第9話① 外国の騎士を殴らないでください
建国祭が始まった。
王都の大通りには色とりどりの旗が飾られ、朝から大勢の人で賑わっている。
焼きたてのパンの香りに、屋台から聞こえる威勢のよい呼び声。
広場では楽団が演奏し、子供たちが楽しそうに走り回っていた。
「きゃははっ! トルーキン! すっごく賑やかだね!」
「そうでございますね」
「ねえねえ! あれ食べたい!」
「殿下。先ほど朝食を召し上がったばかりではありませんか」
「だって、お祭りだよ!」
……。
お祭りならば、胃袋がいくつあっても足りなさそうだ。
「じゃあ、あっちの串焼き!」
「殿下」
「一本だけ!」
「……一本ですよ」
「やったぁぁ!」
殿下が嬉しそうに駆け出そうとする。
「走ってはいけません!」
「はーい!」
建国祭が始まって、まだ間もないというのに、僕は疲れ始めていた。
◇
「まったく、田舎臭い街だな」
串焼きを買い終え、殿下と大通りを歩いていると、不機嫌そうな声が聞こえてきた。
少し前を、一組の男女が歩いている。
中心にいるのは、十代後半と思われる青年だ。
高価そうな上着をまとい、腰には装飾の施された剣を下げている。
その後ろには護衛騎士が二人。
さらに、侍女らしい若い女性が一人ついていた。
「これがアンカルジア王国の建国祭か。期待外れもいいところだ」
「おっしゃるとおりです、エルシス様」
護衛の一人が、媚びるように笑った。
「セルヴァンの王都に比べれば、ずいぶん見劣りいたしますな」
「ふん。所詮は小国だ」
……ずいぶんな物言いだ。
外国から招かれた貴族なのだろうが、周囲にも聞こえている。
こういう人物には、できるだけ近づかない方がいい。
「それにしても、ナディアのやつめ……」
青年が忌々しそうに呟いた。
「婚約者の俺を置いて、アルスレインの王立学院なんぞに留学しやがって」
「ナディア王女殿下も、エルシス様のお立場をお考えいただきたいものですな」
「まったくだ。セルヴァンにも王立学院があるというのに、わざわざ他国へ行く必要などあるものか」
「ごもっともでございます」
「しかも、俺への相談もなしにだぞ?婚約者だという自覚が足りんのだ」
護衛騎士が何度もうなずく。
一方、侍女は何か言いたそうにしたものの、結局、口を閉ざした。
……ナディア王女?
セルヴァン王国の第一王女ではないか。
それに、今の青年をエルシスと呼んでいたな。
僕は改めて青年を見た。
セルヴァン王国、カレイン公爵家の嫡男。
エルシス・カレイン。
第一王女ナディア殿下の婚約者として、王宮でも名前を聞いたことがある。
今回の建国祭に招待された賓客の一人だ。
……まずいな。
殿下が何か言い出す前に、ここを離れた方がいい。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「あっち! リナちゃんのお店!」
殿下が通りの先を指さした。
そこには、先日移動を手伝った屋台が並んでいる。
「行こう!」
「はい。どうか、走らないでくださいね」
「わかってるって!」
殿下は元気よく歩き出した。
よかった。
どうやら、先ほどの会話は聞いていなかったらしい。
僕も急いで後を追った。
◇
「いらっしゃいませー!」
聞き覚えのある元気な声が響く。
リナだ。
屋台の前で、一生懸命にお客を呼び込んでいる。
その後ろでは、母親が忙しそうに商品を用意していた。
「リナちゃーん!」
「あっ!」
リナがこちらに気づいた。
「お姉ちゃん!」
満面の笑みで手を振ってくる。
「来てくれたんだ!」
「うん! 約束したもん!」
「えへへっ! ありがとう!」
母親もこちらに気づき、笑顔で頭を下げた。
「いらっしゃいませ。本当に来てくださったんですね」
「うん! お店、すっごく人気だね!」
「おかげさまで、朝から大忙しなんです」
確かに、屋台の前には客が並んでいる。
先日の場所では、人通りが少なかった。
だが、ここは休憩場所に近く、自然と客が集まる。
移転の効果は十分にあったようだ。
「リナちゃんもお手伝いしてるの?」
「うん! お母さん、忙しいから!」
「偉いねえ!」
「うん!」
リナが照れくさそうに笑う。
すると、母親が声をかけた。
「リナ、これを向こうのお客様に届けてくれる?」
「はーい!」
リナは紙包みを両手で抱えた。
「お姉ちゃん! ちょっと待っててね!」
「うん!」
元気よく返事をすると、リナは屋台の横から通りへ出ていった。
「ねえねえ、トルーキン!」
「はい」
「私もお店のお手伝いしたい!」
「殿下。本日は建国祭の視察もございますので」
「ちょっとだけ!」
「……あとで考えましょう」
「やったぁ!」
……考えると申し上げただけなのだが。
そう思ったときだった。
ドンッ。
「あっ!」
小さな声が聞こえた。
振り向く。
通りの先で、リナが誰かにぶつかっていた。
紙包みが地面に落ち、中身が散らばる。
相手は――。
……先ほどの青年ではないか。
「おい」
エルシス・カレインが足を止めた。
上着の裾に、食べ物がついている。
「何をしてくれる」
「ご、ごめんなさい!」
リナが慌てて頭を下げた。
「前をよく見てなくて……!」
「ふざけるな!」
青年が怒鳴る。
「この服がいくらすると思っているんだ!」
「ごめんなさい……!」
リナの声が震える。
すると、護衛騎士の一人が前へ出た。
「この無礼者が!」
大柄な男だ。
鎧の胸元には、カレイン公爵家の紋章が刻まれている。
「貴様!エルシス様に何をした!」
「ご、ごめんなさい!」
「謝れば済むと思っているのか!」
男がリナの腕をつかんだ。
「いたっ!」
……まずい。
僕はすぐに歩み寄る。
「お待ちください。まずは、お子さんの腕をお離しください」
「何だ、貴様は!」
「王宮に仕える者です。お話なら私が――」
「部外者は引っ込んでいろ!」
男が僕を睨みつけた。
騒ぎに気づいた母親も、屋台から飛び出してくる。
「申し訳ありません!娘が失礼を!」
母親が深く頭を下げる。
「服のお代は、できる限り弁償いたしますので……!」
「貴様らに払える金額だと思っているのか!」
護衛騎士が怒鳴った。
「こちらのお方は、セルヴァン王国カレイン公爵家のご嫡男だぞ!」
「も、申し訳ありません……!」
「まったく」
エルシスが不愉快そうに鼻を鳴らした。
「この国の平民は、礼儀も知らんのか」
……困ったな。
リナにも不注意はあった。
服を汚したことについては、謝罪や弁償の話になるだろう。
だが、だからといって、子供の腕を乱暴につかんでよい理由にはならない。
ましてや、ここはアンカルジア王国だ。
外国の公爵家の護衛が、勝手に平民を罰してよいわけではない。
「エルシス様。まずは落ち着いてお話を――」
「黙れ!」
エルシスが僕を睨んだ。
「下男風情が、俺に指図するな!」
……下男。
執事なのだが。
まあ、今はそんなことを気にしている場合ではない。
どうにかして、穏便に済ませなければ。
「少し痛い目を見せてやれ」
エルシスが冷たく告げた。
「はっ!」
何?
護衛騎士がリナの腕を引き寄せる。
「この小娘が!」
そして、空いた手を振り上げた。
「いやっ!」
リナが目を閉じる。
まずい!
《算神》を発動。
護衛の腕の位置。
リナとの距離。
僕が割って入るまでの時間。
間に合わない。
「お待ち――」
「ちょっとぉぉぉ!」
僕の声をかき消すように、少女の叫びが響いた。
次の瞬間。
赤い影が、僕の横を駆け抜ける。
「なっ――」
護衛騎士が振り向いた。
だが、もう遅い。
殿下が、男の懐へ飛び込んでいた。
「子供をいじめちゃ――」
小さな拳が、鎧の胴を捉える。
「駄目なんだからぁぁぁ!」
ドゴォォン!
「ぐはぁっ!」
大柄な騎士の身体が宙に浮いた。
リナの腕が解放される。
男は後方へ吹き飛び、石畳を何度も転がった。
ガシャァン!
最後は道端に積まれていた空の木箱に突っ込み、ようやく止まる。
……。
…………。
広場が静まり返った。
「……え?」
エルシスが呆然としている。
僕も、しばらく言葉が出なかった。
間に合わなかった。
いや。
正確には、殿下の方が早すぎたのだ。
「きゃははっ! やっつけた!」
殿下だけが、嬉しそうに拳を突き上げていた。
やってしまったか。
「殿下ぁぁぁ!」
「なあに、トルーキン!」
「何をなさっているのですか!」
「えっ?リナちゃんを助けたの!」
「それはわかっております!」
「じゃあ、何で聞いたの?」
……。
そういう意味ではございません。
僕は倒れた騎士を見る。
幸い、意識はあるようだ。
周囲の人々も、巻き込まれてはいない。
殿下も少しは加減されたらしい。
しかし、問題はそこではない。
「リナちゃん、大丈夫!?」
殿下がリナのもとへ駆け寄る。
「う、うん……!」
「腕、痛くない!?」
「ちょっと痛いけど……大丈夫!」
「そっか!よかったぁ!」
殿下は安心したように笑った。
それから、リナの母親へ振り向く。
「お母さん!リナちゃんの腕、ちゃんと見てあげて!」
「は、はい!ありがとうございます!」
母親がリナを抱き寄せる。
……なるほど。
殿下も、少しずつ変わっているのかもしれない。
以前なら、相手を殴り飛ばしたことだけで大喜びしていただろう。
今は、まずリナの無事を確認している。
もっとも、外国の護衛騎士を吹き飛ばしてしまったことに変わりはないのだが。
「……貴様」
低い声が聞こえた。
エルシスだ。
顔を真っ赤にして、こちらを睨んでいる。
「貴様!よくも俺の護衛を!」
「だって、あの人が悪いんだもん!」
殿下が即座に言い返した。
「小さな子を殴ろうとしたんだよ!」
「平民のガキが俺に無礼を働いたのだ!当然の報いだろう!」
「……え?」
殿下の目つきが変わった。
「それ、本気で言ってるの?」
「何だ、その口の利き方は!」
「だって、リナちゃんはちゃんと謝ったよ」
「謝れば済む話ではない!」
「だからって、殴ったら駄目でしょ」
殿下、おっしゃることは正しい。
しかし、できれば僕に交渉させていただきたい。
「お嬢様。ここは私にお任せください」
「……わかった」
……おや?
殿下が素直に一歩下がった。
少し意外だったが、ありがたい。
僕はエルシスへ向き直る。
「エルシス様。この度は、お召し物を汚してしまい、申し訳ございません」
「ふん!」
「ただし、護衛の方が幼い子供に手を上げようとしたことについては、看過できません」
「何だと!?」
「ここはアンカルジア王国でございます。外国の賓客であっても、王都の住民に私的な制裁を加えることは認められておりません」
エルシスの眉がつり上がった。
「貴様、誰に向かって口を利いている!」
「事実を申し上げております」
「下男風情が!」
……やれやれ。
話し合いは難しそうだ。
「そもそも、何だ、この田舎臭い娘は!」
エルシスが殿下を指さした。
「祭りだからといって、品のない格好で騒ぎおって!」
今日は殿下も、普段の豪華なドレスではない。
街を歩きやすいように、飾りの少ない服を着ている。
それでも十分に上質なものなのだが、エルシスは気づいていないらしい。
「田舎臭い?」
殿下が首をかしげた。
「私が?」
「そうだ!礼儀も知らん田舎娘め!」
「……ねえ、トルーキン」
「はい」
「この人も殴っていい?」
「いけません!」
……当然だ。
これ以上殴られたら、僕の出世どころではない。
下手をすれば、国家間の問題になる。
「ふん。少しは自分の立場をわきまえろ」
エルシスが胸を張った。
「俺が誰だか知っているのか!」
「知らないわ」
殿下が答えた。
「なっ……!」
「ねえ、誰なの?」
「セルヴァン王国カレイン公爵家の嫡男、エルシス・カレインだ!」
「へぇ」
「しかも、俺の婚約者はセルヴァン王国第一王女のナディア殿下だぞ!」
「王女様?」
殿下の青い瞳が輝いた。
「すごーい!」
……おや。
少しは相手の立場を理解していただけたのだろうか。
「ふん。ようやくわかったか!」
エルシスが得意げに笑う。
「俺は将来、王家の一員となる男だ!お前のような娘が気安く口を利いてよい相手ではない!」
「でもさ」
「何だ!」
「偉いのは、そのナディアって人じゃないの?」
「……は?」
「だって、あなたが王女様なんじゃないでしょ?」
「なっ……!」
「それに、王女様の婚約者だからって、子供をいじめていいの?」
……殿下。
どうか。
どうか、もう少し言葉を選んでください。
エルシスの顔が、みるみる赤くなっていく。
「き、貴様ぁ……!」
……まずい。
非常にまずい。
このままでは、殿下がもう一人殴り飛ばしかねない。
僕は二人の間に入った。
「エルシス様。どうか、お話を――」
「黙れと言っている!」
エルシスが怒鳴った。
「おい!この無礼な娘を捕らえろ!」
「はっ!」
残っていた護衛騎士が前へ出る。
そして、腰の剣に手をかけた。
……おいおい。
さすがに、それはまずいだろう。
ここはアンカルジア王国の王都だ。
しかも、建国祭の最中である。
外国の護衛騎士が、王都の大通りで剣を抜こうとしているのだ。
「お待ちください!」
僕は声を張り上げた。
「何だ、貴様!」
「どうか、お手をお止めください」
「下男風情が、命令するな!」
……はぁ。
話の通じない相手というのは、実に困る。
僕は王立学院を首席で卒業した。
これから出世して、大きな屋敷に住み、美しい妻を迎え、優雅な生活を送る予定だった。
そのために、できる限り敵は作りたくない。
ましてや、外国の公爵家など。
だが、もうそんなことを言っていられる状況ではない。
「エルシス・カレイン様」
僕は改めて青年へ向き直った。
「何だ!」
「申し遅れました。私はトルーキン・レッドゲートと申します」
「そんな名前など聞いておらん!」
「アンカルジア王国にて、王族付きの執事を務めております」
「……王族付き?」
エルシスの眉がぴくりと動いた。
「はい」
僕は静かに一礼する。
「そして、こちらのお方は――」
殿下を見る。
当の本人は、リナの頭を撫でながら笑っていた。
……。
どうして、この方はいつもこうなのだろう。
僕は小さく息を吐いた。
「アンカルジア王国、エクレシア王女殿下でございます」
「…………は?」
エルシスの口が開いた。
護衛騎士の動きが止まる。
周囲の人々も、一斉に殿下へ視線を向けた。
「……王女?」
「はい」
「こ、この娘が……?」
「左様でございます」
エルシスは殿下を見た。
そして、吹き飛ばされた護衛騎士を見る。
もう一度、殿下を見る。
「……う、嘘だろ?」
……嘘であってほしいのは、僕の方だ。
「ねえ、トルーキン!」
「はい、殿下」
「もう名乗ったから、殴っていい?」
「駄目に決まっています」
「ええーっ!」
……ああ。
僕の出世街道は、いったいいつになったら始まるのだろう。
だが、事態はそれだけでは終わらなかった。
「ふ、ふざけるな!」
エルシスが再び声を荒らげる。
「王女ならば、なおさら都合がいい!」
……何?
「俺は正式に招待されたセルヴァン王国の賓客だぞ!」
エルシスの口元が歪んだ。
「アンカルジア王国には正式に抗議させてもらう!王女が外国の賓客の護衛に暴行を働いたとな!」
どうやら、この男は自分の立場を利用して、殿下を追い詰めるつもりらしい。
殿下が僕の袖を引いた。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「やっぱり、悪いのは私なの?」
……。
僕は殿下を見る。
リナを守ろうとした少女。
そこに、悪意などあるはずもない。
ただし、王女という立場で拳を振るえば、その影響は決して小さくない。
……今までの僕なら、どうしただろうか。
自分の出世を守るため、殿下に謝罪を勧めただろう。
外国の公爵家を敵に回すなど、得策ではないのだから。
だが、目の前で子供が殴られそうになっていた。
それを止めた殿下が、一方的に責められてよいはずがない。
「殿下」
「なに?」
「少々、お時間をいただけますか」
「うん!」
「この件は、私にお任せください」
「……わかった!」
殿下が笑った。
僕は再びエルシスへ向き直る。
……さて。
どうやら、計算し直す必要がありそうだ。
僕の出世のためではない。
殿下が、胸を張って正しいことをしたと言えるようにするために。
《算神》を発動。
まずは、この場にある事実を整理しよう。
エルシス・カレイン殿。
残念ながら、あなたの思いどおりにはさせません。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
時系列でいうと、この話は他作品のリオンが王立学院一年生時点の話です。




