第9話② 外国の騎士を殴らないでください
「王女が外国の賓客の護衛に暴行を働いたとな!」
エルシス・カレインが胸を張る。
「アンカルジア王国には正式に抗議させてもらう!王女本人に謝罪させるだけでは済まさんぞ!」
なるほど。
王女殿下の不祥事として扱い、こちらから譲歩を引き出すつもりか。
しかも、相手はセルヴァン王国の公爵家嫡男。
外交問題に発展すれば、僕の出世にも影響するだろう。
まったく。
どうして僕の周囲では、こうも面倒なことばかり起きるのだろうか。
「エルシス様。一つ確認させてください」
「何だ!」
「護衛の方が殿下に殴られたことは、事実でございます」
「そうだ!認めるのだな!」
「はい。ただし、その前に何があったのかも重要でございます」
「何?」
「護衛の方は、あちらの少女を殴ろうとなさいましたね?」
僕はリナへ目を向けた。
母親に抱き寄せられ、まだ少し怯えている。
「ふん!その小娘が先に無礼を働いたのだ!」
「お召し物を汚したことについては、すでに謝罪しております。必要であれば、弁償についても話し合うべきでしょう」
「当然だ!」
「ですが、なぜ護衛の方が少女を殴る必要があったのでしょうか?」
「平民が貴族に無礼を働いたのだぞ!」
「それでも、外国の護衛騎士がこの国の住民を勝手に罰してよいことにはなりません」
「貴様……!」
エルシスの顔が赤くなる。
……さて。
ここで相手を怒らせても仕方がない。
僕の目的は、この男を言い負かすことではない。
殿下とリナを守り、外交問題への発展を防ぐことだ。
そのためには、まず事実を整理しなければならない。
《算神》を発動。
頭の中で、先ほどの出来事を順番に並べる。
リナがエルシスに衝突した。
商品が落ち、服が汚れた。
護衛がリナの腕をつかんだ。
エルシスが暴力を命じた。
護衛が手を振り上げた。
そして、殿下が護衛を殴った。
六つの出来事。
そのうち、エルシスが問題にしているのは最後の一つだけだ。
だが、最初から順番に確認すれば、話は変わってくる。
「エルシス様。正式に抗議なさるのであれば、当然、事件の経緯についても調査されることになります」
「それがどうした!」
「護衛の方が少女に暴力を振るおうとした理由も、調べる必要がございます」
「だから、無礼を働いたと言っているだろう!」
「では、少女を殴るよう命じたのは、どなたでしょうか?」
「……何?」
エルシスの表情が変わった。
「私は先ほど、エルシス様が『少し痛い目を見せてやれ』とおっしゃるのを聞きました」
「……!」
「聞き違いでしたでしょうか?」
「そ、それは……!」
エルシスが周囲を見回す。
騒ぎを聞きつけた人々が、遠巻きにこちらを見ていた。
屋台の商人たちもいる。
建国祭の大通りだ。
人目がないわけではない。
「私も聞きました!」
リナの母親が声を上げた。
「この方が、娘を殴るように……!」
「黙れ!」
エルシスが怒鳴る。
「平民の証言など信用できるものか!」
……なるほど。
そう来るか。
「確かに、エルシス様からすれば、この国の住民による証言だけでは納得できないかもしれませんね」
「ふん! わかればよい!」
「では、そちらの方にも確認していただきましょう」
僕はエルシスの後ろへ目を向けた。
そこには、先ほどから黙っている侍女がいた。
「……わ、私でございますか?」
「はい。あなたも一部始終をご覧になっていたのではありませんか?」
侍女が青ざめた。
エルシスが振り向く。
「おい! 余計なことを言うなよ!」
「は、はい……!」
侍女の肩が震えた。
……まずいな。
この場で証言を求めれば、彼女が主人の怒りを買う。
それは得策ではない。
「失礼いたしました。今ここでお答えいただく必要はございません」
「……え?」
「正式な調査となった場合、王宮の担当者から事情をお伺いすることもあるでしょう。その際には、可能な限りご負担がかからないよう配慮を求めます」
侍女は小さく頭を下げた。
……これでよい。
証人を無理に引きずり出しても、正確な証言が得られるとは限らない。
それに、彼女まで巻き込む必要はない。
「ふん!逃げたか!」
エルシスが勝ち誇ったように笑う。
「証人がいなければ、何も証明できまい!」
……いや。
そうとは限らない。
僕は、エルシスの後ろに立つ護衛騎士へ目を向けた。
「護衛の方にもお尋ねいたします」
「何だ?」
「あなた方は、エルシス様のご命令で動いておられるのですね?」
「当然だ!」
「では、先ほど少女を取り押さえたのも、ご主人のご意向ということでしょうか?」
「そうだ!」
……なるほど。
素直な人物だな。
「ありがとうございます」
「何?」
「これで、ご命令の存在については確認できました」
護衛騎士が目を丸くする。
エルシスも、ようやく気づいたらしい。
「ま、待て!」
「はい」
「そんなもの、証言になるものか!」
「もちろん、これだけで事件のすべてが確定するわけではございません」
僕は静かに答えた。
「ただし、正式な調査では、護衛の方にも同じことを確認することになるでしょう」
「……!」
「エルシス様。ご命令を否定なさるのであれば、護衛の方との説明が食い違うことになります」
エルシスの口元が引きつった。
……さて。
ここからが本題だ。
《算神》が、頭の中にいくつもの展開を並べていく。
正式な抗議。
双方の事情聴取。
王宮への報告。
セルヴァン王国への照会。
そして、カレイン公爵家への連絡。
もちろん、外交交渉の結果まで計算で確定できるわけではない。
だが、どの選択が相手にとって不利益になりやすいかは整理できる。
エルシスが避けたいものは、いくつかありそうだ。
「エルシス様。もう一つ、お伝えしておきたいことがございます」
「……何だ」
「今回の件が正式な外交問題となれば、当然、セルヴァン王国にも報告が届くことになるでしょう」
「それがどうした!」
「カレイン公爵閣下も、詳しい経緯をご確認なさることになるかと存じます」
「……!」
エルシスの眉が動いた。
「ち、父上は関係ない!」
「公爵家の護衛騎士が、外国の建国祭で騒動を起こしたのです。無関係とは申し上げられません」
「ぐっ……!」
父親の名前は効いたようだ。
僕は続ける。
「そして、エルシス様はセルヴァン王国第一王女の婚約者でもいらっしゃいます」
「そ、それがどうした!」
「ナディア王女殿下のお立場にも、少なからず影響する可能性がございます」
「……ナディアに?」
「はい。婚約者が外国で騒動を起こしたとなれば、王家としても事情を確認する必要があるでしょう」
「……!」
エルシスが黙り込んだ。
しかし、次の瞬間。
「ふ、ふん!」
再び胸を張る。
「だからどうした! お前たちこそ、王女が外国の護衛を殴ったのだぞ!」
……なるほど。
簡単には引き下がらないか。
「こちらが正式に抗議すれば、アンカルジア王国も困るだろう!」
「おっしゃるとおりでございます」
「……何?」
「今回の件が外交問題となれば、両国にとって望ましくない結果になる可能性がございます」
「ならば、王女に謝罪させろ!」
エルシスが勝ち誇ったように笑う。
「この場で頭を下げさせろ! それなら、今回の件は不問にしてやってもよい!」
ようやく、本音が出たな。
この男が望んでいるのは、損害の回復ではない。
人々の前で王女に頭を下げさせ、自分の面子を守ることだ。
「エルシス様。恐れながら、そのご要求には応じかねます」
「何だと!?」
「殿下のお立場で謝罪なさるかどうかは、事情を確認したうえで王宮が判断すべきことでございます」
「貴様に決める権限があるのか!」
「いいえ。ですから、私もこの場で結論を出すつもりはございません」
「……!」
「もちろん、殿下が護衛の方を殴られたことも、正確に報告いたします」
「ならば――!」
「同時に、エルシス様が幼い少女への暴力を命じたことも報告いたします」
エルシスが言葉を詰まらせた。
僕は続ける。
「正式な抗議をご希望でしたら、その旨を王宮へお伝えいたします。双方の言い分を記録し、必要な調査を行いましょう」
「……ぐっ!」
「ただし、ここで殿下に謝罪を強要することは、お控えいただきたいと存じます」
周囲が静まり返る。
エルシスは僕を睨んでいる。
さて、ここで追い詰めすぎても仕方がない。
相手を完全に屈服させようとすれば、かえって意地になることもある。
外交とは勝つことだけを考えればよいものではない。
相手にも引き下がる理由を用意する必要がある。
「エルシス様。私から一つ提案がございます」
「……何だ」
「まず、お召し物の汚れについては、適切な弁償を行うよう手配いたします」
「当然だ!」
「護衛の方のお怪我についても、王宮へ報告し、必要な治療を手配いたします」
「……ふん」
「そのうえで、今回の件は双方の事情を確認し、王宮の担当者に判断を委ねたいと存じます」
「俺に引き下がれと言うのか!」
「いいえ。正式な抗議をなさるかどうかは、エルシス様のご判断でございます」
僕は一礼した。
「ただし、その場合は、カレイン公爵閣下にも一連の経緯が伝わることになるでしょう」
「……!」
エルシスが歯ぎしりした。
さて、どちらを選ぶ?
王女に謝罪を強要するため、父親にまで自分の行動を知られる危険を冒すか。
それとも、ここでは矛を収めるか。
僕なら迷わず後者を選ぶ。
もっとも、この男が同じように考えるとは限らないのだが。
「ねえ、エルシス!」
突然、殿下が声を上げた。
……殿下?
「な、何だ!」
「あなた、ナディアって王女様の婚約者なんだよね?」
「そ、そうだ!」
「そのナディアって人も、子供を殴っていいって言うの?」
「……は?」
「私、そんなの嫌だよ」
殿下が頬を膨らませる。
「偉い人だからって、何してもいいわけじゃないでしょ?」
「貴様……!」
「それにさ」
「まだ何かあるのか!」
「もし私の婚約者が小さな子をいじめてたら、絶対に怒るもん」
……殿下。
怒るだけで済むのでしょうか。
おそらく、拳が飛ぶと思うのだが。
「なっ……!」
エルシスが言葉を失った。
どうやら、自分の婚約者の名前を出されたことが気に入らないらしい。
だが、殿下はまったく気にしていない。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私、間違ったこと言ってる?」
「いいえ。おっしゃることはもっともでございます」
「でしょ?」
「ただし、もう少し穏便な言い方を覚えていただければ幸いです」
「ええーっ!」
……まったく。
こんな状況でも、殿下は殿下だ。
「……ふん!」
エルシスが大きく鼻を鳴らした。
「もういい!」
彼は護衛騎士へ振り向く。
「行くぞ!」
「はっ!」
残っていた護衛が、倒れている仲間を起こしに向かった。
「エルシス様」
僕は最後に声をかける。
「何だ!」
「護衛の方のお怪我についても、王宮へ報告いたします。必要であれば、治療の手配をいたしますので」
「必要ない!」
エルシスが吐き捨てた。
「覚えていろよ!」
……。
どうやら、ずいぶん嫌われてしまったらしい。
彼は足早に歩き出す。
護衛騎士たちも後を追う。
最後に残った侍女が、こちらへ振り返った。
そして、僕たちに小さく頭を下げる。
僕も軽く会釈を返した。
……彼女も、苦労しているのだろうな。
◇
「トルーキン!」
「はい」
「すごーい!」
エルシスたちの姿が見えなくなると、殿下が僕のもとへ駆け寄ってきた。
「何がでございますか?」
「だって、あの人、逃げちゃったよ!」
「逃げたわけではございません。お帰りになっただけです」
「でも、トルーキン、一回も殴ってないよね!」
「当然でございます」
「それなのに勝っちゃった!」
「殿下。勝ち負けの問題ではございません」
「ええーっ!」
殿下が頬を膨らませる。
……さて。
どう説明したものだろうか。
「殿下。今回の件は、まだ完全に終わったわけではございません」
「そうなの?」
「はい。王宮への報告も必要ですし、護衛の方のお怪我についても確認しなければなりません」
「そっか……」
殿下が少し考え込む。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「私、やっぱり悪いことしちゃったのかな?」
……。
先ほども同じことを尋ねられたな。
どうやら、気になっているらしい。
「殿下。リナさんを助けようとしたお気持ちは、決して間違っておりません」
「うん……」
「ですが、殿下の拳は大変強力です。相手に大怪我をさせてしまう可能性もございます」
「……そっか」
「また、王族のお立場でございますから、一度拳を振るえば、今回のように国同士の問題へ発展することもございます」
「……難しいね」
「ええ。難しいことでございます」
殿下が自分の小さな拳を見つめた。
いつもなら、すぐに次は何を殴ろうかと聞いてくるところだ。
だが、今日は違った。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「外国の偉い人って、子供をいじめても許されるの?」
「いいえ。そのようなことはございません」
「でも、あの人、すっごく偉そうだったよ」
「……そうでございますね」
「私が王女だから、今日はトルーキンが助けてくれたんでしょ?」
「それも理由の一つではございます」
「じゃあ、普通の人だったら?」
……。
僕は答えに詰まった。
もちろん、王都の住民には法による保護がある。
だが、すべての人が同じように自分の権利を守れるとは限らない。
相手が強い立場にあれば、声を上げることさえ難しい人もいるだろう。
「……必ずしも、簡単ではございません」
「そっか……」
殿下が黙り込む。
そして、顔を上げた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「もし私が女王様だったら、ああいう人にも言うことを聞かせられる?」
……女王?
思いがけない質問だった。
「殿下。女王になられたとしても、他国の貴族に自由に命令できるわけではございません」
「女王様なのに!?」
「はい。他国には他国の法律や立場がございます。国王陛下であっても、何でも思いどおりにできるわけではございません」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「話し合い、互いの立場を理解し、解決する方法を探す必要がございます」
「話で?」
「はい」
「殴らないで?」
「できれば、そうしていただきたいですね」
殿下が腕を組んだ。
そして、しばらく考え込む。
……珍しいな。
今日は、ずいぶん真剣だ。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「私、今日みたいなの嫌だな」
「今日みたいな、と申しますと?」
「偉い人が、弱い人をいじめるの!」
「……そうでございますね」
「だからね!」
殿下が顔を上げる。
「私、もっと勉強する!」
「……勉強、でございますか?」
「うん!」
殿下は大きくうなずいた。
「だって、拳だけじゃ駄目なんでしょ?」
「はい」
「じゃあ、トルーキンみたいに、話でも解決できるようになりたい!」
……ほう。
これは意外だ。
殿下が自分から勉強したいと言い出すとは。
「殿下。それは大変よいお考えでございます」
「でしょ!」
「ただし、話し合いは勝ち負けだけで決まるものではございませんよ」
「難しいなぁ」
「……だからこそ、学ぶ必要があるのです」
「そっか」
殿下が満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、トルーキン」
「はい」
「教えてね」
「……何を、でございますか?」
「いろいろ」
……いろいろ。
ずいぶん範囲が広いな。
「殿下。私も知らないことは多くございますが」
「大丈夫」
「何がでございますか?」
「だって、トルーキン、すっごく頭いいもん」
……。
まったく。
この方は、どうしてこんなにも簡単に人を信用できるのだろう。
僕は殿下を見た。
赤い髪を揺らし、嬉しそうに笑っている。
石柱を粉砕し、騎士団を震え上がらせる王女。
だが、その力で誰かを傷つけることよりも、泣いている子供を助けることを選ぶ少女でもある。
もし、この方が本当に国を治めることになったら、どんな国になるのだろう。
少しだけ興味が湧いた。
「承知いたしました」
「ほんと?」
「はい。私にできることであれば、お教えいたします」
「やったぁぁ!」
殿下が跳び上がった。
「じゃあ、明日からね!」
「……明日から、でございますか?」
「うん!」
……いや、待て。
それは、執事の仕事なのだろうか。
そもそも、僕はすでに家庭教師を任されている。
これ以上、働くことになって僕の給料は増えるのか?
「……殿下」
「なに?」
「まずは、私の待遇についてご相談させてください」
「何で?」
「業務が増えるのであれば、相応の報酬が必要かと存じます」
「わかった!」
……おや?
「じゃあ、お父様にお願いしてあげる!」
「……殿下?」
「トルーキンのお給料、いーっぱい増やしてって!」
……。
…………。
まずい。
それだけは、やめていただきたい。
国王陛下に何を申し上げるおつもりなのだ。
「殿下。その件は私からご相談いたします」
「私がお願いした方が早いよ?」
「どうか、おやめください」
「きゃははっ!」
殿下が楽しそうに笑いながら駆け出した。
僕は慌てて後を追う。
……まったく。
僕の出世街道は、まだまだ前途多難らしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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