第11話② 火事は殴っても消えません
翌朝。
「トルーキン! 早く行こう!」
部屋に入るなり、エクレシア殿下が僕の腕を引っ張った。
「殿下。まだ出発の時間ではございません」
「ええーっ!でも、昨日のおじさんが心配なんだもん!」
昨日、王都の商業地区で発生した火災。
見習いの少年は救出できたものの、金属加工の工房はほとんど焼け落ちてしまった。
殿下はそのことが気になっているらしい。
「お気持ちはわかりますが、まずは朝食をお済ませください」
「もう食べたよ!」
「……そうでございますか」
「うん!だから行こう!」
……。
どうやら、今日はずいぶん早起きされたようだ。
普段の授業でも、これくらい積極的であればありがたいのだが。
「承知いたしました。では、準備が整い次第、出発いたしましょう」
「やったぁぁ!」
殿下が嬉しそうに跳び跳ねる。
……さて。
昨日は火事の原因を調べると約束した。
それに、工房の主人が今後どうするのかも気になる。
まずは現場を確認しよう。
◇
商業地区へ到着すると、昨日の火災現場には、まだ焦げた木材の臭いが残っていた。
工房のあった場所は、黒く焼けた柱と瓦礫ばかりになっている。
周囲には立ち入りを防ぐための縄が張られ、衛兵が見張っていた。
「……あ」
殿下が足を止めた。
昨日は炎と煙でよく見えなかった焼け跡を、じっと見つめている。
「本当に、なくなっちゃったんだね……」
「……はい」
そのとき、縄の向こうから声がした。
「おおっ! 昨日のお嬢ちゃんたちじゃねえか!」
工房の主人だった。
片腕には包帯が巻かれている。
その隣には、見習いの少年もいた。
「おじさん!」
殿下が駆け寄る。
「怪我、大丈夫!?」
「ああ、このくらい平気だ。それより昨日は助かったよ。おかげで、こいつも無事だった」
主人が少年の頭を撫でた。
「……ありがとうございました」
少年が深く頭を下げる。
「うん!無事でよかったぁ!」
殿下が満面の笑みを浮かべた。
しかし、すぐに焼け跡へ目を向ける。
「……でも、お店なくなっちゃったね」
「ああ……」
主人が寂しそうに笑った。
「親父から受け継いだ工房だったんだ。道具も材料も、ほとんど駄目になっちまった」
「……これからどうするの?」
「さあな。仕事場がなきゃ、金も稼げねえからな」
殿下が考え込む。
そして、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ、私がお金を出してあげる!」
「……え?」
主人が目を丸くした。
……殿下。
そのお気持ちは素晴らしいのですが。
「お嬢様。少々よろしいでしょうか」
「なに?」
「まずは、何が必要なのか確かめましょう」
「えっ?お金じゃ駄目なの?」
「お金も必要でしょう。ですが、仕事を再開するには場所や道具、材料も必要でございます」
「……そっか!」
殿下がうなずいた。
僕は主人へ向き直る。
「ほかの工房で、しばらく働くことはできませんか?」
「ああ、職人仲間が声をかけてくれてな。道具も少し貸してくれるらしい」
「それは何よりでございます」
「ただ、新しい工房を建てる金となると……」
主人がため息をつく。
……なるほど。
当面の仕事は確保できそうだが、元の生活に戻るには時間がかかるらしい。
「商人組合には相談なさいましたか?」
「いや、まだだ」
「では、組合に支援の仕組みがないか確認してみましょう。必要であれば、王都の担当部署にもお取り次ぎいたします」
「ほ、本当か!?」
「お力になれるかはわかりませんが、相談する価値はあるかと」
主人が深く頭を下げた。
「ありがとう……!」
「よかったね、おじさん!」
殿下が嬉しそうに笑う。
……まったく。
この方は、人が喜ぶと本当に嬉しそうだ。
◇
「それで、昨日の火事は何が原因だったのでしょうか?」
僕が尋ねると、主人の表情が曇った。
「……炉の近くだと思う」
「炉、でございますか?」
「ああ。昨日は注文が多くてな。材料や梱包用の布を、いつもとは違う場所に積んでたんだ」
「それは、炉の近くでしょうか?」
「……ああ」
主人がうつむいた。
「普段なら、そんなところには置かねえ。だが、仕事が忙しくて、つい……」
火の粉が燃えやすいものに移った可能性があるな。
ただ、建物は焼け落ちている。
実際の出火原因を断定することは難しいだろう。
「炉の近くに燃えやすいものを置いていたのですね」
「ああ……」
主人が小さくうなずく。
「俺の不注意だったのかもしれねえ」
「……おじさん」
殿下が心配そうに見つめる。
主人は苦笑した。
「職人が火を怖がってちゃ仕事にならねえ。だが、慣れすぎるのもよくねえな」
……そのとおりだ。
前世でも、火災の原因には不注意や設備の不備が多かった。
便利な道具である火も、扱いを間違えれば大きな被害を生む。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「じゃあ、ほかのお店にも教えてあげようよ!」
「……何を、でございますか?」
「火の近くに、燃えるものを置いちゃ駄目だって!」
……ほう。
「そうすれば、ほかのお店は燃えなくて済むかもしれないでしょ?」
「……ええ。そのとおりでございます」
僕は殿下を見た。
誰かを責めるのではなく、同じことが起きないように考えている。
これは、よい変化と言えるだろう。
「では、昨日の消火活動についても調べてみましょう」
「うん!」
◇
その後、僕たちは昨日の火災で指揮を執っていた衛兵を訪ねた。
「おお、昨日のお二人か!」
衛兵の責任者は、僕たちを見ると笑顔を見せた。
どうやら殿下と僕の正体に気が付いてないらしい。
「昨日は助かった。あんたの提案がなければ、水を運ぶだけでも大混乱だっただろう」
「いえ。皆様が協力してくださったおかげでございます」
「それにしても、お嬢ちゃんの力はすごかったな!」
「えへへっ!」
殿下が得意げに胸を張る。
「私、力持ちなんだよ!」
「ああ、よくわかった!」
……できれば、その程度の認識で済ませていただきたい。
「ところで、昨日の消火活動について、いくつか確認させてください」
「何だ?」
「火事が起きた際、住民への連絡はどのようになさっているのでしょうか?」
「連絡?」
「はい。昨日は、近くにいた人々が叫んで知らせておりましたが」
「ああ。基本的にはそうだな。大きな火事なら衛兵が鐘を鳴らすこともあるが」
「では、鐘の合図は地区ごとに決まっているのですか?」
「いや、そこまでは決まっていないな」
……なるほど。
「消火用の桶や水は、どこに保管されているのでしょうか?」
「基本は井戸と、各店が持っている桶だ」
「専用の備品は?」
「ほとんどないな。火事なんて、そう頻繁に起こるものでもないし」
僕は昨日の状況を思い出す。
《算神》を発動。
井戸までの距離。
水を運んだ人数。
桶の容量。
人々が移動する速度。
そして、火が周囲へ広がり始めるまでの時間。
頭の中で数字が並んでいく。
昨日の問題は、水が足りなかったことだけではない。
火事を知らせるまでの時間。
人々が集まるまでの時間。
桶を準備する時間。
さらに、誰が何をするのか決まっていなかったこと。
すべてが重なって、消火活動を遅らせていた。
「衛兵殿。一つ、ご提案がございます」
「何だ?」
「火事が起きたときの合図を決めてはいかがでしょうか」
「合図?」
「はい。例えば、一定の鐘の鳴らし方を火災の知らせとするのです」
「なるほど……」
「さらに、消火用の桶を決まった場所に置き、井戸から水を運ぶ役割を事前に決めておけば、初動を早くできるかと存じます」
「……確かに」
衛兵が腕を組む。
「だが、そんな決まりを作ったところで、住民たちが動けるかどうか……」
「おっしゃるとおりでございます」
仕組みを作っただけでは、機能するとは限らない。
実際に人々が動けなければ、意味がないのだから。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「もっと簡単に水を運べる道具って、作れないの?」
殿下が尋ねた。
「……水を運ぶ道具、でございますか」
「うん! 昨日みたいに、みんなで桶を持って走るの、大変だったもん!」
確かに、水の運搬効率を改善する方法はある。
前世の歴史では、手押し式の消防ポンプが使われていた。
人の力で水をくみ上げ、管を通して送り出す仕組みだ。
ただし、この世界で簡単に作れるとは限らない。
「殿下。作れる可能性はございますが、職人の協力が必要でございます」
「ほんと!?」
「はい。ただし、すぐに完成するものではございません」
「ええーっ!」
殿下が頬を膨らませた。
……まったく。
新しい道具というものは、思いついた翌日に完成するわけではないのだが。
◇
僕たちは、商業地区にある木工職人と鍛冶職人のもとを訪ねた。
「水を、押し出す道具?」
鍛冶職人が首をかしげた。
「はい。筒の中で部品を往復させ、水を一定方向へ送り出す仕組みです」
僕は紙に簡単な図を描いた。
筒の中を動くピストン。
水の逆流を防ぐ弁。
そして、水を送り出すための管。
前世の知識を頼りに、基本的な構造を説明する。
「へえ……」
木工職人が図を覗き込んだ。
「なるほど。これなら水をくみ上げられるかもしれねえな」
「ただ、問題はあるぞ」
鍛冶職人が言った。
「この筒と中の部品の隙間から、水が漏れるんじゃねえか?」
「はい。そこが難しいところでございます」
「それに、弁をきちんと作らねえと、水が逆流するだろ」
「おっしゃるとおりです」
……さすが職人だ。
僕が考えていた問題点を、すぐに指摘してくる。
「では、まず小型の試作品を作ってみるのはいかがでしょうか?」
「小さいものなら、何とかなるかもしれねえな」
「水を少し持ち上げられる程度でも、仕組みを確かめることはできますので」
僕は《算神》で、筒の大きさや、てこの長さによって必要な力がどう変わるかを計算する。
しかし、計算ができることと、実際に作れることは別だ。
加工の精度や材料の選択は、職人たちの経験が必要になる。
「面白そうじゃねえか!」
鍛冶職人が笑った。
「まずは試してみるよ!」
「ありがとうございます」
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私も作る!」
「殿下には、完成した試作品を壊さないようお願いしたいのですが」
「ええーっ!」
……。
どうやら、消防ポンプの開発には別の危険もありそうだ。
◇
職人たちとの話し合いを終え、僕たちは商業地区を歩いていた。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「そのポンプって、いつできるの?」
「まだわかりません。試作品の製作にも時間がかかるでしょう」
「ええーっ!」
「仕方がございません。新しい道具を作るのですから」
「でもさ!」
「はい」
「その間に火事が起きたら、どうするの?」
……。
確かに。
その可能性は十分にある。
「現在ある道具で対応することになりますね」
「じゃあさ!」
殿下が腕を組んだ。
そして、しばらく考える。
「みんなで練習したらいいんじゃない!?」
「……練習、でございますか?」
「うん!」
殿下が大きくうなずいた。
「昨日、みんなバラバラに水を運んでたでしょ?」
「はい」
「でも、トルーキンが並んでって言ったら、早くなったよね!」
「そうでございますね」
「だったら、最初から誰が何をするか決めておけばいいんだよ!」
……。
確かに、そのとおりだ。
「殿下。それは大変よいお考えでございます」
「ほんと!?」
「はい。火災が起きる前から役割を決め、訓練しておけば、より早く対応できるでしょう」
「やったぁ!」
殿下が嬉しそうに跳び跳ねる。
……ほう。
人々が協力する方法を、自分から考え始めている。
しかも、僕が教えたわけではない。
昨日の経験から、自分自身で思いついたのだ。
……これは、素直に評価すべきだろう。
「では、衛兵の方々と相談してみましょう」
「うん!」
◇
数日後。
商業地区の広場には、大勢の人々が集まっていた。
衛兵の責任者と商人組合の協力を得て、小規模な消防訓練を行うことになったのだ。
実際に火は使わず、仮の火元を決めて、水を運ぶ練習をする。
「よし! 始めるぞ!」
衛兵の合図とともに、人々が動き始めた。
「火事だぁぁ!」
「水を持ってこい!」
「こっちだ!」
……。
ところが、人々が一斉に井戸へ向かい通路に集まってしまった。
「おい!押すな!」
「水をくませろ!」
「こっちも通してくれ!」
……まずい。
これでは、昨日と変わらない。
「いったん中止してください!」
僕は衛兵へ声をかけた。
「通路が混雑しております!」
「そうだな!」
衛兵が訓練を止める。
人々が顔を見合わせた。
「やっぱり難しいな……」
「誰がどこへ行けばいいのかわからねえ」
……なるほど。
役割を決めただけでは不十分だったか。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「これって、逃げる人も同じ道を通るんだよね?」
「……はい?」
殿下が通路を指さした。
「水を運ぶ人がいっぱいだったら、逃げる人が通れなくなっちゃうよ!」
……。
確かに。
消火することばかり考えて、避難する人の動線が十分に考慮されていなかった。
「殿下……」
「なに?」
「おっしゃるとおりでございます」
「ほんと!?」
「はい。大変重要なことです」
僕は衛兵へ向き直った。
「水の運搬経路と、避難する人々の通路を分けましょう」
「なるほど!それなら混乱も減りそうだ!」
衛兵はすぐに配置を見直した。
水を運ぶ人。
空の桶を戻す人。
避難を誘導する人。
さらに、井戸の周囲が混雑しないよう、人数も調整する。
そして、再び訓練を始めた。
「火事だぁぁ!」
「避難する人はこちらへ!」
「水桶は順番に回せ!」
先ほどよりも、人々の動きが滑らかになった。
完璧ではない。
だが、明らかに改善している。
「おおっ!今度はぶつからねえぞ!」
「これなら早く動けそうだ!」
……よし。
訓練は成功と言ってよさそうだ。
「やったぁ!」
殿下が嬉しそうに跳び跳ねる。
◇
訓練を終えたころ。
「おお、やってるな」
聞き覚えのある声がした。
振り向くと、先日の火災で工房を失った主人が立っていた。
隣には、見習いの少年もいる。
「おじさん!」
殿下が駆け寄る。
「来てくれたんだ!」
「ああ。商人仲間から聞いてな」
主人が広場を見回す。
「ずいぶん本格的にやってるじゃねえか」
「うん!みんなで火事の練習したんだよ!」
「そうか……」
主人はしばらく黙っていた。
そして、小さく呟く。
「昨日、これがあればな……」
殿下の笑顔が少し曇った。
「……おじさん」
「いや、違うか」
主人が首を振る。
「昨日のことは、もう戻せねえ」
彼は、訓練している人々を見つめた。
「でも、次に火事が起きたとき、誰かの工房を守れるかもしれねえな」
「……うん!」
殿下が大きくうなずいた。
見習いの少年も、笑顔を見せる。
「僕も、これからは火の扱いに気をつけます!」
「ああ。俺もだ」
主人が少年の頭を撫でた。
「それに、職人仲間が道具を貸してくれることになってな。当分は別の工房で働けそうだ」
「ほんと!?」
「ああ。まだ元どおりとはいかねえが、何とかやっていけそうだよ」
「よかったぁ!」
殿下が自分のことのように喜んでいる。
……なるほど。
工房の再建には時間がかかるだろう。
だが、少しずつ前へ進んでいるようだ。
◇
訓練が終わり、人々が片づけを始めた。
衛兵たちは今日の問題点について話し合い、商人たちも次の訓練に向けた準備を相談している。
どうやら、この地区では今後も定期的に訓練を行うことになりそうだ。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「これなら、私がいなくても火事を消せるようになるかな?」
「火の大きさにもよりますが、少なくとも被害を減らせる可能性は高まるでしょう」
「そっか!」
殿下が満面の笑みを浮かべる。
「じゃあ、それがいい!」
「……と申しますと?」
「だって、私がいないときにも、みんなが助かった方がいいもん!」
……。
僕は、殿下を見た。
この方は、まだ十三歳だ。
政治も外交も、知らないことは多い。
だが、目の前の人を助けるだけでなく、自分がいなくても人々が安全に暮らせる方法を考え始めている。
……もしかすると。
この方は、僕が思っている以上に、王として大切なものを持っているのかもしれない。
「殿下」
「なに?」
「大変よいお考えでございます」
「えへへっ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
……さて。
消防訓練は、ひとまず成功した。
だが、これで終わりではない。
手押し式消防ポンプの試作。
鐘による火災警報。
水桶の常備。
そして、今後の訓練の継続。
課題は山ほどある。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「新しいポンプ、いつできるの!?」
「まだ試作品の検討段階でございます」
「ええーっ! 早く使いたい!」
「お待ちください」
「私、すっごく強く押せるよ!」
「それが心配なのでございます!」
「ええーっ!」
殿下が頬を膨らませる。
新しい消防ポンプが完成した暁には、別の対策も必要になるかもしれない。
消防設備を、殿下から守るための対策が。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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