熱の夜
十歳の冬だった。
朝から体が重かった。
頭がぼんやりして、教科書の文字がうまく読めない。
学校から帰る頃には、足もふらついていた。
家に着くと、母はいなかった。
いつものことだった。
私はランドセルを床に置き、そのまま布団にもぐりこんだ。
寒かった。
なのに体は熱かった。
額に手を当てると、自分でも熱があるのが分かった。
時計の針がゆっくり進む。
外は少しずつ暗くなっていく。
お腹が空いた。
でも起き上がる元気がなかった。
台所まで行けば何かあるかもしれない。
そう思っても体が動かない。
私は布団の中で丸くなった。
玄関が開く音を待った。
母が帰ってきたら、
「熱があるの」
と言おうと思った。
頭を撫でてくれるかもしれない。
薬を買ってきてくれるかもしれない。
そばにいてくれるかもしれない。
そんなことを考えながら待っていた。
だけど夜になっても母は帰ってこなかった。
部屋は静かだった。
時計の音だけが聞こえる。
カチ、カチ、カチ。
私は涙をこらえた。
苦しいのは熱のせいだけじゃなかった。
怖かったのだ。
もしこのままもっと具合が悪くなったらどうしよう。
もし誰も気付いてくれなかったらどうしよう。
十歳の子どもには、その不安は大きすぎた。
やっと玄関の音がしたのは夜遅くだった。
私は安心して起き上がろうとした。
でも体が重くて動けない。
母は私の部屋を覗きもしなかった。
帰宅した音だけが聞こえる。
テレビの音が聞こえる。
笑い声も聞こえる。
私は布団の中で目を閉じた。
「お母さん」
小さく呼んでみた。
声は届かなかった。
その夜、私は一人で朝を待った。
大人になった今でも熱を出すと、あの夜を思い出す。
苦しかったことより、
怖かったことより、
一番覚えているのは、
助けを求めても誰も来なかったことだった。




