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【10/22連載開始】王女殿下、まずは拳をお下げください ~平民出身の転生執事、最強王女を育成する~  作者: アカメノコバチ


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第7話② 買い占めは罪ではございません

 翌朝。


 僕たちは王都のオルセン商会を訪れていた。


 同行しているのは、王宮の監査官と護衛の騎士たちだ。


 もちろん、エクレシア王女殿下も一緒である。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「今日は伯爵さんのお屋敷に行くんじゃなかったの?」


「その前に、こちらで確認することがございますので」


「そっか!」


 昨日、国王陛下に呼び出され、今回の経緯を報告した。


 正式な監査が認められたうえ、殿下の同行も許された。


 ただし。


『エクレシア。決して暴れるなよ』


『わかってるよ、お父様!』


 ……あの返事を、どこまで信用してよいものか。


「お待ちしておりました」


 店主のオルセンが出迎えてくれた。


 少々、疲れた顔をしている。


「昨日は、よく眠れなかったのではございませんか?」


「……お恥ずかしい限りで」


 オルセンが苦笑した。


「今朝も伯爵家から使いの者が来ましてね」


「買い戻しのお話でしょうか?」


「はい。返事を求められました」


「何とお答えに?」


「お断りいたしました」


「よろしかったのですか?」


「私どもが代金を払って購入した商品です。問題があるなら、まずはその理由を明らかにしていただきたい」


 オルセンは真剣な顔で言った。


「それに、今は仕入れたときより相場が上がっておりますので」


 ……なるほど。


 そこは商人らしい。


「ごもっともでございます」


 監査官が、問題となった干し草の確認を始めた。


 オルセンが取引記録を示し、従業員が該当する荷物を運んでくる。


 荷札には、王国の管理番号が付いていた。


 監査官が番号を照合し、その内容を書面に残していく。


 オルセンも、確認に立ち会った。


 ……これでよし。


 少なくとも、王国の帳簿に記載された管理番号の荷札が、この商会に存在することは確認できた。


 問題は、それが誰の所有物なのかだ。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「この干し草、牛たちにあげられないの?」


「今は所有関係を確認している最中でございますので」


「じゃあ、ほかの干し草なら?」


「そちらは通常どおり取引できますね」


 オルセンが頷いた。


「はい。ほかの商品については問題ございません」


「じゃあ、牧場にも売ってあげて!」


 ……殿下。


 お気持ちはわかりますが、商売には相手の事情もございます。


 そう申し上げようとしたところで、殿下が続けた。


「ちゃんとお金は払うよ!」


 ……おや。


「トルーキンが言ってたからね。商人さんだって、損しちゃ駄目なんでしょ?」


 オルセンが目を丸くする。


 そして、笑った。


「ええ。そのとおりでございます、王女殿下」


「そうだよね!」


「牧場の方とは、一度お話しさせていただきましょう」


「ほんと!?」


「はい。私からも使いを出します」


 ……ありがたい。


 しかも、殿下は昨日の話をきちんと覚えていたらしい。


 少しずつではあるが、成長されているようだ。


 ◇


「これはこれは、エクレシア王女殿下」


 ハルゼン伯爵は、笑顔で僕たちを迎えた。


 五十歳ほどの男で、立派な服を身にまとっている。


 広々とした応接室。


 高価そうな調度品。


 窓の外には、手入れの行き届いた庭園が広がっていた。


「本日は、どのようなご用件でございましょう?」


 監査官が、国王陛下の命による調査であることを告げた。


 そして、第三飼料中継倉庫の管理記録について説明を求める。


「……なるほど」


 伯爵は落ち着いて頷いた。


「王国の帳簿と、民間商会の取引記録に食い違いがあるということですな」


「はい」


「それは、部下が記録を取り違えたのでしょう」


 ……ほう。


 そうくるか。


「王国からお預かりしている物資と、私が個人で仕入れたものを、同じ倉庫で管理しておりましてね」


「そうでございましたか」


「私有財産を売却しただけなのに、王国の財産を盗んだと疑われてはたまりませんな」


 伯爵が笑った。


「商売で利益を得ることは、罪ではありますまい?」


「もちろんでございます」


 僕は頷いた。


「正当な商売で利益を得ることは、大切なことだと考えております」


「君は話がわかるようだね」


「恐れ入ります」


 伯爵は満足そうに微笑んだ。


「では、これで誤解は解けたかな?」


「いいえ」


 伯爵の笑みが止まった。


「……何?」


「利益を得たことと、売却した商品が誰の所有物だったのかは、別の問題でございます」


「……」


「確認すべきなのは、そちらかと存じます」


 監査官が頷いた。


「伯爵閣下。関係する帳簿を確認させていただきます」


「……構いませんよ」


 伯爵は再び笑った。


「何も隠すことなどございませんので」


 ◇


 しばらくして、数冊の帳簿が運ばれてきた。


 伯爵家の私的な飼料取引の記録だ。


 監査官が、今回の取引に関係する部分を確認する。


 僕も許可された範囲で目を通した。


 確かに伯爵は個人でも大量の干し草を仕入れている。


 それを民間商人へ販売して利益を得ていた。


 ここまでは問題ない。


 だが。


 僕は《算神》を発動した。


 王国の購入記録。


 伯爵家の販売記録。


 オルセン商会の購入記録。


 それぞれの日付と管理番号を、頭の中で重ねていく。


 ……やはり、おかしい。


「担当官殿。こちらをご確認いただけますか?」


「何でしょう?」


「伯爵家がオルセン商会へ売却された商品でございます」


 監査官が記録を見る。


「……売却代金は、伯爵家の会計に入っておりますね」


「はい」


 伯爵が口を挟んだ。


「当然だろう。私が売ったのだから」


「おっしゃるとおりでございます」


 僕は頷いた。


「ただ、こちらの商品については、王国も代金を支払っております」


「だから、それは部下の取り違えだと――」


「はい。その可能性もございます」


 僕は、伯爵家の仕入れ帳簿を示した。


「では、閣下が個人の資金で購入された記録は、どちらでしょうか?」


「そこにあるだろう」


 伯爵が帳簿を指さした。


「ありがとうございます」


 僕はページをめくった。


 確かに、大量の干し草を購入した記録がある。


 しかし、問題の商品との対応が確認できない。


「こちらは、別の仕入れ分ではございませんか?」


「……何?」


「購入日も、管理番号も異なっておりますので」


 伯爵が眉を寄せた。


「それこそ、記載を間違えたのだろう」


「承知いたしました」


「事務上の間違いなど、いくらでも起こる」


「はい。ですから、どこで間違いが起きたのかを確認したいのでございます」


 伯爵が黙った。


 ……ここまでは予想していたとおりだ。


 帳簿の数字が合わなければ、記載ミスだと説明する。


 それ自体は、あり得る話である。


 しかし、本当に間違いを直そうとしていたのなら、妙なことが一つある。


「伯爵閣下」


「……今度は何だ?」


「昨日、オルセン商会へ取引記録の訂正を求められましたね」


「ああ。誤りを直すためだ」


「その件でございますが」


 僕は監査官から示された書類を指さした。


「実際に商品を受け取った場所は、第三飼料中継倉庫でございます」


「そう聞いている」


「しかし、伯爵家の私有倉庫で受け取ったことに変更するよう求められております」


 伯爵が腕を組んだ。


「それも、部下の間違いだろう」


「そうでございましたか」


「そうだ」


「では、正しい引き渡し場所は、どちらなのでしょう?」


「……何?」


「間違いを訂正するのであれば、実際に受け取った場所を記載する必要がございますので」


 伯爵は口を閉じた。


 すると。


「ねえ、伯爵さん!」


 殿下が元気よく声を上げた。


「……はい、王女殿下」


「間違えたなら、本当のことを書けばいいんだよね?」


「え、ええ。そのとおりです」


「じゃあ、どうして違う場所に変えようとしたの?」


 ……。


 伯爵が固まった。


「だって、余計に間違えちゃうよ?」


 言われてみれば、そのとおりだ。


 僕が帳簿をいくつも確認している間に、殿下は随分と簡単な言葉で問題を説明してしまった。


「殿下のおっしゃるとおりでございます」


「でしょ!」


 殿下が嬉しそうに笑った。


 伯爵は、渋い顔になっていた。


 ◇


 監査官は、伯爵家の代理人も呼び出した。


 昨日、オルセン商会を訪ねていた男だ。


「……あなたは」


 僕の顔を見るなり、代理人が呟いた。


「昨日はどうも」


 軽く頭を下げる。


 監査官が、取引記録の訂正について質問した。


「オルセン商会に訂正を求めたのは、あなたですね?」


「……はい」


「実際の引き渡し場所と異なる内容に変更する理由は?」


「……それは」


 代理人が伯爵を見る。


 伯爵は腕を組んだまま、口を開いた。


「正直に話したまえ」


「……はい」


「私は何も隠すつもりはないのだからね」


 ずいぶんと余裕があるようだ。


 代理人は、しばらく迷っていた。


 そして、小さな声で答えた。


「……伯爵家の取引として、書類を整えるよう指示を受けました」


「誰からですか?」


「……上司からでございます」


 監査官が頷く。


「その指示についても、確認する必要がありますね」


 伯爵が口を挟んだ。


「部下の事務処理まで、私が一々確認しているわけではない」


「承知しております」


 監査官が答えた。


「ただし、王国の財産に関わる記録ですので、経緯を調べさせていただきます」


 伯爵は鼻を鳴らした。


「好きにしたまえ」


 ……なるほど。


 自分は知らなかった、という立場を崩すつもりはないらしい。


 それならば、こちらも確認すべきことがある。


「伯爵閣下」


 僕が声をかける。


「何だ?」


「今回の件は、閣下のご指示ではなかったのでございますね?」


「当然だ」


「王国の財産が、閣下の知らないところで民間へ売却された可能性がある、と」


「そういうことだ」


「それは、大変なことでございますね」


「……何?」


「王国から管理を任された物資が、責任者の知らないところで売却されていたのであれば、管理方法そのものを改める必要があるかと存じます」


 伯爵の表情が変わった。


「……どういう意味だ?」


「いえ。閣下のお話を伺って、そのように思っただけでございます」


 僕は監査官へ顔を向けた。


「担当官殿。いかがでしょうか?」


 監査官が、ゆっくりと頷いた。


「……そうですね」


 そして、一枚の書類を取り出した。


「伯爵閣下。陛下からの命令をお伝えいたします」


 伯爵の顔色が変わった。


「……陛下から?」


「はい」


 監査官は、国王の印が押された書類を広げた。


「今回の監査で、王国の物資管理に重大な不整合が確認された場合、調達業務の管理権限を一時的に移すことが認められております」


「……何だと?」


「ただいま確認した記録とご説明から、第三飼料中継倉庫の管理には、重大な問題があると判断いたしました」


 監査官が続ける。


「よって、ハルゼン伯爵家に委ねられていた王国軍用飼料の調達権限を、本日付で暫定的に停止いたします」


 ……。


 応接室が静まり返った。


「なっ……!」


 伯爵が椅子から立ち上がる。


「馬鹿な! まだ私が不正を働いたと決まったわけではあるまい!」


「そのとおりでございます」


 監査官は落ち着いて答えた。


「今回の措置は、閣下への処罰ではございません」


「ならば、なぜだ!」


「王国の物資と公金を守るためです」


 伯爵が言葉を詰まらせた。


 ……そう。


 今回の調査で、伯爵本人が横領を指示したと断定できたわけではない。


 しかし、本人の説明どおりであっても問題は残る。


 王国の物資を預かる仕組みが、正常に機能していなかったことになるからだ。


「新たな調達契約の承認、王国の倉庫からの出庫指示、公金の支払いに関する権限は、王宮の担当部局へ移されます」


 監査官が告げた。


「今後、第三飼料中継倉庫には王国から管理官を派遣し、現物の確認と記録の照合を進めます」


「……勝手なことを!」


「国王陛下のご命令でございます」


 伯爵は口を閉じた。


 これで、ひとまず王国の物資を守ることはできそうだ。


 だが、伯爵にも言い分があるだろう。


 案の定、彼はすぐに口を開いた。


「……私を調査するのは結構だ」


 低い声だった。


「だが、その間の飼料調達はどうするつもりだ?」


 ……ほう。


「私が仕入れを止めれば、国境の軍馬が飢えることになるぞ」


 伯爵が監査官を睨んだ。


「その責任を、誰が取るというのだ!」


「ねえ、トルーキン!」


 殿下が僕の袖を引いた。


「はい」


「馬のご飯もなくなっちゃうの?」


「それは困りますね」


「じゃあ、どうするの!?」


「ご安心ください」


 僕は殿下へ微笑んだ。


「その点についても、昨日、陛下へご相談しております」


「えっ!?」


 殿下が目を丸くした。


 伯爵もこちらを見た。


「……何?」


「閣下が調達業務を続けられなくなった場合の対応でございます」


 昨日、国王陛下へ今回の経緯を報告した際、僕は一つ進言していた。


 仮に調達責任者を変更することになっても、軍への飼料供給を止めてはならない。


 だから、正当な契約と輸送については、王国側で引き継ぐ必要がある。


 陛下も、その考えに同意してくださった。


 すでに軍の担当部局へ、準備を進めるよう指示が出ている。


「伯爵閣下」


 僕は頭を下げた。


「閣下がこれまで築かれた取引先との関係や、輸送の仕組みまで、なくす必要はございません」


「……何?」


「王国が必要としているのは、干し草を安定して調達することでございますので」


 伯爵が黙った。


「実際に物資を仕入れ、運んでくださっている商人や御者の方々には、引き続き働いていただくことができます」


「……」


「管理する責任者が替わっても、すべてを止める必要はございません」


 もちろん、引き継ぎには時間がかかる。


 これまでどおりに進まないこともあるだろう。


 だが、一人の貴族がいなければ軍の物資が届かなくなる仕組みは、そもそも危うい。


「……貴様」


 伯爵が僕を睨んだ。


「何者だ?」


「エクレシア王女殿下の執事でございます」


 僕は頭を下げた。


「それ以外に、何か?」


「……!」


 伯爵が顔を赤くした。


 ……おや?


 少々、余計なことを申し上げただろうか。


 しかし、嘘は言っていない。


「なお、伯爵閣下が個人として営まれている正当な商売については、今回の命令で禁止されるものではございません」


 監査官が付け加えた。


「王国の財産に関わる管理権限と、伯爵家の私有財産は区別いたします」


 伯爵は何も言わなかった。


 これで、ようやく話を進められそうだ。


 監査官は、その場で王国の管理官を第三飼料中継倉庫へ派遣するよう手配した。


 以後、王国の物資を動かすには、王国側の確認が必要になる。


 伯爵の関与については、引き続き調査が行われる。


 罪が確定したわけではない。


 しかし、少なくとも王国の物資を自由に扱える立場ではなくなった。


 ……ひとまず、これでよし。


 ◇


 屋敷を出ると、殿下が僕の顔を覗き込んだ。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「伯爵さん、悪いことしたの?」


「その疑いがございます」


「じゃあ、やっつけなくていいの?」


 ……おや。


「殿下は、どう思われますか?」


「うーん……」


 殿下が考え込む。


「最初は、殴っちゃおうかなって思った!」


「……そうでございましたか」


「でも、トルーキンがいろいろ聞いてたら、伯爵さん困ってたね!」


「そうでございましたね」


「それに、もう勝手に干し草を売れないんでしょ?」


「王国の物資については、そのとおりでございます」


「じゃあ、殴らなくてもいいんだね!」


 ……。


 僕は少し驚いた。


 以前の殿下なら、悪いことをしたと思った相手には、すぐに拳を向けようとしていただろう。


 しかし、今回は違った。


「殿下。大切なのは、何が起きたのかを確かめ、必要な責任を取っていただくことでございます」


「うん!」


「殴ることが目的ではございません」


「わかった!」


 殿下が大きく頷いた。


「でもさ!」


「はい」


「私、今日、何にもしてないよ!」


「そんなことはございません」


「そうなの?」


「殿下のお言葉で、伯爵閣下も随分とお困りのようでしたので」


「えへへっ!」


 殿下が嬉しそうに笑った。


「でも、やっぱり何かしたい!」


 ……。


 お気持ちは、よくわかります。


 もっとも、これ以上事件が増えるのは勘弁していただきたいところだ。


 ◇


 翌日。


 僕たちは再び牧場を訪れていた。


「わあっ!」


 殿下が歓声を上げる。


 牛たちが、干し草を食べていた。


 近くには、新しく届いた干し草の束が積まれている。


「届いたんだ!」


「はい」


 牧場主が笑顔で頭を下げた。


「本当にありがとうございます!」


「いえ。お礼はオルセン商会へお願いいたします」


 今回、オルセンは問題となった干し草とは別の在庫から、当面必要な分を販売してくれた。


 価格は、以前より高い。


 しかし、牧場主の事情を聞いたうえで、支払いの一部を待ってもらえることになった。


 牧場にとっては、ありがたい話だろう。


 オルセンにとっても、今後の継続的な取引が期待できる。


 ……なかなか、よい商談だったと思う。


「ねえ、牛!」


 殿下が柵の向こうへ声をかけた。


「いっぱい食べて元気に育ってね!」


「モォォ」


「えへへっ!」


 殿下が嬉しそうに笑う。


 ……よかった。


 これで、少なくとも当面は、森の近くへ放牧する必要はないだろう。


 もちろん、干し草不足そのものが解消したわけではない。


 今後の仕入れ先や、飼料の備蓄についても考える必要がある。


 だが、ひとまず安心だ。


「よいしょっ!」


「せーの!」


 そのとき、牧場の端から声が聞こえてきた。


 見ると、数人の作業員が、新しい柵を作っている。


 先日のグレイファングの襲撃で壊れた部分を修理しているようだ。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「あれ、何してるの?」


「柵を作っておられるようでございますね」


「へえーっ!」


 殿下が駆け寄っていく。


「何してるの!?」


 作業員の一人が振り返った。


「これは王女殿下!」


「それ、何?」


「柵の杭でございます」


「何で叩いてるの?」


「地面に打ち込んでいるのです」


「へえーっ!」


 殿下が目を輝かせた。


「私もやる!」


 ……。


 やはり、そうなったか。


「殿下」


 僕が声をかける。


 殿下は振り返った。


「なあに?」


「その杭は、折ってしまってはいけませんよ」


「わかってるよ!」


 僕は作業員に確認した。


「こちらの杭は、どの程度まで打ち込む必要がございますか?」


「この印のところまでです。先に穴を掘ってあるのですが、最後がなかなか入らなくて」


「承知いたしました」


 僕は杭と地面を見た。


 《算神》を発動する。


 杭の長さ。


 地面の状態。


 打ち込む深さ。


 ……ふむ。


 殿下なら、十分に可能だろう。


 ただし、問題は力の加減だ。


「殿下。杭の上から、まっすぐ力を加えてください」


「うん!」


「この印のところまででございます」


「わかった!」


 作業員たちに離れてもらい、杭が倒れないよう固定してから、殿下がその前に立つ。


 そして、拳を握った。


 普段なら、ここで止めるところだ。


 だが。


 ……今回は、止める必要がないか。


「殿下」


「なあに?」


「そこは、殴って構いません」


 殿下が目を丸くした。


「えっ!?」


「ただし、杭を折らずに、決められた深さまでお願いいたします」


「……うん!」


 殿下の顔が、ぱっと明るくなった。


「任せて!」


 拳が振り下ろされる。


 ドンッ!


 杭が地面に沈み込んだ。


 ちょうど、印のところまで。


「……おおっ!」


 作業員たちが歓声を上げる。


「す、すごい!」


「一撃で……!」


 殿下が得意そうに振り返った。


「ねえ、トルーキン! できたよ!」


「はい。お見事でございます」


「えへへっ!」


 僕は杭を確認した。


 ひび割れもない。


 深さも、ほぼ完璧だ。


 ……なるほど。


 この方の拳は、壊すだけのものではない。


 使い方を考えれば、何かを作るためにも役立つ。


 僕は、これまで殿下の拳を止めることばかり考えていた。


 しかし、それだけでは駄目なのかもしれない。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「あっちもやりたい!」


 殿下が次の杭を指さした。


「承知いたしました」


「やったぁ!」


「今度も、印のところまででございますよ」


「わかってるよ!」


 殿下が元気よく頷く。


 そして、次の杭の前に立った。


「えいっ!」


 ドンッ!


 またしても、杭がきれいに打ち込まれた。


「おおーっ!」


 作業員たちが拍手する。


 殿下が嬉しそうに笑う。


「次!」


 ドンッ!


「もう一本!」


 ドンッ!


 ……。


 あっという間に、杭が次々と打ち込まれていく。


「こ、これは……!」


 作業員たちが呆然としていた。


「これなら、今日中に柵が完成するかもしれません!」


 牧場主が嬉しそうに言った。


「本当に助かります、王女殿下!」


「えへへっ!」


 殿下が胸を張った。


「トルーキン!」


「はい」


「私、すごいでしょ!」


「はい。大変助かっております」


 ……まったく。


 この方には、いつも驚かされる。


 だが、今日の僕は少し違っていた。


 これまでは、殿下の拳をどう止めるかばかり考えていた。


 しかし、今は、その力をどう生かすかを考えている。


 ……悪くない変化かもしれないな。


 すると、殿下が次の杭を指さした。


「ねえ、トルーキン!」


「はい」


「あれも!」


「承知いたしました」


「その次も!」


「はい」


「あっちのも!」


「……殿下」


「なあに?」


「少々、休憩されてはいかがでしょうか?」


「ええーっ! まだまだできるよ!」


 ……。


 どうやら、止める仕事がなくなったわけではないらしい。


 それでも、楽しそうに杭を打ち込む殿下の姿を見て、僕は思わず笑ってしまった。


 ……まあ、よいか。


 今日はもう少しだけ、お付き合いしよう。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

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