第10話② おじさま、何を企んでいるのですか?
「……そうだな」
ハートリー公爵は、少し考えてから口を開いた。
「その場合、レオンハルト殿下は王位を継がれないことになる」
「えっ!?」
殿下が目を丸くする。
「王様になれないの!?」
「ああ。王位を継ぐ者は一人だからな」
「そっか……」
殿下が腕を組んだ。
……当然、そうなる。
アンカルジア王国には、すでに正式な王太子がいる。
レオンハルト殿下だ。
だが、ハートリー公爵は、その王太子ではなくエクレシア殿下の可能性を考えている。
……なかなか厄介な話になってきたな。
「ねえ、おじさま!」
「何だ?」
「レオンは、どう思うかな?」
「……レオンハルト殿下か?」
「うん!」
公爵が少し考え込む。
「それは、本人に尋ねなければわからないな」
「じゃあ、聞いてみようよ!」
「……今からか?」
「うん!」
殿下が勢いよく立ち上がった。
……ちょっと待っていただきたい。
「殿下」
「なあに?」
「王太子殿下にも、ご予定がございます」
「あっ、そっか!」
「それに、すぐに決めなければならないお話ではございません」
「そうなの?」
「はい」
そもそも、国王陛下はご健在だ。
王位継承を巡って、今すぐ何かを決める必要はない。
……というより、できれば決めないでいただきたい。
こんな厄介な話に巻き込まれれば、僕の出世にも影響しかねないのだから。
「エクレシア」
公爵が優しく声をかけた。
「私は、おまえが今すぐ女王になるべきだと言っているわけではないのだよ」
「そうなの?」
「ああ。おまえには、まだ多くのことを学ぶ時間がある」
「うん!」
「そのうえで、将来、国を治めたいと思う日が来るかもしれない」
「女王様になるってこと?」
「そうだ」
公爵が頷いた。
「私は、その可能性を最初からなくしてしまいたくないのだ」
「そっかぁ!」
殿下が頷く。
そして、にっこり笑った。
「じゃあ、私、もっと勉強する!」
「……おお!」
公爵の表情が明るくなった。
「それは素晴らしい!」
「でしょ!」
「姉上も、きっと喜ぶだろう」
「えへへっ!」
……ふむ。
どうやら公爵は、殿下に女王としての教育を受けさせたいらしい。
もっとも、それが純粋に姪のためなのか、政治的な思惑もあるのか。
現時点では、判断がつかない。
「でもね、おじさま!」
「何だ?」
「私、レオンと喧嘩するのは嫌だよ!」
公爵の表情が、わずかに変わった。
「……エクレシア」
「だって、レオンは私の大事な弟だもん!」
「……ああ」
「私もレオンも、お勉強すればいいんじゃない?」
……おや。
なかなかよいことをおっしゃる。
「殿下のお考えは、もっともでございます」
「でしょ!」
「お二人とも、多くのことを学ばれて損はございません」
「ほら!」
殿下が得意げに胸を張った。
公爵も小さく笑う。
「……そうだな。おまえの言うとおりだ」
ただし、公爵が王位継承についての考えまで改めたかどうかは、わからなかった。
◇
「それでは、私はそろそろ失礼しよう」
しばらくして、ハートリー公爵が立ち上がった。
「ええーっ! もう帰っちゃうの!?」
「まだ王宮で用事があるのでな」
「そっかぁ」
「また会いに来るよ」
「ほんと!?」
「ああ。約束だ」
「やったぁ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
公爵は、そんな姪の頭を優しく撫でる。
……。
こうしていると、本当に優しい叔父なのだが。
「トルーキン殿」
「はい」
「今後もエクレシアを頼む」
「承知いたしました」
「勉強についても、よろしく頼むぞ」
「はい。微力ながら、お力添えさせていただきます」
公爵が満足そうに頷いた。
……よし。
どうやら、僕の評価は悪くないらしい。
王国有数の大貴族に認められる機会など、そうあるものではない。
できれば、この関係を大切にしていきたい。
そう考えながら、公爵を学習室の外へお見送りした。
ところが。
「……おや?」
廊下の向こうから、数人の従者を伴った男性が歩いてきた。
黒髪をきちんと整え、深紅の礼服を身につけている。
その姿を見たハートリー公爵が、足を止めた。
「これは、マーリコー公爵」
……マーリコー?
僕は、思わず男性を見た。
現王妃の弟にして、レオンハルト殿下の母方の叔父。
アンカルジア王国でも、ハートリー公爵と並ぶ大貴族だ。
しかも、王太子殿下を支持する貴族たちの中心人物として知られている。
……。
何だ、この組み合わせは。
「お久しぶりですな、ハートリー公爵」
マーリコー公爵が、丁寧に一礼した。
「ええ。お元気そうで何よりです」
「おかげさまで」
二人が微笑む。
……ふむ。
思ったより、穏やかな関係なのだろうか。
「おじさま!」
殿下が元気よく声を上げた。
「おや、エクレシア殿下」
マーリコー公爵が顔を向ける。
「ご機嫌麗しゅうございます」
「こんにちは!」
「建国祭では、ご活躍だったそうですな」
「うん!」
「お怪我はございませんでしたか?」
「全然!」
「それは何よりでございます」
マーリコー公爵が微笑んだ。
……なるほど。
こちらも、礼儀正しい人物のようだ。
できれば、よい印象を持っていただきたいものだな。
◇
「ところで、ハートリー公爵」
マーリコー公爵が口を開いた。
「こちらには、どのようなご用件で?」
「姪の顔を見に来ただけですよ」
「ほう」
「最近、随分と成長したようなのでね」
「……そうですか」
マーリコー公爵が、エクレシア殿下へ目を向けた。
「確かに、近頃は王女殿下のお名前をよく耳にしますな」
「ほんと!?」
「ええ。救護局の件に、騎士団の件。それから軍の飼料調達に関する事件もございました」
……ん?
僕は、思わず顔を上げた。
救護局。
騎士団。
そして、軍の飼料調達。
どれも、僕と殿下が関わった事件ではないか。
「いずれも、王国にとって看過できぬ問題だったと聞いております」
マーリコー公爵が続けた。
「まったくですな」
ハートリー公爵が頷く。
「特に救護局のクラウス殿。あのようなことをしていたとは、驚きました」
「……残念なことです」
「エーベル伯爵家は、あなたとも縁の深い家でしたな」
……えっ?
エーベル伯爵家?
あのクラウスが生まれた家か。
マーリコー公爵は、表情を変えなかった。
「ええ。古くから付き合いのある家です」
「そうでしたか」
「ですが、クラウス個人の罪をかばうつもりはございません」
「もちろんでしょう」
ハートリー公爵が微笑む。
「ハルゼン伯爵についても、同じお考えで?」
……ハルゼン伯爵?
今度は、王国軍の飼料を不正に売却していた人物だ。
先日、正式な調査の結果、すべての公職を解任されたと聞いている。
「ハルゼンの不正についても、弁護するつもりはありません」
マーリコー公爵が静かに答えた。
「軍の物資を私物化するなど、許されることではない」
「それは安心しました」
「もっとも、彼らと私が親しいことは、隠すまでもない事実ですが」
……。
僕は、二人を見比べた。
ちょっと待ってくれ。
クラウスの実家も、ハルゼン伯爵も、マーリコー公爵と関係が深かったのか?
ということは、僕と殿下は知らないうちにマーリコー公爵の派閥に関係する人物を、次々と失脚させていた?
……まずい。
非常にまずい。
せっかく、王国でも指折りの大貴族と知り合えたというのに。
もう一人の大貴族からは、最初から嫌われているかもしれないではないか。
……僕の出世街道は、どうしてこうも険しいのだ。
「ハートリー公爵」
マーリコー公爵が口を開いた。
「一つ、申し上げておきたいことがございます」
「何でしょう?」
「不正を働いた者が罰せられるのは、当然です」
「ええ」
「しかし、その者たちが王太子殿下を支持していたからといって、殿下ご自身に責任があるかのように語るのは、いかがなものでしょうな」
……。
廊下の空気が、少し変わった気がした。
「ほう。そのような話が出ているのですか?」
「ご存じないようですな」
「……困ったものです」
ハートリー公爵が静かに笑った。
「私も、そのような噂を広めるつもりはございませんよ」
「それなら結構」
「ただ、エクレシアの活躍を正当に評価していただきたいとは思っております」
「もちろんです」
マーリコー公爵が頷く。
「しかし、それと王位継承は別の問題でしょう」
……王位継承。
また、その話か。
「レオンハルト殿下は、国王陛下が正式にお定めになった王太子です」
「承知しております」
「そのお立場を軽々しく揺るがすべきではありません」
「……軽々しく、ですか」
ハートリー公爵が微笑んだ。
……。
何だろう。
どちらも丁寧な言葉遣いだ。
声を荒らげてもいない。
それなのに、ものすごく居心地が悪い。
「私は、エクレシアの可能性を大切にしたいだけですよ」
「可能性を考えることは自由です」
「それは何より」
「ただし、王国の安定を損なわぬ範囲でお願いしたいものですな」
「……ご忠告、痛み入ります」
……。
怖い。
この二人、笑顔のまま喧嘩をしている。
できれば、僕のいないところでやっていただきたい。
◇
「ところで」
マーリコー公爵が、こちらへ視線を向けた。
「そちらが、トルーキン・レッドゲート殿ですかな?」
……来た。
「はい。王女殿下付きの執事を務めております」
僕は深く頭を下げた。
「王立学院を首席で卒業されたそうですな」
「恐れ入ります」
「噂は聞いております」
おや?
これは、なかなかよい流れではないか?
やはり、優秀な人間の評判は自然と広まるものらしい。
「救護局の帳簿の不審点を見つけ、軍の飼料調達についても問題を明らかにしたとか」
「いずれも、関係者の皆様のお力添えがあってこそでございます」
「謙虚ですな」
……素晴らしい。
こちらの公爵も、人を見る目がおありのようだ。
やはり、大貴族ともなれば人物を正当に評価できるのだろう。
「しかし」
マーリコー公爵の目が、わずかに細くなった。
「優れた能力をお持ちだからこそ、その使い方にはお気をつけいただきたい」
……ん?
「と、申しますと?」
「政治というものは、一つの行動が思わぬ影響を及ぼすことがございますので」
「……なるほど」
「もちろん、あなたが不正を正そうとなさったことを責めているわけではありません」
公爵が微笑む。
「ただ、王女殿下のお側にいる以上、ご自身の行動がどのように受け取られるかも、お考えになった方がよろしいでしょう」
……。
褒められたと思ったら、今度は忠告か。
どうやら、マーリコー公爵は僕を歓迎しているわけではないらしい。
「ご忠告、ありがとうございます」
僕は丁寧に頭を下げた。
「今後も、殿下にお仕えする者として慎重に行動してまいります」
「それは結構」
公爵が頷いた。
できれば、このまま穏便に終わっていただきたい。
しかし。
「ねえ、マーリコーおじさま!」
殿下が声を上げた。
……嫌な予感がする。
「何でしょう、エクレシア殿下?」
「トルーキン、何か悪いことしたの?」
「……えっ?」
マーリコー公爵が目を丸くした。
「い、いえ。そういうわけではございません」
「じゃあ、どうして気をつけろって言ったの?」
……殿下。
お願いですから、今は静かにしていてください。
「それは、政治の世界では、さまざまな立場の者がおりますので……」
「ふーん……」
殿下が首を傾げた。
そして、僕を見る。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「今日のお勉強、覚えてるよ!」
「……そうでございますか」
「うん!」
……何だろう。
非常に嫌な予感がする。
◇
「ねえ、おじさまたち!」
殿下が、二人の公爵を見上げた。
「何だい、エクレシア?」
「何でしょう?」
「二人とも、何がしたいの?」
……。
公爵たちが、顔を見合わせた。
「……何がしたい、とは?」
ハートリー公爵が尋ねる。
「だって、さっきからレオンのお話ばっかりしてるでしょ?」
「……ああ」
「ハートリーおじさまは、私に女王様になってほしいんだよね?」
「……」
そして、マーリコー公爵を見る。
「マーリコーおじさまは、レオンに王様になってほしいの?」
「はい。もちろんでございます」
「そっか!」
殿下が、にっこり笑った。
「じゃあ、二人とも、私たちのことが大好きなんだね!」
……。
二人の公爵が、黙り込んだ。
「……はは」
最初に笑ったのは、ハートリー公爵だった。
「そうだな。私はおまえが大切だよ」
「えへへっ!」
殿下が嬉しそうに笑う。
「マーリコーおじさまは?」
「私も、レオンハルト殿下を大切に思っております」
「でしょ!」
殿下が満足そうに頷いた。
そして、少し真剣な顔になる。
「でもね!」
「……何だ?」
「私、レオンと喧嘩したくないよ!」
ハートリー公爵が、殿下を見た。
「……エクレシア」
「レオンは、私の大事な弟だもん!」
「……ああ」
「それに、レオンもまだ子供なんだよ!」
……おや。
確かに、そのとおりだ。
レオンハルト殿下は、まだ十一歳。
エクレシア殿下も十三歳である。
将来について学び、考える時間は、まだ十分にある。
「だからね!」
殿下が二人を見上げる。
「私たちのことは、私たちにも聞いてほしいな!」
……。
二人の公爵が、再び黙り込んだ。
廊下に、しばしの沈黙が訪れる。
「……エクレシア」
ハートリー公爵が、静かに口を開いた。
「おまえの気持ちは、よくわかった」
「ほんと!?」
「ああ。レオンハルト殿下のことも、大切に思っているのだな」
「もちろん!」
殿下が笑う。
「そうか」
公爵は、小さく頷いた。
そして、マーリコー公爵へ目を向ける。
「マーリコー公爵。どうやら、我々は少し先走っていたようですな」
「……そうかもしれません」
マーリコー公爵も頷く。
……おお。
これは、ひょっとして。
二人の大貴族が、殿下の言葉で和解するのだろうか?
だとすれば、素晴らしいことではないか。
僕も余計な争いに巻き込まれずに済む。
「もっとも」
ハートリー公爵が続けた。
「エクレシアの将来について、私が考えを変えたわけではありませんが」
「……私も同じです」
マーリコー公爵が答えた。
「王太子殿下のお立場を守るという考えに、変わりはございません」
……。
そうですか。
やはり、そう簡単にはいかないらしい。
「では、私はこれで」
マーリコー公爵が一礼した。
「王妃陛下をお待たせしておりますので」
「ええ。またお会いしましょう」
ハートリー公爵が微笑む。
「ぜひ」
二人は丁寧に挨拶を交わした。
だが、最後まで握手をすることはなかった。
◇
「ねえ、トルーキン!」
公爵たちが去ったあと、殿下が僕の袖を引いた。
「はい」
「私、今日のお勉強、ちゃんとできた!?」
……おや。
そういえば、今日は話し合いについての授業だったな。
「はい。大変よくできました」
「ほんと!?」
「ええ。お相手が何を望んでいるのか、きちんとお尋ねになりました」
「やったぁ!」
殿下が両手を上げた。
「じゃあ、百点!?」
「そうでございますね」
「やったぁ!」
……。
もっとも、今日の授業で学んだことが、王国の二大貴族を相手に使われるとは思わなかった。
しかも、どちらの公爵も、殿下の言葉を無視することはできなかったようだ。
……なかなか、恐ろしいお方だな。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「おじさまたち、仲直りできるかな?」
「……そうでございますね」
僕は少し考えた。
「すぐには難しいかもしれません」
「ええーっ!」
「ですが、互いの考えを理解することは、無駄ではございませんよ」
「そっか!」
殿下が頷いた。
「じゃあ、私ももっと勉強する!」
「それは素晴らしいお考えでございます」
「でしょ!」
殿下が嬉しそうに笑う。
……ふむ。
今日は、なかなか充実した授業だった。
それに、王国有数の大貴族二人とも、お話をする機会があった。
マーリコー公爵には少々警戒されてしまったが、ハートリー公爵からの評価は高そうだ。
……悪くない。
うまく立ち回れば、僕の出世にもつながるかもしれない。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「今日のお菓子、まだ食べてなかった!」
……。
そういえば、机の上に焼き菓子を置いたままだったな。
「殿下。お召し上がりいただいて構いませんよ」
「やったぁ!」
殿下が学習室へ駆け戻っていく。
僕も、その後を追った。
……まったく。
王位継承だの、二大派閥だの。
厄介な話は、しばらく遠慮したいところだ。
だが、先ほどの二人の公爵の表情が頭から離れなかった。
どちらも、王国の未来を真剣に考えている。
そして、どちらも譲るつもりはない。
……困ったな。
どうやら、僕の出世街道には、また新しい障害物が現れたらしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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