商人たちに尋ねた。
『ねえ、荷物を運ぶ時間をずらしたら駄目なの?』
商人たちにも都合がある。
だが、全員が朝一番に荷物を運ばなければならないわけではなかった。
役人と商人組合が相談し、荷下ろし場所を分け、希望する商人の搬入時間をずらしてみた。
その結果、荷馬車の滞留が減ったという。
騎士団でも、改善があった。
以前の軍用飼料の不正事件を受け、物資の管理方法を見直すことになったのだ。
僕は、納入量、使用量、残量を簡単に確認できる方法を提案した。
さらに、定期的に別の担当者が在庫を確かめる仕組みも設けた。
これに殿下も考えも採り入れられた。
『馬のご飯が足りなくなったら、かわいそうだもんね!』
……実に殿下らしい理由だ。
数か月後には、在庫の食い違いを早期に発見できるようになり、管理が以前より円滑になったという。
もっとも、実際に改善を進めたのは商人や騎士団の人々だ。
僕たちは、そのきっかけを作ったにすぎない。
それでも、小さな取り組みが少しずつ成果につながっているのは、ありがたいことだった。
◇
数日後。
王宮から、僕たちに呼び出しがあった。
播種機の試験結果について、国王陛下へ直接報告することになったのだ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「お父様に、いっぱい褒めてもらえるかな!?」
「それは、報告の内容次第かと存じます」
……まったく。
できれば、褒めてもらうことよりも、正確な報告を優先していただきたい。
僕は、試験結果をまとめた書類を確認した。
種の使用量。
収穫量。
作業時間。
そして、農民たちから寄せられた意見。
……よし。
これなら、十分に説明できるだろう。
◇
「よく来たな、エクレシア」
「お父様!」
殿下が嬉しそうに声を上げた。
国王陛下は、穏やかに微笑まれた。
今日は播種機の報告を受けるため、農政担当の役人たちも集められている。
さらに、宰相や何人かの重臣も同席していた。
その中には、ハートリー公爵とマーリコー公爵の姿もある。
……。
少々、嫌な予感がするな。
「さて、エクレシア。新しい農具を作ったそうだな」
「うん! すっごいんだよ!」
殿下は、パウやフィンとの出会いから話し始めた。
農民たちが毎年たくさんの種を残さなければならないこと。
荷馬車の車輪を見て、播種機を思いついたこと。
そして、トルーキンや職人たちと協力したこと。
「最初は失敗しちゃったんだけど、みんなで直したの」
「ほう。それは大変だったな」
「うん!でも、楽しかった!」
国王陛下が笑った。
「では、トルーキン。試験の結果を聞かせてくれ」
「承知いたしました」
僕は書類を開いた。
今回の試験では、播種機を使った区画で種の使用量が約三割減少した。
さらに、収穫量は約八パーセント増加した。
ただし、土地や気候が異なる場所でも同じ成果が得られるとは限らない。
その点も含めて報告した。
「……なるほど」
国王陛下が、感心したようにうなずかれた。
「種の使用量を抑えながら、収穫も増やせる可能性があるわけだな」
「はい」
「しかも、作業時間の短縮も期待できると」
「おっしゃるとおりでございます」
陛下は、しばらく考えておられた。
そして、殿下へ目を向ける。
「エクレシア。おまえは、この農具をどうしたい?」
「国中で使えるようにしたい!」
即答だった。
「ほう。しかし、費用もかかるぞ?」
「だから、村のみんなで使うの!」
「……みんなで?」
「うん!お金がない人も、順番に使えたらいいでしょ!」
……。
国王陛下が、少し驚いた顔をされた。
「……なるほど」
そして、僕へ目を向ける。
「実現できるのか?」
「はい。利用する順番や修理の方法など、決めるべきことはございますが、可能性は十分にあると考えております」
「ふむ……」
国王陛下は、殿下を見つめた。
「エクレシア。おまえは、ずいぶん成長したようだな」
「……えっ!?」
「以前は、困っている者を見つければ、すぐに自分の力で解決しようとしていた」
「……うん」
「だが、今は人の話を聞き、周囲の力を借りて問題を解決しようとしている」
殿下は、少し照れくさそうに笑った。
「……えへへっ」
そのとき、宰相が口を開いた。
「陛下。実は、商業地区と騎士団からも改善の成果が報告されております」
「……ほう?」
宰相は、二通の書類を差し出した。
「商業地区では荷馬車の滞留が減少し、騎士団では物資管理が円滑になったとのことです」
国王陛下が、書類を見比べた。
「……どちらにも、エクレシアとトルーキンの名前があるな」
「はい。現場の方々からも感謝の言葉が届いております」
「……またエクレシアか」
国王陛下が笑った。
「商業に騎士団、今度は農業まで……」
そして、殿下へ目を向ける。
「エクレシア。おまえは、いったいどこまでやるつもりなのだ?」
「えっ!?」
殿下が首を傾げた。
「だって、みんな困ってたんだもん!」
……。
国王陛下が声を上げて笑った。
「はははっ!そうか!」
「うん!」
殿下も嬉しそうに笑う。
……なるほど。
国王陛下も、娘の成長を喜んでおられるらしい。
◇
「農政担当の者に命じる」
やがて、国王陛下が口を開かれた。
「播種機について、ほかの地域でも試験を行え」
「はっ!」
「王宮工房にも試作機を追加で製作させよ。費用や修理方法についても調べるのだ」
「承知いたしました!」
……おお。
これは、予想以上の展開だ。
僕たちが作った播種機を、王国として本格的に検証することになったらしい。
「それから、エクレシア」
「はい!」
「今回の発案と、農民たちの暮らしを考えた提案は見事だった」
「やったぁ!」
「トルーキンや職人、試験に協力した農民たちの功績も、正式に評価しよう」
「ほんと!?」
「ああ」
「ハインツたちも、パウさんたちも喜ぶね!」
殿下が満面の笑みを浮かべた。
どうやら、自分が褒められたこと以上に、協力してくれた人々が評価されることを喜んでいるらしい。
国王陛下も、満足そうにうなずかれた。
……さて。
これで、今回の報告は無事に終了した。
僕としても、ありがたい限りだ。
王宮の各部署から評価を得られれば、今後の出世にもつながるかもしれない。
……そう思っていたのだが。
どうやら、事態はそれほど単純ではなかったらしい。
◇
報告会が終わり、国王陛下が退席されたあと。
僕たちは、控えの間へ案内された。
「トルーキン!」
「はい」
「お父様に褒められちゃった!」
「そうでございますね」
「しかも、ほかの村でも播種機を試すんだよね!」
「はい。大変よい成果だったと存じます」
殿下が嬉しそうに笑った。
そのときだった。
「エクレシア」
「あっ、おじさま!」
ハートリー公爵が近づいてきた。
「見事だったぞ。農民たちのことまで考えていたとはな」
「えへへっ!ありがとう!」
「これからも、その気持ちを大切にするんだよ」
「うん!」
公爵が満足そうにうなずいた。
すると、少し離れたところから、別の貴族が声をかけてきた。
「ハートリー公爵。今回のご報告、誠に素晴らしいものでしたな」
「ええ。私も驚いております」
「救護院の件だけでも大きな功績でしたが、商業、騎士団、そして農業まで……」
貴族は感心したように続けた。
「王女殿下は、すでに統治者としての資質を示されているのではありませんか?」
……。
嫌な予感がする。
「私も同感です」
別の貴族がうなずいた。
「しかも、まだ十三歳でいらっしゃる。これからの成長が楽しみですな」
「ええ。実に頼もしいことです」
ハートリー公爵が微笑んだ。
だが、次の言葉で空気が変わった。
「……これほどのお方ならば、次代の君主にふさわしいのではありませんか?」
……来た。
その話になってしまったか。
「皆様」
ハートリー公爵が静かに口を開いた。
「王位継承は、軽々しく論じるものではございません」
「もちろん、承知しております」
貴族が答える。
「ですが、王女殿下の可能性を無視することもできないでしょう」
「……確かに、そのとおりですな」
ハートリー公爵は否定しなかった。
すると、貴族の一人が書類を取り出した。
「実は、私どもは国王陛下への新たな嘆願書を準備しております」
「……嘆願書、ですか?」
僕は、思わず口を挟んでしまった。
「ええ。王女殿下の功績を踏まえ、将来の王位継承について正式に議論する場を設けていただきたいと考えております」
……何?
以前も、王女殿下の資質を評価する嘆願書が提出されていたはずだ。
だが、今回は一歩踏み込んでいる。
王位継承そのものを議題にしようというのだ。
「すでに賛同する貴族も集まり始めております」
……まずい。
非常にまずい。
ハートリー公爵は書類を見つめ、しばらく考えていた。
「……なるほど」
そのとき、背後から声が響いた。
「お待ちいただきたい」
振り向く。
マーリコー公爵だった。
「そのようなお話は、看過できませんな」
「……マーリコー公爵」
ハートリー公爵が顔を向けた。
「王女殿下のご功績は、私も高く評価しております」
マーリコー公爵が続ける。
「しかし、それと王位継承は別の問題でしょう」
「……もちろん、承知しております」
「レオンハルト殿下は、国王陛下が正式にお定めになった王太子です」
公爵の声が、わずかに強くなった。
「そのお立場を揺るがすような議論は、王国の安定を損ないかねません」
「ですが、優れた資質を持つ方の可能性を検討することも、王国のためではありませんかな?」
別の貴族が反論した。
「レオンハルト殿下は、まだ十一歳でいらっしゃる」
マーリコー公爵が答える。
「十三歳の王女殿下と現時点の功績を比較すること自体、公平とは申せません」
……確かに、そのとおりだ。
レオンハルト殿下も、王太子として勉学や公務に励んでおられる。
それに、そもそも姉弟を比べる必要などあるのだろうか。
「王位継承をめぐる無用な混乱は、避けるべきでしょう」
マーリコー公爵が言った。
「私どもも、王太子殿下のお立場を改めて明確にしていただくよう、陛下へお願いするつもりです」
……。
なるほど。
王女を支持する貴族たちは、王位継承について正式な議論を求める。
一方、王太子を支持する貴族たちは、レオンハルト殿下の立場を改めて確認するよう求める。
どちらも、国王陛下へ働きかけるつもりらしい。
……困ったな。
これは、単なる貴族同士の意見の違いでは済まなくなりそうだ。
ハートリー公爵とマーリコー公爵は、丁寧な言葉遣いのまま議論を続けている。
だが、どちらも譲る様子はない。
……。
せっかく播種機の開発で評価していただいたというのに。
どうして僕の出世街道には、次から次へと障害物が現れるのだろうか。
◇
「トルーキン!」
殿下が駆け寄ってきた。
「はい」
「ねえ、これ見て!」
殿下が一枚の紙を差し出した。
そこには、新型播種機の絵が描かれていた。
車輪に、種を入れる箱。
そして、土を掘る刃。
細かな部分は少々怪しいが、どのような機械なのかは十分にわかる。
「お上手でございますね」
殿下が嬉しそうに笑った。
「これ、レオンに見せるの!」
……おや。
「レオンハルト殿下に、でございますか?」
「うん!だって、まだ播種機を見たことないでしょ!」
殿下は、絵を大事そうに持っていた。
……そうか。
収穫の結果が出たら、レオンハルト殿下にも伝えたかったのだろう。
先ほどの貴族たちの話など、殿下は知らない。
ただ、レオンハルト殿下にも喜んでほしいのだ。
「では、王太子殿下にお渡しできるようにいたしましょう」
「うん!」
殿下が、満面の笑みを浮かべた。
◇
その日の帰り。
僕たちは王宮の廊下で、思いがけない人物と顔を合わせた。
「あっ!」
殿下が声を上げた。
「レオン!」
……おや。
レオンハルト王太子殿下だった。
数人の侍従を伴い、廊下を歩いておられる。
殿下が嬉しそうに駆け寄った。
「レオン!久しぶり!」
「……姉上」
王太子殿下が足を止めた。
「お久しぶりです」
……。
ずいぶん丁寧な挨拶だな。
「ねえ、これ見て!」
殿下が、先ほどの絵を広げた。
「私たちが作った播種機!」
「……ああ」
レオンハルト殿下が、少し目を見開いた。
「これが、そうなのですか」
「うん!ここに種を入れてね、車輪が回ると種が落ちるの!」
殿下は、嬉しそうに説明する。
レオンハルト殿下も、興味深そうに絵を見つめていた。
「……なるほど。種の量も調整できるのですか?」
「うん!トルーキンが考えてくれたの!」
「それは便利ですね」
その表情が、少しだけ柔らかくなった。
……よかった。
以前のような姉弟の会話が戻ってきた気がする。
しかし。
「……姉上」
「なあに?」
「今回のご功績、おめでとうございます」
「えへへっ!ありがとう!」
「父上も、大変喜んでおられるそうですね」
「うん!」
殿下が元気よくうなずいた。
「レオンも今度、一緒に畑を見に行こうよ!」
王太子殿下は、少しだけ視線を落とされた。
「……申し訳ありません」
「えっ?」
「しばらくは、公務と勉学で予定が詰まっておりますので」
「……そっかぁ」
殿下が、残念そうに笑った。
「レオン、忙しいもんね」
「……はい」
短い返事だった。
そして、レオンハルト殿下が静かに口を開いた。
「姉上は、本当にすごいですね」
「えっ!?」
「皆が、姉上のことを褒めています」
……。
その言葉に、僕は少し引っかかった。
王太子殿下は微笑んでおられる。
だが、どこか寂しそうにも見えた。
「……僕も、もっと頑張らなければなりませんね」
「レオン?」
「王太子として、皆の期待に応えられるように」
……。
十一歳の少年が背負うには、ずいぶん重い言葉だった。
「レオンは、もういっぱい頑張ってるよ!」
殿下が、すぐに答えた。
「私、レオンが頑張ってるの、ちゃんと知ってるもん!」
レオンハルト殿下が顔を上げた。
「……ありがとうございます、姉上」
ほんの一瞬、嬉しそうに見えた。
だが、すぐにいつもの落ち着いた表情へ戻る。
「それでは、失礼いたします」
「……うん。またね!」
殿下が手を振った。
レオンハルト殿下も小さく手を振り、侍従たちとともに歩き去っていった。
……。
ようやく弟君に会えたというのに。
なぜだろう。
以前よりも、二人の距離が遠くなったように感じられた。
◇
夕方。
学習室へ戻ると、殿下は珍しく静かだった。
机の上には、播種機の絵が置かれている。
結局、弟君に渡しそびれてしまったらしい。
「……ねえ、トルーキン」
「はい」
「今日、お父様にいっぱい褒められたね」
「そうでございますね」
「パウさんたちも、すっごく喜んでくれたし!」
「はい」
「……でもさ」
殿下は、少し俯いた。
「レオン、あんまり嬉しそうじゃなかったね」
……。
僕は、すぐには答えられなかった。
「私ね、レオンにも喜んでほしかったんだ」
「……はい」
「だって、二人でこの国をよくしようって約束したもん」
……。
僕は、以前の姉弟の姿を思い出した。
庭園で仲よく笑い合っていた二人。
あの頃は、王位継承をめぐる争いなど、遠い世界の話だった。
だが、今は違う。
殿下の活躍によって、二人の未来が大きく変わろうとしている。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「……私がいっぱい頑張ったら、レオンは困っちゃうの?」
……。
その問いに、僕は言葉を失った。
播種機の開発は、多くの農民たちの暮らしを変える可能性がある。
商業地区や騎士団でも、小さな改善が積み重なっている。
国王陛下も、その成果を喜んでくださった。
だが、殿下の功績が大きくなるほど、王位継承をめぐる争いも激しくなっていく。
すでに、貴族たちは具体的な行動を起こそうとしている。
「……殿下」
「なあに?」
「殿下がなさったことは、多くの人々の助けになっております」
「……うん」
「それは、間違いございません」
殿下が、小さくうなずいた。
しかし、その表情は晴れなかった。
……。
王女殿下と王太子殿下。
二人とも、国をよくしたいと願っている。
だが、王位を継げるのは一人だけだ。
僕は、机の上に置かれた播種機の絵を見つめた。
その絵を描いたとき、殿下はどれほど嬉しそうだったことか。
弟君に喜んでもらえると、信じていたのだろう。
……さて。
僕は、この方に何と答えればよいのだろうか。
どうやら、これまでとはまったく違う問題が、僕たちの前に立ちはだかろうとしていた。
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