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平民出身の転生執事、最強王女を育成する  作者: アカメノコバチ


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第12話② 弟君はお忙しいようです

 レオンハルト殿下から返事が届かないまま、十日ほどが経った。


 エクレシア殿下は、相変わらず元気だった。


「トルーキン!今日は何のお勉強!?」


「本日は数学でございます」


「ええーっ!数学ぅ!?」


「殿下。昨日もお伝えいたしましたが」


「だってぇ!」


 ……まったく。


 この方の勉強嫌いは、なかなか改善しないらしい。


 もっとも、最近は少し変わったこともある。


 以前は、毎日のようにレオンハルト殿下からの返事を尋ねていた。


 だが、ここ数日は、ほとんど口にしなくなっていた。


 もちろん、手紙が届いたわけではない。


 王太子殿下との面会も、実現していない。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「これ、できた!」


 殿下が計算問題の書かれた紙を差し出した。


 確認する。


 ……おや。


「殿下。三問目が間違っております」


「ええーっ!」


「もう一度、計算してみてください」


「……わかった!」


 殿下は頬を膨らませながらも、素直に計算し直した。


 そして、しばらく考えてから答えを書き直す。


「今度はどう!?」


「……正解でございます」


「やったぁ!」


 殿下が嬉しそうに笑った。


 そのとき、机の端に置かれた封筒が目に入った。


 レオンハルト殿下への手紙を書く際、書き損じた紙を入れておいたものだ。


 殿下も、それに気づいたらしい。


 ほんの一瞬、封筒へ目を向ける。


 だが、何も言わずに次の問題へ取りかかった。


 ……。


 気にならなくなったわけでは、ないのだろう。


 ◇


 それから、さらに二週間ほどが過ぎた。


 僕は今日、殿下を連れて王都の北側を訪れていた。


 目的は、橋の修繕工事を見学するためだ。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「今日は橋を直すところを見るんだよね?」


「そうでございます」


「私もお手伝いしていい!?」


「まずは、現場の方々のお話を伺いましょう」


「はーい!」


 王都の北側には、運河が流れている。


 その運河に架かる木造の橋が、老朽化によって通行止めになっていた。


 橋桁の一部が傷み、荷馬車の重さに耐えられない恐れがあるという。


 現在は、歩行者も含めて通行が禁止されている。


 現場に到着すると、橋の両端には柵が設けられていた。


 その周囲に、大勢の人々が集まっている。


「だから、通してくれって言ってるだろ!」


「しかし、今は危険なのです!」


「じゃあ、俺たちはどうやって商売しろっていうんだ!」


 ……どうやら、揉めているようだな。


 商人らしい男が、役人に詰め寄っていた。


「この橋が使えないと、市場まで遠回りしなきゃならねえんだよ!」


「申し訳ありません。ですが、橋が崩落する恐れがございます」


「そんなこと言ったって、こっちは生活がかかってるんだ!」


 役人は何度も頭を下げている。


 だが、商人の怒りは収まらない。


「ねえ、トルーキン」


「はい」


「あの人たち、困ってるんだよね?」


「そのようでございますね」


「じゃあ、私が橋を直してあげる!」


 殿下が元気よく拳を握った。


 嫌な予感がする。


「殿下、まずは拳をお下げください」


「ええーっ!殴らないよ!」


「……そうでございますか」


「うん!壊れたところを持ち上げてあげるの!」


 ……なるほど。


 今回は破壊するつもりではないらしい。


 それは何よりだ。


「お気持ちはありがたいのですが、橋の修繕には専門の知識が必要でございます」


「私、すっごく力持ちだよ!」


「存じております。しかし、橋は重いものを持ち上げれば直るというものではございません」


「……そうなの?」


「はい。傷んだ部材を交換し、十分な強度があることを確認しなければなりません」


 殿下が橋を見つめた。


「じゃあ、すぐには直らないんだ」


「そうでございますね」


 そこへ、現場の役人が近づいてきた。


「これは、エクレシア殿下!」


 役人が慌てて頭を下げる。


 周囲の人々も、驚いたようにこちらを見た。


「えっ!?王女様!?」


「ほ、本当か!?」


 ……しまった。


 できれば、もう少し静かに見学したかったのだが。


「こんにちは!」


 殿下が笑顔で挨拶する。


「橋を直すところを見に来たの!」


「そ、そうでございましたか!」


 役人は緊張した様子で答えた。


「現在、修繕の準備を進めております」


「いつ直るの?」


「順調に進めば、一か月ほどでございます」


「ええーっ!そんなにかかるの!?」


「はい。必要な木材の調達や、傷んだ部分の交換がございますので……」


 殿下が橋を見つめる。


 そして、周囲の商人たちへ目を向けた。


「でも、みんな困っちゃうよね?」


「……はい」


 役人がうなずいた。


「ですので、迂回路をご案内しております」


 僕は周辺の道を確認した。


 《算神》を発動。


 橋の両側にある主要な通り。


 迂回に必要な距離。


 荷馬車の移動速度。


 そして、市場までの所要時間。


 ……そうか。


 迂回によって、荷馬車の移動距離は片道で二キロほど増える。


 混雑を考慮すると、二十分から三十分ほど余計にかかる計算だ。


 一日に何度も往復する商人にとっては、大きな負担になるだろう。


「殿下。迂回路を使いますと、荷馬車の移動に片道二十分以上余計にかかるようでございます」


「そんなに!?」


「はい。商人の方々にとっては、無視できない問題でしょう」


「……そっか」


 殿下は、しばらく考え込んだ。


「ねえ、橋を閉めないで直すことはできないの?」


「申し訳ございません。現在の状態では、安全を確保できません」


「でも、閉めたら商人さんたちが困るんでしょ?」


「……はい」


「じゃあ、どうすればいいの?」


 役人は、困ったように眉を寄せた。


「それを、現在検討しているところでございます」


 殿下は、すぐには何も言わなかった。


 目の前には、通行を止められた橋。


 その向こうには、いつもどおりの市場が見えている。


 渡れさえすれば、すぐに行ける距離だ。


 だが、そのわずかな距離が、今は大きな問題になっていた。


 ◇


「王女様!」


 そのとき、一人の商人が声を上げた。


「どうか、お力をお貸しください!」


「えっ!?」


 殿下が振り向く。


「この橋が使えないと、商売にならねえんです!」


 商人は深々と頭を下げた。


「王女様から、橋を開けるように言っていただけませんか!」


「……橋を?」


「はい!王女様のお言葉なら、役人たちも考え直してくれるはずです!」


 殿下が役人を見る。


「……そうなの?」


 役人は緊張した様子で姿勢を正した。


「殿下からのご要望であれば、上の者へ報告いたします。ただ、安全が確認できない以上はすぐに通行を再開することができません」


「……そっか」


 殿下は橋を見つめた。


 そして、商人へ向き直る。


「ごめん。私、橋を開けてってお願いできないよ」


「……そんな!」


 商人が顔を歪めた。


「ですが、こっちだって生活が……!」


「うん。困ってるのはわかるよ」


 殿下が小さくうなずく。


「でも、橋が壊れて誰かが怪我したら、もっと大変だと思うの」


「……」


「おじさんが怪我するかもしれないし、ほかの人かもしれないでしょ?」


 商人は、何も言えなくなった。


 しかし、納得した様子でもなかった。


「……じゃあ、俺たちはどうすりゃいいんですか」


 その声には、怒りよりも疲れがにじんでいた。


 殿下が口を開きかける。


 だが、すぐに言葉を止めた。


 ……おや。


 いつものように、思いついたことをすぐ口にするわけではないらしい。


「ねえ、トルーキン」


「はい」


「橋を開ける以外に、何かできないかな?」


「それでしたら、迂回路の案内をわかりやすくすることや、別の渡河手段を検討することはできるかと存じます」


「別の渡河手段?」


「例えば、渡し舟でございます。ただし、船の数や安全面の確認が必要ですが」


「そっか!」


 殿下は役人へ向き直った。


「ねえ、そういうのってできる?」


「はい。現在、渡し舟の増便についても相談を進めております」


「ほんと!?」


「ただ、船で運べる荷物には限りがございます。荷馬車ごと渡ることは難しいでしょう」


「……そっかぁ」


 殿下は少し残念そうにした。


 だが、すぐに別のことを尋ねた。


「じゃあ、それって商人さんたちも知ってるの?」


「……いえ。まだ正式にお知らせできる段階ではございませんので」


「どうして?」


「実現するかどうか、決まっておりませんから」


「でも、考えてるってことは教えられるよね?」


 役人が、少し驚いた顔をした。


「……確かに、そうでございますね」


「それに、橋がいつ直るかわからないと、みんな困っちゃうんじゃない?」


「おっしゃるとおりでございます」


 僕も役人へ尋ねる。


「現在の修繕予定や迂回路について、住民への周知は進んでおりますでしょうか?」


「……まだ十分とは言えません」


「では、商人組合にも協力をお願いしてはいかがでしょう。確定していることと、検討中のことを分けて伝えるのです」


「なるほど……。担当者と相談してみます」


 役人がうなずいた。


 殿下は商人へ向き直った。


「おじさん。すぐに橋を開けることはできないけど、ほかの方法も考えてるんだって」


「……そうですか」


 商人は、まだ難しい顔をしていた。


「でも、明日の荷物をどうするかも決めなきゃならねえんです」


「……うん」


 殿下は、少し困ったように眉を下げた。


「ごめんね。今すぐには、何とかできないみたい」


 商人はしばらく黙っていた。


 そして、小さく頭を下げた。


「……いえ。王女様に文句を言っても、仕方ありませんよね」


 彼は荷馬車へ戻っていった。


 殿下は、その後ろ姿を見つめていた。


 ◇


 帰りの馬車の中。


 殿下は、珍しく静かだった。


「殿下」


「なに?」


「本日は、いかがでしたか?」


「……難しかった」


 殿下が小さく答える。


「橋を閉めたら、商人さんたちが困っちゃう」


「はい」


「でも、橋を開けたら、誰かが怪我するかもしれない」


「そうでございますね」


「……どっちも嫌だな」


 僕は、すぐには答えなかった。


 殿下も、しばらく窓の外を眺めていた。


「ねえ、トルーキン」


「はい」


「私が王女様だからって、お願いしたら、みんな聞いてくれるのかな?」


「内容にもよりますが、殿下のお立場を考慮される方は多いでしょう」


「……そっか」


 殿下が自分の手を見つめる。


「でも、それって、みんなが本当にそうしたいわけじゃないかもしれないよね?」


「……おっしゃるとおりでございます」


「今日の役人さんも、私が橋を開けてって言ったら、困っちゃったかな?」


「そうかもしれません。安全を守る責任もございますので」


 殿下が少しうつむいた。


「王女って、難しいんだね」


 ……。


 僕は、殿下の横顔を見た。


「殿下。すべての問題を、殿下お一人で解決する必要はございません」


「……そうなの?」


「はい。まずは人々のお話を聞き、何ができるのかを考えることが大切でございます」


 殿下は、しばらく黙っていた。


 そして、小さくうなずく。


「……うん」


 少ししてから、また口を開いた。


「でもね、トルーキン」


「はい」


「あのおじさん、明日も困るんだよ?」


「……そうでございますね」


「私、何かしてあげたかったな」


 ……。


 確かに、あの商人の問題が解決したわけではない。


 修繕が終わるまで、不便は続くだろう。


 今日の経験を、殿下がどう受け止めるのか。


 それは、僕にもまだわからなかった。


 ◇


 数日後。


 僕たちは、再び橋の近くを通りかかった。


「あっ!トルーキン!」


「はい」


「あそこ!」


 殿下が指さした先には、大きな掲示板が設置されていた。


 橋の修繕予定。


 迂回路の案内。


 渡し舟の利用について、現在検討している内容。


 それらが、わかりやすく書かれている。


 さらに、商人組合の建物にも、同じ内容を掲示することになったらしい。


「……あっ!」


 殿下が嬉しそうな声を上げた。


「ちゃんと教えてくれてる!」


「そのようでございますね」


 近くでは、一人の商人が掲示板を眺めていた。


「なるほど。こっちの道を使えばいいのか」


「ただ、遠回りなのは変わらねえな」


「ああ。早く橋が直ってくれりゃいいんだが」


 そんな声が聞こえてくる。


 ……やはり、問題が解決したわけではない。


 それでも、以前のように、どこを通ればよいのかわからずに戸惑う人は減っているようだった。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「ちょっとは役に立ったかな?」


「ええ。少なくとも、困る方を減らすことにはつながったかと存じます」


「……よかった!」


 殿下は嬉しそうに笑った。


 しかし、すぐに掲示板へ目を戻す。


「でも、まだ橋は直ってないんだよね」


「はい」


「……早く直るといいね」


 そう言って、殿下は静かにうなずいた。


 ◇


 その後も、僕たちは王都のさまざまな場所を訪れた。


 ある日は、商人組合での話し合いを見学することになった。


 橋の通行止めによって荷物の運搬に時間がかかるため、商人たちは共同で荷馬車を手配する方法を検討していた。


 複数の商人が同じ荷馬車を使えば、一人あたりの運搬費用を抑えられる。


 なかなか合理的な方法だ。


「それなら、全員で同じ額を出し合えばいいんじゃないか?」


 一人の商人が提案した。


 ところが、別の商人が首を振る。


「待ってくれ。俺は毎日、大量の荷物を運んでるんだぞ」


「だったら、おまえは得するじゃねえか」


「そういう話じゃねえ。荷物の少ない店まで、同じ額を払うのはおかしいだろ」


 その言葉に、小さな店を営む女性がうなずいた。


「うちは野菜を籠で二つ運ぶだけなんです。それで大きなお店と同じ料金を払うのは、ちょっと……」


 ……なるほど。


 共同で費用を負担するにしても、分け方が問題になるわけだ。


「ねえ、トルーキン」


「はい」


「みんなで一緒に運ぶなら、安くなるんだよね?」


「そうでございます」


「じゃあ、みんな喜ぶと思ったのに……」


 殿下は、話し合いを見つめた。


「……荷物が少ない人も、同じお金を払うの?」


「現在は、その案が出ているところでございます」


「でも、それだと困る人がいるんだね」


「そのようでございますね」


 殿下は、少し考えた。


 そして、商人たちへ声をかけた。


「あの、ちょっといい?」


「おや、王女様。どうなさいました?」


「荷物が少ない人には、少し安くしてあげられないのかな?」


 商人たちが顔を見合わせた。


「……確かに、荷物の量に応じて負担を変える方法はありますな」


「でも、それだと今度はどこからどこまでを同じ料金にするかで揉めるぞ」


「そうだな。大きさだけじゃなく、重さも違うしな」


「……」


 殿下は、少し困った顔をした。


 そして、しばらく考えてから、もう一度尋ねた。


「じゃあ、今ここで決めなくてもいいんじゃない?」


「……と申しますと?」


「だって、まだ困ってる人がいるんでしょ?その人たちにも聞いてから決めた方がいいと思うの」


 商人たちが黙り込んだ。


 やがて、組合の役員がうなずく。


「……そうですな。もう少し小さな店の意見も集めてみましょう」


 別の商人も口を開いた。


「荷物の量ごとに費用を分けられないか、試算してみるか」


「それなら、うちも参加できるかもしれません」


 先ほどの女性が、ほっとしたように笑った。


 もちろん、運搬費用の問題が解決したわけではない。


 だが、話し合いは再び動き始めた。


「ねえ、トルーキン」


「はい」


「みんなが同じお金を払えば、平等だと思ってた」


 殿下が小さな声で言った。


「でも、違うこともあるんだね」


「そうでございますね」


「……難しいなぁ」


 殿下は苦笑した。


 その日は、それ以上の答えを求めようとはしなかった。


 ◇


 さらに月日が過ぎていった。


 学習室での授業。


 王都の各所を訪れての現場学習。


 ときには衛兵詰所で警備の仕事を学び、ときには商人たちから商売の苦労を聞いた。


 エクレシア殿下は、さまざまな人々と話すようになった。


 もちろん、すべてを理解できたわけではない。


 説明を聞いても首を傾げることは多いし、難しい話になると、すぐに僕へ助けを求めてくる。


 ただ、困っている人を見つけたとき、こんなことを尋ねるようになった。


「ねえ、ほかに困る人はいないの?」


 その一言で、話し合いの内容が変わることもあった。


 一方で、変わらないところも多い。


 この前など、消防ポンプの小さな試作品を見に行った際、殿下は真っ先に取っ手へ手を伸ばそうとした。


「殿下。まずは職人の方に操作していただきましょう」


「ええーっ!私もやりたい!」


「まだ試作品でございますので」


「私、優しく動かすよ!」


「……そのお言葉を信じたいところではございますが」


「ひどーい!」


 ……まったく。


 どうやら、何もかもが変わったわけではないらしい。


 それでよいのだろう。


 ◇


 そうして、レオンハルト殿下への手紙を届けてから、およそ二か月が経った。


 王太子殿下からの返事は、まだ届いていない。


 面会も、実現していなかった。


 エクレシア殿下は、以前のように毎日返事を尋ねることはなくなった。


 だが、弟のことを忘れたわけではない。


 ある日の午後。


 授業を終えた殿下が、窓の外を眺めながら口を開いた。


「ねえ、トルーキン」


「はい」


「レオン、元気にしてるかな?」


「王太子殿下は、お変わりなく勉学に励まれていると伺っております」


「……そっか」


 殿下は安心したように微笑んだ。


「よかった」


 そして、しばらく黙る。


「……私ね」


「はい」


「まだ、レオンに会いたいんだ」


「……そうでございますか」


「うん。お話ししたいこと、いっぱいあるもん」


 殿下は、机の上に置かれた教科書を見つめた。


「橋のことも、商人さんたちのことも。レオンなら、きっといろいろ教えてくれると思うの」


「そうでございますね」


「でもね……」


 殿下が少し目を伏せた。


「レオンが本当に会いたくないなら、無理に会うのは違うと思うの」


 ……。


「だって、私が会いたいからって、レオンも同じとは限らないでしょ?」


「……おっしゃるとおりでございます」


 殿下は小さくうなずいた。


 そして、少し困ったように笑った。


「……でも、やっぱり寂しいな」


 僕は、すぐに返す言葉を見つけられなかった。


 この方は、ずっと弟のことを思っている。


 会いたい気持ちも、変わっていない。


 それでも、自分の望みだけを押しつけてはいけないと考えているのだ。


「殿下」


「なに?」


「王太子殿下が、実際にどのようにお考えなのかは、まだわかっておりません」


「……うん」


「機会がございましたら、ご本人のお気持ちを確かめることも大切かと存じます」


 殿下が僕を見る。


「……会えるかな?」


「すぐにとは申し上げられませんが、私も機会を探してみましょう」


「……ありがとう」


 殿下は、静かに笑った。


 そのあと、何かを思い出したように顔を上げる。


「あっ、そうだ」


「はい?」


「私、レオンに会えたら、最初に何を話そうかな」


「……まだお決めになっていなかったのでございますか?」


「だって、いっぱいあるんだもん」


 殿下が指を折り始めた。


「火事の話でしょ、橋の話でしょ、あと、商人さんたちの話」


「……それだけでも、かなりのお時間が必要になりそうでございますね」


「じゃあ、少しずつ話せばいいよ」


 殿下がにっこり笑う。


「レオンのお話も聞きたいし!」


 ……。


 その言葉に、僕は思わず微笑んだ。


 ◇


 数日後。


 王宮の連絡板に、新しい予定が掲示された。


 レオンハルト王太子殿下が、来週、王都の救護院を公式に視察されるという。


 国王陛下のご意向を受け、王太子として現場の状況を学ばれるらしい。


 ……なるほど。


 王太子殿下も、王宮の外で経験を積まれるようになったのか。


 もっとも、公務が増えれば、その分だけ自由な時間は減る。


 姉弟が顔を合わせる機会も、ますます少なくなるかもしれない。


 ……さて。


 この知らせを、どうお伝えしたものかな。


 ◇


「レオンが!?」


 僕が報告すると、殿下は目を輝かせた。


「すごい!レオン、王様みたいだね!」


「王太子殿下として、ご経験を積まれるのでしょう」


「そっかぁ!」


 殿下は嬉しそうに笑った。


「私も応援したいな!」


「それはよろしいことかと存じます」


「じゃあ、見に行こうかな?」


 ……おや。


 そう来たか。


「殿下。公式の視察でございますので――」


「あっ、そうだった」


 殿下が自分で言葉を止めた。


「勝手に行ったら、困るかもしれないよね」


「……そうでございますね」


「じゃあ、今回はやめておこうかな」


 殿下は少し残念そうに笑った。


「レオンが頑張る日なんだもん。邪魔したくないし」


「……殿下のお考えは、もっともでございます」


「えへへっ!」


 殿下が笑う。


 そして、少し考えてから続けた。


「でもね、トルーキン」


「はい」


「いつか、レオンが王様になったら、私もお手伝いできるかな?」


 ……。


 僕は、一瞬だけ言葉に詰まった。


 ハートリー公爵と、マーリコー公爵。


 あの二人の顔が、頭をよぎる。


 王位継承を巡る考えの違い。


 そして、最近の姉弟の距離。


 ……簡単な問題ではないな。


「殿下」


「なに?」


「そのときのお立場や、王太子殿下のお考えにもよりますが、殿下にできることはきっとあるでしょう」


「ほんと!?」


「はい。ただし、何をなさるかは、お二人でよく話し合うことが大切でございます」


「うん!」


 殿下が大きくうなずいた。


「じゃあ、私、もっと勉強する!」


「……おお」


 これは、ありがたい。


「レオンのお手伝いができるように!」


「大変よいお考えでございます」


「でしょ!」


 殿下が嬉しそうに笑った。


 ……。


 僕は、その姿を見つめた。


 二か月前の殿下なら、弟に会いたいと思えば、すぐに会いに行こうとしただろう。


 今は、相手の都合を考えて立ち止まることができる。


 橋の通行止めでも、商人組合でも、誰かの言葉を聞いて考え直すことがあった。


 それでも、相変わらずよく笑う。


 嬉しいことがあれば飛び跳ね、納得できないことがあれば頬を膨らませる。


 ……少しずつ、大人になっているのだろう。


 それが嬉しくもあり、どこか寂しくもある。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「今日のお勉強、もう終わりだよね!」


「……まだ、歴史の課題が残っておりますが」


「ええーっ!」


 殿下が頬を膨らませる。


「だって、もういっぱい勉強したよ!」


「本日の予定は、まだ終わっておりません」


「じゃあ、お菓子を食べてから!」


「……殿下」


「一個だけ!」


 ……。


 このやり取りも、相変わらずだ。


 もっとも、僕は知っている。


 今朝、殿下が厨房から焼き菓子を三つ持ち出そうとしていたことを。


 ……まったく。


 まだまだ、教育は必要らしい。


 ◇


 その日の夕方。


 僕のもとへ、王太子殿下の視察に関する詳しい予定が届いた。


 救護院への訪問日時。


 視察の目的。


 同行する衛兵や役人の人数。


 そして、随行する貴族の名前。


 ……おや。


 僕は、その名前に目を止めた。


 マーリコー公爵。


 現王妃陛下の弟にして、レオンハルト殿下を支持する大貴族だ。


 王太子の公務に同行すること自体は、不自然ではない。


 むしろ、母方の叔父として、経験を積ませたいと考えているのだろう。


 ただ、一つ気になることがあった。


 今回、王太子殿下が視察される救護院。


 そこは以前、エクレシア殿下が不正を明らかにするきっかけを作った場所でもあった。


 そして、殿下の活躍を知る人々が、今もいるはずだ。


 ……なるほど。


 偶然なのか、それとも何か意味があるのか。


 僕には、まだわからない。


 ただ、以前は庭園で仲よく話していた姉弟が、今では別々の場所で、それぞれの役目を果たそうとしている。


 そのことだけは、確かだった。


 ……さて。


 王太子殿下の初めての本格的な視察。


 何事もなく終わればよいのだが。




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