第10話① おじさま、何を企んでいるのですか?
翌朝。
「トルーキン!」
「はい」
「今日は勉強するよ!」
エクレシア王女殿下が、元気よく学習室へ入ってきた。
おや?
いつもなら、こちらから呼びに行かなければならないのに。
今日は随分とやる気があるらしい。
「殿下。おはようございます」
「おはよう!」
「本日はお早いのでございますね」
「だって、昨日約束したでしょ!」
「そうでございましたね」
昨日、殿下はセルヴァン王国の公爵家嫡男と騒動を起こした。
いや、正確には騒動に巻き込まれたと言うべきか。
いずれにせよ、外国の有力貴族を相手にしたことで、殿下は一つのことを学ばれた。
拳だけでは、解決できない問題もある。
そして、自分から勉強したいと申し出てくださったのだ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「早く始めよう!」
「承知いたしました」
「今日は何するの!?」
「まずは、話し合いについて学んでいただこうと思います」
「やったぁ!」
……。
話し合いの授業で、ここまで喜ぶ王女殿下がいるとは。
「悪い人を、殴らずにやっつける方法だね?」
「……違います」
「ええーっ!」
「話し合いは、相手をやっつけるために行うものではございません」
「じゃあ、何のため?」
「互いに納得できる方法を見つけるためでございます」
「ふーん……」
殿下が首を傾げた。
「悪い人にも?」
「場合によります。昨日のように、人を傷つけようとしている相手であれば、まず危険を止める必要がございます」
「うん」
「ですが、意見が違うというだけで、相手が悪い人とは限りません」
「そっか」
殿下が頷く。
どうやら、先日の商人と警備兵の騒動を思い出したらしい。
あのときも、どちらか一方が悪いわけではなかった。
「では、簡単な問題から始めましょう」
「うん!」
僕は、机の上に焼き菓子を一つ置いた。
昨日、王宮の厨房で用意してもらったものだ。
「わあっ! お菓子!」
殿下の目が輝く。
……思ったとおりの反応だ。
「殿下。ここに焼き菓子が一つございます」
「うん!」
「これを、殿下と私が欲しいといたしましょう」
「えっ!?」
殿下が焼き菓子を見た。
そして、僕を見る。
「トルーキンも食べたいの?」
「そういう設定でございます」
殿下は少し考えた。
「じゃあ、半分にしよう!」
「よいお考えですね」
「でしょ!」
「ですが、今回は別の方法も考えてみましょう」
「ええーっ!」
……殿下。
まだ始まったばかりでございますよ。
「例えば、私はこの焼き菓子の作り方を調べたいだけだったとします」
「……食べないの?」
「はい」
「じゃあ、トルーキンが調べてから、私が食べればいいんじゃない?」
「そのとおりでございます」
「やったぁ!」
殿下が焼き菓子に手を伸ばした。
「殿下。まだ食べてよいとは申し上げておりません」
「じゃあ、これ誰が食べるの!?」
「授業が終わったら、お召し上がりいただいて構いません」
「ほんと!?」
「はい」
「やったぁ!」
……。
どうやら、授業の目的が変わってしまったらしい。
まあ、よいか。
「殿下。今の問題で大切なのは、何だと思われますか?」
「えっと……」
殿下が腕を組んだ。
「半分にしなくても、よかったってこと?」
「はい。なぜそうなったのでしょう?」
「トルーキンは食べたくなかったから?」
「そのとおりでございます」
僕は頷いた。
「同じものを欲しがっているように見えても、その理由が同じとは限りません」
「うん!」
「ですから、相手が何を望んでいるのか、まず尋ねてみることが大切なのでございます」
「そっかぁ!」
殿下が感心したように頷く。
……よし。
思った以上に、理解が早い。
「じゃあ、トルーキン!」
「はい」
「お菓子、もう食べていい?」
「……まだでございます」
「ええーっ!」
前言撤回。
授業は、なかなか大変そうだ。
◇
「失礼いたします」
しばらくして、侍女が学習室へ入ってきた。
「エクレシア殿下。ハートリー公爵閣下がお見えでございます」
「えっ!?」
殿下が顔を上げる。
そして、ぱっと笑顔になった。
「ハートリーおじさま!?」
「はい。殿下にお会いしたいとのことでございます」
「やったぁ!」
殿下が椅子から飛び降りた。
「早く呼んで!」
「かしこまりました」
侍女が一礼して退出する。
……ハートリー公爵、か。
僕はその名を知っていた。
アンカルジア王国でも有数の大貴族。
そして、先代王妃の弟。
つまり、エクレシア殿下にとって母方の叔父にあたる人物だ。
先代王妃は、殿下が三歳のときに亡くなられている。
そのため、殿下にとっては、亡き母親とのつながりを感じられる数少ない身内の一人なのだろう。
もっとも、公爵の立場はそれだけではない。
現在の王宮では、エクレシア殿下を支持する貴族たちの中心人物とも目されている。
……。
慎重に接した方がよさそうだな。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「おじさま、優しいんだよ!」
「そうなのでございますか」
「うん! 小さい頃から、いっぱい遊んでくれたの!」
殿下が嬉しそうに笑う。
……なるほど。
少なくとも、殿下にとっては親しい叔父なのだろう。
そのとき、扉が開いた。
「エクレシア。久しぶりだな」
「おじさま!」
殿下が駆け寄る。
入ってきたのは、三十代後半の男性だった。
上品な濃紺の礼服を身にまとい、髪をきちんと整えている。
穏やかな表情だが、その立ち居振る舞いには自然と人を従わせる落ち着きがあった。
ハートリー公爵。
王国でも指折りの権力者である。
「元気にしていたか?」
「うん! すっごく元気!」
「それは何よりだ」
公爵が優しく笑う。
「また、いろいろと騒ぎを起こしているそうだな」
「えへへっ!」
「褒めているわけではないぞ?」
「ええーっ!」
なかなか気の合う叔父と姪らしい。
公爵は、殿下の頭をそっと撫でた。
「しかし、怪我がなくてよかった」
「大丈夫だよ!」
公爵が苦笑する。
「むしろ、おまえの相手をした者の方が心配だ」
「きゃははっ!」
……。
公爵閣下。
その点については、僕も同感でございます。
◇
「ところで、そちらが新しい執事殿かな?」
公爵が僕へ目を向けた。
「はい。トルーキン・レッドゲートと申します」
僕は一礼した。
「王立学院を首席で卒業したと聞いている」
「恐れ入ります」
「平民出身で首席とは、なかなか見事なものだ」
「身に余るお言葉でございます」
……素晴らしい。
平民出身の僕を、ここまで評価してくださるとは。
さすがは王国有数の大貴族。人を見る目が違う。
……この方とは、ぜひ良好な関係を築いておきたいものだ。
「エクレシアが世話になっているようだな」
「いえ。私の方こそ、日々学ばせていただいております」
「そうか」
公爵が笑う。
「この子の相手は大変だろう?」
「……少々、予想外の出来事が多うございます」
「はははっ!そうだろうな!」
「ちょっと、おじさま!」
殿下が頬を膨らませた。
「私、ちゃんとしてるもん!」
「そうか?」
「うん!」
「では、昨日は何をしていた?」
「えっとね!」
殿下が得意げに胸を張る。
「外国の騎士を殴った!」
……殿下。
そこは、できれば別の出来事を挙げていただきたかった。
公爵は一瞬目を丸くし、それから声を上げて笑った。
「はははっ!相変わらずだな!」
「えへへっ!」
「しかし、殴る相手は選ぶのだぞ」
「うん!」
……。
公爵閣下。
できれば、もう少し踏み込んで注意していただきたいところです。
もっとも、殿下があのように親しげに話している姿を見ると、こちらも少し安心する。
どうやら、姪への愛情は本物らしい。
◇
「それにしても……大きくなったな、エクレシア」
しばらく雑談を続けたあと、公爵がぽつりと言った。
「そうかな!?」
「ああ。背も伸びたし、随分としっかりしてきた」
「えへへっ!」
「姉上に似てきたよ」
その言葉に、殿下が顔を上げた。
「……お母様に?」
「ああ。特に、そうやって笑うところがな」
「ほんと!?」
「本当だ」
殿下が嬉しそうに笑う。
「私ね、お母様のこと、ちゃんと覚えてるよ!」
「そうか」
「うん! いつもベッドで寝てたけど、私がお部屋に行くと笑ってくれたの!」
公爵は、少し懐かしそうな顔をした。
「ああ。姉上は、おまえが来るのを楽しみにしていたからな」
「そうだったの!?」
「そうだとも」
「えへへっ!」
殿下が嬉しそうに笑った。
「ねえ、おじさま!」
「何だ?」
「お母様って、子供の頃はどんな人だったの?」
「……子供の頃か」
公爵は少し考えた。
「そうだな。困っている者を見つけると、放っておけない人だったよ」
「えっ! 私みたい!」
「ああ。よく似ている」
「やったぁ!」
殿下が嬉しそうに跳ねた。
公爵も笑う。
「もっとも、姉上はおまえほど拳を振り回さなかったがな」
「ええーっ!」
……当然でしょう。
この国に、殿下ほど拳を振り回す王女が何人もいては困る。
しかし、公爵の表情を見る限り、姉上への思いは今も変わらないらしい。
王国でも有数の大貴族である前に、亡き姉を大切に思う弟なのだろう。
「お母様、私のお話も聞いてくれるかな?」
殿下が尋ねた。
「もちろんだ」
「ほんと!?」
「ああ。おまえがどんなことをして、誰を助けたのか。きっと喜んで聞いてくれるだろう」
「そっかぁ!」
殿下が満面の笑みを浮かべる。
……。
僕は、少しだけ胸が温かくなった。
こうしていると、どこにでもいる叔父と姪のようだ。
公爵という立場も、王女という身分も関係ない。
ただ、家族の思い出を分かち合っている。
そんな時間だった。
◇
「ところで、エクレシア」
「なあに?」
「今日は何をしていたのだ?」
「お勉強!」
「ほう?」
公爵が目を丸くした。
「おまえが、自分から勉強を?」
「うん!」
「珍しいこともあるものだな」
「ええーっ!」
「はははっ!」
公爵が笑う。
「それで、何の勉強をしていたのだ?」
「悪い人を、殴らずにやっつける方法!」
「……殴らずに?」
「うん!」
公爵が僕を見た。
「執事殿。どういうことかな?」
「話し合いや交渉について学んでいただいております」
「ああ、そういうことか」
公爵が頷く。
「しかし、エクレシアが自ら学びたいと言い出すとはな」
「昨日、殿下ご自身からお申し出がございました」
「そうなのか?」
「うん!」
殿下が大きく頷いた。
「だって、拳だけじゃ駄目なんでしょ?」
「……ほう」
「もっとお勉強して、トルーキンみたいにお話でも解決できるようになりたいの!」
公爵は、しばらく殿下を見つめていた。
そして、ゆっくりと微笑む。
「……そうか」
「うん!」
「立派になったな、エクレシア」
「えへへっ!」
「姉上が生きていれば、きっと喜んだだろう」
殿下が嬉しそうに笑った。
……確かに。
殿下が自分から勉強したいと言い出したことには、僕も驚いている。
しかも、誰かを助けるために必要だと考えたからだ。
教える側として、これほど嬉しいこともないだろう。
もっとも、実際に教える苦労は別問題だが。
「エクレシア」
「なあに?」
「おまえは、将来どんな大人になりたい?」
「えっとね!」
殿下が腕を組んだ。
そして、すぐに顔を上げる。
「みんなを助けられる人!」
「そうか」
「困ってる人がいたら、助けてあげたいの!」
公爵が頷く。
「それは素晴らしいことだ」
「でしょ!」
「では、この国の人々を、もっとたくさん助けたいと思うか?」
「もちろん!」
殿下が即答した。
公爵は、嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。それなら、国を治めるための勉強も必要になるな」
「国を治める?」
「ああ。国の人々が安心して暮らせるように、何をすべきか考える勉強だ」
「へえーっ!」
殿下が感心したように頷いた。
……ん?
僕は公爵へ目を向けた。
ハートリー公爵は、エクレシア殿下を支持する貴族たちの中心人物だ。
その公爵が、国を治めるための勉強を勧めている。
……少々、気になるな。
◇
「エクレシア」
「なあに?」
「国王陛下が、毎日何をしておられるか知っているか?」
「うーん……」
殿下が考え込む。
「お父様、いつも忙しそう」
「そうだな」
「お勉強もいっぱいしてるんでしょ?」
「ああ。国王には、多くの知識と責任が必要だからな」
「大変だね!」
公爵が頷いた。
「だが、国王だからこそできることもある」
「そうなの?」
「ああ。国の仕組みを変え、人々の暮らしをよりよくすることができる」
「すごいね!」
殿下の目が輝いた。
「エクレシア」
公爵が、少し真剣な表情になった。
「おまえには、人々の心を動かす力がある」
「《拳神》のこと?」
「それだけではない」
「……?」
「建国祭の準備で、商人や警備兵たちを助けたそうだな」
「うん!」
「そのとき、皆で力を合わせたと聞いている」
「そうなの! 騎士さんたちも手伝ってくれたんだよ!」
「ああ。報告を聞いている」
公爵が微笑む。
「おまえが動くと、周囲の人々も動き始める」
「そうかな?」
「そうだとも」
……。
僕は黙って二人を見ていた。
公爵の言うことは、わかる。
確かに、殿下には人々を動かす不思議な力がある。
ただ、それを公爵がどう考えているのか。
そこが気になった。
「エクレシア」
「うん!」
「おまえは、女王になりたいと思ったことはないか?」
……。
室内が静かになった。
「……女王様?」
殿下が首を傾げる。
「ああ」
「私が?」
「そうだ」
……公爵閣下。
ずいぶんと思い切ったことをお尋ねになりますね。
僕は思わず姿勢を正した。
レオンハルト殿下という王太子がいる中で、その質問をするとは。
だが、公爵の表情は穏やかなままだった。
「女王様かぁ……」
殿下が腕を組んだ。
少し考える。
そして、公爵を見上げた。
「ねえ、おじさま」
「何だ?」
「おじさまは、私に女王様になってほしいの?」
……おや。
今日の授業で教えたことだ。
相手が何を望んでいるかわからないときは、まず尋ねてみる。
どうやら、覚えてくださっていたらしい。
公爵も少し驚いた顔をした。
だが、すぐに微笑んだ。
「……ああ」
「ほんと?」
「私は、おまえがこの国を治める姿を見てみたいと思っている」
「そうなんだ……」
殿下は、しばらく黙っていた。
……困ったな。
僕としては、あまり関わりたくない話になってきた。
「でもさ、おじさま」
「何だ?」
「王様になるのって、レオンじゃないの?」
……。
公爵の笑みが、わずかに薄れた。
「レオンハルト殿下は、現在の王太子だからな」
「うん!」
殿下が頷く。
「レオン、すっごく勉強してるんだよ!」
「……そうだな」
「頭もいいし、優しいし!」
殿下が嬉しそうに続ける。
「きっと、いい王様になると思うんだ!」
公爵は何も言わなかった。
……。
殿下は、本当に弟君のことが好きなのだ。
そこに王位を争う気持ちなど、少しもない。
「ねえ、おじさま」
殿下が、もう一度尋ねた。
「何だ、エクレシア?」
殿下は、公爵の顔をまっすぐ見つめた。
「私が女王様になったら、レオンはどうなるの?」
……。
公爵は、すぐには答えなかった。
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