第12話① 弟君はお忙しいようです
商業地区で消防訓練を行ってから、数日が経った。
僕は今日も、エクレシア殿下の学習室にいた。
「ねえねえ、トルーキン!」
「はい、殿下」
「レオンって、今日暇かな?」
「レオンハルト王太子殿下でございますか?」
「うん!」
殿下が元気よくうなずく。
「この前の火事の話をしてあげたいの!」
「消防訓練のことでございますね」
「そう!みんなで協力して火事に備えるんだよ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
「レオンにも教えてあげたいなぁ!」
「それはよろしいかと存じます」
「でしょ!」
確かに、レオンハルト殿下は聡明なお方だ。
まだ十一歳だが、学問に対する意欲も高い。
消防訓練の話をすれば、何か新しい意見をいただけるかもしれない。
「それにね!」
「はい」
「レオンも一緒にやってくれたら、もっといい方法を思いつくかもしれないよ!」
「……そうでございますね」
僕は少し感心した。
殿下は、自分一人で何でも解決しようとするのではなく、弟の知恵を借りようとしている。
なかなかよい考え方だ。
「では、王太子殿下のご予定を確認してみましょう」
「やったぁぁ!」
殿下が勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、今から行こう!」
「……まずは、先方に面会を申し込んでからでございます」
「すぐに会えないの!?」
「王太子殿下にも、ご予定がございますので」
「そっかぁ!」
殿下は少し残念そうにしたが、すぐに笑顔になった。
「じゃあ、早くお願いしよう!」
「承知いたしました」
……まったく。
こういうときの行動力は、相変わらずである。
◇
僕たちは王太子殿下の居住区画へ向かった。
王宮の東側に位置するこの区画には、王太子専用の学習室や応接室が設けられている。
廊下には衛兵が立ち、侍従たちが忙しそうに行き来していた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「レオン、今お勉強してるのかな?」
「その可能性は高いかと存じます」
「何のお勉強だろう?」
「それは、ご本人に伺わなければ……」
「私、歴史だったら教えてもらいたいな!」
……。
先日の授業では、歴代国王の名前を覚えるのに苦労されていた。
弟君に教えていただくのも、一つの方法かもしれない。
そんなことを話していると、一人の侍従が近づいてきた。
「これは、エクレシア殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
「こんにちは!」
侍従が丁寧に一礼する。
「本日は、いかがなさいましたか?」
「レオンに会いに来たの!」
「王太子殿下に、でございますか?」
「うん!」
侍従は、少し困ったような表情を浮かべた。
「申し訳ございません。王太子殿下は本日、ご予定が詰まっておりまして」
「そうなの!?」
「はい。午前中は歴史と法律、午後には外交についてのご講義がございます」
「いっぱい勉強するんだね!」
殿下が感心したように目を輝かせる。
「レオン、すごいなぁ!」
「王太子殿下は、日々熱心に勉学へ励んでおられます」
「そっか!」
殿下は嬉しそうにうなずいた。
そして、すぐに尋ねる。
「じゃあ、明日は?」
「明日も、すでにご予定がございます」
「明後日は!?」
「明後日も同様でございます」
「ええーっ!」
……ふむ。
ずいぶん忙しいようだな。
「失礼ですが、近いうちに少しでもお時間をいただける日はございませんでしょうか?」
僕が尋ねると、侍従は申し訳なさそうに頭を下げた。
「恐れ入ります。しばらくの間は難しいかと存じます」
「……そうでございますか」
王太子の勉強が忙しいのは当然だ。
しかし、実の姉と短時間会う余裕すらないのだろうか。
もっとも、僕は王太子殿下のすべての予定を把握しているわけではない。
何か特別な事情があるのかもしれない。
「そっかぁ……」
殿下が肩を落とした。
しかし、すぐに顔を上げる。
「じゃあ、仕方ないね!」
「……よろしいのでございますか?」
「うん!だって、レオンは王様になるために頑張ってるんでしょ?」
「そうでございますね」
「だったら、邪魔しちゃ駄目だよね!」
……なるほど。
弟のことになると、ずいぶん聞き分けが良いな。
「承知いたしました。では、また日を改めましょう」
「うん!」
殿下は侍従に向かって笑った。
「レオンに、お勉強頑張ってねって伝えて!」
「かしこまりました」
僕たちは、その場を離れた。
◇
学習室へ戻る途中。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「いいこと思いついた!」
「何でございましょう?」
「お手紙を書こう!」
「お手紙、でございますか?」
「うん!レオンが暇なときに読んでくれればいいもん!」
……確かに。
それなら、王太子殿下のご予定を邪魔することもない。
「大変よいお考えでございます」
「でしょ!」
「では、学習室へ戻りましたら早速お書きになりましょう」
「やったぁ!」
どうやら、本日の授業内容も変更になりそうだ。
もっとも、読み手に伝わる文章を書くことも、立派な勉強である。
そう考えることにしよう。
◇
「よーし!」
学習室に戻った殿下は、机の上に紙を広げた。
そして、ペンを握る。
「トルーキン!何て書けばいいかな?」
「殿下がお伝えしたいことを、そのままお書きになればよろしいかと」
「わかった!」
殿下が勢いよくペンを走らせる。
……おや。
ずいぶん迷いがないな。
しばらくして、殿下が顔を上げた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これって、どう書くんだっけ?」
「……先ほどもご説明いたしましたが」
「えへへっ!」
どうやら、文章を書く勉強はまだ必要らしい。
僕が教えると、殿下は再びペンを動かし始めた。
紙には、先日の火事のことが書かれていた。
工房で火災が起きたこと。
見習いの少年を助けたこと。
みんなで力を合わせ、水を運んだこと。
そして、その後に消防訓練を行ったこと。
殿下は一つ一つ、丁寧に書いていく。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これも書いていい?」
「何でございましょう?」
「レオンも一緒にやろうねって!」
「もちろんでございます。ただし、王太子殿下のご都合もございますので」
「うん!暇なときでいいよ!」
殿下が笑う。
そして、手紙の最後に大きな文字で書き加えた。
『レオンも今度、一緒にやろうね!』
「できたぁ!」
「お疲れさまでございました」
「あっ!そうだ!」
殿下が何かを思いついたように、もう一度ペンを動かす。
「今度は何でございましょう?」
「レオンにね、お勉強頑張ってねって書くの!」
殿下は手紙の最後に、もう一行書き加えた。
「できた!」
殿下が満足そうに手紙を掲げる。
「どう!?」
「大変よいお手紙でございます」
「ありがとう!」
殿下は嬉しそうに笑い、手紙を見つめた。
「レオン、喜んでくれるかなぁ?」
「きっと、お気持ちは伝わるでしょう」
「うん!」
僕も、もう一度手紙を見た。
弟を思う気持ちがよく表れている。
この方にとって、レオンハルト殿下は大切な弟なのだ。
そこには、王太子も王位継承も関係ない。
ただ、弟に喜んでもらいたい。
それだけなのだろう。
◇
その日の午後。
僕はエクレシア殿下から預かった手紙を届けるため、再び王太子殿下の居住区画を訪れた。
「こちらを、王太子殿下へお渡しいただけますでしょうか」
侍従に封筒を差し出す。
「エクレシア殿下からのお手紙でございますね」
「はい」
「承知いたしました。確かにお預かりいたします」
侍従は丁寧に一礼した。
……さて。
せっかくの機会だ。
少し確認しておこう。
「ところで、王太子殿下は最近、ご予定が増えたのでございましょうか?」
「はい。王太子としての教育を、さらに充実させております」
「……なるほど」
「殿下ご自身も、大変熱心に取り組んでおられます」
「それは素晴らしいことでございますね」
確かに、王太子殿下は勉強熱心なお方だ。
その説明自体に、不自然なところはない。
「以前は、庭園でお過ごしになることもございましたが」
「現在は、その時間にもご講義を受けられることが多くなりました」
「そうでございましたか」
侍従は、何でもないことのように答えた。
僕は礼を述べ、その場をあとにした。
◇
帰り道。
僕は王宮の連絡板に掲示されている、王族の公的な予定表に目を向けた。
王太子殿下の授業や公的行事については、関係者に一部の日程が共有されている。
もちろん、私的な予定まで知ることはできない。
だが、授業の開始時間や終了時間は、ある程度把握できる。
……少し整理してみるか。
《算神》を発動。
先週と今週の予定を比較する。
エクレシア殿下の授業時間。
王太子殿下の講義予定。
学習室から庭園までの移動時間。
そして、二人が自由に過ごせる時間帯。
以前は、午後の授業が終わったあと、二人が庭園で顔を合わせることもあった。
僕が確認できる先週の五日間では、二人の予定に余裕が重なる日が三日あった。
しかし、今週は違う。
……一度もないのか。
もちろん、授業時間が増えたのは事実だ。
教育内容を充実させれば、自由時間が減るのは当然だろう。
だが、以前なら自然に顔を合わせられた時間帯が、ほとんどなくなっている。
……偶然だろうか。
《算神》で予定を組み合わせ直しても、エクレシア殿下の授業と重ならない時間は限られていた。
もっとも、これは公開されている予定から導いた結果にすぎない。
僕の知らない事情もあるだろう。
それに、数字から人間の意図まで読み取ることはできない。
……少々、気になるな。
そのとき、僕は先日の出来事を思い出した。
ハートリー公爵と、マーリコー公爵。
二人は、王位継承について異なる考えを持っていた。
ハートリー公爵は、エクレシア殿下が将来女王となる可能性を残したいと考えている。
一方、マーリコー公爵は、王太子レオンハルト殿下の立場を守ろうとしていた。
……まさか。
今回の予定変更も、そうした事情と関係があるのだろうか。
いや、証拠もないのに疑うのはよくない。
王太子の教育を充実させること自体は、何もおかしくないのだから。
それに、先日、殿下が二人の公爵に告げた言葉も思い出す。
『私たちのことは、私たちにも聞いてほしいな!』
……そうだ。
最も大切なのは、本人たちの気持ちだろう。
だが、僕はまだレオンハルト殿下のご意向を直接伺っていない。
さて、どうしたものかな。
◇
翌日。
「トルーキン!」
「はい、殿下」
「レオンからお返事来た!?」
「……まだでございます」
「ええーっ!」
殿下が頬を膨らませた。
「まだなのぉ!?」
「王太子殿下もお忙しいのでしょう」
「そっかぁ……」
殿下は残念そうにしたが、すぐに教科書を開いた。
「じゃあ、勉強しよう!」
「承知いたしました」
今日は、なかなか素直だ。
僕も教科書を開き、授業を始める。
ところが、しばらくすると。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「レオン、お手紙読んだかな?」
「……まだわかりません」
「そっか!」
殿下がうなずく。
そして、再び教科書に目を落とした。
……。
まあ、仕方ないだろう。
大好きな弟への手紙なのだから、返事が気になるのも当然だ。
◇
その日の午後。
学習室の扉が叩かれた。
「失礼いたします」
入ってきたのは、王太子付きの侍従だった。
「エクレシア殿下。王太子殿下へのお手紙について、ご連絡がございます」
「えっ!」
殿下が勢いよく立ち上がる。
「レオンから!?」
「はい」
「やったぁ!何て書いてあった!?」
殿下が嬉しそうに近づく。
しかし、侍従は手紙を持っていなかった。
代わりに、丁寧に頭を下げる。
「申し訳ございません」
「……え?」
「王太子殿下は、当面の間、姉君との面会を控えたいとのことでございます」
……何?
僕は侍従を見た。
殿下も、驚いたように目を丸くしている。
「……レオンが?」
「はい。現在は、王太子としての勉学に専念なさりたいとのことでございます」
「……そっか」
殿下が小さくうなずいた。
そして、少しうつむく。
「……お勉強、忙しいんだね」
「左様でございます」
侍従は、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
これは、少々予想外だったな。
「失礼ですが、それは王太子殿下ご自身のお言葉なのでしょうか?」
僕が尋ねると、侍従は丁寧に一礼した。
「王太子殿下のご意向として、お伝えするよう承っております」
「……そうでございますか」
僕は続けて尋ねた。
「では、エクレシア殿下のお手紙はご覧いただけたのでしょうか?」
「お手紙につきましても、所定の手続きに従ってお取り次ぎしております」
「……承知いたしました」
……なるほど。
答えになっているようで、肝心なことはわからない。
王太子殿下が本当に面会を望んでいないのか。
あの手紙をご本人が読まれたのか。
少なくとも、僕はまだ確認できていない。
「……わかった!」
殿下が顔を上げた。
そして、いつものように笑う。
「レオン、頑張ってるんだね!」
「はい。大変熱心に勉学へ励んでおられます」
「じゃあ、邪魔しちゃ駄目だね!」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
侍従が深く頭を下げた。
「それでは、失礼いたします」
扉が閉まる。
学習室に、静けさが戻った。
……。
「……殿下」
僕が声をかけると、殿下は振り向いた。
「ん?」
「……大丈夫でございますか?」
「うん!」
殿下は笑った。
「レオン、勉強頑張ってるんだもん」
「……そうでございますね」
「だから、仕方ないよ」
そう言って、殿下は机へ戻った。
そして、開いたままの教科書を見つめる。
だが、ページをめくろうとはしなかった。
……殿下。
しばらくして。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
殿下が、いつもより小さな声で尋ねた。
「……レオン、私に会いたくないのかな?」
……。
僕は、すぐに答えられなかった。
王太子殿下が本当にそう思っているのか、わからないからだ。
「……殿下」
「なに?」
「それは、王太子殿下ご本人にお尋ねしなければ、わかりません」
「……そっか」
殿下が小さくうなずいた。
そして、窓の外へ目を向ける。
王宮の庭園には、午後の柔らかな日差しが降り注いでいた。
以前は、あの庭園で姉弟が楽しそうに話している姿を見ることもあった。
だが、最近は見かけていない。
「……ねえ、トルーキン」
「はい」
「私の手紙、読んでくれたかな?」
……。
殿下は、もう笑っていなかった。
僕は、その問いに答えることができなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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