第8話① お祭りの準備は大変でございます
ハルゼン伯爵は、失脚した。
その後の調査で、軍用飼料の不正売却だけでなく、調達費の水増し請求や架空の輸送費の計上など、ほかにも複数の不正が明らかになったのだ。
伯爵はすべての公職を解任され、王国の物資管理に関わる権限も失った。
もっとも、軍への飼料供給が止まったわけではない。
王国が新しい管理体制を整え、商人や御者たちは引き続き物資を運んでいる。
……ひとまず、一件落着といったところか。
そんな騒動から、しばらく経った頃。
王都は、いつも以上の賑わいを見せていた。
建国祭が近づいていたのだ。
◇
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「あと二日だね!」
朝の王宮。
エクレシア王女殿下が、嬉しそうに僕を見上げていた。
「何がでございますか?」
「建国祭!」
「ああ。そうでございますね」
「楽しみだなぁ!」
殿下がくるりと回る。
……朝から元気なお方だ。
「殿下は、建国祭がお好きなのですね」
「うん! 大好き!」
「何が一番楽しみなのでございますか?」
「えっと!」
殿下が指を折り始めた。
「おいしいものがいっぱいあるでしょ!」
「はい」
「歌ったり踊ったりする人もいるでしょ!」
「そうでございますね」
「あとね、街がきれいになるの!」
「飾りつけでございますね」
「うん! それに、お店もいっぱい!」
……随分と多いな。
「それで、一番はどちらなのでございますか?」
「全部!」
……。
質問の意味がなかった。
「でもね!」
「はい」
「一番好きなのは、みんなが笑ってること!」
……おや。
「建国祭って、みんな楽しそうでしょ?」
「そうでございますね」
「だから、私も嬉しくなるんだ!」
殿下が満面の笑みを浮かべた。
この方らしい答えだ。
食べ物にばかり興味があるのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
「それは結構なことでございます」
「うんっ!」
「ちなみに、本日は王都へ出かける予定でございます」
「えっ!?」
殿下の目が輝いた。
「準備の様子を見学いたします」
「ほんと!?」
「はい。王都の商業と行政について学んでいただく予定でございます」
「やったぁ!」
殿下が両手を上げた。
「早く行こう!」
「殿下。まだご説明の途中でございます」
「ええーっ!」
「本日は授業でございます。遊びに出かけるわけではございませんよ」
「トルーキンは真面目だなー!」
……。
「それでは、何を学んでいただくか、もう一度申し上げますね」
「うん!」
「建国祭のために、どのような方々が働いているのか。そして、街がどのように管理されているのか、でございます」
「わかった!」
「覚えられましたか?」
「うん!」
「では、何を学ぶのでございますか?」
「お祭りのお勉強!」
……。
まあ、間違ってはいない。
◇
「わああっ!」
王都の商業地区へ到着すると、殿下が歓声を上げた。
大通りには色とりどりの布が飾られ、建物の窓からは小さな旗が下がっている。
屋台を組み立てる職人たち。
商品を運び込む商人たち。
通りの向こうでは、子供たちが飾りつけを手伝っていた。
王都は普段から賑やかだが、今日はそれ以上だった。
「ねえ、トルーキン! 見て!」
「はい」
「あっちにもお店があるよ!」
「建国祭に向けた準備でございますね」
「こっちにも!」
「そうでございますね」
「あっ! あれ、おいしそう!」
……。
やはり、そうなるか。
殿下が指さした先には、焼き菓子の屋台があった。
店先には木箱が積まれ、甘い香りが漂っている。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「ちょっとだけ見てきていい!?」
「見学であれば構いません」
「やったぁ!」
殿下が駆け出した。
護衛の騎士たちも、慌てて後を追う。
……まったく。
この方の護衛は、なかなか大変だろうな。
もっとも、僕も人のことは言えないのだが。
◇
「ねえ!」
屋台へ駆け寄った殿下が、元気よく声をかけた。
「何のお店!?」
店先にいた少女が振り返る。
十歳くらいだろうか。
茶色い髪を後ろで結び、前掛けを着けている。
「焼き菓子だよ」
「わあっ! おいしそう!」
「まだ売ってないけど……」
「ええーっ!」
殿下が残念そうな顔をした。
その様子がおかしかったのか、少女が笑う。
「建国祭が始まったら売るんだよ」
「ほんと!?」
「うん!」
「じゃあ、買いに来る!」
……殿下。
まだ値段も確認しておりませんよ。
すると、屋台の奥から一人の女性が現れた。
少女の母親らしい。
「あら、お客様ですか?」
女性は殿下を見ると、僕たちの後ろに立つ護衛の騎士たちへ目を向けた。
そして、慌てて頭を下げる。
「も、もしかして、王女殿下でいらっしゃいますか!?」
「うん!」
殿下が笑顔で答えた。
「エクレシアだよ!」
「お、お姫様!?」
少女が目を丸くする。
「すごい……」
「そうなの?」
「うん! 私、お姫様とお話しするの初めて!」
「じゃあ、いっぱいお話ししよう!」
……。
実に殿下らしい。
「お名前は?」
僕が尋ねると、少女が少し緊張した様子で答えた。
「リナです」
「リナ!」
殿下が嬉しそうに呼びかける。
「建国祭、楽しみ?」
「うん! すっごく!」
「私も!」
二人が顔を見合わせて笑う。
……随分と気が合うようだ。
「今年はね、お母さんのお店も出せるんだ!」
リナが屋台を指さした。
「去年は出せなかったの?」
「うん。場所が取れなかったんだ」
「そうなんだ!」
「でも、今年はちゃんと許可がもらえたの!」
リナが誇らしそうに胸を張った。
母親も嬉しそうに頷く。
「この日のために、親子で準備してきたんです」
「普段も焼き菓子を売っておられるのですか?」
僕が尋ねる。
「はい。ただ、普段の店は小さいものですから。建国祭なら、たくさんのお客様に食べていただけると思いまして」
……そういうことか。
建国祭は、商人たちにとって大きな商機でもある。
大勢の人が訪れれば、普段より売上も増えるだろう。
「たくさん売れるとよいですね」
「ありがとうございます」
母親が微笑んだ。
「ねえ、リナ!」
殿下が身を乗り出す。
「私も応援する!」
「ほんと!?」
「うん! いっぱい売れるといいね!」
「ありがとう!」
リナが満面の笑みを浮かべた。
……ふむ。
こうして見ると、殿下は随分と人懐っこい。
王族だからといって、特別扱いされたいわけではないのだろう。
誰とでも、すぐに仲良くなってしまう。
「殿下。そろそろ参りましょうか」
「ええーっ!」
「まだ見学するところがございますので」
「……わかった!」
殿下は名残惜しそうにしたが、素直に頷いた。
「リナ、またね!」
「うん! またね!」
二人が大きく手を振り合う。
僕も母親に挨拶し、その場を離れた。
……さて。
そろそろ、授業らしいこともしていただかなければ。
◇
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「お店って、好きなところに出していいの?」
……よい質問だ。
「いいえ。建国祭では、あらかじめ許可された場所に出すことになっております」
「どうして?」
「誰もが好きなところに店を出してしまうと、道を通れなくなるからでございます」
「そっか!」
「それに、建国祭では大勢の人々が集まりますからね。警備や荷物の運搬も考えなければなりません」
「へえーっ!」
殿下が感心したように頷いた。
……よし。
今日は、なかなかよい授業になっている。
そう思った、そのときだった。
「そんなこと、今さら言われても困る!」
「こちらも仕事なのです!」
少し先から、大きな声が聞こえてきた。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「何か揉めてるよ!」
「そのようでございますね」
声のする方へ向かう。
そこには、十人ほどの商人と数人の警備兵が集まっていた。
商人たちは怒った様子で、警備兵に詰め寄っている。
「こちらは許可をもらっているんですよ!」
「それは承知しております!」
「だったら、どうして移動しなきゃいけないんだ!」
……ん?
屋台の場所を巡る問題らしい。
僕は警備兵に声をかけた。
「失礼いたします」
「何だ? 今は取り込み中で……」
警備兵が振り返る。
そして、殿下の姿を見た途端、姿勢を正した。
「お、王女殿下!?」
「こんにちは!」
殿下が元気よく挨拶する。
「どうしたの? 何か困ってるの?」
「そ、それが……」
警備兵は少し迷ってから、事情を説明し始めた。
建国祭では、王都に大勢の人々が集まる。
今年は特に人出が多くなる見込みらしい。
そのため、役所から警備計画の見直しが指示されたという。
「この通りも、もっと広く空けておく必要があるのです」
警備兵が屋台の並びを指さした。
確かに、両側には屋台がずらりと並んでいる。
その間を、一台の荷車が通ろうとしていた。
「おーい! もう少し下がってくれ!」
御者が声を上げる。
商人たちが、慌てて荷物を動かす。
荷車は、ようやく通り抜けた。
……これは確かに狭い。
「今でも荷車が通るのがやっとです」
警備兵が言った。
「祭りが始まれば、もっと人が増えます。火事などが起きたとき、救助の荷車が通れなくなってしまいますので」
「それは困りますね」
「はい。ですから、屋台の一部を移動していただきたいのです」
理由は理解できた。
しかし、商人たちにも事情がある。
「王女殿下、聞いてください!」
一人の商人が、僕たちへ書類を差し出した。
「ここで商売してよいと、役所から許可をいただいているんです!」
「場所代だって払ったんですよ!」
「今さら動けと言われても、どうすればいいんですか!」
……そうか。
当初は、この配置で許可が下りていたのか。
それなら、商人たちが怒るのも無理はない。
警備兵は頭を下げた。
「本当に申し訳ありません。しかし、安全のためなのです」
「その安全を考えるのは、許可を出す前じゃないのか!」
「……おっしゃるとおりです」
警備兵が苦い顔をした。
……ふむ。
これは、なかなか厄介だな。
商人たちは、許可された場所で準備を進めていた。
警備兵たちは、大勢の人々の安全を守ろうとしている。
どちらにも、もっともな理由がある。
「ねえ、トルーキン」
「はい」
「お店の人たち、悪いことしてないよね?」
「はい」
「じゃあ、警備兵さんたちが悪いの?」
「いいえ。皆を危険から守ろうとしておられます」
「……そうなの?」
「はい」
殿下は両者を交互に見た。
「……じゃあ、どっちも悪くないんだ」
「そのとおりでございます」
「なのに、喧嘩してるの?」
……。
まさに、そのとおりだ。
どちらも正しいと思っている。
しかし、それぞれに譲れない事情がある。
殿下にとっては、少し難しい問題かもしれない。
◇
「皆さん、聞いてください!」
警備兵の責任者らしい男が、声を張り上げた。
商人たちが振り返る。
「明日の朝には、建国祭の飾りを運ぶ大きな荷車が、この道を通る予定です!」
……ほう。
「それまでに通路を確保しなければなりません。日没までに屋台の移動が決まらなければ、役所へ出店の中止を求めることになります!」
「日没まで!?」
「そんな無茶な!」
「あと何時間しかないと思ってるんだ!」
商人たちが騒ぎ始めた。
……まずいな。
話し合いの時間が、ほとんど残されていない。
「どうして、もっと早く言ってくれなかったんだ!」
「今朝、正式な指示が届いたのです!」
「だったら、代わりの場所を用意してくれ!」
「それは、役所の担当者に許可をいただかなければ……」
「じゃあ、今すぐ呼んできてくれ!」
……。
まったく、そのとおりだ。
警備兵には通路を確保する責任がある。
しかし、新しい出店場所を決める権限はない。
そして、役所の担当者が来たところで、移動先が見つからなければ解決しない。
商人たちも、そのことはわかっているのだろう。
声を荒らげながらも、不安そうな顔をしていた。
そのとき。
「お姫様!」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、先ほどのリナが立っていた。
「あっ、リナ!」
殿下が笑顔になる。
しかし、リナは笑っていなかった。
「……お店、出せなくなっちゃうかもしれないんだ」
「えっ!?」
殿下が驚く。
その後ろには、リナの母親もいた。
どうやら、あの焼き菓子屋も移動の対象になっているらしい。
「別の場所に行けばいいんじゃない?」
殿下が尋ねる。
母親は、困ったように首を振った。
「それが、よい場所はもう埋まっておりまして……」
「そうなの?」
「はい。ここで商売できると思って、材料もたくさん仕入れてしまいました」
母親が屋台を見つめる。
「今年こそは、と思っていたのですが……」
……。
リナが母親の服を握った。
「お母さん……」
「大丈夫よ、リナ」
「でも……」
少女の目に、涙が浮かんでいた。
「ずっと頑張ってたのに……」
その声を聞いて、殿下の表情が変わった。
少し前まで、二人はあれほど嬉しそうに笑っていた。
建国祭を心待ちにしていた。
それが、今はすっかり元気をなくしている。
「……ねえ、トルーキン」
「はい」
「どうにかならないの?」
……。
僕は改めて、周囲を見渡した。
通りの幅。
屋台の大きさ。
荷車の通り道。
そして、少し先にある横道。
その向こうには、小さな広場も見える。
……あそこは、まだ十分に使われていないようだな。
僕は《算神》を発動した。
頭の中で、屋台の配置を少しずつ動かしてみる。
現在の通りから、何軒かを移す。
横道にも人が流れるようにする。
小広場の空いている場所を利用する。
……うん。
可能性はありそうだ。
もちろん、単純に屋台を動かせばよいわけではない。
新しい場所での営業許可が必要だ。
商人たちにも納得してもらわなければならない。
しかも、日没までに移動を終える必要がある。
……簡単な話ではないな。
「ねえ、トルーキン!」
殿下が僕の袖を引いた。
「はい」
「お店も、道も、どっちも残せないの!?」
……おや。
殿下は、真剣な顔をしていた。
「どっちかが我慢しなきゃ駄目なの?」
「必ずしも、そうとは限りません」
「ほんと!?」
「はい。ただ、皆様のご協力が必要でございます」
「じゃあ、お願いしよう!」
……。
実に殿下らしい。
「殿下。お願いするだけでは解決しないこともございます」
「そうなの?」
「はい。皆様には、それぞれのご事情がございますので」
「……そっか」
殿下は、少し考え込んだ。
そして、リナを見た。
「リナ!」
「……なあに?」
「お祭り、楽しみにしてたんだよね?」
「……うん」
「私も!」
殿下が笑顔になる。
「だから、一緒に楽しもうよ!」
「……えっ?」
「まだ、お店出せなくなったって決まってないでしょ?」
リナが顔を上げた。
殿下は、その頭をそっと撫でる。
「私、頑張るから!」
……。
その言葉を聞いて、僕は少し驚いた。
殿下が誰かを助けたいと思うことは、珍しくない。
だが、今回は誰かを倒せば済む話ではない。
相手にも事情がある。
それでも、殿下は諦めるつもりがないらしい。
……さて。
こうなれば、僕も頑張るしかないか。
「殿下」
「なあに?」
「一つ、方法があるかもしれません」
「ほんと!?」
「はい。ただし、まだ確認しなければならないことがございます」
「何を?」
「屋台を移す場所の許可と、皆様のご意思でございます」
「……?」
殿下が首を傾げた。
「難しい?」
「少々」
「でも、できるかもしれないんだよね?」
「はい」
「じゃあ、大丈夫!」
……。
随分と簡単におっしゃるな。
僕が苦笑した、そのときだった。
「もういい! こんなところで商売なんかできるか!」
一人の商人が怒鳴った。
「俺は帰るぞ!」
「ちょっと待ってくれ!」
「待ってどうなるんだ!」
周囲が再び騒がしくなる。
警備兵も、必死になって商人たちをなだめていた。
……まずい。
このままでは、話し合いそのものができなくなる。
「殿下。少々、お待ちください」
僕は警備責任者に声をかけようとした。
しかし。
「ねえ、トルーキン!」
「はい」
「私、みんなにお話ししてくる!」
「……殿下?」
言い終わる前に、殿下が駆け出した。
商人たちの前へ向かっていく。
「ちょっと待ってー!」
大きな声が響いた。
騒いでいた人々が、思わず振り返る。
「あれ……王女殿下じゃないか?」
「エクレシア殿下?」
殿下は、大勢の大人たちの前に立った。
「ねえ、みんな!」
そして、元気よく声を上げる。
「私、建国祭が大好きなの!」
……。
商人たちが顔を見合わせた。
「だって、みんな楽しそうなんだもん!」
殿下が笑顔で続けた。
「だから、お店の人たちにも、警備兵さんたちにも、笑っててほしい!」
……殿下。
僕は、その姿を見つめていた。
「お店もなくしたくないし、道もちゃんと空けたい!」
殿下が両手を広げる。
「だから、みんなでお祭りできるようにしようよ!」
しばらく、誰も何も言わなかった。
すると、一人の商人が口を開いた。
「……王女殿下。お気持ちはありがたいんですが」
「うん!」
「どうやって店を移すんです? 重い屋台もあるんですよ」
……ああ。
確かに、そこも問題だ。
僕も移動に必要な人手を考えていたところだった。
しかし。
「それなら大丈夫!」
殿下が、満面の笑みを浮かべた。
「私が運ぶから!」
……。
…………。
商人たちが固まった。
警備兵たちも、目を丸くしている。
「……王女殿下が?」
「うん!」
殿下が元気よく頷いた。
「私、力持ちなんだ!」
……殿下。
確かに、そのとおりでございます。
ですが。
まだ、移動先の許可も取れておりませんよ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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