第14話① その種は無駄にできません
救護院での事件から、しばらくが経った。
王都近郊では、春の種まきが始まっていた。
「ねえねえ、トルーキン!」
「はい、殿下」
「今日はどこに行くの!?」
「王都の郊外にある農村でございます」
「農村!?」
エクレシア殿下が目を輝かせた。
「もしかして、おいしいものを食べに行くの!?」
「いいえ。農業について学んでいただくためでございます」
「ええーっ!勉強なの!?」
「もちろんでございます」
……まったく。
最近は自分から勉強したいと言い出すことも増えたのだが、遊びに出かける方がお好きらしい。
「でもさ、トルーキン!」
「はい」
「畑に行ったら、おいしいもの食べられるかもしれないよね!」
「……収穫の季節ではございませんので」
「ええーっ!」
そこまで落胆することだろうか。
もっとも、実際に農作業を見れば、食べ物ができるまでにどれほどの苦労があるのか理解していただけるだろう。
今回の訪問については、王宮を通じて農村の代表者へ事前に連絡してある。
近衛騎士も同行するので、準備は万全だ。
……少なくとも、僕としてはそのつもりだった。
◇
王都から馬車でしばらく進むと、広い畑が見えてきた。
緩やかな丘の斜面に、いくつもの畑が広がっている。
その一角では、農民たちが大きな袋を肩に掛け、畑の中を歩いていた。
「わああっ!」
殿下が身を乗り出した。
「見て見て!みんな何かまいてるよ!」
「大麦の種でございますね」
「へえーっ!」
馬車が止まると、殿下は早速外へ飛び出した。
「こんにちはー!」
農民たちが驚いたように顔を上げる。
「お、おおっ!王女殿下!」
「ようこそお越しくださいました!」
四十代ほどの、日に焼けた男性が駆け寄ってきた。
「本日はお世話になります。王女殿下付きの執事、トルーキン・レッドゲートと申します」
「パウと申します。この辺りの農家を取りまとめております」
「パウさん!よろしくね!」
殿下が元気よく挨拶する。
「ところで、それ何してるの!?」
「種まきでございます」
「種って、この袋に入ってるの?」
「はい」
パウが袋の口を開いた。
中には、大麦の種がぎっしりと詰まっていた。
「わあっ! これ、全部まくの!?」
「はい。この畑だけでも、かなりの量が必要になります」
「へえーっ!」
パウは袋から一握りの種を取り出すと、畑へまいた。
ぱらぱらと種が広がる。
「こうして種をまき、そのあとで土を薄くかぶせるのでございます」
「面白そう!」
殿下が両手を上げた。
「私もやりたい!」
……まあ、そうなるだろうな。
僕はパウへ確認した。
「少しだけ体験させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます!」
「やったぁ!」
殿下が袋から種を一握り取り出す。
「いっくよー!」
「殿下。優しくお願いいたします」
「わかってるって!」
殿下が勢いよく腕を振った。
ぱらぱらぱらっ!
……。
種が、ずいぶん遠くまで飛んでいった。
「あれっ!?」
殿下が首を傾げた。
「向こうまで飛んじゃった!」
「……少々、力を入れすぎでございます」
「ごめーん!」
パウが苦笑した。
「最初は皆さん、そんなものですよ」
「ほんと!?」
「はい。種を均等にまくのは、なかなか難しいのでございます」
僕は畑を見渡した。
農民たちは歩く速さと腕の振り方を調整しながら、種をまいている。
近くに集まってしまう種もあれば、ほとんど落ちない場所もある。
長年の経験が必要なのだろう。
「ねえ、パウさん!」
「はい、殿下」
「この畑、全部まくのに何日かかるの?」
「うちの畑だけでも、数日はかかりますな」
「そんなに!?」
「雨が続けば、もっとかかります。種まきに向いた時期を逃すわけにもいきませんので」
「大変だねえ……」
殿下が畑を見渡した。
そのときだった。
「お父さん!」
畑の端から、子供の声が聞こえた。
十歳くらいの少年が、小さな袋を抱えて走ってくる。
「種、持ってきたよ!」
「おお、助かった!」
パウが少年から袋を受け取った。
「息子のフィンでございます」
「こんにちは!」
殿下が笑顔で挨拶する。
「私、エクレシアっていうの!」
「えっ!?王女様!?」
フィンが目を丸くした。
「ほ、本物!?」
「うん!よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします!」
フィンは慌てて頭を下げた。
そして、ふと地面に目を向ける。
「あっ……」
少年がしゃがみ込んだ。
先ほど殿下が遠くへ飛ばした種の一部が、畑の端に散らばっている。
フィンは、それを一粒ずつ拾い始めた。
「……何してるの?」
殿下が尋ねる。
「種を拾ってるんです」
「えっ?」
「もったいないから」
フィンは、拾った種を手のひらに集めた。
「これも、去年みんなで育てた麦なんです」
「……そうなの?」
「はい。全部食べちゃうと、次の麦が作れなくなるから」
殿下が、少年の手のひらを見つめた。
「……そっか」
そして、自分が種をまいた場所へ目を向ける。
「ごめんね。私が変なところに飛ばしちゃったから」
「だ、大丈夫です!」
フィンは慌てて首を振った。
「拾えば、また使えますから!」
殿下は、その場にしゃがみ込んだ。
「じゃあ、私も拾う!」
「えっ!?王女様が!?」
「だって、私が落としたんだもん!」
そう言って、殿下は地面の種を拾い始めた。
……ほう。
こういうところは、感心する。
自分が失敗したときには、相手が誰であろうと素直に謝ることができる。
僕も一緒に種を拾おうとしたが、殿下はすぐに立ち上がった。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「種にしなかったら、これって食べられるんだよね?」
「もちろんでございます」
「じゃあ、種をまく分だけ、食べられる麦が減っちゃうの?」
「……そうなりますね」
パウが答えた。
「ですが、まかなければ次の収穫ができません」
「そっかぁ……」
殿下は、しばらく考えていた。
そして、顔を上げる。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「もっと少ない種で、いっぱい麦を作れないの!?」
……おや。
なかなか面白い質問だ。
「種の量を減らしすぎれば、収穫まで減ってしまう恐れがございます」
「でもさ!」
殿下が畑を指さした。
「同じところに、いっぱい種が落ちてる場所もあるよね!」
「……はい」
「だったら、もっときれいに並べてまいたらどう!?」
……なるほど。
確かに、種を必要以上に密集させても、その分だけ収穫が増えるとは限らない。
適切な間隔や深さでまくことができれば、種の無駄を減らせる可能性がある。
「殿下。よいところにお気づきになりましたね」
「ほんと!?」
「はい。ただし、それを手作業で行うのは大変でございます」
すると、パウもうなずいた。
「一粒ずつ場所を決めてまいていたら、とても間に合いませんな」
「うーん……」
殿下が腕を組む。
僕も少し考えた。
前世では、種まきに使う専用の機械があった。
播種機と呼ばれるものだ。
現代のような大型機械は無理でも、車輪と簡単な仕組みを組み合わせれば、作れるかもしれない。
そう考えていたときだった。
ガラガラガラ……。
畑の横を、荷馬車が通りかかった。
大きな車輪が回り、土の上に二本の轍を残していく。
「あっ!」
殿下が声を上げた。
「トルーキン!」
「はい?」
「あの車輪!」
「車輪、でございますか?」
「うん!」
殿下が荷馬車を指さした。
「車輪って、進むとずっと回るでしょ?」
「そうでございますね」
「だったらさ!」
殿下は両手で丸を描いた。
「車輪が回るたびに、種が少しずつ落ちるようにしたらいいんじゃない!?」
……。
僕は、思わず殿下を見た。
……なるほど。
車輪の回転に合わせ、一定の間隔で種を落とす。
播種機の基本的な仕組みそのものだ。
「……作れるかもしれません」
「えっ!?」
殿下が目を輝かせた。
「ほんと!?」
「はい。車輪と種を送り出す装置を連動させれば、可能だと思います」
「やったぁ!」
殿下が飛び跳ねる。
「じゃあ、作ろう!」
……相変わらず、決断が早い。
だが、パウの表情は明るくなかった。
「……王女殿下」
「なあに?」
「お気持ちはありがたいのですが、種まきというのは、失敗しても簡単にはやり直せない仕事なのです」
「……そうなの?」
「はい。種を無駄にすれば、その分だけ収穫が減ります。時期を逃せば、畑そのものが使えなくなることもございます」
パウが、畑を見渡した。
「私どもには、一年の暮らしがかかっておりますので」
……。
殿下は、しばらく黙っていた。
そして、まっすぐにパウを見つめた。
「……そっか。ごめんね」
「い、いえ! 殿下に謝っていただくようなことでは……」
「ううん。パウさんたちの大事な畑だもんね」
殿下は少し考えた。
「じゃあ、いきなり全部で使うのはやめよう!」
「……はい?」
「ちょっとだけ試してみるの!」
殿下が僕を見た。
「ねえ、トルーキン! それなら大丈夫かな?」
「そうでございますね。収穫に影響しないよう、試験用の小さな区画を用意するのがよいでしょう」
「あとさ!」
「はい」
「もし失敗したら、種は私が用意する!」
……おや。
そこまで考えていらっしゃったか。
「それでしたら、まずは王宮に試験の許可をお願いしましょう。費用についても、正式に手続きを取る必要がございます」
「うん!」
殿下が大きくうなずいた。
「パウさん、どうかな!?」
パウは驚いたように殿下を見つめていた。
やがて、深々と頭を下げる。
「……それでしたら、私どもも協力させていただきます」
「ほんと!?」
「はい。ただし、私も農民として意見を申し上げますぞ」
「もちろん!」
殿下が笑顔になった。
「一緒に考えよう!」
……。
なるほど。
ただ珍しいものを作りたいだけではないらしい。
この方は、パウたちの暮らしをよくしたいのだ。
◇
数日後。
王宮の許可を得た僕たちは、工房を訪れていた。
「今度は、種をまく機械でございますか?」
木工職人のハインツが、興味深そうに尋ねた。
「うん!」
殿下が元気よく答える。
「車輪を回したら、種がぽろぽろ落ちるの!」
「……なるほど」
ハインツが僕へ目を向ける。
「詳しくお聞かせいただけますか?」
「はい。まずは、こちらをご覧ください」
僕は紙の上に図を描いた。
小さな荷車のような木製の枠。
その上には、種を入れる箱を載せる。
箱の下には、種を少しずつ送り出す装置。
「車輪が回ると、この部分も動きます」
僕は図を指さした。
「そして、進んだ距離に合わせて種が落ちるようにするのです」
「……なるほど!」
ハインツが目を輝かせた。
「それなら、手でまくよりも間隔を揃えられそうですね!」
「はい。さらに、前方に土を浅く掘る刃、後方に土をかぶせる板を取りつけたいと思います」
「つまり、進むだけで溝を掘り、種をまき、土をかぶせるわけですか」
「そのとおりです」
ハインツは図面を覗き込んだ。
「問題は、種をどうやって少しずつ落とすかですな」
「木製の筒に小さなくぼみを作り、回転させる方法を考えております」
僕は、もう一つ図を描いた。
筒の表面には、等間隔のくぼみを設ける。
くぼみに入った種が、回転によって下へ運ばれる仕組みだ。
当然、種の大きさによって、くぼみの形も調整する必要がある。
「まずは大麦の種だけで試しましょう」
「承知しました」
こうして、ハインツと農具に詳しい鍛冶職人が製作を担当することになった。
僕は車輪の大きさと種の落ちる間隔を考える。
例えば、車輪が一周して百二十センチ進むとする。
その間に十二回種を落とせば、十センチごとに落とせる計算だ。
もっとも、一度に何粒落とすのが適切かは、農民たちの意見を聞きながら決める必要がある。
「ハインツ殿。まずは、車輪一周で十二回種を落とす形にしてみましょう」
「承知しました!」
「種を送り出す筒は、取り外して交換できるようにしてください」
「ほう。それはなぜですか?」
「種の種類や、まく量を変えられるようにするためでございます」
「なるほど!」
ハインツが感心したようにうなずいた。
……さて。
これなら、ある程度は形になりそうだ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私も何かやりたい!」
殿下が、期待に満ちた目で見上げてくる。
「そうでございますね……」
僕は工房を見回した。
木材の加工は、職人たちに任せるべきだろう。
だが、できることはある。
「では殿下。種を送り出す装置の試験をお手伝いいただけますか?」
「えっ!?試験!?」
「はい。こちらの取っ手を、同じ速さで回してください」
「わかった!」
殿下が元気よく取っ手を握る。
ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ。
筒が回転し、下に置いた皿へ大麦の種が落ちていく。
「わあっ!ちゃんと落ちてる!」
「はい。ただ、落ちる量が揃っているか確認しなければなりません」
「じゃあ、数える!」
殿下が皿の中の種を数え始めた。
僕も落下数を確認する。
……ふむ。
最初の三回は、ほぼ同じ量だ。
だが、四回目は少ない。
六回目には、多く落ちている。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「なんか、いっぱい落ちるときと、少ないときがあるよ!」
「……そのようですね」
どうやら、くぼみに入る種の量が一定ではないらしい。
僕はハインツに相談し、形状を修正してもらった。
そして、もう一度試す。
「いくよー!」
「今度も同じ速さでお願いいたします」
「うん!」
ゴトッ、ゴトッ、ゴトッ。
種が落ちる。
殿下が数える。
僕が記録する。
その作業を、何度も繰り返した。
……ふむ。
先ほどより、かなり安定している。
「殿下。ありがとうございます。これなら試験を進められそうです」
「やったぁ!」
殿下が嬉しそうに両手を上げた。
「私も役に立った!?」
「もちろんでございます」
「えへへっ!」
……。
どうやら、かなり嬉しいらしい。
力を使う仕事だけでなく、こうした細かい作業にも興味を持っていただけるのはありがたいことだ。
◇
それから数日後。
ついに、最初の試作機が完成した。
木製の枠に、二つの車輪。
上には種を入れる箱。
下には、土に溝を作る刃と、種を送り出す装置がついている。
後方には土を戻すための板も取りつけた。
「わああっ!」
殿下が目を輝かせた。
「できたぁ!」
「はい。ただし、まだ完成品ではございません」
「えっ!?もうできてるよ!?」
「畑で使えるかどうかは、これから確かめる必要がございます」
「そっか!」
殿下が、にっこり笑った。
「じゃあ、試しに行こう!」
……。
相変わらず、行動が早い。
まあ、僕も気になっているのだが。
◇
試験は、パウの農村で行うことになった。
事前に約束したとおり、農家の暮らしを危険にさらさないよう、小さな区画だけを使う。
「本当に、これで種がまけるのですか?」
パウが、試作機を見つめていた。
「まずは確かめてみましょう」
僕は答えた。
殿下は、すでに取っ手を握っている。
「私がやる!」
「殿下。最初はゆっくりお願いいたします」
「うん!」
殿下が歩き始める。
ゴロゴロ……。
車輪が回り、前方の刃が土に溝を作る。
種も落ちているようだ。
「おおっ!」
農民たちから歓声が上がった。
「本当に種が落ちているぞ!」
「溝もできている!」
殿下が嬉しそうに振り返る。
「トルーキン!動いたよ!」
「はい。ですが、前を見てください」
「あっ!」
殿下が慌てて向き直った。
……危ない、危ない。
ところが、その直後だった。
ガタンッ!
「あれっ!?」
機械が急に重くなった。
「トルーキン!進まなくなっちゃった!」
僕は駆け寄った。
車輪を確認する。
……なるほど。
柔らかい土に、少し沈み込んでいる。
しかも、土を掘る刃にも泥が付着していた。
殿下が取っ手を押すと、車輪だけが空回りする。
……まずいな。
これでは、車輪の回転数と実際に進んだ距離が一致しない。
種が同じ場所に集中してしまう。
「……いったん止めましょう」
「ええーっ!」
殿下が残念そうな声を上げた。
僕は車輪の回転数と進んだ距離を確認する。
……ふむ。
車輪が十回転すれば、本来は約十二メートル進む計算だ。
しかし、今の試験では九メートルほどしか進んでいない。
単純に考えても、予定より狭い範囲に多くの種をまいたことになる。
これでは、種を節約するどころではない。
「……失敗でございますね」
僕が言うと、パウも難しい顔をした。
「やはり、畑で使うのは難しいのではありませんか?」
「現状のままでは、そうでございますね」
僕は素直に認めた。
すると、殿下が僕の袖を引いた。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「もう一回やってもいい?」
「……同じことをしても、また失敗すると思います」
「じゃあ、直そうよ!」
殿下が笑った。
「どこが悪いか、わかったんでしょ?」
……。
なるほど。
確かに、そのとおりだ。
問題がわかっているなら、改善すればよい。
もちろん、簡単な話ではないのだが。
「……では、皆さんで考えてみましょう」
「うん!」
殿下が元気よくうなずいた。
◇
僕たちは、試作機を畑の端へ運んだ。
ハインツと鍛冶職人が、車輪と刃を確認する。
「刃が深く入りすぎておりますな」
ハインツが言った。
「これでは、かなりの力が必要になります」
「そうでございますね。刃の深さを調整できるようにした方がよさそうです」
問題はもう一つ。
車輪が滑っていることだ。
畑の柔らかい土では、滑らかな車輪が十分に地面を捉えられないらしい。
「……うーん」
殿下も腕を組んで考えていた。
そのときだった。
「お父さん、これ置いておくね!」
フィンが、種の入った袋を畑の端へ運んできた。
「おお、ありがとう!」
少年は袋を置くと、泥だらけの靴を地面にこすりつけた。
靴底には、滑り止めのための細かな凹凸がある。
「あっ!」
殿下が声を上げた。
「ねえ、フィン!」
「はい、王女様!」
「その靴、滑らないの?」
「えっ?」
「だって、泥の上でも普通に歩いてるでしょ?」
「……はい。この靴は滑りにくいですよ」
「へえーっ!」
殿下は、フィンの靴底をじっと見つめた。
そして、試作機の車輪へ目を向ける。
「……ねえ、トルーキン!」
「はい」
「車輪にも、靴みたいにでこぼこをつけたらどう!?」
……。
なるほど。
車輪の外周に短い突起をつければ、土を捉えやすくなるはずだ。
さらに、幅を広げれば、柔らかい土へ沈み込むのも抑えられるだろう。
「……よい考えでございますね」
「ほんと!?」
「はい。ただし、突起が大きすぎると泥が付着しやすくなります。大きさや間隔は調整する必要があるでしょう」
「じゃあ、いろいろ試してみよう!」
殿下が笑った。
……ふむ。
どうやら、改良の方向性が見えてきたな。
パウも車輪を見つめていた。
「確かに、畑で使う車輪なら、平らな道を走る荷馬車とは違う工夫が必要でしょうな」
「そうでございますね」
僕は、ハインツたちと相談を始めた。
車輪を少し幅広くする。
外周には短い木製の突起を取りつける。
泥が詰まらないよう、付着した土を落とす板も追加する。
さらに、刃の深さを調整できるようにする。
これなら、畑の状態に合わせて使えるかもしれない。
「殿下」
「なに?」
「大変よいところにお気づきになりました」
「えへへっ!」
殿下が胸を張った。
「私、ちゃんと見てたもん!」
……そのようだ。
この方には、実際に目で見たことから、新しい使い方を考える力があるらしい。
僕の前世の知識と《算神》だけでは、気づくのが遅れたかもしれない。
うむ。
なかなか面白い組み合わせではないか。
◇
数日後。
改良した試作機が、再び畑へ運び込まれた。
「今度こそ!」
殿下が元気よく拳を握った。
「成功させるぞー!」
「殿下。拳は必要ございません」
「気合いを入れてるだけだよ!」
「……失礼いたしました」
……まったく。
こういうところは、以前と変わらないな。
「では、始めましょう」
「はーい!」
殿下が機械を押し始めた。
ゴロゴロゴロ……。
車輪が回る。
今度は空回りせず、しっかりと前へ進んでいく。
前方の刃が浅い溝を作り、種が落ちる。
そして、後方の板が土をかぶせていった。
「……おおっ!」
パウが声を上げた。
「ちゃんと進んでいる!」
「本当だ!」
農民たちが集まってくる。
殿下も嬉しそうだった。
「見て見て!今度は動いてるよ!」
「はい。順調でございますね」
僕は《算神》で、車輪の回転と進んだ距離を確認した。
今度は、ほぼ計算どおりだ。
種が落ちた場所を確かめても、最初の試作ほど大きなばらつきは見られない。
……よし。
これなら、次の試験に進めそうだ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これ、パウさんにも使ってもらおうよ!」
「……そうでございますね」
殿下がパウへ駆け寄った。
「パウさん!ちょっと使ってみて!」
「えっ!?私がですか!?」
「うん!だって、これから使うのはみんなでしょ!」
……。
おっしゃるとおりだ。
殿下なら、どれほど重い機械でも動かせるだろう。
だが、普通の農民に使えなければ意味がない。
パウは恐る恐る取っ手を握った。
「では……」
ぐっ。
機械がゆっくりと動いた。
「……おおっ!」
パウが驚いた声を上げる。
「思っていたより軽いですな!」
そのまま、畑の端まで進む。
途中で少し力が必要になったものの、無理なく動かすことができた。
「これなら、うちでも使えそうです!」
パウが嬉しそうに言った。
「本当!?」
「はい。しかも、種をまいたあとで土をかぶせる手間まで減らせます」
「やったぁ!」
殿下が両手を上げた。
……よし。
少なくとも、使い方については大きな問題がなさそうだ。
ただし、広い畑をすべて人力で作業するとなれば、まだ負担が大きいだろう。
今後は、馬などで引く大型の機械も考える必要がある。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「小さい畑と大きい畑じゃ、違う機械にした方がいいんじゃない?」
「……と申しますと?」
「大きい畑なら、馬に引っ張ってもらえばいいでしょ!」
「……なるほど」
「それに、いっぺんに何列も種をまけたら、もっと早いよね!」
……。
僕は、思わず殿下を見た。
確かに、複数の列へ同時に種をまけるようにすれば、作業効率はさらに高まる。
もっとも、機械の重量や牽引力について、改めて考える必要はあるだろう。
「殿下。大変よいお考えでございます」
「でしょ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
まだ最初の試作機を動かしたばかりだというのに、すでに次の改良案を考えていらっしゃる。
これは、なかなか頼もしい。
◇
その後も、小さな調整を重ねた。
種を送り出す部分が詰まりにくいようにする。
取っ手の高さを変えられるようにする。
そして、車輪に泥が付着しても、動きにくくならないよう工夫する。
農民たちにも実際に使ってもらい、気になるところを教えてもらった。
やがて、小さな畑であれば、十分に使えそうな試作機が完成した。
……さて。
ここからが、本当の試験だ。
◇
「本当に、大丈夫でしょうか……」
パウが、畑を見つめながらつぶやいた。
その表情には、まだ不安が残っている。
当然だろう。
どれほど便利そうな機械でも、種まきに失敗すれば、収穫に影響する。
農民にとっては、一年の暮らしに関わる問題なのだ。
「パウさん!」
殿下が声をかけた。
「な、何でしょう?」
「心配だよね」
「……はい」
「でも、私たち、ちゃんと最後まで調べるから!」
殿下は、まっすぐにパウを見つめた。
「もし駄目だったら、また直すよ!」
……。
パウは少し驚いたようだった。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……ありがとうございます、殿下」
僕たちは、隣り合う同じ広さの小さな畑を四区画用意してもらった。
土の状態や日当たりも、できるだけ近い場所を選ぶ。
二つは、これまでどおり手で種をまく。
残りの二つは、新型播種機を使う。
種の種類は同じものだ。
そして、種をまく前と後で、それぞれの種の重さを量る。
これなら、どちらの方法がどれほどの種を使ったか比較できる。
もちろん、正確な収穫の比較には、今後の育ち方も確認する必要がある。
……よし。
「では、始めましょう」
「うん!」
殿下が元気よくうなずいた。
手まきの畑では、農民たちが丁寧に種をまいていく。
一方、新型播種機の畑では、パウたちが交代しながら機械を動かした。
ゴロゴロゴロ……。
車輪が回り、種が落ちる。
そして、土がかぶせられていく。
「おお……」
パウが感心したように声を漏らした。
「これは、ずいぶん作業が楽ですな」
「そうでございますか」
「はい。種をまくのと土をかぶせるのが、一度に済みますから」
ほかの農民たちもうなずいた。
……なるほど。
どうやら、作業時間についても期待できそうだ。
やがて、四つの区画すべてで種まきが終わった。
「終わったぁ!」
殿下が両手を上げた。
「トルーキン!終わったよ!」
「はい。お疲れさまでございました」
「どうだった!?」
「これから確認いたします」
「ええーっ!早く!」
……。
少しは落ち着いていただきたい。
もっとも、僕も気になっている。
「では、種の量を確認しましょう」
「うん!」
◇
僕は、それぞれの区画で使った種の重さを確認した。
手まきの区画。
新型播種機の区画。
どちらも、同じ広さの畑だ。
そして、その結果は――。
「……殿下」
「なに!?」
「新型播種機を使った区画では、種の使用量が約三割少なくなっております」
「……えっ?」
殿下が目を丸くした。
「三割!?」
「はい」
「それって、すごいの!?」
「これまで十袋必要だった種が、七袋で済む計算でございます」
「ええーっ!」
殿下が大きな声を上げた。
「三袋も減るの!?」
「今回と同じ割合で減らせれば、ということでございますが」
「すっごーい!」
パウたちも驚いていた。
「そんなに違うのですか!?」
「はい。もう一組の区画でも、同じくらいの差が出ております」
「……これは」
パウが畑を見つめた。
「本当に、すごいことかもしれませんな」
……。
僕も、同じことを考えていた。
ただし、まだ成功と決まったわけではない。
種を少なくした結果、収穫まで減ってしまっては意味がないからだ。
「殿下。大切なのは、これからでございます」
「……えっ?」
「種がきちんと育ち、十分な収穫が得られるか確かめなければなりません」
「ええーっ!まだ終わりじゃないの!?」
「はい」
「じゃあ、いつわかるの!?」
「収穫の時期まで待つ必要がございますね」
「えええーっ!」
……。
どうやら、こちらの方が殿下には難しい問題らしい。
◇
それから、二週間ほどが経った。
僕たちは再び農村を訪れた。
種をまいた畑には、小さな芽が顔を出していた。
「わああっ!」
殿下が歓声を上げる。
「トルーキン! 見て見て!」
「はい」
「ちゃんと生えてる!」
新型播種機を使った畑では、若い大麦が整った列を作っていた。
もちろん、ところどころ芽の出ていない場所もある。
だが、全体としては順調に育っているようだ。
「すっごーい!」
殿下が畑の端へ駆け寄った。
「こんなにきれいに並んでる!」
パウも嬉しそうだった。
「これは驚きましたな。列が揃っているので、草取りもしやすそうです」
「そうでございますか」
「はい。麦がどこに生えているかわかりやすいですからな」
僕は、畑を見渡した。
整然と並ぶ若い麦。
その間には、土の見える細い通路が続いている。
……悪くない。
ただし、見た目だけでは判断できない。
僕は手まきの区画と播種機の区画を比較した。
芽の数。
育ち方。
そして、芽が出ていない場所。
今のところ、極端な差は見られない。
むしろ、新型播種機の区画では、麦が均等に育っているように見える。
もちろん、これだけで収穫量を予測することはできないが。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これ、全部大きくなったら、いっぱい麦が取れるかな!?」
「……そうなるとよいですね」
「うん!」
殿下が満面の笑みを浮かべた。
そして、フィンへ駆け寄る。
「ねえ、フィン!」
「はい、王女様!」
「この麦、いっぱい育つといいね!」
「はい!」
少年が嬉しそうにうなずいた。
「僕も、楽しみです!」
「えへへっ!」
その横で、パウが小さく息を吐いた。
「……まさか、こんなものができるとは」
「まだ実験の途中でございますが」
僕が言うと、パウはうなずいた。
「はい。ですが、種が少なくて済んだのは確かです」
そして、息子のフィンへ目を向ける。
「余った種を、また来年のために残せるかもしれませんな」
「……そうですね」
「それに、もし収穫まで増えるようなら……」
パウは、そこで言葉を止めた。
……。
続きは、聞かなくてもわかった。
農民たちにとって、種を節約できることは大きい。
だが、それ以上に重要なのは、家族が食べられる穀物を少しでも多く残せることだ。
エクレシア殿下も、パウの言葉を聞いていたらしい。
「ねえ、パウさん!」
「はい、殿下」
「もっといっぱい麦が取れたら、みんなお腹いっぱい食べられるね!」
パウが笑った。
「はい。そうなれば、本当にありがたいことでございます」
「えへへっ!」
殿下は嬉しそうに麦畑を見渡した。
……なるほど。
この方が喜んでいるのは、機械が完成したからだけではない。
それによって、農民たちの暮らしがよくなるかもしれないからだ。
そして、今回の発明は殿下一人でも、僕一人でも完成しなかった。
パウたち農民の経験。
ハインツたち職人の技術。
殿下の発想。
そして、僕の前世の知識と《算神》。
それぞれが組み合わさって、ようやく形になったのだ。
……。
なかなか、面白いものだな。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これ、ほかの村でも使えないかな!?」
「……使える可能性はございますね」
「じゃあ、もっといっぱい作ろうよ!」
……。
また、話が大きくなりそうだ。
「殿下。まずは、こちらの収穫結果を確認してからでございます」
「ええーっ!まだ待つの!?」
「はい」
「しょうがないなぁ!」
一瞬、頬を膨らませたが、すぐに笑顔になった。
「じゃあ、いっぱい育つように応援しよう!」
「……応援、でございますか?」
「うん!」
殿下は畑へ向き直った。
「麦たち!頑張ってねー!」
……。
農民たちが笑い出した。
フィンも、嬉しそうに手を振っている。
……まったく。
応援で収穫が増えるなら、農業はずいぶん楽になるだろう。
もっとも、今日のところは、それでもよいか。
そのとき、殿下がぽつりと言った。
「……あっ。これ、レオンにも見せたいな」
……おや。
「レオン、びっくりするかな!?」
「……きっと、驚かれるでしょうね」
「えへへっ!」
殿下が笑った。
「早く収穫できないかなぁ!」
王太子殿下からの手紙は、まだ届いていない。
だが、殿下は弟君のことを気にかけている。
この発明のことも、真っ先に伝えたいのだろう。
僕は、整然と並ぶ若い麦を見つめた。
今はまだ、小さな芽にすぎない。
それでも、種をまく方法を変えただけで、これほどの違いが生まれた。
収穫でもよい結果が出れば、王国の農業に新しい可能性が開けるだろう。
……さて。
数か月後、いったいどれほどの麦が実るのだろうか。
その答えを知る日が、僕も今から楽しみだった。
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