第13話① その薬は本物ですか?
レオンハルト王太子殿下による救護院の視察は、無事に終了したらしい。
王太子殿下は施設の職員から運営状況について説明を受け、患者たちにも直接声をかけられたという。
まだ十一歳だというのに、なかなか立派なものだ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい、殿下」
「レオン、上手にできたんだよね!?」
「はい。視察は滞りなく終了したと伺っております」
「良かったぁ!」
エクレシア殿下が嬉しそうに両手を上げた。
「さすがレオンだね!」
「そうでございますね」
「私も見たかったなぁ!」
「……殿下」
「あっ、わかってるよ」
殿下が笑う。
「レオンの邪魔はしないって決めたもん!」
どうやら、以前のお約束を覚えていらっしゃるようだ。
もっとも、弟君への手紙については、いまだに返事が届いていない。
それでも殿下は、レオンハルト殿下の活躍を素直に喜んでいた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私も、もっと頑張らなくちゃね!」
「大変よいお考えでございます」
「でしょ!」
「では、本日の歴史の授業を始めましょう」
「ええーっ!」
……。
先ほどの決意は、どこへ行ってしまったのだろうか。
◇
翌日のことだった。
僕がエクレシア殿下に授業を行っていると、学習室の扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、王宮の侍従だった。
「エクレシア殿下。王都の救護院より、面会の申し込みが届いております」
「救護院?」
殿下が首を傾げた。
「レオンが昨日行ったところ?」
「はい。その救護院でございます」
侍従によると、救護院の責任者から正式な紹介状が届いており、治療師が一人、王宮を訪れているという。
すでに身元の確認は済んでおり、現在は来客用の控室で待機しているらしい。
「何かお困りのことなのでしょうか?」
「詳しい事情は伺っておりませんが、エクレシア殿下にご相談したいことがあるそうです」
救護院から、わざわざ王宮へ面会を申し込んできたのか。
何か事情があるのだろう。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私、会ってみたい!」
「承知いたしました。では、面会の準備をお願いできますか?」
「かしこまりました」
侍従が一礼して退室する。
僕たちも、来客用の応接室へ向かうことにした。
◇
応接室には、一人の女性が待っていた。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。
質素だが清潔な服装をした、少し疲れた顔の女性だった。
僕たちが入ると、女性は慌てて立ち上がった。
「エクレシア殿下。お忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます」
女性が深々と頭を下げる。
「私は王都の救護院で治療師をしております、エルナと申します」
「こんにちは!」
殿下が笑顔で挨拶する。
「ねえ、昨日はレオンが行ったんだよね!?」
「はい。王太子殿下は、大変丁寧にお話を聞いてくださいました」
「ほんと!?」
「はい。患者たちにも優しく声をかけてくださって……」
「えへへっ!」
殿下が嬉しそうに笑う。
だが、エルナの表情は暗いままだった。
……おや。
どうやら、王太子殿下の視察を報告するためだけに来たわけではなさそうだ。
「エルナ殿。何かお困りのことがあるのでしょうか?」
僕が尋ねると、彼女はうつむいた。
「……はい」
そして、意を決したように顔を上げる。
「殿下。どうか、お力をお貸しください」
「どうしたの?」
「救護院に納められている薬草が、以前のものと違うのです」
「……薬草?」
「はい。見た目はよく似ているのですが、香りや葉の形が異なっていて……」
「それって、駄目なの?」
「薬として使うには、問題がございます」
エルナの表情が曇る。
「最近、薬を使っても症状がよくならない患者が増えております。もちろん、病気の進み具合による可能性もございますが……」
「……うん」
「納められている薬草が、契約で指定されたものではないのかもしれません」
……なるほど。
それは、確かに気になる話だ。
「納入業者には確認されたのでしょうか?」
「はい。しかし、契約どおりの品物を納めていると言われてしまいまして……」
「そうでございますか」
僕は少し考えた。
「ところで、昨日は王太子殿下の視察がございましたね」
「はい」
「その際、薬草について何か説明はございましたか?」
すると、エルナは困ったように眉を寄せた。
「……実は、それも不思議なのです」
「と申しますと?」
「視察の前日に、薬草が追加で十束届けられたのですが……」
彼女は少しためらってから続けた。
「その十束だけは、以前と同じ良質なものだったのです」
……ほう。
なかなか興味深い話だな。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「それって、おかしくない?」
「少々、気になりますね」
ただ、良質な薬草が納められたからといって、何かしらの不正があったと決まったわけではない。
品物の産地や収穫時期によって、品質に違いが生じることもあるだろう。
まずは、実際に確認する必要がある。
「エルナ殿。薬草の現物と納品記録を拝見することはできますか?」
「はい。院の責任者にも相談してまいりました。調査していただけるのでしたら、協力するとのことです」
「承知いたしました」
「私も行く!」
殿下が勢いよく立ち上がった。
「困ってる人がいるんでしょ!?」
「はい」
「だったら、行かなくちゃ!」
……。
やれやれ。
こういうときの行動力は、相変わらずである。
◇
僕たちは護衛を伴い、救護院へ向かった。
以前、殿下が不正の発覚に関わった施設だ。
現在は運営の見直しが進められており、職員たちも日々の仕事に取り組んでいる。
到着すると、エルナが建物の奥へ案内してくれた。
「こちらでございます」
通されたのは、患者たちが休む部屋だった。
いくつもの寝台が並び、治療師たちが忙しそうに行き来している。
「……わぁ」
殿下が小さく声を上げた。
その表情から、先ほどまでの明るさが消える。
寝台には、病気や怪我で苦しんでいる人々が横たわっていた。
中には、まだ幼い子供もいる。
「エルナ先生……」
部屋の奥から、小さな声が聞こえた。
見ると、八歳くらいの女の子が寝台に横になっていた。
頬が赤く、苦しそうに息をしている。
「ミーナ。起きていたのね」
エルナが優しく声をかける。
「うん……」
女の子は僕たちを見た。
「……お客さん?」
「エクレシア殿下よ。あなたの様子を見に来てくださったの」
「……王女様?」
「こんにちは!」
殿下が寝台のそばへ近づいた。
「私、エクレシアっていうの!」
女の子は少し驚いたように目を丸くした。
「……本物の王女様?」
「うん!」
殿下がにっこり笑う。
「具合はどう?」
「……まだ、ちょっと苦しい」
「そっか……」
殿下の笑顔が少し曇った。
寝台のそばには、母親らしい女性が座っていた。
「もう何日も熱が続いているんです」
女性が心配そうに言う。
「以前は薬を飲ませると少し楽になったのですが、最近はなかなか……」
「お母さん……」
女の子が小さく手を伸ばす。
「大丈夫よ。ここにいるからね」
母親は、その手を両手で包み込んだ。
……。
殿下は、二人の姿を黙って見つめていた。
「ねえ、エルナさん」
「はい、殿下」
「この子、ちゃんと元気になる?」
エルナは、すぐには答えなかった。
「私たちも、できる限りの治療を続けております」
「……そっか」
殿下が小さくうなずいた。
そして、ミーナへ向き直る。
「元気になったら、何したい?」
女の子は少し考えた。
「……お外で遊びたい」
「そっか!」
殿下が笑顔を見せる。
「じゃあ、早く元気にならないとね!」
「……うん」
ミーナが小さく笑った。
その姿を見て、殿下はそっと拳を握った。
「……ひどいよ」
小さな声だった。
「病気の人が使う薬なのに……」
「殿下」
僕が声をかけると、殿下はこちらを見た。
「……わかってる」
そして、ゆっくりと拳を下ろした。
「まだ、誰かが悪いことしたって決まったわけじゃないもんね」
「……おっしゃるとおりでございます」
……ほう。
どうやら、以前の経験が生きているようだ。
「じゃあ、ちゃんと調べよう」
「はい」
◇
エルナに案内され、僕たちは薬草の保管室へ向かった。
室内には、乾燥させた薬草が入った袋や木箱が整然と並べられている。
エルナは棚から二つの袋を取り出した。
「こちらをご覧ください」
片方には、色の濃い乾燥した葉が入っていた。
もう片方も、見た目はよく似ている。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「同じに見えるけど?」
「私にも、すぐには違いがわかりませんね」
エルナが二つの葉を並べた。
「こちらが、以前から納められていた薬草です」
「うん」
「そして、こちらが最近納められたものです」
彼女は葉の裏側を示す。
「よく見ると、葉脈の形が違います。それに、茎の断面も……」
説明を受ければ、確かに違いがわかる。
「香りも異なります。以前から使っている薬草には独特の香りがあるのですが、新しいものにはほとんどありません」
「……そうなんだ」
殿下が真剣な顔で葉を見比べる。
「じゃあ、違う草なの?」
「その可能性が高いと考えております。ただ、正式な確認には、薬草を専門に扱う方の鑑定も必要です」
「そっか」
エルナは、納品記録を差し出した。
「こちらが、最近届けられた薬草の記録でございます」
僕は内容を確認する。
直近の通常発注は八十束。
納品記録にも、八十束と記されている。
数量自体に問題はない。
「エルナ殿。その八十束のうち、以前と同じ品物はどの程度ございましたか?」
「確認したところ、三十束でございました」
「では、残りは?」
「五十束が、別の植物ではないかと疑っております」
「……なるほど」
さらに、視察の前日に追加納品された十束についても確認する。
こちらは通常発注の八十束とは別の納品だ。
しかも、十束すべてが良質な薬草だったという。
通常納品八十束。
そのうち、正規品と思われるものが三十束。
疑わしいものが五十束。
そして、王太子殿下の視察前日に追加で納められた十束は、すべて正規品と思われる。
……ふむ。
通常納品の六割以上に問題が疑われる一方、視察直前の品物には問題が見つかっていないわけだ。
これが偶然なのか、意図的なものなのか。
現時点では、判断できない。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「何かわかった?」
「通常の納品と、視察直前の納品とで、品質に大きな違いがございます」
「……そっか」
殿下は、二つの袋を見比べた。
「じゃあ、どうして違うのか調べないとね」
「そうでございますね」
僕はエルナへ尋ねた。
「ところで、こちらの薬草は、どちらの商会が納めているのでしょうか?」
「グラント商会でございます」
「グラント商会……」
僕は、その名前を聞いたことがあった。
王都で薬草や医療物資を扱う商会の一つだ。
救護院への寄付も行っており、慈善事業に熱心な商会として知られている。
なかなか立派な評判だ。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「その商会が、悪いことしてるの?」
「まだ、そうとは決まっておりません」
「……うん」
「納品の途中で品物が取り違えられた可能性もございます。まずは、事実を確かめる必要がございますね」
「わかった!」
殿下が大きくうなずいた。
「じゃあ、ちゃんと確かめよう!」
◇
その日の午後。
僕たちは救護院の責任者と相談し、王都の監督官へ事情を報告した。
薬草の現物と納品記録を提示すると、監督官も難しい顔をした。
「……確かに、これは看過できませんな」
監督官は、薬草の鑑定を担当する専門家を呼ぶことを決めた。
また、不正の疑いがある品物は、調査が終わるまで使用しないことになった。
必要な薬草については、別の取引先から手配を進めるという。
もちろん、薬草を替えれば、すべての患者が治るわけではない。
だが、正体のわからない品物を使い続けるよりはよいはずだ。
「監督官殿。納入業者への調査も必要かと存じます」
「もちろんです。ただ、王都でも知られた商会です。疑惑だけで断罪するわけにはまいりません」
「おっしゃるとおりでございます」
まずは薬草の鑑定結果を待ち、そのうえで関係者から事情を聞くことになった。
◇
翌日。
監督官から、一人の使用人が話をしたがっていると連絡が入った。
グラント商会で薬草の納入を担当している青年だという。
僕と殿下は、監督官の立ち会いのもと、その青年から話を聞くことになった。
現れたのは、まだ二十歳にもなっていないように見える男性だった。
彼は緊張した様子で、何度も周囲を見回していた。
「……本当に、話しても大丈夫でしょうか」
「お話の内容は正式な調査に用いますが、あなたの安全には可能な限り配慮いたします」
監督官が答える。
男性は、しばらく黙っていた。
そして、小さな声で話し始めた。
「……救護院に届ける薬草を、別のものに替えるよう言われたんです」
「誰にでございますか?」
僕が尋ねる。
「……商会主のグラント様です」
「……なるほど」
「本物は、もっと高く売れるからって……」
男性が唇を噛む。
「救護院には、見た目が似た安い草を混ぜればいいって……」
「……!」
殿下が息をのんだ。
僕は、さらに尋ねる。
「その指示を受けたのは、いつ頃でございますか?」
「ひと月ほど前からです」
「では、王太子殿下の視察前日に追加で届けられた十束については?」
「……あの日だけは、全部本物を使うように言われました」
「理由は聞かされましたか?」
男性は、うつむいた。
「……王太子殿下に変なものを見せるわけにはいかないって」
……ふむ。
エルナの話とも一致している。
「その指示を裏づける記録はございますか?」
監督官が尋ねる。
「……倉庫の帳簿です」
「帳簿?」
「仕入れた薬草の種類や数量は、倉庫の帳簿に記録しています。安い草を仕入れたことも、そこを見れば……」
「その帳簿は、誰が管理しているのですか?」
「グラント様です。帳簿を保管している事務室には、誰でも入れるわけじゃありません」
……なるほど。
救護院に残された納品記録。
実際に届けられた薬草。
そして、商会の仕入れ記録。
それらを照合できれば、不正を裏づける重要な証拠になるだろう。
「ねえ……」
殿下が、静かに口を開いた。
男性が顔を上げる。
「その薬草、本物じゃないって知ってたんだよね?」
「……はい」
「病気の人が使うってことも?」
「……はい」
男性は、震える声で答えた。
「でも、逆らったら仕事を失うと思って……。家には、年老いた母もいるんです」
殿下は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと言った。
「……そうなんだ」
「申し訳ありません……」
男性が深く頭を下げる。
「……私ね」
殿下が言った。
「お母さんのために働いてるのは、立派だと思う」
「……はい」
「でも、救護院にも、お母さんを助けたい人がいるんだよ」
「……っ」
「病気の子供を助けたいお母さんもいたの」
男性は、何も答えられなかった。
「だから、もう二度とやらないでね」
「……はい」
「それと、ちゃんと調べてもらおう。何をしたのか、全部」
監督官が静かにうなずいた。
男性は、涙を流しながら頭を下げた。
◇
その後、薬草の鑑定結果が届いた。
疑わしいとされていた五十束は、契約で指定された薬草とは異なる植物だった。
外見は似ているが、同じ薬効を期待できる品物ではないという。
一方、視察前日に追加納品された十束は、契約どおりの薬草であることが確認された。
これで、少なくとも契約と異なる品物が納められていたことは明らかになった。
問題は、誰が、何のためにすり替えを指示したのかという点である。
使用人の証言はある。
しかし、グラント本人の関与を確かめるには、さらに調査が必要だ。
「グラント商会に、正式な説明を求めましょう」
監督官が言った。
「仕入れの記録も確認する必要があります」
「そうでございますね」
僕も同意した。
「私も行く」
殿下が口を開く。
「……殿下」
「どうしてあんなことをしたのか、ちゃんと聞きたいの」
殿下の声は、いつもより落ち着いていた。
僕は監督官と顔を見合わせた。
……なるほど。
今回の件について、殿下が事情を知りたいと思われるのも理解できる。
ただし、不正の疑いがある商会へ、王女殿下を無防備に連れていくわけにはいかない。
「殿下。商会主への質問にはお立ち会いいただけますが、帳簿の調査などは監督官と衛兵の方々にお任せください」
「……うん」
「また、面談が終わりましたら、私とともに商会を出ることをお約束いただけますか?」
「最後まで見ちゃ駄目なの?」
「調査には時間がかかりますし、何が起こるかわかりませんので」
殿下は、少し考えた。
そして、うなずく。
「……わかった。ちゃんと約束する!」
「ありがとうございます」
……ふむ。
以前なら、もう少し説得が必要だったかもしれない。
◇
翌日。
僕たちは監督官と衛兵たちに同行し、グラント商会を訪れた。
商会は、王都の商業地区に大きな建物を構えていた。
立派な看板が掲げられ、店先には薬草や医療物資が整然と並べられている。
……ほう。
なかなか繁盛しているようだ。
商会の奥へ案内されると、一人の男が現れた。
四十代半ばほどだろうか。
よく手入れされた服を着た、恰幅のよい男性だった。
「これは、エクレシア殿下!」
男が大きく頭を下げる。
「お目にかかれて光栄でございます!」
「こんにちは」
殿下は短く挨拶した。
「私、聞きたいことがあるの」
「もちろんでございます。何なりとお申しつけください」
男は笑顔を浮かべた。
……なるほど。
これが商会主のグラントか。
監督官が事情を説明し、薬草の納品について質問を始めた。
「救護院へ納めている薬草について、品質に問題があることが確認されました」
「……ほう?」
グラントが眉を上げる。
「それは、どのような問題でございましょう?」
「契約で指定されているものとは、異なる植物が混ざっておりました」
「……なるほど」
グラントは、少し考えるような仕草を見せた。
「それは困りましたな。仕入れ先で取り違えがあったのかもしれません」
「その可能性も考えております」
監督官は、鑑定結果を差し出した。
「通常納品の八十束のうち、五十束が契約と異なる品物でした。一方、視察前日の追加納品十束には問題がありませんでした」
「……」
「この違いについて、ご説明いただけますか?」
グラントは、しばらく黙っていた。
やがて、再び笑顔を浮かべる。
「いやはや。商売というものは、なかなか複雑でございましてな」
「詳しくお聞かせください」
「薬草にもさまざまな種類がございます。多少の品質差は、どうしても生じるものでございます」
多少の品質差、か。
だが、今回は別の植物が納められていた。
その説明では、疑問は解消しない。
「それから、商会の使用人からもお話を伺っております」
監督官が続けた。
「救護院向けの薬草をすり替えるよう指示されたとのことです」
グラントの笑顔が消えた。
「……使用人が?」
「はい」
「……まったく」
男は小さくため息をついた。
「最近の若い者は、仕事の内容も理解せず、勝手なことを申しますからな」
「では、指示された事実はないと?」
「もちろんでございます」
グラントが肩をすくめた。
「私は長年にわたって救護院を支援してまいりました。そんな私が、患者の方々を騙すなど……」
「ねえ」
殿下が口を開いた。
グラントが振り向く。
「はい、殿下」
「でも、違う薬草が届いてたのは本当なんだよね?」
「……それは、調査が必要でございましょう」
「もう調べたんだよ」
殿下が、まっすぐにグラントを見る。
「治療師さんも、薬草に詳しい人も、違う草だって言ってたの」
「……」
「病気の人が使うものなのに、どうして?」
グラントは、少し不機嫌そうな顔をした。
しかし、すぐに笑顔を作る。
「殿下。薬というものは、必ず効くとは限りません」
「……うん」
「病気がよくならないからといって、すべて商会の責任にされては困りますな」
「でも、違う薬草を納めたんでしょ?」
殿下は、引き下がらなかった。
「私は、その理由を聞いてるの」
……。
グラントの眉が、ぴくりと動いた。
「……殿下」
グラントが低い声で言った。
「商売というものは、子供が考えるほど単純ではございません」
少々、失礼な発言だな。
僕が口を開こうとしたとき、殿下が先に答えた。
「うん。私、商売のことはまだよくわからないよ」
「……」
「だから、教えてほしいの」
殿下は、グラントから目をそらさなかった。
「どうして、病気の人が使う薬を替えたの?」
……。
グラントは答えなかった。
◇
面談が終わると、監督官は商会の仕入れ記録を確認したいと申し出た。
グラントは露骨に嫌そうな顔をしたが、やがてうなずいた。
「……承知いたしました。倉庫に帳簿がございます」
「ご協力に感謝いたします」
監督官が答える。
これから行われるのは、商会の帳簿と保管品の確認だ。
殿下に立ち会っていただく必要はない。
「殿下。お約束どおり、私たちはここまでといたしましょう」
「……うん。わかった」
殿下は素直にうなずいた。
「グラントさん」
「……はい?」
「ちゃんと、全部お話ししてね」
「……承知しておりますとも」
グラントが、ぎこちない笑顔を浮かべた。
僕は殿下を促し、商会の出口へ向かおうとした。
そのときだった。
「監督官殿!」
商会の使用人が、慌てた様子で駆け込んできた。
「倉庫の帳簿が、一部見当たらないようでございます!」
「……何?」
監督官が眉を寄せた。
グラントの顔が、わずかに強張る。
「それは困りましたな。誰かが別の場所へ移したのかもしれません」
……ふむ。
帳簿が見当たらない、か。
何とも都合のよい話だ。
「グラント殿。倉庫を確認させていただけますかな?」
「……もちろんでございます」
監督官は衛兵を連れ、倉庫へ向かうことになった。
さらに、薬草の種類を確認するため、同行していたエルナにも立ち会ってもらうという。
……さて。
どうやら、調査にはもう少し時間がかかりそうだな。
「殿下。私たちは先に馬車へ戻りましょう」
「うん」
僕たちは護衛とともに、建物の裏手にある馬車の待機場所へ向かった。
そこへ行くには、倉庫の横を通る必要がある。
ちょうど、監督官たちも倉庫に入ろうとしていた。
「トルーキン」
「はい?」
「ちゃんと調べてもらえるよね?」
「はい。監督官殿にお任せいたしましょう」
「……そっか」
殿下は、倉庫の方へ目を向けた。
「病気の人たち、早く元気になるといいな」
「そうでございますね」
僕たちは、そのまま歩き始めた。
◇
倉庫では、監督官と衛兵たちが確認を始めていた。
正面には大きな荷物の搬入口。
横手には通用口。
そして奥には、帳簿を保管しているという事務室があるらしい。
僕たちが通りかかったとき、倉庫の中から監督官の声が聞こえた。
「念のため、出入口にも衛兵を配置しておきましょう」
「承知しました!」
……ふむ。
慎重に進めているようだな。
そのときだった。
「……あれ?」
エルナの声が聞こえた。
続いて、監督官の声。
「どうなさいましたか?」
「この袋……救護院に届けられたものと同じ印がございます」
……ほう。
どうやら、何か見つかったらしい。
僕は足を止めかけた。
だが、すぐに殿下へ向き直る。
「参りましょう」
「……うん」
殿下は素直に歩き始めた。
ところが、数歩進んだところで、突然大きな声が響いた。
「待ちなさい!」
グラントの声だった。
先ほどまでとは、明らかに声の調子が違う。
「その袋は、別の取引先へ納める品物です! 勝手に触られては困ります!」
「まずは印を確認するだけです。必要があれば、正式な手続きを取ります」
監督官が答える。
ずいぶん気にしているようだな。
その直後。
「……おい」
グラントの低い声が聞こえた。
何かを囁くような声。
続いて、慌ただしい足音。
……何だ?
僕が振り向くと、倉庫の奥から若い使用人が走り出してきた。
手には、大きな革袋を抱えている。
「待ちなさい!」
監督官が呼び止める。
しかし、使用人は足を止めない。
そのまま通用口へ駆け寄った。
だが、そこには衛兵が立っていた。
「止まれ!」
「ひっ!」
使用人が立ちすくむ。
慌てて方向を変えようとした拍子に、革袋が床へ落ちた。
中から、何冊もの帳簿が転がり出る。
……なるほど。
どうやら、帳簿を持ち出そうとしていたらしい。
「これは……」
監督官が近づく。
「グラント殿。どういうことでございますかな?」
「……」
グラントは答えなかった。
ただ、使用人を睨みつけている。
「……役立たずが」
小さな声だった。
だが、確かに聞こえた。
……おや。
ずいぶんと、表情が変わったな。
「グラント殿。帳簿の確認が終わるまで、こちらでお待ちいただきます」
監督官が告げる。
衛兵の一人が、グラントへ近づいた。
その瞬間だった。
「……ふざけるな」
「グラント殿?」
「ふざけるなと言っているんだ!」
男が突然、怒鳴った。
そして、近くに積まれていた木箱の方へ後ずさる。
そこには、荷縄を切るための短剣が置かれていた。
……まずい!
「衛兵!刃物です!」
監督官が叫んだ。
しかし、グラントはすでに短剣を掴んでいた。
「きゃっ!」
女性の悲鳴が響く。
……何だ!?
僕は反射的に倉庫の入口を振り向いた。
中では、グラントが近くにいたエルナの腕を掴んでいた。
彼女は先ほど見つけた麻袋のそばで、薬草の印を確認していたのだ。
「動くな!」
グラントが怒鳴る。
次の瞬間、エルナの首元に短剣が突きつけられた。
「一歩でも近づいたら、この女を殺すぞ!」
……何だと!?
衛兵たちが足を止めた。
エルナは恐怖で震えている。
「た、助けて……」
かすれた声が聞こえた。
「道を開けろ!」
グラントが叫ぶ。
「俺をここから逃がせ! さもないと、この女がどうなっても知らんぞ!」
……まずいな。
この距離では、衛兵が踏み込むよりも先に、短剣を動かされる危険がある。
僕は、殿下を背後に下がらせようとした。
「殿下。こちらへ」
しかし、殿下は動かなかった。
「殿下?」
彼女は、倉庫の中をじっと見つめていた。
その視線の先には、短剣を突きつけられたエルナがいる。
……。
グラントとエルナの位置。
短剣の向き。
周囲の衛兵たちとの距離。
そして、通用口までの経路。
……。
グラントが次の瞬間にどう動くかまではわからない。
しかも、エルナが盾にされている。
わずかでも判断を誤れば、彼女が傷つく恐れがある。
……さて。
どうしたものか。
「……離して」
そのとき、背後から声が聞こえた。
振り向く。
エクレシア殿下が、グラントを見つめていた。
いつもの笑顔は、なかった。
「……その人を離して」
静かな声だった。
だが、グラントは鼻で笑った。
「うるせえ!王女だろうが関係ねえ!」
「……」
「道を開けろって言ってるんだ!」
殿下は、動かなかった。
ただ、ゆっくりと拳を握る。
……殿下。
僕は、その横顔を見た。
以前なら、すぐに飛び出していたかもしれない。
だが、今は違う。
殿下も、エルナの命が危険にさらされていることを理解しているのだ。
「殿下」
僕が小さく声をかける。
「……うん」
殿下は、グラントから目を離さずに答えた。
「わかってる」
……。
グラントが、エルナの首元へ短剣を押しつける。
「早くしろ!」
エルナが苦しそうに顔を歪めた。
殿下の拳に、ぐっと力がこもる。
それでも、動かない。
……くそっ。
今、拳を振るえば、エルナ殿が傷つくかもしれない。
だが、このままでは逃がしてしまう。
それどころか、彼女の命が奪われる恐れもある。
「……ねえ、お願い」
エクレシア殿下が、いつもよりずっと静かな声で言った。
グラントが、ぎろりと睨みつける。
「その人を、離して」
「黙れ!」
男が怒鳴った。
そして、短剣を握り直す。
その刃先が、エルナの首に触れた。
「……っ!」
エルナが目を固く閉じる。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
少しでも何かを感じて頂けたら評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります!




